第七十二話
ともかくサンタクロースである。
この世界一有名な聖人、全世界の子供たちの憧れ、最も多く信じられている妖怪、ついに西都にもそれが来たのか。さすがにちょっとテンション上がる。
僕がそういう意味のことを言うと、亜久里先生は冷ややかな視線で言う。
「いや、サンタクロースなんて重奏の中じゃよくあるから」
「え、そうなんですか?」
「私も何度か潜ったことあるよ。空間のノイズを検知して潜ってみたら、北欧にあるおもちゃ工場だったって感じね。子供は想像力が豊かだから、才能のある子は一人でも重奏を作り上げる」
なるほど、重奏は時に人の思いが生み出すもの。サンタクロースのおもちゃ工場なんかはうってつけの「題材」だろう。
「それにまだ決まったわけじゃないから、単に酔っ払って寝てるだけのおじさんって可能性もある」
どうも先生は夢がないというか現実的というか、メイドさんだってファンタジー度で言えば似たようなものだと思うけど。
先生は箱型端末をサンタクロースにかざす、箱の中には骨や内臓が透過され、何やら分析しているようだ。
あまり見たくない光景だな、サンタの骨。
「骨や内臓に損傷はなし、病気の兆候も見えない、おそらく空腹と脱水症状で倒れてる。食べ物と水を用意しよう。桜姫、テーブル」
「まいど!」
その掛け声で正しいのかどうか分からないが、桜姫はエプロンの下から板状のものを取り出す。
先生は板から細いスチールの棒を引き出し、組み立てるとキャンプ用の細身のテーブルになった。
さらに料理と飲み物。桜姫がその場でぐるぐると回転すると、何回目かで両手に銀のトレイが生まれる。上にはサンドイッチとジュースが。
サンドイッチには赤茶色なものが挟み込んである。匂いからしてデミグラスソースつきのハンバーグだ。
それで飲み物はなんだこれ、見事なまでに深い赤、ザクロのジュースだろうか。謎のチョイスだ。
「桜姫の好物なんですか?」
「さー? 重奏の原理で出してるんだけど、何が出てくるか結構ランダムなんだよね。まあ毒だとか、食べられないものは出てこないから」
「割とアバウ」
ト、と言おうとしたら突き飛ばされた。体幹を鍛えてなければ転んでいた。
サンタが急に動いたのだ。夢中になってサンドイッチとジュースに食らいついている。
「むっ、ふぐ、ほぐぐ」
「あの、落ち着いて食べて」
「ほごっ」
と、急に硬直。頬を膨らませたままうるうると泣き出す。
「な、何ということをするんじゃ君たちは……食べ物に対する冒涜じゃあ……」
「ど、どうしたんですか?」
「ハンバーグに対して……パンが少なすぎる……肉汁を受け止めきれておらん……」
「がまんして食えよ」
※
さらに桜姫がいくつか料理を出して、サンタクロースは何やらぶつぶつ言いながらも完食。恰幅のいいお腹のせいかさすがによく食べる。ここはゴミ集積所なのに全然気にしてなかった。
「いやあっはっは、世話になってしまったのう。クリスマス以外は身を隠さねはならぬから、食べ物も手に入らぬでのう」
散らばっていた皿やらコップやらは桜姫がエプロンのポケットに入れていく。不思議なものでどれだけ放り込んでもまだ入る。なんか本当にドラえもんじみてきた。
「ええと、それであなたはサンタクロースなんですか?」
「ほっほっほ、そのとおり、世界中の子供におもちゃを配る老人じゃよ」
ヒゲを撫でながら言う。なぜか満腹になるとヒゲもふっくらしてきた。亜久里先生は組み立て式の椅子に座ったまま問う。
「なぜこんな場所に?」
「ううむ、おそろしいことじゃよ。わしのおもちゃ工場が襲われたのじゃ。あやういところじゃったが、ブラウニーたちがわしを逃がしてくれたのじゃ」
ブラウニーというのは民間伝承に伝わる家の精霊、古い家に住みつき、家人がいない間に家の掃除や家畜の世話をして、その代わりに食べ物をくすねていくとも言われる。
