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姫騎士さんは眠りたい  作者: MUMU
第十章 最果ての駅の姫騎士さん 
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第九十話 【極大深度無天十王駅】2


大昔、ビルから飛び降りる曲芸師を見たことがある。


その人物は着地の瞬間、地面を思い切り蹴って後方に尻もちをつくことで衝撃を分散させていた。


その要領は旅の中で身につけている。僕は足から始まって転がるように受け身を取る。高度も速度も問題ではない。


8両編成の長い車体だ、その上で檮杌とうこつを近距離で見る。


実際の虎とはだいぶ違う。首は馬のように伸びていて四肢はラクダのようにゴツい。胴体の毛並みは帯電するかのように揺らめいている。

思い切り裂けた口からは長い牙。赤から紫の間を揺れ動く眼光、およそ理性など感じない凶悪な面相だが、やはりこいつは計算しているのか、あの破壊の波動を水平には撃ってこない。


こいつは黒架カルミナに支配されてるからだ。

カルミナにとってより重要な目標は黒架、この電車が黒架をおびき寄せる餌なら破壊できないはず。


ではどうするか、直接襲いかかるか、それとも。


咆哮。


不可視の波動だが空気の揺らぎで見える。範囲を絞り込んでいる。

僕は滑るように動いて車体側面へ。指先に力を込めてしがみつき、体を思い切り振って蹴り足でガラスを破る。


破壊音。やつも天井を斬り裂きながら降りてきた。やつの魔力か、あるいは能力なのか、破壊という結果を直接引き出せるように見える。やつは刃物を振り回すことなく斬り裂き、目で睨むだけで破壊する。


「伝説の妖怪か。思いのほか小さいな。それともお前も分身ってやつなのか」


体格で言えば軽自動車ほど。車体いっぱいに収まるほどの大きさだ。セミダブルシートの並ぶ車内で動けるか。


やつがにじり寄る。シートに触れるとその部分が黒ずみ、腐敗なのか腐食なのか、一瞬で形を失って崩れていく。


「芸達者だな、そういうのもできるのか」


速度を上げる。すべてのものを朽ち果てさせながら迫る獣。僕はシートの背中部分に足をかけて跳躍。やつの背中を蹴って後方にやり過ごす。


無事ではない、靴底がボロボロになっているのが分かる。僕は通路を抜けて次の車両へ。


やつは体を反転させて追ってくる。本来は後方へ逃げるのは最悪の選択肢。なぜなら後方の車両についてはやつが気兼ねする必要がないからだ。


咆哮。音の速さで迫る崩壊の波動。後方車両のシートを砕き窓を砕き、吊り革も床も天井も、そして線路までもすべてを破砕して後方車両を消し飛ばす。ストローの袋を縮めるような破壊。豆腐のように砕けていく車両の中で僕は右に飛ぶ。


