第七十話
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夏休みが終わって新学期初日、姫騎士さんは全校生徒の前で表彰を受けた。
全国大会を2連覇したことが一つ、イベントなどで地域に貢献してることが一つ。剣道部は中途入部などで部員も増えてるそうだし、姫騎士さんは忙しい日々が続きそうだ。
僕と黒架は毎日一緒に帰る。黒架は人気者で、遊びの誘いも多いらしいが、すべて断ってるそうだ。
「昼中っちとゲームしてる方が楽しいっすよ」
との言葉。僕たちは黒架の住んでるアパートでゲームに興じたり、たまにはゲームセンターに遊びに行く。黒架もすっかり地元の有名人になってしまって、町ではやたら声をかけられる。隣りにいる僕は鼻が高いようでもあるし、肩身が狭いようでもある。というか僕が彼氏ということは周囲に認知されてるのだろうか。どうも黒架の印象の強さで消えてる気がする。
「黒架、もう少し涼しくなったらデートに行かないか」
そのように切り出す。まだ残暑の厳しい季節。黒架はつばの広い帽子の下で首を傾げる。
「ほえ? いつもやってるっすよ」
「そうじゃなくて、もっとちゃんとしたデート。一日ちゃんとプランニングして、普段よりいいもの食べて、記憶に色濃く残るようなやつ」
「……うん、いいっすね、行くっすよ」
黒架は僕の腕を取って身を寄せる。背の高い黒架だから頬を寄せ合うような形になる。わずかに体温の低い黒架の肌、秋の訪れをそんな所で感じる。
「姫騎士さんのことがあるから、西都からあまり離れられないけど」
「いざとなったら飛んで戻るっす。飛び方も練習してて、本気で飛べば戦闘機なみの速度っすよ。県内ならどこでも10分で戻れるっす」
「そうか、じゃあ高速バスで都会にも行けるな」
警戒すべきことは多い。
姫騎士さんに明確な敵ができた。あの魔法使いはきっとまた手を出してくるだろう。用心しておかないと。
そして姫騎士さんは必ず守る。それは悪意の手からという意味でもあり、姫騎士さんの望まない運命からという意味でもある。
僕は先日のことを思い出していた。
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西都病院の院長室にて、僕は語る。
「姫騎士さんはそれになんか成りたくないんだ。自分の知らない自分に変わりたくないと恐れている」
「そうなんだ。超然としてる子だから、そのへん読みにくくてね。あなたには本意を見せたの?」
僕はどう答えたものかと考えるが、ありのまま告げる。
「そうだ。僕にだけは本心を見せてくれた」
「ふうん」
僕の思惑と、ミネギシの思惑は実はさほど遠くない。
もし「当代」が今のまま存続するなら、あるいはそれが最善なのかも知れない。軽く千年は長らえると言うなら、後継者ぐらいまた生まれるだろう。望んでいない姫騎士さんが選ばれる道理はない。
「教えてくれ、姫騎士さんは本当にそれなのか?」
「どこかに魔王を倒す聖剣があったとする。岩に刺さっていて、選ばれし勇者にしか抜けないと言われていた」
妙なたとえ話に眉をひそめるが、止めはしない。
「聖剣には魔力だか遺伝子だかで勇者を判別する仕組みがあった。しかしある時、とてつもない怪力の持ち主がやってきて、剣を強引に抜いてしまった。じゃあ、この剣を抜いた男は勇者になれるかしら? 魔王を倒せる?」
「それは……どうだろう。想定していた人選ではないから、難しいかもしれない」
「私が思うに、姫騎士さんはそういう存在」
針金の人形……いちど切断されたのをつなぎ直したから不格好だが、それは指を振るような仕草のあとに言う。
「あれは求めに応じて生まれたものとは違う。言わば野生の怪物。でも神様とは言えない。たとえ今の数百倍の力があっても言えない」
「なぜ?」
「中途半端だから。「なったり」「ならなかったり」する可能性を抱えている。そんな不安定な存在が君臨者のはずがない」
「……」
「昼中くん、宇宙の寿命って分かる?」
唐突にそんなことを言う。
「分からない」
「素直なこと。基準にもよるけど現在の宇宙の姿を維持し続けるのが1400億年。すべての原子が陽子崩壊を起こして消えてしまうのが10の33乗年。つまり最低でも1000億年は持つ」
「それがどうしたんだ?」
「でも、宇宙の発生時の条件によってはもっと短かった可能性もある。生まれた直後にすべての物質が凝縮してブラックホール化する。あるいは物質が希薄すぎてほとんど何も形成されない。次の創造者はどんな宇宙を作るのかしら」
それは……。