それがサンタクロース伝説と合体し、サンタの弟子としておもちゃを作っていたり、年長のブラウニーがやがてサンタになるとも言われる、まあそのへんの世界観なのか。
「襲われたというと、強盗か何かに?」
「どんな者かはわからんのう。だが不思議なのじゃ。わしのおもちゃ工場は子供の心に守られておる。誰しもの中にある子供の心じゃ。それがあるかぎり工場の中で悪さはできないはずなのじゃ」
先生は頬杖をつきながら割って入る。
「なんか抽象的な話だなあ。子供の心を忘れちゃった悲しい強盗じゃないの」
「そうかもしれんのう。ただブラウニーたちの話じゃと、人の姿をしていながら人形であったと、そう言うておったのう」
――沈黙。
先生の気配が変わったのが分かった。
それはロボットのことだろうか。多くの重奏を渡り歩き、美術品や価値あるものを集めているロボット、橘姫。
「サンタさん、確認なんだけど、あなたのおもちゃ工場って寒い土地にあって、妖精たちがおもちゃを作ってるやつだよね」
「うむ、とても寒くて暗い地にあるのじゃよ」
「桜姫、おいで」
桜姫はとてとてと歩いてきて、先生がエプロンをまくりあげて頭にかぶり、おなかのあたりで何か調整している。
「サンタクロースの元ネタは1700年頃の聖ニコラウス。煙突から忍び込んでおもちゃを配るというのは、1822年に神学校の教授が書いた詩だと言われてるのね。そのぐらいの時代の情報をダウンロードしとこう」
そうか過去の世界である可能性もあるのか。この前の侍と忍者の世界のように。
「武装は大丈夫ですか」
「桜姫はかなりの火力を得てるよ。こないだの修羅との戦いでは見せきれなかったけど、敵が橘姫なら今度こそ機能停止させる」
「ほっほう、悪者を退治するのを手伝ってくれるのかのう?」
「うん、あなたの橇で行けるのかな? 桜姫は飛ぶこともできるけど」
「おもちゃ工場は遠いからのう。橇でなければ何ヶ月もかかってしまうぞ」
おもちゃ工場って確かフィンランドだろ、何ヶ月は大げさな。
電話が。
着信音は専用に設定してある、姫騎士さんだ。僕は秒でスマホを取り出して電話に出る。
「はい姫騎士さん、どうしたの」
「君ってなんかヒモみたい……」
亜久里先生のつぶやきを後方に蹴り飛ばし、電話に集中。
「昼中さん、もしかして今、奇妙な誰かと出会いましたか?」
「うん、出会ったよ」
「そうですか……いま西都が大きな……本当に途方もなく大きな世界と触れ合っています」
「大きな……確かに有名人だけど」
「規模と完成度の両方とも、これまでのどの世界と比べても桁違いです。何百億人もが同じものをイメージできている世界です」
何百億人……まあサンタクロースならそのぐらい行くだろうか。
ん、待てよ、サンタクロースといえば世界中の子供におもちゃを配る仕事がある。言いようによってはこの人もまた「眠らざる者」だろうか。
それはさすがに飛躍させすぎな気もするが、姫騎士さんが電話してくるほどの事態だ、僕も気を引き締める。
「何か注意すべきことはある?」
「よく分からないんです。その世界自体は、とても安定しているのですが……」
サンタクロースの玩具工場、確かにそこはあらゆる妄想の中でも指折りにメジャーどころだろう。
ではなぜ姫騎士さんは連絡を?
「姫騎士さん……行くなと言うなら行かないけど」
「いえ、なぜでしょう、何か言い知れない不安が……でも何が危ういのかよく分からないんです。悪いことではないような気もするのですけど」
姫騎士さんでも測りかねている。それほどの世界なのか。
「昼中さん、やはり私も行ったほうがいいんでしょうか、でも、行かないほうがいいような気も……」
「……うーん」
「ねえ昼中くん」
僕の背中に亜久里先生の声がかかる。
「別についてこなくてもいいよ。橘姫がいたとしても私と桜姫で戦えるから」
「でも先生……」
どうする、姫騎士さんについてきてもらうべきか。
姫騎士さんに甘えたくはないけど、拒絶したくもない。それとも黒架に声を掛けるか?
