第七十三話
※
以前にも使った例えではあるが、地獄について考えてみる。
僕たちは地獄を漠然と共有している。悪い行いをすれば死後そこに落ちるのだと。獄卒の鬼たちがいて、多種多様な地獄があるのだと。
このイメージがいつごろ生まれたのか、起源前6〜7世紀に生まれたゾロアスター教にその概念があるとか、ギリシャ神話におけるタルタロスだとか、エジプト神話における魂の裁判だとかが起源と言われているらしい。
では、それよりもっと前、原始時代にタイムスリップしたなら、そこにも地獄はあるのだろうか。
地獄が数万年の歴史を持っていたなら、地獄の概念ははるか昔からあったと言えるのか。
未来で生まれた概念は、現代の僕たちにも共有されるのか。
異なる世界、重なり合う世界、それはあるいは四次元的にも影響し合うのだろうか――。
※
サンタクロースの橇は宇宙を翔び、ドーナツ型の構造体に近づく。
「敵がいるんでしょうか」
「ホッホウ、いや、気配はないのう」
「昼中くん、地上を見てみて」
亜久里先生が言う。何だろうかと振り向いて驚いた。
東京湾が無い。
おそらく関東平野と思われる部分が明るくなっており、東京湾もその明るさの中に完全に埋め尽くされている。
というより地球全体が異様に明るい。東京からハワイを通ってサンフランシスコを結ぶルートに光の道があり、東南アジアはいくつもの光の橋でオーストラリアに接続し、中国にもいくつか非常に明るい地点ができている。すでに太陽は見えず、日本のある経度は夜に入っているのに。
「あれって……都市の明るさってやつですよね。大都市ほど光が濃く見えるやつ」
「それは光を誇張して模式的に見せてるんだよ、あんなふうに肉眼で分かるほど明るくなるわけない」
「どういうことです?」
「たぶん、人工的に永続的な「昼」を作ってる」
先生の推測によれば、この西暦2700年の世界ではエネルギーがほぼ無尽蔵に手に入る。
それにより上空に何千万もの飛行体を飛ばし、強烈な光を放つことで都市を昼で包むのだという。
「なぜそんなことを?」
「21世紀の人間だって夜の多くを明かりをつけて過ごすでしょ。人間の活動できる時間に対して夜は長すぎるんだよ。コストを無視できるなら昼を増やしたほうが活動の幅が広がるの」
まあともかく、ここはすでに西暦2700年の世界か。
僕たちはドーナツ型の構造体に急接近。近づくにつれて模様に見えていたものは建物の集合体となり、さらに拡大すればプラントやパイプワークの集まりに変わる。橇はぽっかりと空いた縦穴へと吸い込まれていく。
降りた先は基地のような場所だった。大型のロケットやら重機に見えるものが並んでいる。
そこにいたのは緑の服を着た小人たち。身長は僕の膝ぐらい、60センチほどだろうか、それが集まってくる。
「おじいさーん、おもちゃがたくさん盗まれたよう」
「盗っ人だよう」
「スカートはいたお姉さんだったよう」
よく見るとロケットは破壊されてるものも多い、それに緑の小人が大量に群がっている。傷跡をふさぐ血小板のような眺めだ。
「ホッホウ、みんな無事だったかのう。頼もしい助っ人たちを連れてきたぞ」
と、なぜいきなり信頼を寄せてるのか分からないが、僕たちを紹介する。
「勇気ある子どもたちじゃ、きっと盗っ人をやっつけてくれるぞ」
「わー、せんしだ」
「かっこいいよう」
「おっきいなあ」
飛び出す影。
なぜか桜姫が橇を飛び降りて、集団の中でふんぞりかえる。
「わー、大きい人だー」
「かわいいなあ、それにおっきいよー」
桜姫はますますふんぞりかえる。何だろう、大きいと言われるのが気持ちいいのかな。
「もし、お客人」
呼ばれて振り向けば、黒い執事ふうの人物がいた。燕尾服をかっちりと着こなした若い男性。彼は僕たちとほぼ同じ大きさだ。
だが……目がどこかおかしい。眼球はガラスでできており、複層構造になったレンズが僕に向かって焦点を絞るのが分かる。
