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姫騎士さんは眠りたい  作者: MUMU
第十章 最果ての駅の姫騎士さん 
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第八十六話





輪廻。という言葉を想う。


生きとし生けるものは死と再生を繰り返し、あらゆる生き物に生まれ変わり、無限の時間を輪廻の輪の中で過ごすという考え方。


ふと思う。僕はどのぐらいの世界を巡っただろうか。


多くの世界を旅した。時には中世風の砦を、数千人を乗せて宇宙を渡る船を。


果ても知れない大砂漠を。


人跡未踏の密林を。


大都会の地下を走る水路を。


目もくらむような大金が飛び交う賭博場を。


峻厳なる雪山を、海底にある採掘所を、忘れ去られし寒村を、空に浮かぶ花園を、大芋虫の這う宮殿を、狂気の音楽が満ちる学園を、血に飢えた者たちの牢獄を、脳を吸う怪人のねぐらを、囁きの満ちる鳥葬の丘を、罠で埋め尽くされた廃ビルを、死出のバスが集まる停留所を、文字を奪われる関所を、滅びを知るものの幽庵を、五感を預かる銀行を、悪意と暗号に満ちた遺跡を、蜃気楼と迷夢の平原を、冷酷さに支配された屋敷を、谷底を這う鉱山の町を、大槌もつ刑吏たちの宴を、帰らざる者たちの橋を、未知を封じた墳墓を、七色に輝く魔法の塔を、柱と壁と床のない寺院を、人の足を奪う泥沼を、哲理を火にくべる鍛冶場を、舞踏に明け暮れる病院を、甘さが脳を溶かす船を、紅蓮を散らす氷洞を、人が電波に変わる国を、花火が絶え間なく上がる刑場を、沈み続ける港を、緑の水に浸る地下の家を、限りなく虚無に近い図書館を、蜘蛛たちの娼館を、泣き暮らす巨人の国を、目を失った数学者たちの円卓を、螺子だけを食らう暴食の街を、石炭が落ち来る滝の町を、獣臭に囲まれた霧の街を、死せる言葉たちの散策路を、才気を澱ませる水槽を、堕落の果てのサーカスを、鉄錆の王の領土を、心臓と水筒が釣り合う裁判所を、爛れた蝋燭の密室を、弔いを愛する公爵邸を、すべての悪徳を囲う城壁を、詩人の喉から生まれた極彩色の街を、ヒヅメの音が降り注ぐ禁足地を、水銀が鳥に変わる谷底を、罪と罰を結ぶ隧道を、絶叫の他には何もない孤島を、嘘が塗り込められたアトリエを、闇と黄昏の境界を、嗜虐心と等しき長さの迷路を、飢餓の行き着く塩田を、鎌を研ぐ音がやまぬ河原を、猜疑心が悪鬼となる議場を、追われ続ける階段室を、謀略を生み出す工場を、何もかもが半減する毒沼を、まばゆき悲劇の上映会を、絶望を連れ歩く隊商を、どこにも辿り着けぬ峠道を、狼たちが潜む麦畑を、重力の秘密を知る社を、残響が満ちる防空壕を、斧の女王の狩り場を、禁忌を見失う料理店を、叡智を貶めるための玄室を、時間を恐れる賢人の林を、鬼才群れなす機織り小屋を、金貨を積み上げる劇場を、稚拙さと脊髄の温室を、影だけを踏む舞踏会を、忘却の押し寄せる激流を、魔獣の眠る聖域を、美醜を弄ぶ暗室を、背徳と肉の庭園を――。


そのすべてに、吸血鬼と姫騎士の物語が。


己の手を見る。破壊と再生を無限に繰り返した手は岩の塊のようだ。ひび割れていて赤茶色で、爪がほとんど無くなっている。自傷だけを治すまじないを何度かけ直したのか。精神は摩耗し、時間の感覚が失われている。


携帯、機械……何と言ったっけ、そうだ、スマートフォンだ。それはもうボロボロに壊れて、ただ液晶部分のガラスだけを持っている。

数字は見えない、もう姫騎士さんとの繋がりは絶えてしまったのか。


なぜ、戦い続けるのか。


この世界にも吸血鬼と姫騎士がいるのだろうか。

僕は選択を否定して、世界のルールを破壊する。

それを永遠に繰り返す。


どちらも本人ではないのに。


本人の顔も思い出せないのに。

 

僕の心は今にも折れそうなのに。


そういった言葉が、僕の周りをふらふらと旋回している。耐えるとか踏ん張るという言葉も飛んでいるが、僕にはもう、それらがよく分からない。


――針金、が。


僕の足元で針金の人形が動いている。針金をこすり合わせるような声を出す。


「トウテツとはあな・・のようなもの」

「お前、は……」

「トウテツとはむさぼり食う怪物。財産を喰らい、食べ物を食らう、それは浪費の概念。地面に空いた穴に似ている。ひたすらにものを投げ込むだけの穴。失われて二度とは帰ってこない。果てしなく純粋で高貴なる喪失。それがトウテツ」