ああ、これだ。
また岐路に立っている。
僕の周囲の人間はみんな僕より強くて、優れていて、彼らだけの物語を生きているのに、僕はその中で選択している。僕の視点で見れば僕が世界を選んでいるようにも見える。そんなはずはないのに。
「先生、確か桜姫は重奏を隔てて遠隔操作できるんですよね」
「多少はね」
「もしもし姫騎士さん、何かあったら桜姫を通じて連絡を試みる。合図が届いたら来てくれるかな」
「分かりました、気をつけておきます」
このぐらいが妥協点だろう。亜久里先生の方は姫騎士さんに頼る気はないらしく、とっとと橇に乗り込んでサンタクロースの後ろについている。座ってはおらず、腰を浮かせてサンタの肩に捕まる構え、早く出発したい気持ちを示していた。僕はそのさらに後ろに。橇は定員いっぱいなので先生の腰にしがみつく形になるけど、これは不可抗力だ、たぶん。
ちなみに桜姫はサンタの腹の上に乗っていた。ヒゲをもしゃもしゃと食べようとしてる。なんでだろう。
「いきましょう」
「ホホウ、ハイホー!」
「はいほー!」
サンタが手綱を振るえば、トナカイと橇が真上に打ち上がる。
「のわっぐっ!?」
とてつもないGが全身にかかる。首が押しつぶされてまぶたが下に引っ張られる。内臓が全部下がって体は鉛のように重い。
「うぐっ……桜姫! 対慣性モーメント!」
「おまかせ!」
桜姫の体から低い駆動音がして、内臓が一気に膨らむ感覚。肺が空気を取り込む。
「……もう高度6000、7000、気圧は下がらないな、与圧されてるのか」
「せ、先生、なんで橇が上に」
「たぶん空気抵抗を無くすために上空12000程度まで……ああ、高度測定は気圧じゃないよ、衛星とリンクして三次元的な位置を計測してる」
そうか高度計は気圧の変化を計測するんだった。別にそんなことは気にしてないけど。
橇は上昇を続けている。先生が構える箱型端末の数値が目まぐるしく動く。5万、9万、18万メートル。
「どこまで上がるんですか、これ……」
「うーん……国際宇宙ステーションの周回軌道が高度408キロでしょ、もう300キロを超えてる、まださらに上に……」
大気はゼロに限りなく近づく。満天の星の中で地球と太陽が見えている。
いや、何かおかしい。
この夜空……点ではなく線が見える。高度を増すごとに、宇宙に張り巡らされた網の目が見えるのだ。
それはレースのヴェールのように地球を覆う網。
「桜姫、あの構造体を望遠表示」
「ぼうえん!」
桜姫の目が光り、宙に投影される映像。
レールだ。白銀のレールが地球を覆うように張り巡らされている。色は白く、枕木を渡されている。
「ほっほっほ、あのレールを滑って世界中にプレゼントを届けるのじゃよ」
「あなた本当にサンタクロースなの、こんな規模の重奏なんて……」
そして見えてきた、宇宙に浮かぶ威容。
一見すれば巨大なリングだ。だが近づくに連れ、それが円形をしたビルだと分かる。ワンフロアの大きさは野球場ほど、それが数千階層ある。そんなビルを巨人の手がねじまげ、ドーナツ型にされた姿。
宇宙ステーションなどという言い方も生ぬるい大きさ。そして周囲にはレーザー砲で武装した攻撃型衛星の残骸が。
「どうなってるのこれ……サンタクロースって感じじゃ全然ないんだけど……」
先生は困惑している。それはそうだ。人の心が重奏を生み出すとすれば、この世界は常識を外れすぎている。こんな世界観のサンタクロースは聞いたことがない。SF小説か何かではありそうだけど……。
……SF?
「サンタクロース!」
「ほっほう、何かのう、お若いかた」
「あんた何年から決た?」
「ほっほう、西暦で言うなら2700年というところかのう」
何だって。そうか。
「先生、このサンタは未来から来たんです」
「未来? そういう重奏ってこと?」
「いいえ、この重奏自体が未来に生まれたんです。700年後の遠い未来、サンタクロースの世界観が変化し、宇宙に基地を持つ存在に変わった。そこから過去に逃げてきたんです。未来に生まれたものが現在に影響している」
「そんな、無茶苦茶な……」
そして橇は飛翔する。
巨大なドーナツ型のビル、サンタクロースのおもちゃ工場に向かって。




