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姫騎士さんは眠りたい  作者: MUMU
第十章 最果ての駅の姫騎士さん 
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第八十七話





世界を渡るとは、時の喪失を意味する。


時間の連続性とは地続きな世界の連続性であり、一度もといた場所を離れれば、数分や数時間の感覚など意味を失うのか。

ミネギシの死体はまだロッカーのそばに横たわっている。僕たちはどのぐらい彼女の死体に付き合ったのか。


僕と黒架はミネギシの死体を調べた。長い旅の中で無数の死を見てきた僕には何ほどでもないが、黒架は少し青ざめていた。一言でも嫌だと言えば、僕一人でやるつもりだったが。


「何も妙なところはない、な……」


目立った外傷は槍のようなものだ、胸の中心を撃ち抜かれている。

もっとも魔法使いであるミネギシのことだから、やはり魔法で殺されたのかも知れないが。


「なんか服からケモノの匂いがするっすよ。トウテツっすかね」

「こいつは変化の術を使うかも知れないんだ、その匂いかもな」


あるいは、魔法を使う獣が人間の姿を取り、ミネギシと名乗っていた。そんな可能性もある。おそらくミネギシの外見には何の意味もないのだろう。


正確なところは何もわからない。その人格も魔法も永遠に失われた。


このミネギシは重奏アンサンブルの別人ではないかとも考えた。だが違う。こいつは紛れもなく本人だ。直接、こいつの魔法を食らった僕には分かる。こいつの指先にわずかに残る気配。魔力の指紋のようなもの、それが共通している。


そしてもう一つ、別の魔力も。


「傷跡から感じる……すごく純粋な印象の魔力だ。個人の放つものじゃなく、何か聖別された槍のようなもので突かれたんだ」

「ああ確かに……昼中っち、いつの間にそんなこと分かるようになったっすか?」


長い旅をしてきたから、その中で覚えた。本当にいろいろな場所を……。


「……情けないな」

「ほえ、どしたっすか」

「今ならたくさんのことが分かる。魔法のこと、結界のこと、魔物や霊魂、武器の扱い方、数々の毒物、病気、その対処法、どうやれば人を殺さずに行動不能にできるか、竜の炎を浴びて生き延びるにはどうすればいいか」

「……?」

「今なら分かるのに、僕はいつも手遅れだ。おそらくもう事態は終局に向かっている」

「終局……」

「ミネギシは最後の敵になるはずだった。それを殺した別の敵がいる。おそらくそいつとの戦いを超えれば、姫騎士さんを止めるものはもう何もない。ここが最後の局面。僕たちが姫騎士さんに干渉できる最後のチャンスだ」


