第九十四話 エピローグ
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クリスマス目前の12月16日。
僕たちはソワレの店「Flamme blanche」に集まっていた。
「昼中さん、クリスマスにはこのカーディガンが欲しいんですけど」
「はい」
「昼中っち、私はこのソフトがいいっす。購入特典は浮葉モールのやつと西都電器のやつとめぐみ書店のやつが欲しいから3本で」
「承知しました」
全部合わせると結構なお値段になるが、仕方ない、短期のバイトでも入れるか。
そこへソワレがケーキを運んでくる。
「冬の新作だ」
ずいぶん真っ白なケーキだ、クリームがたっぷりとかかっている。綿のような白というより、豆腐のようにつやつやした白である。
そしてなんだか、この爽やかな大地の香りは。
「これ……大根か?」
「そうだ。大根をジュレにしてゼラチンで固めた大根ケーキ、上にかかってるクリームはカブのペーストだ」
風味がスイーツのそれと思えない。
ほうれんそうケーキは徐々に売上が伸びていて、雑誌に紹介されたりもしているらしいが、それで調子に乗ったのか何なのか、野菜ケーキを全面に押し出すようになったらしい。
さつまいもケーキやにんじんケーキはそれなりに良かったけど、大根は、うーん。
「昼中っち、私のぶんどうぞ」
「あ、じゃあ私のもしょ……お食べください」
姫騎士さん、処理って言いかけた?
「食べるよ……というかこの店もお客さん増えないな……隣のメイド喫茶は今度百浜に支店を出すって言うのに」
「質実剛健」
厨房の方から声が投げられる。地獄耳なやつだ。
「ところで昼中さん、クリスマスパーティーは私の家でやりませんか? 剣道部の後輩もたくさん招こうかと」
「あ、いいね」
「ダメっす!」
がば、と隣りにいた黒架が首にしがみつく。
「クリスマスには東京に行って夜景を見るっす! 姫騎士さんは後輩とケーキでも食べてればいいっす!」
「あら黒架ジュノさん。高校生の身分で東京でクリスマスデートは背伸びのし過ぎではないですか?」
「ふふん、私らそのうちパキスタンへの旅行も計画してるっす。姫騎士さんを置いてきぼりにして世界はスピードを上げてるっす」
よく分からない勝ち誇り方をする。
「ふふ」
と、姫騎士さん、なぜかサイドの髪をかきあげて流し目。
「まあ遊べるのも学生のうちだけですからね、羽根を伸ばされるといいでしょう」
「う、うぐぐ」
そしてなぜか悔しそうな黒架。
「り、旅行であれやこれやしちゃうっすよ、姫騎士さんにはできないようなこと」
「どうぞ? 私と昼中さんは、もうそんなことで羨むような関係ではありませんから」
「うぐぐぐ、昼中っち! 言われてるっすよ!」
「僕が!?」
ぴりりり、とアラーム音、姫騎士さんのスマホのようだ。
「あ、そろそろ帰らないと。今日は家の掃除をしないといけないんです」
「掃除? 年末だから?」
「それもありますけど、もうすぐ両親が帰ってくるんです」
「海外に出張中のご両親っすか? それなら早く帰らないと」
と、僕を抱きしめたまま言う黒架。
「またすぐ出張に出るそうですけどね……それでは昼中さん、黒架さん、またの機会に」
「あ、うん……」
そして僕も大根ケーキを三つ食べて、黒架とともに帰路につく。
「うう、寒いっす、雪も降り出したっすよ」
「予報によると大雪らしいぞ、西都には滅多に積もらないけど」
しんしんと冷えゆく西都の町。温泉の湯気と硫黄の匂い。浴衣にどてらを羽織った観光客は、息を白くしながら足湯で笑い合う。
あの百浜の事件から二ヶ月。
あの時に姫騎士さんが仕掛けたことは、僕たちがゆく道を死の虚無ではなく、遠い世界への封印に切り替えたこと。
姫騎士さんでも戻ってこれない隔絶された世界。時間も空間もない真の意味での絶無。
だが、黒架はそこにたどり着いた。
黒架の体感時間では数十年が経っていた。世界に潜み、いくつかの吸血鬼の氏族から身を隠しつつ力を蓄え、ソワレたちとも手を結び、夜に君臨していた黒架カルミナを討ち果たしたのだという。
「黒架」
「はえ?」
僕は彼女の手を握る。青い血の流れる吸血鬼の手だが、実際の体温以上の温もりがある。
「ありがとう」
「あやや、何度目っすかそれ、もうげっぷが出るっすよ」
すべてを解決したのは黒架だ。自分の力で黒架カルミナとの戦いを勝ち抜き、最果てにいた僕たちを見つけ出した。
姫騎士さんはそれを待っていたのだろうか。それとも僕と永遠を過ごしたいと思ったのだろうか。それはもはや、確かめようがない。
「でも大丈夫なのか。時間は戻ったらしいけど、お母さんはまだ健在なんじゃ」
「それも何度も説明したっす。ねじれの城は時間が歪んでることまでは分かってるっすね?」
