第九十一話 【極大深度無天十王駅】3
線路から線路へ、建物から建物へと跳んでいく。
高速鉄道に飛び乗ったり、電車の側面にぶら下がって屋根の低いトンネルをやり過ごしたり、そのぐらいの動きは呼吸するようにこなせる。
この世界は途轍もなく巨大な駅。ここから無数の世界に連結されたハブ駅だ。
「つまり……この駅は姫騎士さんそのもの」
多くの世界を渡るという概念か。それならより多くの線路が向かう方向、より多くの建物が密集する方向が中心のはず。
普通の市街地のような場所もある。商業ビルに挟まれた空間を駆ける。
気配が。
背後から迫る。それは巨大なハリネズミ。体は檮杌より大きく、10トントラックほどもある。
「こいつは確か……背信と悪逆の窮奇」
長大な体に生える針は本物の剣だ。西洋剣、日本刀、中華風の剣に曲刀まで、見事な装飾のある美麗な剣ばかりを。
尾から剣が射出される。意思を持つかのように軌道を変え、連続的に加速する剣。僕はすんででかわすと、剣は背後にあったビルに突き刺さる。
次の瞬間にビルは猛炎を上げる。全体が一気に火勢に包まれたのだ。
「……」
僕は九十度曲がって別の建物に駆け込む。やつはためらわずに追ってきた。
続けざまに剣を射出。狭い通路の中をぐんぐん加速して追いすがる。通路はやつから生えた剣によって斬り裂かれている。
視界の端に消火器、引っ掴んで後方へ投げる。剣はそれに突き刺さって爆散。しかし瞬時にぎしりと凍りついて、白い蜘蛛の巣のようなものを形成する。消火薬剤が極低温で凍りついたのだ。
「なるほど、剣によって能力が違うのか」
長い旅の中では四凶について耳にすることもあった。窮奇とは善人を食らう獣、二人の人間が言い争っている時に現れ、正しい方を食べるという。
その姿はハリネズミの毛が生えた牛だとか、大鎌のような尾を持つとか言われる。
翼の生えた虎という話もある。四凶は古い妖怪だから、互いの伝承が混ざり合っているらしい。
つまり存在が曖昧、だからどのような姿でもありうる。
あの無数の剣、おそらく重奏で宝を集めるような概念か。あらゆる世界で魔力を持つ剣の持ち主を喰らい、その剣を取り込んできた悪獣なのか。
だが、もはやぬるい。
広い空間に出る。円形になった吹き抜けのホール、中央にピアノが置かれている。僕はそのピアノに飛び乗って反転。
視界いっぱいに大量の剣。国一つを滅ぼすほどの力を秘めた霊剣が百余本。一斉に射出したのか。
「どれだ……」
前に出る、瞬間的な加速、蹴り足を受けたピアノの天板が爆散する。
剣の一振りの真下に滑り込み、跳ね上がる手が握りを掴んで腕のしなりで勢いを止める。
満身の力を込めて投げる。空気を引き裂く衝撃。雷速を得た剣が窮奇の眉間に突き刺さる。
ガラスをかきむしるような絶叫。それは人間の叫びだ。窮奇は人語を解するという伝説もあるが、こんな形で反映してくるか。
そして数秒でも動きを止めれば致命的だぞ、伝説の四凶。
剣が次々と突き刺さる。僕が数秒で投げたものは7本、魔力が高いやつから順番に投げる。さしも神獣も形が崩れてくる。
15本、32本、そして57本。やつが塩か灰の山のようなものに変わっても投げ続ける。
そしてある一瞬、剣もすべてガラスのように砕けてしまった。
あの剣が神獣に紐づいていたとか、神獣に囚われていた魂が開放されたとか、そんな理屈だろう。
「……よし、いける。十分に戦える」
