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姫騎士さんは眠りたい  作者: MUMU
第九章 静止した夜と姫騎士さん
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第八十一話



姫騎士さんが器物を後方に投げると、壁から出てくる機械仕掛けの腕がそれを捕まえる。餌に食らいつく魚のように、自分の意志で止められないのか。


そして崩壊が始まる。


おもちゃ工場が無数の爆発に包まれ、幾何学的に変形してゆき、そして積み木が崩れていくように階層がバラバラに。


「昼中さん、ちょっといいですか」


横を走る姫騎士さんからお声が。


「どうしたんだ?」

「少し先の……あそこにゴミの山がありますよね」


確かに。乗っ取られたおもちゃ工場は掃除が行き届いてないのか。ゴミを適当に掃き集めただけの山がある。軽自動車ぐらいの大きさだ。ガラクタもあるし、バナナの皮とかの生ゴミもある。


「あれにヘッドスライディングで突っ込んでください」

「わかった」


僕は方向転換、ゴミの山めがけて勢いよくダイビング。


どがががとあらゆるゴミが体に当たり、腐った生ゴミの匂いとホコリ臭さが。


「はい、もういいですよ」


冷気を感じる。


僕が突っ込んでたのはゴミの山。しかし妙に冷え切ったゴミだ。

後ろに這って脱出。ここは屋内じゃない。空が高くて土の地面で、焼却炉もあって。


どうやら西都のゴミ集積場だ。どこからともなくクリスマスの曲も流れてる。


「そんな馬鹿な……これも重奏アンサンブルなのか。単純に空間を飛んだ、それに突っ込んだのは昼中くんなのに、私まで」


先生は驚いてるが、まあ今までも重奏アンサンブルを抜けたら離れた場所だった、という事例はあった。姫騎士さんならこのぐらいの応用はできるだろう。


がしゃん。


そして、視界の端でメイドさんが倒れる。


一体ではない。ゴミ集積場のあちこちに橘姫たちが倒れている。どうやら集団でここに飛ばしたようだ。


「先生、気を付けて」

「いや……大丈夫。桜姫がスキャンしてる。もう駆動系が完全に壊れてる」


多くの橘姫は完全停止している。

その中で若干のモーター音を響かせる個体が一つだけ。先生はそれに近づく。


「が、あ……」

「橘姫、もう終わりだ」


先生は、あまり感情のこもらない声をこぼす。


「お前には致命的な物理矛盾が起きている。お前はたぶん存在変数を持続させられない。やがて観測不可能領域の向こう側に消えてしまう」


消えてしまう……。


そんなSFを読んだことがある。存在するはずのないものは最終的にどうなるか。


それは、「最初から存在しなかった」という結論に収束するのだと……。


「橘姫、なぜ私のもとを出ていったんだ」


先生が問いかけている。


「私がプログラムをミスしたのか。それとも誰か第三者に干渉されたのか」

「私、は」


橘姫の声には抑揚がなくなっている。単純な合成音のような声。何の飾りもないテキスト。


「私は、散らばった、もの、を、集めたかった」


音声が途切れつつも言葉を述べる。


「それ、が、命題、生まれてき、た、理由、造物主マスターがそれ、を、望んだ」

「私が……? 私はお前に何の命令もしてない。お前は生まれてすぐにラボを逃げ出した」

「取り、戻す」


橘姫が、目から物理的な火花を飛ばす。


「財宝を、技術を、家族、を」 

「家族……?」

「マスター、は、そのために、私、を」

「そんな……そんなことはない。私はあの女を求めてなんかいない。賢者たちの研究所に招かれた時に、私はパーソナルデータのすべてを消去した。だからもう探すこともできない……」

「私、が、消える」


すでに橘姫の目に意志の光はなく、虚無の闇だけが。


「マス、ター」


その手が虚空を探るように動く。もはや目も見えていないのか。


「私は、役目、あなた、の、家族」

「……ああ、そうだね」


先生がその手を握る。声には慈愛とも悲哀ともつかない響きがある。


「よく役目を果たしてくれた。お前の任務のすべてを解除する。ゆっくりとお休み……」

「マ……」


きゅう、とモーターの止まるような音がして。


橘姫は、完全に沈黙した。


「私が原因だったんだね」


先生が言う。スカートの裾をはたき、淡々と言葉を述べる。


「私が失われたものを求めたから、だから橘姫のプログラムに影響した。そのようなものとして生まれてしまった。散らばったもの、失われたもの、枝分かれした時間軸すらも旅してあらゆるものを集めた」


失ったものを求める。

それが橘姫の行動理念。亜久里先生の根源にあったもの。


「でも駄目だった。すべてを集めてしまうと、矛盾に耐えきれず崩壊してしまう。もし私が母親と再開したとしても、結局また別れることになるだろう。母と私は、あまりにも価値観が違うから」

