第八話
姫騎士さん、謎の場所、吸血鬼、何をすべきか?
かつかつ、とノートに言葉を並べる。
どうやら、姫騎士さんには何かしらの能力がある、と推測する。
それは言葉にするのが難しいけれど、不思議な場所に迷い込む才能。誰かの心に同調し、その中を歩くことができる力、とでも言うべきか。
しかし吸血鬼、本当にいるのだろうか?
確かに吸血鬼が硫黄を好むという話もあるけれど、それは火山灰質の土地では遺体が腐りにくいことがあるためだ。
土中に埋葬した遺体が、何らかの理由で掘り起こされた時に腐っておらず、生前の姿をとどめていたとする。人々は何か超常的なことが起きたと考え、夜を歩く死者の伝承が生まれる。そのへんの伝承と吸血鬼伝説が混ざったらしい。要するに姫騎士さんの都合のいい引用である。
吸血鬼、姫騎士さんなら本当に出会ってしまうかも知れない。竜巻に吹き飛ばされたら魔法の国だった、という話のように、不思議な話が訪れる体質なのだろうか。姫騎士さんなら魔法学校から手紙が届いても驚かない。
「えー、この次の部分を、黒架さん、読んでください」
授業はたんたんと続いている。僕はノートもちゃんと取っておく。このところ居眠りも減っているのだ。きっと家での睡眠の質が改善したせいで……。
あれ。
「黒架さん」
「あっ」
隣の席、黒架ははっと顔を上げ、慌てて立ち上がって教科書をめくる。
「はい、えっとあの」
「音読、27ページの3段落目」
ぼそりとつぶやく。
「はい、そ、その村の抱える問題は、すべての人々に共通していた。最初に隣の村まで行くのは誰か……」
※
「どうしたんだ、ぼおっとしてたぞ」
放課後、帰り支度をしてた黒架に問いかけてみる。人のことを言える立場でないのは重々承知だが、何だか気になったのだから仕方ない。
「いや、何でもないっす、ちょっと考え事を」
「……」
そこで思い出す。先週のこと。
「そういえば映画でも行こうかって話があったな、今日にでも行くか?」
「あっ、いいっすね。じゃあ浮葉でいいっすか」
「ああ、じゃあ一度着替えて18時に集合で」
このところ棺桶を作って忙しかったし、黒架のことをよく見てなかったかも知れない。少し反省する。
浮葉モールというのは西都の町からバスで20分。広大な敷地と駐車場を持つ郊外型ショッピングモールである。
シネコンも完備しており、8つのスクリーンに常時10作品以上が上映されている。西都の学生にとっては桃源郷のごとき娯楽の殿堂だ。
今日も実に賑やかである。ずらりと並ぶ服飾品のテナントに、100円ショップに本屋に高級デパートのセレクトショップなど。僕は中央ブロックのオブジェの前で黒架を待つ。
「やほーっす」
やって来た黒架は灰色のカーディガンにゆったりとしたガウチョパンツ。足が長いだけにそれをカバーするようなコーデを好む。それでも細長いシルエットは隠せてないし、それはそれでスリムで憧れる人もいそうだが。
僕はというと黒のジャンパーに茶色のチノパン。地味好みなわけではない。ファッションに金を使える身分ではないのだ。
「よし来たな、何見ようか」
「あれがいいっす! 『巨大ロボットのあとくされ』!」
「じゃあそれで」
宇宙人から与えられた巨大ロボット、それは地球にない金属と、未知の技術の塊だった。世界の軍事組織が狙う中、どうやって誰の手にも触れられないよう処分するかという話だったはず。
「面白いらしいっすよ! あの俳優のいつもの変顔とか、うさんくさい外国人キャラとかが」
「そうなのか、ネットだと賛否両論だったな。ロボットのスケール感はみんな褒めてたけど」
上映時間まで間があるので、フードコートにて牛丼を食べながら語り合う。黒架は牛丼の大盛りに加えてパフェまで頼んでいた。それだけ食べててなぜ太らないんだろう。
ふと周囲を見る。何百席もあるフードコートは八割がた人で埋まっていた。