この話を聞くのは数年ぶりの気もするし、まだ数分も経ってないような気もする。かすんだ視界の中で針金の人形を見下ろす。


「お前……いくつ世界を用意したんだ、こんな、こと……」

「用意などしていない。トウテツは浪費そのもの。トウテツに近づいた人間は星の周りを巡る衛星のように、終点にたどり着けぬままに永遠に浪費し続ける。時間を浪費し、生命を浪費し、意志の力すら減り続ける」

「……トウテツを倒せば終わるのか」

「倒すことは不可能。トウテツそれ自体には肉体もなく魔力もない。城を食べてるように見えたのはただの幻像というもの」 


伝説の妖怪……トウテツ。まさか、これほどの相手が。


だが……。


「姫騎士さんに、勝てるはずはない」

「修羅とトウテツは姫騎士と同格の存在。確実に勝てるとは思っていないが、時間を稼ぐには十分。その決着は、あなたの主観時間でどれほど先のことか」


これが、こいつの仕掛けた罠か。


恐ろしい。今ならばそう言える。


際限もなく終わりもない。限りなく永遠に近いほどの浪費が、衰退が、疲労が、虚無がここにある。


「吸血鬼の姫を選べ」


針金の人形が言う。ノイズのような声で。


「それで終わる」

「終わ……る」


もう、限界なのだろうか。


僕はこれ以上ないほど戦った。


戦い続けてきた。


すべての世界で二択を破壊し、選択を拒んできた。


これ、以上は、もう。


「黒、架……」


眼の前に、二人がいる。


どういう経緯でそうなったのか覚えていない。この世界でも二択が繰り返されたのだろう。


姫騎士さん、黒架、もう正確な顔が思い出せない。二人は僕の方に手を伸ばしている。


「昼中っち」


声を発するのは黒架だ。何千何万と出会ってきた数多くの黒架。眼の前の彼女は本物だったろうか、それとも関係のない誰かなのか、もう分からない。


「もう十分すよ、私を選んで。それですべて終わるっす。二人で夜の世界で生きていくっすよ」

「黒架……」


手に触れる、その肌はしっとりときめ細かく、わずかな温もりを秘めている。


――なぜ。


「……?」


いま、何かの思考が。


静電気がひらめくような極小の思考、わずかな疑問。


――なぜ、黒架、に、違和感。


「昼中っち、さあ私を」

「……違う」


この感覚。黒架の手から感じる温もり。

やはり違う。


「お前は……黒架じゃない」

「私は重奏アンサンブルの彼方の存在っすよ。本体とは違うっす」


違う。


そうじゃないんだ。


姫騎士さんは本人だ。重奏アンサンブルの彼方の存在だから実力は比べるべくもないが、本質的には同じ人物。


だが黒架は違う。この人物は。


そして、この気配は。


「黒架、そこか!」


僕は走り出す。二人をその場に残して。

あらゆる風景が千代紙のように重なり合った世界を走る。距離も時間も無視して。


「そこだ!」


虚空を掴む。僕の手には、白く細い腕が。


風景が。


あらゆる風景が消し飛ぶ。


岩山もビル群も田園も湖も、怪物も機械も絵画も刀剣も遠ざかって。


「黒架!」

「昼中っち、今どこから……」


彼女を抱きしめる。

ああ、間違いない。彼女こそ黒架だ。外見も匂いも声も体温も、触れ合っている心の形も。


「ようやく見つけた……闇の中で、黒架の気配を感じたんだ」

「ひ、昼中っち、恥ずかしいっすよ」


ごめん、と謝りつつ抱きしめるのを止められない。黒架も観念したのか身を委ねる。たっぷり百を数えるほどもそうしていた。


ようやく離れて、その顔をまじまじと見る。


「大丈夫だったか、黒架」

「妙な世界に飛ばされたっす。出る方法が分からなくて、しょうがないから助けを待ってたっすよ。その様子だと昼中っちも変なとこに飛ばされてたっすね」


僕は周囲を見る。僕たちは空に囲まれている。


360°に広がる青空のパノラマ。上も下も完全なる蒼の世界。


そして僕たちが立つのはコンクリートのプラットホーム、端的に言えば駅のホームだ。


「ここは……」


今までのすさんだ世界とは雰囲気が違う。


シンプルで小さな世界。いや、この青空を考慮すると無限に広いのかも。


「昼中っち、途中ではぐれたけど大丈夫だったっすか?」

「黒架、どのぐらいここで待ってた?」

「ええと、五分ぐらいっす」


五分、か。


自分の手を見る。ひび割れてはいない。少し前に見た手に比べれば赤子の手のよう。


服はぼろぼろになっていないし、装備していた武器や道具も……。まあいい、僕の主観時間がどれほどながくても、そんなことに何の意味もないのだ。


そして脳も真新しいままなのか、いろいろなことを思い出す。百浜上空の古びた城、修羅とトウテツ、姫騎士さんのことも。