そこは並走する別の線路。どうやら目算通り飛べた。枕木の一つをべりべりと引っ剥がし、一息に投擲。


重さ数キロの枕木が窓をぶち割ってやつに当たる。だがそれは命中の瞬間には朽ち果てていた。すさまじい歳月が経過したかのように朽ちて、灰のように崩れ去る。


だがさすがに怒りを買ったか、檮杌は窓を突き破って飛びかかってくる。巨大な黒い翼、白磁器のような爪。僕を朽ち果てさせようと。


僕はすんでで身をかわし建物の一つに。やつの追いすがるのを気配で感じ取り、一瞬振り返ってから数センチの距離で爪をかわす。おそらくこの爪にかすりでもしたらアウトか。


だが。


「今だ!」


僕は足さばきでやつと体を入れ替え、車両の方向に抜ける。


やつが反転しようとした時、その姿が数メートル下がった。


真上から襲い来る超重量。直上方向にあった建物を黒架が破壊したのだ。瓦礫がやつに降り注ぎ、石と金属の滝となってその姿を下方に押し流す。


それは数百メートルぶんの「街」が降ってくる眺め。やつの吠え声が押し流されていく。遥かに下方へ、蒼色の無限へと。


「昼中っち、大丈夫っすか」


黒架が降りてくる。その爪はボールペンほどの長さに伸びていた。黒架が斬撃の技を使う時の特徴だ。


「無茶しすぎっすよ、あんな怪物を相手に囮になるなんて」

「大丈夫だ。やつの動きは見切れてた。伝説の獣だとしても、今の僕たちなら戦える。倒せるんだ」


そうだ、自信を持て。

長い旅を経験しただけじゃない。僕は姫騎士さんのそばで戦ってきたはず。

戦えなければ彼女の隣には立てない。もっと言うなら、隣に居続けた僕には因縁のようなものが付加されているはず。


「……あと三体か」

「昼中っち、なんか言ったっすか?」

「何でもない。ちょっとだけ休もう。あそこに噴水が見える」


ここはビルの隙間。庭園のような場所だ。壁面には線路が走行している。


空中に浮かぶ庭園。それなりにロマンあふれる存在にも思えるが、どこの駅前にもありそうな安っぽい噴水なので、あまり感動はない。


「黒架、西都行きの列車はまだ追えるよな?」

「大丈夫っすよ。檮杌の匂いも染み付いてる、すぐに見つけられるっす」


……そう、ひとまず西都に逃げる。

最善かどうかは分からないが、良い手ではあるはず。ソワレとも合流できるし……。


しかし、ソワレは西都にいるだろうか。姫騎士さんが百浜に来たなら、その後を追っている可能性は高いのでは。


それに黒架とその母親の問題。それを放置して逃げてもいいのか。


「……」


僕は何を考えている?


ここから逃げたくないのか? 言い訳のようなことばかり……。


「……黒架、姫騎士さんと合流しないか」

「……ん」


黒架は口を引き結ぶ。肯定でも否定でもない発音が漏れた。


「西都が安全とは限らない。姫騎士さんと一緒に帰るほうがいい。黒架の家の問題も解決できるかも」

「それは……」


黒架は目の奥に感情を溜めてるように見える。喉の奥に言葉が引っかかるような停滞。


「む、無理、っすよ……姫騎士さん、の、戦いには、私達では、ついていけない……」

「僕たちだって成長してる。さっきだって檮杌と渡り合えた」

「そ、それは」


それは、の後にひときわ大きな停滞。黒架は何かを絞り出すように、胸を抑えて語る。


「お、おかしな……ことっすよ。で、伝説の四凶、それが本当なら、人間がどうこう、できるはず、ないっす。い、今は逃げる、しか」


でも戦えた、戦えたはずだ。

疑問に思うことじゃない。僕たちが成長したからだ。


「姫騎士さんは一人きりで戦ってるんだ。僕たちだけでも助けに行かないと」

「ひ、姫騎士さん、は、そんなこと……」


望んでないだろうか?

確かに先程は僕たちを逃がそうとした。腕を斬り飛ばしてまで。


だけど、それは少し前の僕たちについてだ。今は違う。きっと数分後にはもっと成長してる、その数分後にはさらに。


「黒架、僕は行く。黒架が逃げたいなら、西都行きの電車を探して……」

「待って!」


背を向けた僕にしがみつく。黒架の細い腕が僕を捕らえている。


「駄目……逃げるっすよ。ひ、姫騎士さん、なら、きっと、大丈夫……」

「黒架……」


黒架とのいくつかの冒険。


その中で彼女は好戦的であり、基本的には逃げを選ぶことはなかった。


だが今回だけは違うのか。それほど規格外の怪物たちだと感じてるのか。それとも姫騎士さんの強さを信頼しているのか。


それとも。


「黒架、姫騎士さんだって完全無欠じゃない。黒架カルミナは姫騎士さんが覚醒する前からこの街に目をつけてた。十分な準備を重ねていたはず。そして今の姫騎士さんには片腕がないんだ」

