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姫騎士さんは眠りたい  作者: MUMU
第十章 最果ての駅の姫騎士さん 
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第八十八話


消滅だと。


あの姫騎士さんを消せるとでも言うのか。


「ありえない、姫騎士さんの力は修羅を凌駕してる。それともトウテツにそこまでの力があると言うのか」

「世に四凶ありと言います」


カルミナが僕の声を遮って言う。託宣を下すように重々しく。


「すなわち怠惰と無為なる渾沌こんとん、背信と悪逆の窮奇きゅうき、暴威と頑迷の檮杌とうこつ、貪欲と浪費の饕餮とうてつ。世の乱れの根幹であり人の世の悪徳の顕現」


「! 昼中くん、何かいる!」


四方を囲んでいる。己の尾を噛み締めている山犬。無数の剣を生やしたハリネズミ。翼の生えた虎。そして狛犬のような四足獣。


「いずれも姫騎士と格を並べる獣。天の御座に登らざる霊獣たちです」


穴に近いという饕餮には何も感じない。しかし他の三体は恒星のような存在感。足跡に触れても魂が砕けるほどの霊力を感じる。


「悪獣により築かれたる卍凶ばんきょう結界。かの霊獣使いが導いた牢獄」


僕には姫騎士さんと獣たちの力の差はわからない。


ただ疑問がある。この霊獣たちは、少なくともカルミナよりは遥かに強大なはずだ。


「……どうやって、こんな悪獣たちを従えた?」

「従えてはいない。この結界は過去から連綿と存在するもの」


何だって?


「ママ! やめて!」


と、金縛りが解けたかのように黒架が叫ぶ。


「なぜ姫騎士さんに干渉するの! 消してしまうだなんて!」

「ジュノ、あなたは十分に役に立った」


予感が。


黒架カルミナに喋らせてはいけない予感がある。平板な抑揚が不安を駆り立てる。


「あなたはそうとは認識していないでしょう。私も特異な術を用いてかろうじて観測するのみ。しかし確かに、吸血鬼の格がこの半年ほどで高まっている。我々は世界の隅々に氏族の根を伸ばし、あらゆる社会を影から支配している」

「ママ、それなら、姫騎士さんを消すなんて」

「代替わりなど我々も求めていないのですよ」


優しげな声ではない、半ば義務的な言葉だ。声に出すことでそれを確定させるように話している。


「世界は変わらず暗黒の栄えが満ち、人は夜に怯え続ける。我々は人間など遥かに超越した高みで文化と永遠に浴すのみ」


不安が足元から這い上がってくる。恐ろしい予感があるのに、考えることを止められない。


黒架カルミナ、彼女は人間に関心を持っていたという。


人と交わり、黒架ジュノが生まれた。


その父親は、どこの誰だ?


なぜその人物は舞台に出てこない?


この世にいないから?


そしてなぜ、人間を見下していたはずの吸血鬼たちの長、黒架カルミナが人間と交わるなどという行為を行ったのか。


もし、黒架カルミナが例外的な・・・・存在・・ではない・・・・としたら。


「ママ、だからって姫騎士さんを消してしまうなんてひどいよ。だってママは人間の力を認めて、人間と愛し合って――」


あか


ばちいっ、と黒架の眼前で音が弾ける。


「う、ぐ……」


顔面を破壊する前に僕の手が止める。財布を握り込んで受け止めたのだ。僕の財布は半ば爆散して、コインもカード類もぼろぼろになって散乱する。超高速で撃ち出される血液か、しかも強酸性の。