黒架は最後に別れたときの姿、ツイードのジャケットを腰に巻き、スリップドレスという格好。翼は肩甲骨のあたりに畳んである。


「ここって駅みたいだな……線路はないけど」

「待ってたけど電車が来る気配もないっす」


黒架はここに封印されていたのだろうか。僕はそれに気づかないまま、無数の世界で姫騎士さんと黒架を……。


……。


「姫騎士さんは本物だった、だけど黒架は偽物……?」

「? 何の話っすか?」

「ミネギシの罠にかかってたと思うんだが、いくつかの重奏アンサンブルを渡り歩いてたんだ。そこで黒架の偽物に出会った」

「私に化けてたっすか、ミネギシもやることがセコいっす」


……。


僕を姫騎士さんから引き剥がすために、黒架を選択させる、そのために偽物を送り込む……。


それは分かるが、それだけだろうか。


何か、真相の周囲をかすめているような気がする。惑星の周りを巡る衛星のよう、とはどこで聞いた例えだったかな。


「少し駅舎を調べてみるか」

「そうっすね。私もまだどこも見てないっす」


この駅舎にプラットホームは一つきり。トタンの屋根がかぶさっていて、田舎の単線の駅のように見える。

ポスターもなく飾り気はない。駅名の看板と時刻表はあったが。


「……まったく読めないな」

「これ文字っすか? 記号と言うか……インクをこぼしただけみたいな」


ホームの端から下を覗き込むが、陸地も海も見えない。上にも何もない。ここには風の流れもなく、空気には何の匂いもない。


「何もない……やっぱり封印のための結界かな」

「でも破れないっす。ここはかなり完成度が高いというか、元の場所からとてつもなく遠いっすよ」


遠い、という感覚はさっきの旅の中で掴んだ。重奏アンサンブルには元の世界からの距離がある。

さっきの旅路の中ではどれも極端に遠い世界だったが、ここはそれよりさらに遠い。さっきの世界がビルの30階とか50階ぐらいだとすると、ここはまるで月面に思える。


「トイレはある……改札はない……」

「駅長さんの部屋とかもないっす。このまま出られなかったら飢え死にっすね」

「黒架、魔術で食べ物とか出せないのか」

「あ、出せるんだった」

「どないやねん」


よし、だんだん調子が戻ってきた。


そして思い出す。ポケットの中のスマホ。


壊れていない。まっさらなままだ。液晶では凄まじい速度で番号がスクロールしている。


「これが姫騎士さんとの命綱だ。これがあれば姫騎士さんがここを見つけるはず」

「よかった、じゃあ待機っすね」


……。


待機、確かに黒架でも結界を破れない以上はそうするしかないが。


この場所に、何かもっと調べることがあるような。


「……あれは何だろう?」


視線の先にあるのはロッカーだ。駅の隅っこにぽつんと存在している。


「掃除用具入れっすかね」

「……いちおう調べてみるか、中に何かあるかも」


なぜだろう、心がざわつく。


そのロッカーに近づくごとに足が重くなる。

何か……ただならぬ気配が。


「昼中くん」


はっしと、背後から腕を取られる。


「どうした黒架」

「今わかった、あのロッカーから、血の匂いが」


……。


調べないわけにはいかない。


僕は黒架をその場にとどめ、一人で近づく。

ごく平凡なスチール製のロッカー。高さは2メートルほど。扉が少し歪んで、全体にサビが浮いている。


鍵穴などは見当たらない。僕は意を決して、扉を引いた。


――倒れかかる。


「!」


身を引く、それは材木のように重々しく倒れた。

上等な生地を使った黒のスーツ、襟に装飾のないカットソーのインナー。


その胸部に、血の赤が。


「これは……!」


その目に生気はなく、体は冷えきっている。筋肉は固くこわばり、肌に水気はない。かつては美人だったと思われる顔は、無を体現したような表情で停止している。


死んでいる、それは疑いようがない。

長い旅の中で、あらゆる形の死を見てきた。これは仮死状態でも作り物でもない。


だが、こいつは。



「ミネギシ……なぜこいつが死んでいる……」


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― 新着の感想 ―
[良い点] MUMU先生の真骨頂! この文字列を読む気持ちよさは格別です。
[気になる点] ちくしょう、露出狂の背徳を魔力にするタイプではなかったのか…。服を着たまま往生か…。 ヤベェもんを利用しようと呼び出して、逆に返り討ちにあってしまった元ラスボス候補。 主人公達はヤベ…
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