ねじれの城は時間が歪んだ城。ラインゼンケルンの錬金術の秘奥。
あれは本来は西都にあった城の数百年後の姿、うん、そこまでは理解できてる。
黒架は数十年後の未来で母親との戦いに勝利した。そして、ねじれの城の力で時間を巻き戻した。そこまでは分かった。
「でも私とママは覚えてるっす。私が勝ったことを。だから、私の前から姿を消したっすよ」
それは物語にすれば何千ページという戦いらしい。黒架の肉体は巻き戻ったけど、その経験を纏っているのか、以前よりだいぶ大人びて見える。
「つまり……未来で黒架に負けることが分かってしまった、ってことか? でもそれなら戦い方を変えるとか、作戦を練るとかするんじゃ」
「ママのことだから油断できないっすけど、しばらくは無いと思うっす。ママは一度も負けたことなかった人っすから、立ち直るまで時間が必要なんすよ」
そのあたりの感覚は人間の僕には分からないかも知れない。
ともかく黒架が勝って、吸血鬼カルミナは退散した。その理解で良いんだろう。
「西方魔法協会も私についたっす。ソワレがこの町にいるのは私の護衛のためでもあるんすよ」
「大したもんだ……何もかもひっくり返った感じだな」
空を見上げる。空はいつもより深く思えた。
西都に溜まっていた重く複雑な気配。人の世界と重なり合って存在するあれこれ、それは恐ろしいものではあるけど、僕たちはそれを克服もできる、そんな気がする。
「考えてみたら、僕はずっと選ばれてたんだな、黒架に」
「そうっすよ、あのゲーセンで会ったときからの縁っす。吸血鬼の女は執念深いんすよ」
誰もが、自らの人生の主人公。
僕が姫騎士さんを選んだように、黒架は僕を選んだ。
そして黒架の方がずっと強い力で僕を引き寄せた。
そういうこともあるだろう。
未来は分岐するが、それは一人だけで決まることではない。
舞台の全員が様々な選択を続けて、運命は複雑に絡み合っていく。
「恋なんてつまりは腕力っすよ。より強く昼中っちを引っ張った私が勝ったっす」
「大したもんだ、ほん、と」
と、黒架のほうを向くと、なぜかじとっとした三白眼。
「な、なに?」
「大丈夫っすよね昼中っち? 今から姫騎士さんになびかないっすよね?」
「だ、大丈夫に決まってるじゃないか。もう二度と無いよ」
「なんか3日ぐらい前、夕山トンネルの崩落事故で姫騎士さんと行動してたって情報入ってるっす」
「あ、あれは事故に重奏が関わってたからで、ちょっと面倒なことになってたから、たまたま姫騎士さんが居合わせてたのに合流して」
そう何もなかった。多少のボディタッチぐらいはあったけどそれは不可抗力と言うか別にほんとに何も、たぶん。あれはセーフなやつだから。
「じ、じゃあ、クリスマスには東京だな」
「……うん。楽しみっす。池袋と渋谷のゲーセンでみんな待ってるっすよ」
「あ、格ゲーもやるのね……」
なんかそっちがメインな気もするな。
僕は黒架と別れ、自分の家へと向かう。
そういえば姫騎士さんの両親も帰ってくることだし、僕も自分の両親に会いに行ってもいいかな。
確か秋田県の旅館で働いてるんだったか、姫騎士さんが住所を知ってるはずだけど……。
視界の端によぎる影。
「ん」
足を止める。はっと振り向けば、空の果てを黒い影が飛んでいる。
遠目にはカラスに見えるが違う。まったく羽ばたいていない。
それは雪雲の下を悠々と飛んで、姫騎士さんの家がある山の方へ。
「あいつ!」
僕は駆け出す。体は巻き戻ったけど筋トレは無駄になってない。いちおうまだ走り込みも続けているのだ。西都の裏通りを全速力で走り、だらだらと続く石段をカンガルーの勢いで連続ジャンプ、8分ほどで姫騎士さんの家へ。勝手口から中へと飛び込む。
広々とした和風の邸宅、ずんずん進んで居間へとたどり着けば。
「修羅!」
小綺麗な顔をした髪の長い少年。それが畳にぺたりと座っている。
そしてあろうことか、姫騎士さんが足を拭いてあげている。この野郎姫騎士さんに何を。
「揺れ動く者よ、私に何か用か」
「その呼び方やめろ。あと何度も言ってるけど勝手に姫騎士さんの家に上がり込むんじゃない」
「私には必要なことである」
修羅、当代の神様。
……の、はずだが、なぜかこいつは姫騎士さんの家に上がり込むようになった。姫騎士さんも追い出せばいいのに、面倒見の良さから世話を焼いている。
「昼中さん、私は構いませんが」
姫騎士さんは割烹着に三角頭巾を頭に巻いた姿。掃除の最中だったのだろう。そんな家庭的な姿も百万ドルの価値だなとか脈絡のないことを思ったり。
「姫騎士さんが迷惑してるだろ! 早く出ていけ!」
「私の意思は私のものである」
「ここは姫騎士さんの家だろ! それに知ってるぞ、風呂まで借りてるらしいじゃないか!」