自分の手を見る。種類の異なる様々な魔力に焼かれて爛れている。だが自己治癒力だって高められるはず。僕の眼の前で傷がぼろぼろと剥がれ落ち、新しく肉が盛り上がってきて薄皮が張り、血液と筋肉が正しい走行路を求めてびくびくと動く。完全な治癒まではおよそ一分。
「……?」
音が聞こえた、わずかな呼吸音だ。
四凶ではない、禍々しくはないが、真っ白でもないような気配、これは。
「ソワレ」
駆け出す、すぐに見つかった、プラットホームのベンチに倒れている。
「ソワレ、大丈夫か」
「……む、昼中、か」
灰色の布を巻いた戦闘用の装束だ。しかし布は何箇所か破れており、酸や炎を浴びたような痕跡もある。体力もかなり消耗しているようだ。
「四凶と戦ったのか」
「ああ、だがとても太刀打ちできんな……あれは全人類が束になっても厳しい相手だ、修羅も……」
修羅か、あいつもいたな。
「大丈夫だソワレ、僕が戦える」
「……?」
ソワレは上半身を起こし、僕をまじまじと見る。その目の奥に驚愕の色が混ざる。
「お前……昼中、なのか」
「饕餮のせいだ。あいつのせいで無数の世界を彷徨った。その中で知恵と力をつけたんだ」
「だ、だからと言って、お前の若さでそこまで到達できる、はずが……」
「ソワレは休んでてくれ、僕が残りの四凶と、修羅と、黒架カルミナを倒す」
「黒架カルミナ……ラインゼンケルンの主祖か、あいつが」
そういえば、以前にソワレは黒架カルミナと接触していた可能性があったと思い出す。
「なあ、聞いておきたいんだが、あんたは黒架カルミナに通じていたのか」
「……そうだ」
流れとしては、吸血鬼の中には反カルミナ派がいた。それがソワレに内通し、ハンターとして西都の町で暴れさせることで、その責任を黒架ジュノに取らせようとした。ひいては黒架カルミナを長の座から追い落とそうとしたのだろう。
しかし黒架カルミナがその策に気づき、ソワレに接触することで逆に反カルミナ派を始末させた。
反カルミナ派の吸血鬼たちは魂を捕らえられ、復活できぬように幽閉された。
そんな流れかと確認すると、ソワレはすべて肯定で応えた。
「黒架カルミナ……食えぬ女だとは思っていたが、まさか姫騎士どのを狙っていたとはな……」
「黒架カルミナも吸血鬼なんだろう? 何か効果のある武器とか持ってないか」
「あの女は一般的な吸血鬼とは何かが違う。もっと大きな魔術の理の中に存在している。魔術と言うよりは、錬金術か」
錬金術……そういえば以前に会ったときにそんなことを言っていた気がする。黒架カルミナは吸血鬼である前に錬金術師なのか。
「……白木の杭だ」
「白木の杭?」
「古来より吸血鬼を滅すると伝わる武器だ。それで心臓を貫けば、たとえ太祖なる吸血鬼でも効果がある」
なるほど白木の杭、この世界には枕木も木造の駅舎もあるし、どこかで調達も可能だろうか。
「白ければどんな木でもいいのか?」
「どこかでチャペルを探せ。高い位置に掲げられた十字架を削って杭にしたものが最も効果が高い」
「分かった。ソワレはここで休んでてくれ。すべて解決したら迎えに来る」
「昼中、お前……」
ソワレは珍しく戸惑っている。僕の実力を探っているのは分かるが、それがいつまでも終わらない。
「尋常ではないぞ、なぜそこまでの力を欲する……」
「いつか、バク飼いの女の子が教えてくれた。人は鍛えた末に戦士になるわけじゃない。いざその時が来たら、誰もが戦士にならねばならない。だから僕もそうしている」
「そういう話ではない……お前、人間を捨てるつもりか」
「ソワレ、あんたがそれを言うのか。あんたは姫騎士さんを人間だと思っていない。あるいはいつか人間ではないものに成ると思っている」