「ま……」


黒架は驚愕に固まっている。人間より遥かに優れた視力を持つ彼女には見えたはずだ。今の血液の弾丸。明らかに黒架を破壊する意思が込められていた。


「人と交わったことは、私の千年に及ぶ生涯の中で最大の暗部。まさに苦渋というものだった」。


やめろ。


それを黒架に聞かせることは。


「眠り浅き者共ならともかく、ラインゼンケルンの長たる私が血を分けるなど本来はあってはならない。我が尊き血は唯一無二に私だけが持てばいい、分散など許されない」

「わ、私、は……」

「もう言わずとも分かるでしょう。あなたは存在していてはいけない。血族のためを思うなら、そこで自ら心臓を抜き取りなさい。本来なら私が手を下すのも忌むべきこと」

「あ、あ……」


黒架はその場にへたり込む。


黒架カルミナ、こいつは誰よりも早く姫騎士さんに気付いた。おそらく予言を用いて、姫騎士さんが生まれる前に気づいたのだ。


そして何を利用することもためらわなかった。人間と交わることも、ヴァンパイアハーフである黒架を西都の高校に通わせることも。


そして僕という人間を挟んで、姫騎士さんとの対立構造に組み込むことも。


恐ろしい。


すべての物語が一つの箱庭のように感じる。俯瞰して眺めれば、何もかも黒架カルミナという吸血鬼の手のひらの上なのか。


僕と黒架の出会いも、


ソワレというハンターが来たことも、


僕たち三人のあらゆる冒険は――。


「やめろ!」


黒架の前に出る。財布を握っていた手は骨がいくつか折れているが、ものを握るぐらいはできそうだ。


「黒架に手を出すことは許さない!」

「愚かな人間。あなたは端役と言うにも足りない小物」


来る。

ノーモーションで放たれる超高速の血塊。受け止めてやる、何度でも――。


衝撃が。


周囲のプラットホームに破壊が走る。コンクリートが砕けてトタン屋根がぼろぼろになる。姫騎士さんの前で弾けた血が、散弾のように。


「やめてください、私の友人に手を出すことは」


それは白の稽古着に紺色の袴。木刀を持った人物。あの血の弾丸をあっさりと弾き飛ばして。


「姫騎士さん……!」


紛れもなく彼女だ。僕は感情がこみ上げるのを止められない。僕の主観では、気が遠くなるほどの歳月の果ての再会。


「姫騎士、遂にこの場所に至りましたね」

「……昼中さん、あの獣は何でしょうか」


姫騎士はカルミナを無視し、脇を向いて言う。


饕餮とうてつだ。中国の四凶の一つ、伝説の妖怪らしい。あっちは渾沌こんとん窮奇きゅうき、そして檮杌とうこつ

「トウテツ……そうですか」


姫騎士さんはなぜか悲しそうに目を伏せて、カルミナへと向き直る。


「黒架カルミナさんですね。あちらに倒れているのはミネギシさんでしょうか」

「姫騎士、抵抗はすべて無駄です。消滅を受け入れなさい」


カルミナの言葉に、姫騎士さんは木刀をぎゅっと握る。


「そうですね、無駄のようです」

「! 姫騎士さん! 何を」

「私も理解しました。この結界はミネギシさんが作ったものでも、カルミナさんが作ったものでもない。いわば自然の摂理なのです」


何だって? どういうことなんだ。


「かつて、天の御座に迫らんとした命は幾度も生まれたのです」


カルミナが言う。


「だがそれらは代替わりではなく、己の栄えのみを求めた。新たに生まれてきた英傑もそれに従わせた。人はそれを神と呼んだのですよ」

「神……?」

「真の意味で天の御座にあるものは名状されない。姿と名を持ち、権能を持つ存在は真に宇宙の中心ではないのです。人が神と呼ぶものは、成り損なった超越者たちに過ぎない」


それは……宗教などにも似たような概念は見られる。本当の意味での神はみだりに名を呼べない。姿も持たず、正しい名が呼ばれることもない。唯一神とか大地母神の概念。

それに成り損なった獣たちは神と呼ばれる。人は神と、神の上位概念の呼び方を区別しないから。


「わかりますか姫騎士。あなたが代替わりを果たすなど許されない。人の文明は、あらゆる生命の歴史は、代替わりを否定するために存在している」

「……ですが、代替わりが行われなければ」

「宇宙はいつか滅ぶ」


カルミナは何事でもないように言う。


「それは何も不自然ではありません。限りなく不死に近い私でも永劫不滅ではない。命がいつか終わるように宇宙もいつか終わる、それだけのこと」