「あなたはロボット?」
「トムテと申します。おもちゃ工場の案内役です」
サンタクロースはすでに姿が見えない。妖精たちはめまぐるしく動き回っているし、台車に山積みになった荷物が激しく行き交っている。よく見ればかなり騒がしい場所だ。
「質問があるんだけど、ここは本当に西暦2700年なの?」
先生も橇を降りて、スカートの裾を整えながら言う。いつものことだが先生のスカートは短い割に鋭角的に広がっており、さほど背が高くないのに足が長く見える。
「はい、正確には2712年12月24日です」
「ふーん」
先生は腕を組んで憮然とする。
「実は私、男なんだ、この発言は真実だと思う?」
「あなたが男性だとおっしゃるならそれを尊重したく思いますが、客観的な観測では女性かと思われます」
「ある場所に「ここに貼り紙をするな」という貼り紙があった。ルールに従えばこの貼り紙も貼るべきではない?」
「いいえ、貼り紙を行った人物は施設の管理者であると思われます。注意勧告は施設に関わりのない第三者に向けてのものですので、注意勧告の目的とするところと矛盾しません」
「一般的にウイルス性感冒に抗生物質は効かないと言われる。あなたが医者だとして、患者が抗生物質を望んだら処方する?」
「しません、丁寧に説明してお断りします」
先生はふうんと鼻で息を吐く。
「たしかにロボットだね、そしてここは未来世界か」
「今ので何か分かったんですか?」
「ちょっとしたチューリングテスト。彼は自分で考える力を持ってる。思考と回答に余計な制限が加わっていない。人工知能に自由な回答を許すのは、まあ多少は未来の話だからね」
「よく分からないです……」
「こちらへどうぞ」
トムテと名乗った執事型ロボット。彼は試されたことに気を悪くする様子も見せず、僕らを案内する。
「襲撃犯はどこに行ったのさ」
「現在、被害状況をまとめております。襲撃犯はブラウニーたちに追跡させておりますが、おそらく無理でしょう」
振り返ると桜姫がブラウニーたちに胴上げされてた。なんでだろう。
「桜姫、こっちおいでー」
「わかった!」
と、胴上げから降りて、両手を振り上げながらやってくる。
「おおきい!」
「そうだね、桜姫より小さい妖精たちに囲まれると」
「もりびる!」
「そこまでではないだろ」
先生はかなり前方、トムテについて早足で進んでいる。僕たちは後を追った。
「こちらは木工の工房です」
廊下の横は透明なガラスがはまっている。
いやガラスじゃない、触れると妙に柔らかいし、虹色の波紋が見えて石鹸のような匂いもする。まさかシャボン玉の膜だろうか。
膜の向こうには木が生えている。大地に根を張って大きくそびえる立派な木。それにブラウニーたちが群がり、ノコギリで木を伐り倒す。
ノコギリは大木を豆腐のように解体し、木材に加工してそれをブラウニー達が運ぶ。もといた場所には切り株の中央から双葉が芽吹き、成長して若木となり、やがて大人の木に育っていく。歩く間のほんの10秒ほどなのに、何十年もそれを見続けてるような不思議な感覚だ。
廊下を歩いていくと長机がたくさん並んでおり、ブラウニーたちが木材をおもちゃに加工している。積み木に人形に、パズルや車に、揺り椅子や木靴に。
「いや、別におもちゃ工場を見たいわけじゃないよ」
先生が突っ込みのように言う。
「この先のハイテク工房に目当てのものがありますので」
トムテは振り向きもせず歩き続ける。
廊下は凄まじく長く、窓には一切の切れ目がない。シャボン玉の膜のようなものが何キロという長さで続いている。
羊から毛を刈り、花から色を絞ってぬいぐるみに加工していく工房。
山のようなガラス片を再び融かし、顔と指を真赤にしながらガラス人形を成型していくブラウニーたち。