「姫騎士は私を入浴させるのを巧みとする」
「てめえ」
ふつふつと怒りが湧いてくる。だいたいなんで少年の姿なんだ。僕らより遥かに長く生きてるだろ。
「ミネギシなる魔獣使いは健在である」
「え?」
「あれは九生ある獣。私を使役する術を持つ者である。私は姫騎士に助力を頼みに来た」
あいつ、生きてるのか。
僕の手で命を絶ったと思っていた相手だ、生きていたことは少しほっとしたが、脅威が健在となったことには違いない。
「私はミネギシの捕獲を姫騎士に願う」
「姫騎士さんに迷惑は……」
「昼中さん、大丈夫ですよ。修羅さんにはお世話になりましたし」
百浜に起きた重力異常。時間を巻き戻した際のあれこれの混乱。それを収拾したのは修羅らしい。
姫騎士さんに言わせると、自分よりもずっと力の使い方が繊細で丁寧なのだとか。本当かなあ。
まあ、ミネギシが生きてるなら仕方ないか……。確かに放置できるやつじゃないし。
「姫騎士、感謝する。そして今日の夕餉は何か」
「ビーフシチューですけど」
……この野郎。姫騎士さんの手料理を。
「昼中さんもご一緒にどうです?」
「え、僕も?」
「はい、たくさん作ってしまったので」
その量は何と寸胴鍋で一杯分。お店が開けそうだ。
しょうがないので僕も相伴する。これは修羅が変なことをしないように見張るためだし、作りすぎたシチューを処理するためだし、ちょうど夕飯時だっただけだし、何もおかしいことじゃないな、うん。
そして食事も終わり、僕が修羅を風呂に入れて、髪も乾かしてやる。
「揺れ動く者は私を入浴させるのを巧みとしない」
「その呼び方やめろっつうの」
「あのう、修羅さん」
と、姫騎士さん。白い寝間着姿である。細かなレース模様が目にまぶしい。
「そろそろ……あれを」
「うむ」
そう、こいつが姫騎士さんの家に入り浸るようになった理由が、もう一つ。
「姫騎士さん……どうしても、その、するのか」
「はい、良くないことだとは、分かっているのですが……。どうしても、その……やめられなくて。昼中さんは、見張りをお願いしますね」
修羅と姫騎士さん。二人でふかふかの布団に入り、ぴったりと体を合わせる。目を覆いたくなる光景である。
そして二人は、すやすやと寝息を立て始める。
あの時、僕と行ったこと。
二人の鼓動をぴたりと合わせることで、何も存在しない、姫騎士さんと修羅が特別ではない世界に旅立つという。
正確には違うらしいが、これは二人が力を失う行為、人間で言うなら眠りに相当するらしい。
つまりこの世界には今、神様が不在である。
それが何を意味するのか分からないし、何かが起きたこともないけど、修羅はこの行為を誰にも言わないようにと言っていた。本当はかなりまずいらしい。
あるいはこの状態、人によっては世界の終わりに見えるだろうか。
何かあったらすぐに起こすつもりだが、まあ、今はそっとしておくか。
そのまま数時間、僕は縁側に座って寝ずの番をする。
視線を送れば寝息を立ててる二人。幸福そうな寝顔。やっと得られた安寧の時間。
身を寄せ合う二人の神様。
姫騎士さんはいつか代替わりを果たすのだろうか。
世界はどう変わっていくのだろうか。
黒架の母親のことは、生きていたというミネギシのことは、どこかへ消えてしまった亜久里先生と桜姫のことは。
そして、僕の現状は?
何だか人間関係がますます複雑になってる気がするし、事態は何も解決してない気もするし、僕は人生のはざまで揺れ動くばかりな気がするけど。
とりあえず当面の目標だった姫騎士さんの眠り、これが達成できただけでも良しとするか。
「……ん?」
また空になにか見える。
だが今度のは大きい。真っ暗になった西都の夜空に白い線が走り。それがぱっくりと開いて現れるのは、巨大な眼だ。
「あれは……!」
大きさはドーム球場ほどもある。ぎょろとぎょろと動いて何かを探すかに思える。
「姫騎士さん! 何か現れた!」
僕が彼女を揺り動かすと。
「うーん……あと5分だけ……」
姫騎士さんは眠りたい。
ようだったので、僕はとりあえず対処できそうな知り合いに電話をかけた。
(完)
これにて完結となります
他の連載を挟みながらの足掛け2年、ここまでお付き合いいただきありがとうございました
ラブコメは難しかったですが、姫騎士さんの能力や世界観についてはけっこう好きでした、またどこかで活かせるといいのですが
この連載はこれで終了となりますが、他にもいくつか完結作を書いていますので、そちらもよろしくお願いします
最後になりますが評価、感想などいただけると大変嬉しく思います
ではまた、別の作品にてお会いできることを祈っております
2024.03.24 MUMU