言いながら、僕は思考を整理する。


誰がミネギシを殺したのか。


というより、ミネギシを殺しうる実力者とは誰か。


まず浮かぶのはソワレだが、それは無い気がする。僕は百浜に来る前にソワレに会っているが、ミネギシのことなど言ってなかった。


では橘姫や、亜久里先生。


それならば聖別された武器を使うのはおかしい。ミネギシを殺したのはオカルトに属する存在のはず。


誰か、ソワレ以外のハンター。


それはありそうだが、ハンターが来たならソワレに顔ぐらい見せるだろう。


「この犯人は、昨日今日やってきたとは思えない……」


西都に潜伏していたミネギシを見つけ出し、おそらくミネギシの仕掛けたこの城で殺す。完全にミネギシを包含した行動を取っている。


この犯人は、おそらくずっと舞台裏にいたのだ。

では、その中で彼女を倒せる存在とは。


「……」


僕は口を引き結び、目線を下げたまま黒架を見る。その美しい立ち姿と、美しい爪を。


そうだ、いる。


たった一人。


そしてなんということだ。彼女が。


「黒架」

「ほえ、どしたっす」

「ミネギシの葬儀を上げる」

「え?」


僕は立ち上がり、倒れ伏したままのミネギシのもとへ。


僕はその姿勢を整え、顔に手を触れてまぶたを落とす。


「黒架、水を汲んできてくれ」

「昼中っち、何か変っすよ、どうしちゃったっすか」

「こいつは悪の魔法使いかも知れないけど、死んでしまえばみなホトケというやつだ、葬儀ぐらい上げてやろう。さあ水を」

「う……うん」


黒架は戸惑うと言うより嫌がっている。行動の奇妙さもあるだろうが、おそらく自分でも嫌悪感の正体が分からないのだろう。


僕は汲んできた水で手を濡らし、ミネギシの額に置く、洗礼の儀式の真似事だが、敬虔な気持ちがあれば通じる・・・はずだ。


「ひ、昼中っち、なんだか、気分が……」


やはり黒架も吸血鬼、宗教的な動作には嫌悪を持つのか。


それはそうだろう。吸血鬼とは重奏アンサンブル、すなわち伝承の中の存在。宗教の力が吸血鬼を遠ざけるとすれば、黒架にも効果があるはず。


僕はミネギシの体を抱えあげる。立った状態から身をかがめ、体を水に浸す動作をする。水の中でそれまでの自分は死を迎え、水から出る時には清められて新しい人生を歩むという。


儀式の正しさは問題ではない。僕はこれを葬式と洗礼式を兼ねたものとして行っており、黒架もそう認識している。そこに意味がある。


ぱり、という音がする。


静電気のような、薄い板を割るような。


僕は聖書の一節を唱える。長い旅の中で身につけたもの。マタイによる福音書の一節。


コンクリートがひび割れる。トタンの屋根ががたがたと鳴る。黒架はその場にかがみ込んでしまった。不思議なものだ。墓石や柩に親和性のある吸血鬼が、葬儀を恐れるとは。


吸血鬼と化した人間に死を与える方法はいくつかある。教会にて聖別を受ける。火葬にする。逆さまに埋葬するなどだが、その一つに葬儀をやり直すというのがある。

不死の吸血鬼にとって葬儀は禁忌であり、物理的な影響力すら持つのだろう。


「ひ……昼中くん、やめて……」


黒架が苦しんでいるが、やめるわけにはいかない。


吸血鬼に対する防御はまだある。僕はナイフを取り出してミネギシのアキレス腱を撫でる。腱を切ったという動作、これで彼女は起き上がれなくなり、吸血鬼として目覚めなくなる。これが黒架への呪いのように作用する。


財布を取り出して、ミネギシの口にコインを入れる。このコインは冥府の川の渡り賃であり、体内を清める力もある。塩やワインでもあればもっと良かったが。


空間全体が震えている。どうやら十分のようだ。


僕は黒架に歩み寄って、その震えてる体にかぶさる。ごめんよ黒架、君にとっては見るだけで辛い儀式だったはず。


――そして、ここからも。


世界に、ひびが。


蒼に囲まれた世界が振動し、プラットホーム全体から石片がこぼれて落下していく。


ある一箇所、ガラスの割れるように、ひな鳥が卵を割って出てくるように、細かなひび割れが風景ごと破片となって落ちる。


その向こうにはどこか別の風景。おそらくは宮殿のような場所が。 


そして、現れる。


ずっと影にいた存在。


あまりにも残酷な現実が。


「……おぞましいことを」


その女性は、冷淡さと嫌悪の中間のような目を向ける。僕はショックで硬直している黒架を抱きしめつつ、そいつの名を呼んだ。



「黒架……カルミナ」





「凄まじい……」


朽ちた城の中にて、二つの怪物と出会った。


白銀の鎖を巻いた少年、そして狛犬のような四足獣。 


どちらの力も測れない。この猛炎にして白日なる私から見ても、あまりにも存在の格差がありすぎるのだ。


姫騎士どのはそれらと対峙している。三者の間を形容しがたい力が行き来している。


「ソワレさん」


姫騎士どのが声を発する。富士山ほどの直径がある黄金の輪。そんな訳のわからない幻視を見るほどに姫騎士どのの力は途方もない。


「どうされました」

「昼中さんたちを見つけました。駆けつけたいのですが、少しだけ代わってもらえますか」


無意識の逡巡が走る。イエス以外の答えはあり得ないが、私であってもどれほど持つか。地獄の七大魔王だとか百の頭を持つ竜だとか、そんなものと戦うほうが勝算がありそうだ。