何だか視線を感じた気もするが、やはり牛丼とパフェは目立っていたかな。
「さて、まだ時間あるな……ちょっとゲームコーナーでも行くか? 何回か対戦できるだろ」
こういう郊外型モールのゲームコーナーといえば、クレーンとメダルゲームが大半、少しの音ゲーにプリクラということが多いらしいが、浮葉モールにはビデオゲームも充実していた。格闘ゲームの対戦筐体も何セットかある。
「あー……、いや」
と、黒架は空になったパフェの容器を、長いスプーンでからからと打ち鳴らしながら頭をかく。
「ゲーム……やめようかなって」
「はっ!?」
周囲の何人かが振り向く。慌てて口を押さえ、僕はまじまじと黒架の顔を見た。ただならぬ顔、というものがあるなら今の僕の顔だろう。
「な、なんでだ……? ゲームが生きがいだろ。朝から晩までプレイしてたじゃないか。こないだも新作を買ったばかりで」
「いや、普通のゲームは遊ぶっすよ。ゲームは好きっす。でも人と戦うゲームはもういいかなって……」
「なんで急に……」
近年、ゲームセンターにおいても格闘ゲームのオンライン対戦が可能になった。今も新しいタイトルがリリースされ続け、真夜中までプレイする人もいると聞く。
家庭用で対戦するほうが安上がりだとは思うが、そこはそれ、ゲームセンターの空気が好きとか、アパートでレバーをガチャガチャやってると隣の住人に壁を殴られるとか事情があるのだろう。
黒架はゲーセン派だった。日本中の店舗とオンラインで対戦し、かなりの勝率だったはずだ。そのうち本格的に公式大会に挑みたいと言ってたはずだ。
格闘ゲームだけではない。レースゲーム、落ちものパズル、FPSにRTSにRTAに縛りプレイまで、あらゆるジャンルに挑んでいたのに。
黒架は言い訳をするように、両手を動かしながら言う。
「あ、新しいタイトル追いかけるのも大変だし、来年は受験もあるから対戦は控えないと……」
「黒架は成績いいだろ。それに二年生の5月からそんなこと考えなくても」
「さ、さあ映画行くっす。ポップコーン買うから並ばないと」
「……ま、まだ食べるのか?」
映画館は意外と言うべきかすいていた。男性客が上の方にまばらに座り、下方には何組かの家族連れ。僕たちは中央付近の席だ。周囲は人がいなくてがらんとしている。
映画が始まる。宇宙人から巨大ロボットをもらって怪獣を倒すまでの流れがざっと語られ、不要になったロボをどうするかの議論が始まる。主人公はロボットの処分法を提案する若い科学者だ。
「うーん、説明が少ない……破壊不可能な金属とだけ言われても困る。日本海溝に捨てるのがダメって、なぜダメなのかの理由を言わないと……」
「昼中っち、意外とSFにうるさい……」
外国のスパイに追われるアクション。ロボットの火器を解体するシーンの緊張感。なかなかのテンポの良さで話が展開される。
特に濃く描かれるのは、パイロットだった人物の苦悩だ。彼はロボットの力に取り憑かれており、その力で戦争を無くせないか、ロボットの力で世界を征服するべきなのではないか、という考え方に目覚めていた。後半は主人公の科学者と、パイロットの対立がメインになる。
「なるほどこういうテーマか……しかし個人の話に集約してしまうのももったいないような……」
我ながら独り言が止まらないのが少し気持ち悪い。仕方ないじゃないか好きなんだよSF。
と、肩に体重がかかる。
黒架だ。彼女の髪は長く、深い艶をたたえる黒。その小さな頭が僕の肩に寄りかかっている。
静かな呼吸音。これはどちらの息遣いだろうか。
黒架のか細い、少女性を残した声がひそやかに聞こえる。
「気持ち、わかるっす……」
「……」
「やめたくないっすよね……戦っていたいんすよ。男の子っすから……」
それは、映画の人物に同調しての発言か。
それとも何かしら彼女の心境を表す言葉なのか。