「先生……」

「自覚はないんだ。でも心の何処かで求めてるのかも知れない。分からないんだ。ほんとうに分からない……」


二度とは手に入らない。


手に入れたとしても持ちきれない。


それでも求める。求めてやまない。


それが先生の人生だとしたら、何と業の深い話だろう。


「ホッホウ」


と、僕たちはすぐそばにいた人物に気づく。

いつからそこにいたのか分からない。だが僕も先生も、その神出鬼没ぶりを当然のように受け入れる。


「サンタクロース……」

「ホウ、時の旅はどうだったかのう。見るべきものを見て、知るべきことを知ったかのう」


赤い服にとんがり帽子、豊かなヒゲに太鼓腹。そんなサンタクロースを、先生は少し斜に構えて睨みつける。


「私の体験なんかどうでもいいんでしょ。あなたは橘姫を倒す手段が欲しかっただけだ」


時間軸は複雑にねじれている。重奏アンサンブルの絡んだ時間軸の中で、正確な因果関係を求めるのは難しそうだ。


サンタクロースの思惑は成功したのだろうか。それとも橘姫は自滅する運命だったのか。今となっては分からない。


「ホッホ、おもちゃ工場のことはさておきじゃ。よく働いてくれた良い子に、プレゼントをあげようかのう」


サンタクロースが差し出すのは……扉だ。


さほど大きくない。僕の着てるTシャツぐらいの大きさだろうか。線の細い人ならくぐれるだろうか。


妖精のドアフェアリードア? お店の飾りつけなら間に合ってるよ」


あれは妖精のドアと呼ばれる飾り物だ。家の壁に貼り付けたり、庭の木の根本に置くことで、妖精がドアを通って遊びに来てくれると言われる。


「ホッホウ、このドアはおまえの両親のいる家に繋がっておる」

「――何だって?」

「おまえの母も、父もいる。子犬もいるようじゃ。幸せそうに食卓を囲み、団らんを過ごす温かな家じゃ」


サンタクロースはドアを水平に差し出し、磁力に引かれるように先生の手が伸びる。


ドアに触れた瞬間、ぱしりと空気をはじく音が。


「あ――」


見えた。


それは雪国に建つ大きな家。

大きなソファに沈むように座り、ストーブの温かさにまどろむのは幼少期の先生。食卓には父と母がいて、食事の時間だよと先生を呼ぶ。


お絵かきをして、折り紙をして、あやとりをして、雪の日には雪だるまを作る。何千枚もの写真を流し込まれたかのように、強烈な密度で入ってきた。おそらく扉に直接触れた先生は、もっと濃厚に。


腰の位置が落ちる。扉を掴んでかろうじて立つような体勢。足が震えている。


何だ……なにか変だ。


なぜサンタクロースはそんなものを渡す。いくら今回の件の功労者だからって。


「ホッホウ、無理をすることはない。何も失わなかった幸福な時間を過ごせばよい」


そうか、こいつ。


先生はまだノートを持っている。桜姫もいる。幼少期ほどの天才ではないとはいえ、重奏アンサンブルを利用できる人間だ。


先生を放置しては、いつまたおもちゃ工場が危険に晒されるか分からない。


だから排除する、そういうことか。


幸福な世界に案内して、そこで豊かな時間を過ごすうちに、先生の天才性は完全に失われるというのか。


「姫騎士さん!」


僕は後方にいた姫騎士さんを呼ぶ。彼女は橘姫とのやりとりの間も、口を挟まずにじっと僕たちを見守っていた。


その彼女は、しかし動かない。


「昼中さん。ダメです」


こわばった声で言う。


「私が干渉していいことではありません」

「でもこのままじゃ、先生が」

「これは特例的な事態です。あの扉は本当に幸福な人生に繋がっている。本来はありえないほどの幸運な出来事と言えるでしょう。人生をやり直す。それを良くないことと思う人もいるかも知れません。でも本当にやり直せるなら、その良し悪しを判断できるのは当事者だけです」


そんな。


いや、しかし、そうなのか。


少なくともサンタクロースのやることだ。悪意があるとは考えにくい。


では、もし先生が扉をくぐれば何が起きる?


