第八十話
「桜姫、マニュアル入力補佐を」
「きーぼー!」
桜姫の背中がばしゃんと開き、中からキーボードが突き出してくる。先生は古びたノートを見ながら何かを入力。
すると前方が円形に開ける。攻撃衛星の群れも、円環型のビルディングも、風景のすべてを押しのけるように虚無の空間が生まれ、僕たちの橇がビルの中へ突っ込む。
すると歪んでいた景色が戻り、橇はざざざと火花を上げて着地。僕は必死に踏ん張って背後の姫騎士さんを支える。
「今のは……」
「桜姫を通して具現化されたプログラム上の挙動。新規の座標を流し込んで空白を生む。重奏として具現化はしてないけど、あれも一種の異空間だね」
もうだいぶ前からだが、桜姫も先生も魔法じみてきた。
「そういう力があるんですか? そのノートに」
「このノートは現実世界とプログラム領域の垣根を崩す。それが幼少期の私の研究テーマだった。もっとも、書かれてる内容をそのままインプットするしかできないけど」
「うわあ、ここがサンタクロースのおもちゃ工場なんですね、私はじめて見ました」
先生の説明はどこへやら、姫騎士さんははしゃいでいる。何というか、過去の姫騎士さんって華々しいというか純朴というか、女子高生らしい素直な喜怒哀楽がとても良いな、みたいな。
「お待ちしておりました」
声が聞こえる。ここは長い長い回廊のような場所だったが、その隅のほうから聞こえた。
若い男性風のロボットだ。複数枚のレンズが重なった目が僕を見ている。
このおもちゃ工場の案内役、トムテだ。
燕尾服は着ていない。彼は首から下がなく、大きなケーキの上に乗っていたから。
「トムテさん、大丈夫なの?」
「はて、人間なら大惨事な状況かと思いますが」
それもそうだ。会話できるからってこれが無事のわけない。
先生が前に出る。
「橘姫たちに工場を乗っ取られたね?」
「私どもの主観では乗っ取られたのは数年前でございます。私はこうして体を奪われ、ブラウニーたちは橘姫の複製を作らされております」
「それは大変です!」
姫騎士さんが口に手を当てて叫ぶ。
「どうりでこの数年、クリスマスプレゼントにおもちゃが無いと思ってました。お父様からのプレゼントが毛糸玉とか座布団とかになってたんです」
「そうなんだ! それは大変だね!」
「昼中くんってホストみたいに調子合わせるよね……」
先生が目を平たくして突っ込むが、実際それは大変な事態だと思う。全世界のクリスマスプレゼントからおもちゃが消えたのだ。
きっと子どもたちはダンベルだとか、スリッパだとか、もしかして計算ドリルなんかをプレゼントされているのか。
それはともかく、先生は質問を続ける。
「橘姫たちの本体はどこ?」
「わかりません。サンタクロース様もどこへ行かれたものやら」
ひとまず橘姫たちが追ってくる気配はないので、こちらから動きたいところだ。
しかし、探すにしてもおもちゃ工場は広すぎる。延べ床面積にしたら一つの市に匹敵しそうだ。
「どうしますか先生、手分けして探すとか」
「別に探す必要はないよ。外には攻撃衛星もあったし、おもちゃ工場にもセキュリティはあるでしょ。桜姫にネットワークを乗っ取らせる。桜姫、やれるね」
と、桜姫が勢いよく腕を突き上げて。
「先生っ! 僕は橘姫が来ないか見張ってます!!」
「うわびっくりした」
先生と姫騎士さんが目を丸くする。
「なんで急に大声だしたの」
別になんでもない、桜姫が「ハッキング」をちょっと舌足らずに言っただけだ。
「どすこ!」
そう言って四股を踏む桜姫。足のすそから何本かのコードが出てきて、床をがりがりと削りつつ潜り込んでいく。
効果はすぐに現れる。回廊の前後で分厚いシャッターが降りたのだ。
桜姫の髪から光が放たれ、周囲に監視カメラの映像らしきものが浮かぶ。何十という規模で。
映し出されるのは橘姫を作っている様子だ。縫製担当の小人たちがメイド服を、おもちゃ担当の子たちが体を、ゲームを作っていた子たちは懸命にプログラムを入力している。その後ろではムチを構えた橘姫が練り歩いている。