気づけば手を握っていた。ピアニストのように長くしなやかな指だ。血色はなく、蝋でできてるかのように冷たい。
「黒架、本当に様子が変だぞ……。何かあったのなら言ってくれ、何でも相談に」
「あ」
ふいに、ぱちりと目を見開いた黒架が僕を見る。
「え、何」
「しゃがんで」
声と同時に頭を押し付けられた。冷蔵庫が乗っかるような力。肺が潰れて背骨が折れそうになる。
「はぐっ!?」
その上を何かがよぎる。ぶおんと風斬りの音。目の端で黒架の姿が消える。
「な、何が」
映写室は暗い。見れば下方にいたはずの家族連れがいない。そして上の方では大勢が入り乱れている。座席の並びで言えば10列ほど上だ。
「な……」
それは剣だ。ファンタジーに出てくるような両刃の剣。一撃を受けた椅子が野菜のように断ち切られて、映写光にホコリがきらめく。
別の方向からは手槍。高速で飛ぶそれを青白い指が掴む。
あれは黒架だ。
間違いない。彼女が戦っている。襲い来る剣をするりとかわし、次々と投擲される槍を素手で弾き飛ばす。いつも充血している黒架の眼が闇の中で光るかに思える。
相手は二人の男。剣と槍の挟み撃ちだがまるで問題にならない。剣の男は黒架の手刀を首筋に打ち込まれ、そして黒架が体を反転させつつ後方に飛ぶ。手槍の男が槍を投げようとする刹那にその槍を掴んでへし折り、腹部に膝蹴りを叩き込む。男は苦鳴を上げて倒れ込んだ。
ばたばた、と左右の入り口から人影。スーツ姿の男たちが入ってくる。しらじらと照らされるスクリーンの反射の中で、男たちが階段を登って黒架に迫る。
「ていっ」
黒架の右手が素早く動く。瞬間、何かがものすごい速さで飛んで、スクリーンを含めてすべての光が消える。散発するガラスの破砕音。男たちの混乱のざわめき。
「昼中っち、こっち来てっす」
耳元で黒架の声。一瞬で座席10列ぶんも飛んだのだ。腕を引かれて僕は無理やり走らされる。混乱の声を横に。
「黒架、あいつらは」
「ただの雑魚っす、ハンターが出るとああいうタナボタ狙いの有象無象が湧くっす」
ハンター? その単語は確か……。
走っているのはどうやら職員用の通路だ。どうやって入り込んだのか、誰もいない通路を二人で走る。
黒架は僕に聞かれても構わないと思っているのか、それとも少しは興奮しているのか、早口で話している。
「認識が甘かったっす。本当は映画なんか来ちゃいけなかったのに。もう手遅れだったのに。どうしても来たかったっす。ハンターなんかすぐ片付けるっすけど、もう城の位置もバレてるっす。居心地のいい土地だったのに、温かい湯とゲーセンがあれば十分だったのに」
「待ってくれ黒架、い、息が……」
ふと、周囲が暗闇に染まる。
夜の中に飛び出したのだ。そこは従業員用の通用口。大型のショッピングモールとはいえこのあたりに人影はない。驚くほど静かな夜の気配。
そして、黒架は。
その青白い顔が月のように美しく、眼だけがあかあかと光って見える。悲しげな顔。そして僕の頬にそっと伸ばされる手。ほとんど背丈の変わらない黒架の眼が、僕を正面から見る。
「お別れっす、昼中っち。私が消えれば昼中っちが狙われる理由はないはずっす。思えば象徴的な名前っすね。昼の世界とお別れするのは悲しいけれど、この夜のどこかに私はいるっす。夜の寒さが、静けさが、そして寂しさが私だから」
「黒架、何を言って……」
「しっかり眠って、大きくなるっすよ。夜の眠りに安らぐのは、昼に歩くものの特権っす」
風が。
強烈な風が僕を打つ。眼を開けていられない、氷の粒を浴びせられるような冷たい風。
そして風がやみ、おずおずと眼を開ければ誰もいない。遥か遠くまでコンクリートの大地が広がるのみ。
振り返っても、上を仰ぎ見ても、月光の他に何もない。
まるで、最初から僕一人であったかのように。
「……黒架」