「ひ、昼中っちも、逃げようって、電車を探して、た、はず」

「そうだ、だけど四凶に先回りされた。やはりすんなり逃げられるとは思えない。西都まで追ってこられたら大勢の人が巻き込まれる。それに僕たちだって強くなってる」

「せ、正確な、ことなんて、だ、誰にも分からない、っす」


黒架の声は震えるような響きを帯びる。もはや否定はできない、嗚咽だ。

彼女はとても大きな理由で僕を引き留めようとしている。それが恐れや利己でないことは察せざるを得ない。


彼女もまた分岐点にいる。


あるいは僕たち二人が分岐に立っているのか。大いなる選択と、大いなる離別の境目にいるのか。


「ひ、昼中くん、好きだって、言ってくれた」

「ああ、言った、間違いない」

「あ、あの黒蔵山こくぞうざんの旅館で、私の告白を受けてくれた」

「その通りだ」

「そ、それ、なのに」


黒架は素晴らしい女性だと思う。

事ここに至っても、直接的な言葉をギリギリまで避けようとしてる。


「黒架、僕は姫騎士さんを助けたいだけだ」

「ひ、姫騎士さんは、もう、戻ってこない」


その通りだ。


姫騎士さんはもはや隔絶の人。彼女にはもう日常など二度と訪れない。剣道部も、西都高校も、西都の町も関係ない存在になる。それほどの戦いを行っている。


黒架カルミナの勝敗は僕たちに関係するかも知れない。


しかしそれは明日の天気が晴れか雨かのようなもの。人は関わることはできず、関わるべきではない。


もし関わるならば、その者もまた人ではなくなる。


二度と当たり前の世界には戻ってこれなくなる。


――いや。


そうじゃない。


この最後の場面でまで、言葉を濁すべきではないんだ。


「黒架、僕は姫騎士さんのために行動したい。この命を姫騎士さんのために捧げたい」

「ひ、昼中、くん」

「理由は色々ある。姫騎士さんには恩があるし、彼女の重力に引かれたのかもしれないし、全部を解決するためには姫騎士さんを助けるべきという計算かもしれない。でもごまかさずに言う。僕の心が姫騎士さんを助けたいと思っている。黒架と一緒に逃げることは、できない」

「どう、して……どうしてなの。昼中、くんじゃ、姫騎士さんを助けられるか、どうか……」


いざ駆けつけたとしても、おそらく姫騎士さんだって困惑するだろう。まったく役に立てないかも知れない。


だけど、行きたいと思っている。


黒架を悲しませても。


二度と戻ってこれなくても。


「この世の道理が、世界のすべてが、黒架を選ぶべきだと言っている」


先に出会ったのは黒架だ。告白されたのも、僕が好きになったのも。


誰も、僕が姫騎士さんを選ぶことなど考えてない。この世界すらも。


だから姫騎士さんは一人きりになってしまう。


頂点にいる存在だから。この世の中心だから。


「僕だけなんだ」


でも、そんな頂点の存在でも、叶わないことが一つだけ。


それは、選ばれること。


自分の意志ではできない唯一のこと。


「姫騎士さんを選んであげられるのは、世界で僕だけだから」


だから、選ぶ。


すべてを捨てても。


「だから僕だけは、姫騎士さんを諦めたりしない……」


黒架が腕を離す。


振り向けば黒架は目を伏せている。黄金の髪がその顔にかかっている。黒架との数センチの距離が、数百メートルにも思える。


轟音が。


音の方を見れば、床を溶け崩して這い上がってくる存在。翼ある虎。


「……」


あれだけの質量を朽ち果てさせて登ってきたか。どうやら質量による攻撃はこいつには致命打にならない。


「黒架、君は西都に逃げてくれ。きっとすべてを解決してみせる」


答えは返らない。僕はずんずんと歩いて檮杌とうこつに近づく。


やつは怒り心頭。どす黒い息を吐いて地面を朽ち果てさせる。


僕は噴水の横を通り、軽く腕を振って足を進める。


「伝説の四凶、人の世の悪徳のすべて、神と呼ばれる獣か。言葉にするとどんどん陳腐になっていくな。やはり神様というのは定まった形や能力を持つべきじゃない。どこまで成長するのか誰にも分からない。どれほど巨大なのか誰も測れない。それこそが君臨者であるべきだ。お前たちはそこまで成長できなかっただけだろ?」


やつが迫る。あらゆる攻撃を無効化する腐蝕のオーラ。


だが、無効化できない物質ぐらいあるさ。


飛びかかってくる。その動きは迅速にして凶悪。だが目視できる。人間に可能な動きで回避できる。僕は足を組み替えて体幹をずらし、やつの真横を通る。


一瞬。


僕の掌底が檮杌に伸びる。おそらく直接打撃などまったく想定していないであろう獣。回避が遅い。


掌底はやつの耳朶の数ミリ手前で止まる。


次の瞬間。掌底に溜めていたひと掬いの水が放たれる。

それは鼓膜をき、内耳骨をき、さらにいくつかの物質をいて反対側へ。


血と脳漿の混ざった泥が反対側の耳から噴き出し、やつは全身をびくりと震わせたあと、その場にどうと倒れた。


僕は空を見る。空気の中のわずかな気配や音を探る。


「姫騎士さん……」



僕は付近の建物に飛び上がり、さらに別の建物へ、別の線路へと――。

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