第八十五話
「あれは……姫騎士さんか? 似てるけど、なんだか雰囲気が……」
「血気盛んなこった……」
「ああ、吸血鬼の一族を敵に回すとは……」
僕は背後から聞こえた声に振り向く。うわさ話をしていたようだ。
「そこのあんたたち、どういう事だ?」
「ん? ああ……。姫騎士どのは吸血鬼を捕まえたんだが、それがどうやら一族の姫らしいんだ」
「恐ろしい話だ。必ず奪い返しに来るぞ。森の奥にある城から何十何百って吸血鬼が湧き出て、真夜中に襲ってくる」
「それなら、なぜ処刑を夜まで待つんだ?」
「姫騎士さまは勇猛果敢だからな……。誘い出して全滅させようってつもりなのさ。しかし、吸血鬼が何人いるかも分からない。もし町にいる騎士よりずっと多かったら、それに強かったら……」
「以上だ!」
壇上の姫騎士は巻物を閉じる。
「戦いは我ら騎士が務める! 諸君らはけして家から出ぬように!」
そして演台を降り、数名の騎士を引き連れてどこかに行ってしまう。背中の黒髪をばさりと流す仕草に艶があるが、騎士らしいとはあまり言えない。
吸血鬼の姫を捉えて、処刑する姫騎士さん……か。
「なあ、その吸血鬼ってどこに捕まってるんだ?」
「向こうに見える砦だよ。古いもんだが、石造りでそれなりに頑丈な作りだ。それを改造して駐屯してるんだよ」
「王権直属の騎士団だからな、テントで野営ってわけにもいかないらしい」
「姫のために結成されたお飾りの騎士団って聞いてるが、まさか本当に吸血鬼を捕らえるなんて……」
「僕も騎士団に参加できるかな」
僕の発言に、二人は肩をすくめる。その周りでは聴衆が三々五々散っていくところだった。
「やめときな。見習い騎士なんてただの小間使いだ。そのくせ戦となれば先頭に立たされる」
「それにまず無理だろう。王権直属の騎士団だって言っただろ。参加してるのはみんな名家の御子息さまってやつだよ」
「僕も吸血鬼と戦いたい」
僕はそう言って食い下がるが、これは半分はポーズだ。もちろん吸血鬼と戦うつもりなどない。
「どうしてもってんなら止めんが……ところであんた誰だ? あまり見ない顔だな」
「向こうの砦だな、ありがとう」
歩きつつ考える。いったい何が進行しているのか。
この場所の世界観が今ひとつ分からないが、どうやら騎士団があり、吸血鬼を退治するために町にやってきたらしい。
そして吸血鬼の姫を捕らえ、吸血鬼との戦争も辞さない構えということか。
砦の近くまで来る。なるほど大きい。石造りの城壁に囲まれていて、蔦がはびこって半ば遺跡のように見える。
全身鎧を着た騎士は数名で、あとは麻のズボンに腰帯、上半身は裸というラフな姿で談笑している。吸血鬼は昼に攻めてこないから油断してるのだろうか?
僕は石壁に手をかけ、わずかな凹凸を手のひらで捉える。そして脚に爆発的な力を込め、数メートルの壁を一気に飛び越える。
内部には人の気配は薄い。ひんやりとした空気の流れる石造りの空間。どことなく商業ビルの地下駐車場のように飾りがない。
暗がりなのは都合が良かった。僕は数人の騎士をやり過ごしつつ、地下への階段を下る。
階段の上に見張りがいたが、適当にしばき倒して物かげに隠しておいた、見張りの排除なんかに時間を使ってられない。
地下には長い通路があり、その奥に、鉄格子で閉ざされた牢獄が。
「誰?」
黒架だ。だが顔が少し違う。年齢も少し若く見える。艶のあるドレスはもしかしてレザーだろうか。ゴシック風の豊かなドレープを持つロングドレスだ。
「君は黒架か?」
「そうよ。黒架ジュノ。錬金術の最奥を秘す一族であり、深遠なる血の一族、西から東を支配するラインゼンケルンを継ぐもの。浅はかな人間よ、この私を捕らえたことを永遠に後悔し続けるがいい」
どうも用意していたらしい口上を一気に述べる。捕まってて暇だったのかな。
「吸血鬼は騎士たちに勝てるのか」
「敵ではない。お前たち全員はらわたを喰らい尽くして」
「そういうのいいから」
「……最後まで言わせてほしいっす」
口調はそのままのようだ。いじけたように石の床を指先でいじる。
さてどうする。このままだと吸血鬼たちと姫騎士さんが戦いになる。この世界の姫騎士さんに特殊な力があるようには見えなかった、が……。
金属音がする。
牢から10メートルほど離れた場所。何かいる。
それは立ち上がったネズミほどの大きさ。針金で組まれた人形だ。僕はそちらに近づく。
「お前……ミネギシか?」
「選ぶべき道は二つ」
針金の人形はストップモーションアニメのようにぎこちなく動き、声ともつかない金属がきしむような音を出す。