だが歩み出よう。西方魔法協会に名を連ねて幾年いくとせか。金でも名誉でもなく、己の信仰心に従っての行為だ。


「引き受けましょう。ですが、私の全力を持ってしても何分とは持ちますまい」

「わかりました」


姫騎士は姿を消す。昼中のもとへ向かったのか。


「人間よ」


修羅が言う。なるほど理解できる。こいつは世界に存在するどんな言葉でも表現しきれぬ怪物。

四足獣のほうは空虚にして空漠。この世界のあらゆる事象を飲み込む穴のようなもの。


「我らと戦うか」

「そうなるな」


切り札は持っている。聖鈴せいれいの音を浴びて育ったトネリコの枝。偉大なる竜が己の火袋に封じていた護符。西方魔法協会の宝物庫から借りてきた特別な品の数々。これでも虚仮威しにしかなるまいが……。


「相手をしよう……猛炎にして白日の名にかけて」





「なぜ私が背後にいると分かったか、聞いておきましょう」


黒架カルミナ。


黒架ジュノの黒いドレスに対して、こちらは血のように赤いロングドレス。狭いプラットホームでドレスの裾は一杯に広がっている。


恐ろしく切れ長の目に細い輪郭、ぞっとするような美しさを秘めた妙齢の姿。肌は黒架よりなお白く、磁気のように青ざめている。


「……あんたはミネギシを手にかけて、彼女のやろうとしてたことを乗っ取った」


そう、それだ。

ミネギシはたしかこう言っていた。姫騎士さんの「代替わり」を阻止する。そして姫騎士さんの力を自分の幸福のために「消費する」と。


「ミネギシは修羅を使役していた。ミネギシの計画を乗っ取るなら、修羅を使役できる術者でなくてはならない」


高位の魔法使い。術師。

黒架カルミナならばその条件を満たすはず。


黒架は、僕の彼女はぎゅっと体にしがみつく。彼女にはまだ全容が見えていないはずだが、ただならぬ暴露が成されることを感じ取ったのか。


「それだけではないはず」

「……姫騎士さんといくつかの事件に関わってきて、その力の危うさを知った。そして気付いた。姫騎士さんに引きずられて事態の奇妙さ、複雑さ、深さが増していくことに」

「……そうですね」


最も顕著だったのは伊島遊園地の一件。夜通し繰り返されるヒーローショー。


あれは本来は世界を揺るがすほどの異変ではなかった。姫騎士さんの影響で歪みが拡大してしまったのだ。


これまでの事件もそうだった。奇妙な存在は、更に奇妙なものを引き寄せる。異能の存在である桜姫は異能の技を持つハッカーに狙われ、異能の存在である吸血鬼が闇に落ちたバクを引き寄せる。


「怪異とはベッドに落ちた鉛の玉のようなもの」


カルミナが言う。


「それは近くにある玉を引き寄せ、より深くに導こうとする」

「ま、ママ、何を言ってるの」


黒架は混乱している。ほとんど何も思考できていない様子だ。何かを推測しようとするのが怖いのか。


「あんたはずっと西都にいたんだな」


だが、僕は言葉を止めるわけにいかない。黒架にとって残酷な事実を引き出すとしても。


「僕たちから姿を隠し続けて、事態をただ見守り続けた。僕にわからない形での干渉もあったかも知れない」

「なぜ分かったかの答えになっていない」

「あんたは、姫騎士さんを利用した」


姫騎士さんは周囲を深みへと引き込む。


僕を、僕の周りの人々を、黒架を。


カルミナの目的は、吸血鬼と姫騎士さんという対立構造。


黒架はこの数ヶ月で急速に力を増した。吸血鬼のネットワークは広大なものとなり、吸血鬼の関わる病院、銀行、大学、そんなものを耳にするようになった。


それはいつからのことか。もちろんずっと以前からだ。

だが、誰も正確には観測できない。この世界に姫騎士さんという存在がいるから。過去すらも書き換える彼女が。


「姫騎士さんと黒架が近くにいることで、黒架の格はどんどん上がっていく。黒架は姫騎士さんに相応しい格へと高められていくんだ。誰もそうだと観測はできない、あんた自身にもできていないはず、だがもし、それを計算できるなら」


そして、それはいつから起きたことなのか。


なぜ、吸血鬼の城は西都にあったのか。


なぜ僕は黒架と出会った。


黒架カルミナはなぜ人間と交わって黒架ジュノを生んだのか。


もしや姫騎士さんの存在に、誰よりも先に気づいていたのは――。


「すべてを操作していたのはあんたしかあり得ない、黒架カルミナ」

「仮にそうだとしても」


カルミナは毛ひとすじの感情の揺れも見せない、虫に話しかけるように言う。



「すべてはここで終わる。姫騎士の消滅をもって」

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