現在の先生は失われる? これまでの人生の経験も、賢者たちとの出会いも、西都の町に来たことも。


桜姫も。


「やめろ!!」


ばしん、と先生の手が動く。扉を叩き落としたのだ。


「ホッホウ……」

「私には必要ない。今の私は十分に幸福だ。メイド喫茶の女の子たちも、桜姫も、昼中くんたちもいる。それが私の家族だ。今の家族を捨ててまで新しい家族なんか求めない」

「先生……」


違う。


僕は歯がゆくも気づいてしまう。それは嘘だ。


先生は桜姫を家族とは認識していなかった。ただの召使いか、せいぜい言って自分の作品という程度だ。


橘姫にも憐れみを示したが、家族へ向けるような愛情は無かった。


先生にとっては家族は唯一、肉親だけなのだ。


そして……そしてそれは桜姫もだ。


今の一幕、桜姫は止めに入らなかった。

何が起きているのか分からずにきょとんとしていただけだ。


悲しいが認めざるを得ない。この二人はやはり家族ではない。そこまでの情が育っていないのだ。


だが、それならなぜ拒否したんだ。プライドが働いたのだろうか……。


「もう……もう帰ってくれ。私たちにこれ以上関わるな」

「ホッホウ、仕方ないのう。では次のクリスマスまでお別れじゃ」

「もう来なくていい……」


サンタクロースは持っていた扉を開ける。すると、その中に体が吸い込まれて消えた。ほんの一瞬の出来事である。


あとには何も残らなかった。

扉も消えて、橘姫たちもいつの間にか消えている。


「どうやら終わったようですね」


姫騎士さんが言う。なるべく明るい声をかけようという雰囲気で話しかけている。


「……ああ、そうだね」


もしかして、姫騎士さんは僕と出会う前にもこんなトラブルに関わっていたのか。


世界は何度も何度も崩壊しかけて、そのたびに人知れず姫騎士さんに救われていたのか。


……いや、そうじゃない。


考えているのはそんなことじゃない。


「姫騎士さん。なぜ助けてくれたんだ?」

「困っている方を助けるのは当然です」

「そうじゃない。おもちゃ工場を助けるだけなら姫騎士さん一人でやれたはずだ。なぜ僕と亜久里先生を助けたんだ」


姫騎士さんにはどれほどの恩を受けてるか数え切れない。敬愛してやまない。


それでも、どうしても聞かずにはおれない。


なぜ姫騎士さんが僕なんかに関わってくれるのか。姫騎士さんはどういう動機で人と関わるのか。

僕と姫騎士さんは、どのような因果で結びついているのか。


「私はどんな方も助けますよ」


僕の手を取って言う。


「橘姫さんも本当は助けたかった。でも、あの方の滅びを無かったことにしてしまうのは、あの方の人生への侮辱でした。だから助けられなかった。救うべきでないものは救わない、ある意味では私の限界かもしれませんね」

「……」

「昼中さん、とおっしゃいましたね」

「ああ……」

「私にとってあなたが特別だから助けた、そう言ってあげられなくてごめんなさい」


姫騎士さんは目を伏せて言う。僕の浅ましい考えなどすべて見透かしているかのように言葉をくれる。


「私はきっと、未来であなたと知り合うのですね。私とあなたは特別な関係になるのでしょうか。親しい友人、かけがえのない恋人、それとも背中を預けられる相棒というものになれるでしょうか。とてもわくわくします。お会いできる日が楽しみです」

「姫騎士さん、僕は」

「でも昼中さん、そんなことを未来の私に聞いてはいけませんよ」


姫騎士さんは片目をつぶり、わずかに微笑んで言う。


「私は困ってしまうでしょう。私にとっては西都のみなさんが大切な人です。町も花もお菓子も大好きなんです。だから面と向かって、あなただけを特別とは言ってあげられない。きっと、どれほど親しくなってもそれだけは言えない。親しくなるほどに言葉にするのは困難になる。そんな気がします」


彼女は。

幾度となく体の一部を重ねた未来の姫騎士さんは、僕だけを特別と言ってくれただろうか。


それに近いことは言ったかもしれない。わからない。彼女はあまりに輝いていて、思い出の中ですら直視できない。


「では、お別れです」


姫騎士さんは片足立ちになって回る。雪のちらつく西都の地面はわずかに濡れており、濡れた靴先がコンクリートの上に円を描く。優雅な動きだ。


「橇がないので、この円を使って帰ってください。円の中で目を閉じて、いま聞こえているクリスマスの歌が聞こえなくなったら目を開けてください」

「相変わらず凄いな、そんな簡単なことで……」

「またお会いしましょうね、昼中さん」


と、姫騎士さんは僕たちの方も見ずに立ち去ってしまう。この時間軸の姫騎士さんとは親しいわけじゃないけど、それでも別れは名残惜しい気がした。


「じゃあ帰りますよ、先生」

「ああ……」

「桜姫も円に入って」

「えん!」


僕たち三人は目を閉じる。

どこからともなく聞こえてくるクリスマスソング。商店街からだろうか。それともどこかの家から。


それとも、それは僕たちの中からだろうか。浮かれた気分と恋人や家族の気配。そんなものが満ちているクリスマスだからだろうか。


やがて音が遠ざかる。それが去ってしまうのは心細く、宴の終わりのような気だるい気分もある。やがて音が完全に消えてから、僕は目を開ける。


周りは……やはり西都のゴミ集積場。

ただし雪は降っておらず、地面も濡れてない。


そして空気で分かる。今は明らかに12月ではない。空気にはまだ暑気の名残が残っている。9月末の西都に帰ってきたのか。


「今回は割と大変でしたね……でも姫騎士さんに力を借りたのも最後だけだったし、僕もだいぶ戦えるように……」


ふと周囲を見る。誰もいない。


だだっ広いゴミ捨て場の中には、僕一人だけ。



「……先生?」


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