「吸血鬼、黒架ジュノを救い出してここから逃げるか、それとも姫騎士に協力して吸血鬼たちと戦い、黒架ジュノの処刑をやり遂げるか」
「……なぜそんなことを言い出す。この世界に何の意味がある」
「深く考える必要はない。吸血鬼を連れて逃げることをすすめる。見張りは多くない」
……この世界の姫騎士さんの強さが人間並みだった場合、吸血鬼の集団に勝てるとは思えない。普通に死ぬだろう。
だが、それに何の意味があるのか。姫騎士さんも黒架も本人ではない。
「なぜこんなことを仕掛ける」
「それを考える必要はない、人にできることは選ぶことのみ」
「あの姫騎士さんは西都の姫騎士さんじゃない、明らかに違う」
「そう、本体とはまるで違う。名を書いた紙札、髪の毛を封じられた藁人形よりもなお遠い。姫騎士はあらゆる世界に一人といっても、どこまでを姫騎士と呼べるかには限界がある」
……サンタクロースの橇で行った過去の世界。
過去の姫騎士さんはやはり不思議な力を持っていたけど、容姿や記憶は少し違っていた。完全に同一人物とは言えない。
重奏の彼方には、もっと異なる姫騎士さんもいるのか。あらゆる世界であらゆる姿を持つ。その中には、とても本人とは比べられないほど遠いものもいると。
それならば殺せるのか。
それを殺すことは藁人形に五寸釘を突き刺すように、本体の姫騎士さんに呪術のような効果をもたらす、と。
なるほど、理屈はわかった。
実に回りくどい。ねちっこい。卑劣で愚劣。姿を見せもせずにだらだらとよく喋る。
結論は。
付き合ってられない、だ。
僕は牢の前へと取って返す。
「黒架、ここを出るぞ」
「え……? あ、あんた誰っすか」
「僕と一緒に来てくれ、とりあえず山にでも身を隠そう」
僕は鉄格子に手をかける。何ほどでもない。巨人を背負った僕に、人の作った牢屋など。
鉄枠が歪む。石壁が削れる。破滅的な音を立てて鉄の棒がねじ曲げられ、十字に溶接された部分が破断していく。黒架が目を見開く。
やがてレモンの輪郭のようにこじ開けられた鉄枠から、黒架がおっかなびっくり出てきた。
「す、すごい力っすね。見たところ吸血鬼じゃなさそうだけど、一族の誰かの眷属っすか」
「そんなところさ。外に出るけど、日光は大丈夫?」
「もう夕方だから大丈夫っす。仲間も近くまで来てるはず……」
「止まれ!」
声が飛ぶ。ああ、なんと凛々しい直線的な声だろうか。体の芯を射抜かれるような快感がある。
石造りの通路の中で、姫騎士さんは剣を抜いて立ちはだかっている。左右には若い騎士が二人。
「姫騎士さん」
「おのれ曲者! 我が砦に忍び込むだけでは飽き足らず、吸血鬼を逃がそうとたくらむとは! 闇に通じたる魔性の者よ! 我が銀の剣の前に平伏せよ!」
僕はじっと彼女を見る。確かに姫騎士さんだが、しかしひどく遠い。こういう頭の固そうな姫騎士さんも魅力的だが、本来のカリスマ性には遠く及ばない。
僕はつかつかと歩いて騎士たちに近づく。姫騎士さんは少し気圧されたように見えたが、左右の騎士が素早く前に出る。
僕へ向かって振り下ろされる長剣。僕は止まって見えるそれを手の甲でぐいと押しのけ、両足を踏ん張ると同時に下段からの突きを腹に見舞う。プレートアーマーがアルミ缶のようにひしゃげて、騎士の体が30センチほど浮き上がる。
「がっ!?」
吹き飛ばしたその瞬間にはもう片方の騎士へ。腿のあたりを全力で蹴り飛ばす。騎士の体が半回転しながら壁に激突。けたたましい音が鳴った。
「な、な……!?」
姫騎士さんは秒で青ざめ、数歩下がる。さぞや化け物じみた相手に見えてることだろう。実際には今ので手の骨が砕けたし、足の甲は筋肉が裂けている。自傷を治すまじないをソワレから習っているが、正直なところ気がふれそうなほど痛い。筋肉や骨が動いて治り始めるとなお痛い。
「姫騎士、一緒に来てくれ」
「な、何だと?」
「こんな下らない茶番には付き合えない。僕が選ぶとしても今じゃない。だから僕は黒架と姫騎士さん、両方を救う。君たちをここから連れ出す」
「ば、馬鹿な、私が領地と領民を捨てることなど」
「来るんだ」
姫騎士さんの剣をもぎ取り、腿を使ってぱきんと割る。そのまま姫騎士さんの手を取って引きずるように歩く。
「ま、待て! どこへ連れて行く気だ!」
「吸血鬼も騎士も関係ない土地へ行こう。三人で協力しあえば生きていける」
「ま、待つっす、吸血鬼の仲間たちが来るはずっすよ」
「渡さない、黒架も一緒に来るんだ」
「も、もしかして求婚でもしてるつもりっすか?」
「そうかもしれない」
とりあえず街から二人を引き離せばいい。簡単なことだ。もし何かが襲ってきてもすべて排除してやる。この僕が……。