ゲーム機を作ってる工房もあった。空中に浮かぶディスプレイの前でブラウニーたちがキーボードを打っている。なぜかここの子たちは眼鏡をしていて、顔色が少し悪かった。
「こうやってプレゼントが作られるんですね」
「まあ重奏だから何でもいいんだけど、普通にメーカーのロゴとか印字してるよ、いいのかなアレ」
そのへんは深く考えないようにしよう。
「ブラウニーたちから無線が入りました」
トムテが言う。
「侵入者はハイテク工房のタイムマシンを奪い、過去の世界に逃げたようです」
「タイムマシン?」
先生がすっとんきょうな声を上げる。
「そんなのあるわけないでしょ」
「? 先生、重奏ならそのぐらいあるんじゃ」
「タイムマシンだけは訳が違う。時間移動はすべての因果を無視する究極の事象。完全にナンセンスで絶対にありえない。どんな宇宙だろうと1+1が負の数になるわけがない」
「でも、サンタクロースはこの西暦2712年から僕たちの時代に避難してきたんですよ」
「それは重奏から私達の世界に来ただけのこと。同一の世界の中で時間移動は存在しえない」
……どうも埒が明かない。
というより、先生はなぜかずっと虫の居所が悪い印象だ。予期せぬ重奏に巻き込まれたからか。それとも橘姫の姿が見えないからか。
「時間移動は存在しますよ」
トムテが言う。
丁度、彼がそう言った瞬間、僕たちは暗い部屋に踏み込んでいた。
ほぼ半球形の空間。中央には乗ってきたものと似たような木の橇がある。
違うのは部屋の周囲にいくつもの四角い構造物があることだ。印象で言うとスパコンに似ている。
「これがタイムマシン。主観的な時間を遡るものです。人生の一部を共有している方ならば追跡も可能です」
ぴく、と先生の眉が動く。
「つまり私なら橘姫を追えるって言うの。だから私達を案内したの」
「はい、サンタクロースは地球のすべての時間を経験しておられますが、子どもの時代を持たぬものに波長を合わせることはできません。あなたが必要だったのです」
「どういうことですか?」
二人だけで会話が進む気配だったので、僕も割り込む。先生は憮然とした様子で言う。
「これはつまり、私達の記憶を遡る機械ってことだよ」
「記憶を……」
「でも時間逆行とは言えないはず……いや、記憶を重奏と捉えているの? 自分の記憶を辿って四次元的な影響を与える? そんな技術が……」
「お客人」
トムテはすました様子で言う。
「侵入者はそのうち逃げおおせるでしょう。追うならば今しかありません」
「……」
このトムテというロボットは何をどこまで把握しているのか。あのサンタクロースは。
おそらく言えることは、僕たちがここに呼ばれたのは偶然じゃない。
橘姫と亜久里先生は強く結びついている。その縁が形を持とうとしている。そんな気がする。
「……気に入らない」
亜久里先生は釘を刺すように言う。目に強い反発が見える。
「私に何をさせようって言うの。誰がどこまで仕組んだことなの」
確かに、何か話が勝手に進んでいる気がする。まるで、亜久里先生が何かしらの引力に引かれるかのように。足元の砂が流れて深い穴に落ちていくように。
「お客人、一つだけ確かなことがございます」
トムテもまた何をどこまで承知しているのか。うやうやしく礼をして言う。
「サンタクロースはすべての子供の味方です。けして子供を裏切らない」
「私は子供じゃない」
「完全に子供を捨て去った人間など、そう多くはないものです」
「……この程度のやり取りは想定していた、って感じだね」
「お客人、あなたは我々に呼ばれ、あなたもまた我々を呼んだ。事態があなたを引き寄せ、あなたも事態を望んでいた。物語の生まれる瞬間、運命が収束していく時というのは得てしてそのようなものです」
「分かった、行くよ」
先生は胸を張る。そのメイド服は戦闘に臨む兵士のよう。己は何ものをも恐れぬ、完成された存在であると誇示するように。
「時の最果てに、何があろうと……」