「……そう、ですね、そうかも知れません」


姫騎士さんは、そもそも代替わりを望んでいない、恐れているはず。

だからと言って、こんな場所で封印されることを望むはずも。


「昼中さん」


姫騎士さんが小さくつぶやく。僕にだけ聞こえる声で。


「ここにいる、どうしたの」

「これから逃げ道を作ります。黒架ジュノさんを連れて逃げてください」

「……姫騎士さんを置いていけない」


僕は茫然自失になっている黒架を立たせ、そっと抱きよせる。

僕は姫騎士さんを守る戦士なんだ。たとえ力及ばずとも、姫騎士さんが戦うなら――。


「おおよそ察しました。黒架カルミナさんが存在していては、あなたたちはずっと狙われ続ける。あの方だけは何とかしなくては」

「姫騎士さん、僕も」

「昼中さん、どうか」


懇願の声。悲痛な響きを帯びている。

姫騎士さんが何らかの決意を固める、それは僕にとって恐ろしいことだ。


「私は、もう」


やめてくれ。

何を言おうとしているんだ。


「黒架カルミナさん」


姫騎士が呼ばわる。

 

「私は消滅を受け入れてもいい。そのかわり、このお二人だけは見逃してくれませんか」

「その条件を飲む必要は、どこにもない」


カルミナは空を見上げる。雲も太陽もない、青いというだけの空。ここは何らかの惑星というわけでもない。虚無に等しい青。


「世のすべて摂理に従うまでのことです。姫騎士、あなたは強大な力を得たけれど、摂理を覆すような大きな力も、それはさらに大きな力の枠組みに組み込まれただけのこと。四凶と同じく、世にあまねく数多くの神々と同じく」

「……そう、ですか」


黒架カルミナ、こいつはもはや、能動的に何かをする段階を終えているのか。

こいつのやってることは、姫騎士さんを何らかの世界観に従わせること。


代替わりなど起きない、それが繰り返されてきた歴史であり、新たに生まれてくる存在の宿命であると。


では、どうすればいい。


どうすれば姫騎士さんを救えるのか。


姫騎士さんにとって、救われるとは。


はっと気づく、四凶が距離を詰めている。ほんの数百メートルの範囲で僕たちを囲む。山脈が迫るような威圧感が。


「黒架カルミナさん」


姫騎士は言う。声に芯を通して。


「私は抵抗します。こちらの二人はあなたの手の届かない場所へ送ります」

「結界で抵抗するなど無意味ですよ。ここは事象の最果て、どこへ逃げてもすぐに追い詰める」


それは僕も感じていた。この世界はいわば500キロある岬の先端、1000階あるビルの屋上。あらゆる世界から等しく遠い場所。おそらく姫騎士さんを誘い込むための場所だ。


そうか、僕が黒架に気づいてここへ来れたこと、それももしや……。


「黒架カルミナさん。ご存知ですか。世界とは物にも宿るのです。長大なる時間を込めた芸術品。鬼気迫る情念によって鍛えられた武具。純朴な信仰を受け止めてきた仏像にも」

「無駄なことです。並大抵の器物では四凶からは逃げられない」

「特別なものに、世界が宿るなら」


その時。


姫騎士さんの手が。奇妙にゆっくりと動く。僕の感覚が引き伸ばされている。


片手で構えた木刀。


その切っ先。


円を描いて。


姫騎士さんの腋にするりと入り。


極小の時間の中で。


肉と。


骨と。


腱、を――!!


「なに……」

極大きょくだい深度しんど無天むてん十王じゅうおうえき


プラットホームが変化する。


並列に同じホームが並び、伸びて曲がって迷路のようになり、階段が生まれ柱が生まれ、自販機にポスターに灰皿に構内図に立体通路にエレベーターが生まれ、すさまじい速さで上下左右に拡大していく。


カルミナと四凶たちが遠ざかる。姫騎士さんを中心に爆発的に空間が広がっているのだ。僕と姫騎士さんの僅かな距離があっという間に広がり、彼我の間に無数のプラットホームが挟まれて何も見えなくなる。


僕の目は一点から離れない。


無数の構造物が挟み込まれても、この目が見た光景が網膜から消えない。


斬り飛ばされた腕。姫騎士さんの後ろ姿。



赤い飛沫が僕の眼球を打っても、まばたき一つできずに――。


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