「桜姫、本体の判別は可能か?」
「かいもく!」
「そうか、とりあえず製造ラインを破壊しておくかな。工作機械に過電流でも流して」
「やめなさい」
かつ、と床を踏み鳴らすハイヒール。
天井の一部が開き、降りてくるのは大柄な女性。攻撃的なスカート丈とびしりと形を取ったエプロン。橘姫だ。
「う、ここまで来たか」
「大丈夫、そいつは工場の各地に配置されていた素体の一つ。武装もしてないし脅威じゃない」
「フン」
橘姫は先生を無視して宣言する。
「レジストは無意味。すでに私はプラネッツのすべてを破壊するだけのミラーを得た」
「どうかな」
立ちはだかるのは先生だ。橘姫に肉薄する位置まで歩み出て、互いに胸をそらして対峙する。先生のほうが10センチ以上低いが、互いに譲らない構えだ。
「桜姫に中枢ネットワークを破壊させる。分身への指揮権なんかすぐに奪えるぞ」
「インポッシブル」
橘姫が指を鳴らす。その背後に映像が浮かんだ。
地球のようだが、たくさんの輝点が散らばっている。特に多いのは日本からインドを通ってヨーロッパに至るラインであり、それらが光の線で結ばれている。ユーラシア大陸を横断する光の川のようだ。
地球は回転する。光のラインはアメリカやブラジルにも多いようだ。
「……何だって」
それを見た先生が青ざめる。
「どうしたんですか」
「……この図が示してるのはデータセンターだ。IT企業が作ったもの、国家の統制下にあるもの、個人のものまで」
映像には短い文章や数字が散発的に浮かぶ。先生はそれを読み取っているのか。
「橘姫は、地球に存在するコンピューターの八割と同化したと言っている……」
「な……」
「まさしく」
ヒールで床を踏み鳴らす。
「私はこの重奏で長大なタイムを過ごした。何も妨害するものがなければイージーなことです。私はもはやプラネッツのコンピューターの総体」
それが真実だとして何を意味するのか、規模が大きすぎて分からない。
先生は僕たちに向けてというより、何かを確かめるようにつぶやいている。
「汚染領域を書き換えてもバックアップに上書きされる……地球規模で同期を取られては手が回らない。偽装プロトコルで攻撃と分からない領域を植え付けるか。いや、それでも自己同期のスピードを超えられない……」
「先生……」
「クラッキングは光速の限界に縛られている。それは本を書き換える行為に似てるんだ。一冊か二冊だけ書き換えるなら簡単だが、地球上にある同一タイトルの本をすべて書き換える場合は話が違う。常に比較検討して正しくないものを修正され続けたら、いつまで経っても書き換えが終わらない」
おそらく性能だけなら桜姫が上なのだろう。
だが、地球規模で自己を複製して防御する。そんな規模の相手には、さすがに太刀打ちできないのか……。
「さあ、ノートを渡しなさい。渡さないなら奪うだけ」
もはや万事休すに思える。
……。
……だが、僕の実感は違う。
ここまで来ても、なぜか本当の終わりという気はしない。さっきまで漂っていた終末の予感も今は遠い。
それはたぶん、横にいる彼女のせいだ。僕の知らない頃の姫騎士さん。
「あのう、お伺いしてよろしいですか」
その彼女はどことなく緊張感の薄い声を出す。
「クエスチョン? いまさら何?」
「なぜあなたはそこまで技術を求めるのです? もう必要なものは自分でだいたい作れますよね」
ふん、と橘姫は鼻を鳴らす。そういえば橘姫が姫騎士さんの力を見たことはなかったと思うが、彼女のことをどこまで知ってるのだろう。
「私はそのためにクリエイトされた。正確に言えば、私はあらゆる「価値」を集めるために生きている」
「作ったのは亜久里さんですよね? じゃあその命令を解除すると言ったらどうされるのです?」
「造物主の意図は無関係、私はそのようなものとして生まれついている」
「「価値」を集めて、何かをするという目的は無いのですか?」
「その質問はナンセンス。「価値」は一つに集まることのみを目的とする」
ひたすらに技術を、価値を集めることが至上命題であり、その利用とか最終目的を持たない。ということか。