気がつくと、真っ白な廊下を歩いている。
「……」
砦の中ではなく、中世風でもない。すべすべのプラスチックのような質感が上下左右を覆っている。壁には液晶画面が何箇所かに張り付いている。
「また移動した……さっきの世界はクリアしたと考えていいのかな」
「そうね」
足元を見る。鉄くずのようなものが不気味にうごめき、針金の人形が生まれる。
「どちらかを選べと言ったのに」
「二者択一を破壊するような行動を取ると次に進めるわけだ。ネタがバレた手品ほど退屈なものはないな」
「別に困りはしない。上手くいくまで繰り返すだけのこと」
「知っているぞ、お前が用意できる世界には限界がある。修羅を操る鎖もまた異なる世界。用意できる数に限界がないなら修羅はもっと何体も使役できる。あるいはもっと強い個体を操れる」
「分かったように思わないほうがいい。魔術の世界はもっと深遠なもの」
分かっている。おそらく僕の理解など本の表紙を見てああだこうだと言ってる程度。だが強気な姿勢は崩さずにいよう。
「繰り返しになるけど言っておく。姫騎士か吸血鬼か、どちらかを選びなさい」
「いつか選ぶとしても今じゃない、千年後ぐらいかもな」
「そう、ならば千年ほど戦うといい」
針金の人形は動かなくなる。僕はそれを踏み潰す。
さて、この世界は何だ。
「やはり全ブロックを離断すべきだ」
廊下の先に半開きのドアがあり、声が漏れ出ていた。僕は気配を殺して部屋に近づく。数人が声高に話し合っている。
「そうでなければ病原体を排除できない」
「落ち着け、この船の市街区には8000人が乗ってる。コールドスリープ中の者もいる。簡単には決められない」
「暴力性、吸血衝動、紫外線への脆弱性、異様な回復力、まるで伝説の吸血鬼だな……」
「馬鹿馬鹿しい! これは新種の病気に過ぎない! 何人か捕まえてきて調べるべきなんだ!」
白衣を着た、研究者らしき人々がいる。
「投票を行いましょう」
そして姫騎士さんだ。長い黒髪の女性研究員という風情。白衣に銀縁の眼鏡というスタイルもよく似合うが、僕の知る姫騎士さんより気弱そうで、おどおどした印象がある。
「吸血鬼と化した人々は、やがて隔壁を破壊して隔離区画から出てくる。船体を離断するか、病気の原因を探るかの投票をしましょう」
「姫騎士、君の意見は?」
「私は、抗体の持ち主を探すべきだと……隔離区画にいるはずです。この病気を最初に持っていた人物。乗船時の検疫をクリアしてることから見て、おそらくは症状の出ていない健康保菌者が……」
なるほど、それはおそらく黒架か。
隔離区画とやらにいるようだ、まずは探してみるか。
何ほどでもない。戦えばいいだけのこと。
僕は戦士だから、こんな罠などに屈したりしない。どんな障害でも打開してみせる。
「……」
しかし、気になることはある。
あの百浜上空で見たもの。古びた城は。
修羅は。
饕餮は。
この事態にどんな意味を持つのだろうか?
この罠のような世界はいくつ存在して、いつ終わりが来るのか。そして僕が、黒架か姫騎士さんを選ぶ日が来るのか。
それは何を意味する?
……っ!
何だ、今の感覚。
古いトラウマを思い出すような、見たくないものから無意識に目をそらす時のような。
今の感覚、過去にもどこかで。
分からない。何があるというんだ。
僕はあとどれほど戦えば……。
※
「凄まじい規模だな」
臨海都市圏の上空、空が割れたように開けており、球状の城塞が見える。いつぞやのラインゼンケルンの城に近いが、やや古びて見える。
「乗り込みますか、姫騎士どの」
私は同行者に呼びかける。ヘリで彼女をここまで連れてきたが、姫騎士どのは表情が重い。事態の深刻さが伺えるな。
「案ずることはありません。この私が、猛炎にして白日の名にかけて姫騎士どのを守ります」
本来は私だけで乗り込みたいところだが、姫騎士どのを置いておくわけにもいくまい。それに、ついていくと言ってきかぬであろうし。
「あの二人も心配はないでしょう。昼中にはまじないを教えているし、吸血鬼の姫君も成長めざましく……」
姫騎士どのの顔は晴れない。それほどの心配事があるのだろうか。もはや姫騎士どのを脅かす存在などいるはずもないのに。
「……ミネギシですか。なに、幻獣使いなど何ほどでもありません。姫騎士どのの友人に手を出すとは許しがたいこと、必ずや今日この日に決着を……」
「――」
姫騎士どのが短い言葉をつぶやき。
そして私は、虚を突かれた顔になってその言葉を繰り返す。
「どういうことです……? ミネギシが、もういないとは……」