「む……」
姫騎士さんが何になるのか、それを言い表す言葉は存在しない。姫騎士さんが到達しようとしてる世界は、あまりに遠い。
だから人間ぐらい捨ててやる。僕が姫騎士さんを助けられるとすれば、それぐらいしか方法がない。
「昼中、分かっているのか」
「分かっているとも。僕は死人も同然だった。そこを姫騎士さんに救われたんだ。だから僕のすべてを捧げ……」
「違う……言い方が間違っていた。自分の身に何が起きているか分かっているのか」
「……分かっているとも」
一念発起したとか、多くの世界を渡り歩いたとか、最早そんなことで説明できる事象ではない。
僕が姫騎士さんに近づこうとしたから、だから物理的に近しい存在になろうとしている。
姫騎士さんにはそんな力もある。それを利用しようとしたのが他でもない、黒架カルミナなのだ。
姫騎士さんに近づく全てが、どこか遠いところに連れ去られる。
ある意味では饕餮と同じ、姫騎士さんとは穴だ。どこか高位の世界へと通じる超重力の穴なのだ。
「それでも行くんだ」
「……それは姫騎士どのと共に歩むことなど意味しない。姫騎士どのは最後は一人になる。その時にお前はどうなる」
「どうなろうと、構いはしない」
僕はその場を去ろうとする。背後からソワレの声が飛ぶ。
「待て! 分かっているのか! お前は何も獲得などしない! すべてを失うよりも恐ろしいことが起こるぞ!」
分かっている。
いや、正確に言えば何も分かってない。
だが、覚悟だけはある。
どんな結果になろうとも、すべて受け入れると……。
足を踏み鳴らして跳ぶ。
次の瞬間には僕は建物の上にいる。蒼穹の中に無数のプラットホームやビルが浮かぶ眺め、それがどこまでも続いている。
「ミネギシの作った卍凶結界……敵が四凶と修羅だけとは限らないが……」
目が絞られる。眼輪筋が限界まで張り詰めて、遠方の点のような物体を脳が補正する。
およそ1キロ先。己の尾を咥えた山犬の姿がある。
あれは渾沌。怠惰と無為を司る悪獣。
読み取れる。あいつの周囲にわだかまるのは無為の気配。やつの周囲ではすべての生物は戦意を失い、活力を失い、生きる気力すら削がれて緩慢な死に堕ちていく。
腕を振る、数十メートル離れた場所の窓が割れて、僕の手の中にガラス片が握られる。
腕に力を込める。全ての筋肉がぎしぎしと鳴る。血流は速度を増して汗が水蒸気の白煙に変わる。これは修羅もやっていたこと、今の僕なら、あの境地へ。
――投。
指を離れる刹那に音速を超えている。衝撃波が僕の皮膚と肉を破壊する。投擲されたガラス片は高速回転しつつ加速。音を置き去りにして霊獣の首へ。
速度のあまり液体に突っ込むような眺めとなる。渾沌の首を斬り飛ばして。その奥のコンクリート壁を粉砕する。ガラス片が砕けてダイヤモンドダストのように光る。
「……よし」
手を見る。すでに肉も皮膚も復元している。
そしてチャペルも見つけた。やはり一キロほど離れた場所の駅舎に隣接している。僕は跳躍に跳躍を重ねてそこまで行く。
屋根に立ってみると非常に大きく思える。高さ160センチほどだろうか。十字架とはこんなに大きいのか。
手を近づけると独特のオーラを感じる。この木製の十字架は神秘的な力を得ているようだ。
「……? この、気配」
あのとき、ミネギシの傷跡に感じたものと同じ。
それに何の意味があるのだろう。
まあ良い。
考えても答えは浮かびそうにないし、浮かんだ答えが正しいとも限らない。
僕はただ戦うだけ。
最後の時は近い。
そして最後に立ちはだかる敵は……。