それは強欲という言葉を連想させる。ひたすらに金銭を集めるだけの怪物。集めてどうするという目的を持たず、札束の上で転がるだけを喜びとする存在のような。
そんなやつを相手に、道理を解くなど……。
「なるほど、分かりました」
姫騎士さんの声に悲しげな響きが混ざる。やはり説得など無理なのか。
「では、このノートをお渡ししましょう」
「へ」
ほうけた声を出すのは先生だ。自分の手元を見るが、何も持ってない。
だけどずっと姫騎士さんを見ていた僕には分かった。先生にまったく悟られない、なめらかな動きでノートを抜き取ったのだ。
「ちょっと!」
抗議の前にノートが放られている。橘姫は満足した様子でそれをキャッチ。
「オールライト。全ページスキャン。超並列処理にて分析と検討を」
じりじりと電子音がする。おもちゃ工場のコンピューターが、あるいは地球規模の演算能力が稼働している。
「……グレイト。素晴らしい記述です。これはまさに特異点の向こう側。さまざまに驚愕すべきイマジネートが」
どん、と振動が走る。
足元が揺れる。窓を見れば白煙と火炎。この円環状になっているビルの一部が爆発したのだ。
「な……」
橘姫は爆発のあった方を向こうとして。
ふいにその場に崩れる。
足が震えている。左の二の腕が大きく膨れ上がってメイド服がはじける。髪が異様に伸びて地面に垂れ下がる。
「ホワッツ……こ、れは」
「皆さん、ひとまず逃げましょう」
姫騎士さんが言い、その声に答えるかのように前後でシャッターが上がっていく。何をどこまで姫騎士さんが行っているのか全くわからないが、僕は姫騎士さんに並んで走り出す。
「亜久里さんも、桜姫さんも早く」
「えっ……な、何が起きて……」
爆発は連続している。床から伝わる連続的な振動。どこからか響く警報。そして回廊のあちこちに橘姫が倒れている。みな体の一部が膨れ上がったり、手足が奇妙な方向に曲がって動けずにいる。
「姫騎士さん、これは一体」
「ものの道理というものです」
姫騎士さんの声は悲哀を帯びていた。
「橘姫さんは、技術を持ちすぎています」
何だって?
技術を大量に集めただけで、なぜこんなことが。
「もっと速く」
姫騎士さんが僕の手を引く。僕たちはおもちゃ工場の中を疾走。背後を見れば、先生はどこからか調達したスケートボードでついてくる。
「姫騎士さん、どういう事なんだ」
「例えば、手から火を出せる力と、手から水を出せる力があったとします。そういう超能力ですね」
「? うん」
「その2つの力、同一人物が持ったとしたらどうなるでしょう?」
「ええと、それは、状況に応じて火を出したり水を出したり」
「もし同時にしか出せなかったら?」
「それは……それは何というか、ずいぶんコミカルなことになるような」
「物理矛盾が起きると言いたいの?」
先生は桜姫を抱えたまま言う。
「不死の雛形、ワールドオーダーズ・ルールブック、そして泰歳数理系記文。その三つは現状の物理法則を超越する存在。それらを同時に取り込むなんて不可能だった……と」
「そうです。世界にはルールを超越したものを許容する猶予があります。一つや二つなら取り込めたでしょう。でも三つは無理だったのです」
SFのような話だ。
よく聞く話として、SFに「嘘は一つであるべき」と言われる。
嘘が複数になってしまうと、世界観の管理が難しくて崩壊してしまうから。それが現実に起きたというのか?
――そうか、ロブがあっさりと手帳を渡したこと。
あれはこれを見越していたのか?
どうあっても、橘姫は三つの超技術を受け止められなかったと。
先生はまだ半信半疑という顔で言う。
「だけど物理法則の矛盾を超越するのが重奏だ。橘姫もいずれ混乱を抑え込むかも」
「ええ、ですから」
姫騎士さんの手に、何かが。
それは、互いにすり抜け合う二つの立方体。
ガラスのように透明な薔薇。
下から上に落ちる砂時計。
高速回転しながら浮かぶ指輪。
「もっとたくさん、混乱していただきましょう」
まさか、それ全部が未知の技術――。