「任せるのが不安だと言いたいのか」
「とても任せられない。あなたも何度か見てきたんじゃないの。顕現させたら3日も持たないような不安定な世界を」
こいつの言葉は胃にちくちくと響く。
理解している。姫騎士さんはどんな世界でも生み出す。生み出して安定化させる。
しかし、すでに存在してる世界に入り込むならともかく、新しく生み出す世界には崩壊と紙一重なものもあった。地球をまるごとくり抜くような兵器。すべてを溶かして流体に変える蛇の怪物。
「もうわかった……それで、代替わりを阻止できるとしたらどんな手段がある」
「分からない」
がく、とつんのめる。
「おい」
「私も修羅に埋め込んだ術式を通して見ていた。霧街道では失敗したのよ。本来なら修羅だけで完封できるはずだった。あの鎖だって相当なシロモノ。あなたたちが破壊できたことも誤算」
「ようするに姫騎士さんと僕たちの力を読み違えたんだろう」
「私は万全の準備をしていた」
ミネギシは声に忌々しそうな響きを乗せる。こいつは失敗とか敗北が大嫌いなのかな、とうっすらと思った。
「本体の万分の一の力とは言え、修羅に勝ったのは信じられない」
「姫騎士さんは、ただ何でも溶かす蛇を呼んだだけだぞ、強いのはあの蛇だろ」
「そんなものは本来ありえない。ありえないものを呼んでいる」
……。
「物理法則の超越。概念の破壊。そんな怪物をやすやすと使役する。これは漫画の作者とかに近い。絶対に何も通さないバリヤーを、それを突き通す槍を新たに生み出して破壊する感覚。でもそれはたいへんに危うい」
「魔法だって似たようなもんだろ」
「それは魔法という呼び方が人間の最大値だから。人間は物理法則を超えた事象に対して、魔法以上の言葉を知らないだけ」
「……」
どうすれば姫騎士さんは止まるのか。その力を消せるのか。普通の人間に戻れるのか。
いつかは眠れるのか。
そんな手段が果たして存在するのか。存在するとして、姫騎士さんは見た瞬間にそれを超越するのではないか。
疑問ばかりが募り、答えは一つも見つからない。そんな日々がずっと続いている。
「どうすれば……」
「だから最初から言ってるでしょう」
え? と聞き返す。話が飛んだような感覚がある。
「吸血鬼のお姫様だけを守りなさい。、西都を離れてもいい。あなた吸血鬼の眷族になるんでしょ。もう高校とかこだわらなくてもいいじゃない」
「西都を離れて、姫騎士さんはどうなるんだ……」
「逆に聞くけどどうにかできると思ってるの? もうそんな段階はとっくに過ぎてる。あなたが幸せになるかだけの問題でしょ。分相応を守りなさい……さて、ちょっと話し疲れたわ。術で話すのも疲れるのよ。舌がしびれてきたわ」
気だるい女子のような声で言う。
「待て、まだちょっかいを出すつもりか? 修羅の中にいた少年をまた利用するのか」
「そうね、今度はもうすこし念入りに準備するわ」
かたん、と針金の人形が倒れる。
僕はなんとなくその針金をバラバラにして、ゴミ箱に入れておいた。
何も進展していない。ただ姫騎士さんの巨大さを認識しただけだ。
それは見上げ入道に似ている。見上げれば見上げるほど大きくなって、やがて見上げている者を踏み潰す。
「……どうすれば」
※
「昼中っち、考えごとっすか?」
腕を引かれる。
一瞬、ここがどこかを考える。西都の商店街のようだ。そうだ、確か黒架の家でゲームをしようとしたけど、新しいゲームが欲しいとのことで、ゲームショップのある西都の電気店に行こうとして。
「……なんでたこ焼き食べてるんだっけ」
「私が買いたいって言ったからっすよ」
ここはコンビニのイートインだ。窓の外には観光客なども歩いていて、黒架の金髪をちらちらと見ている。
黒架は楊枝に指したたこ焼きをこっちに近づける。僕は大口を開けて、まだ熱いそれを頬張る。空気を逃がして冷ましながら噛みしめる。
「タワーに行きたいっす」
「タワー?」
「百浜にある臨海タワー、夜景が綺麗らしいっすよ」
そうかタワーか、同じ県内とは言え高速バスで1時間の道のりだ。心理的には一泊してもいいぐらいの旅行だな。
「じゃあ行こうか。夜景を見てこよう」
「うーでも、泊まりはさすがに」
「帰りは黒架の翼で帰ってこよう。深夜の空を飛ぶのも楽しそうだ」
「あ、いいっすね!」
はあ、と黒架は息をつく。
「うへへ、じゃあちょっと贅沢するっすか。ホテルでディナーとか、観覧車に乗るとか」
「いいよ、どこでも付き合う」
「嬉しいっす」
ふと、手を伸ばされる。カウンターテーブルに差し出される黒架の白い手。僕はその手を握る。指先を絡めて。
「……でも、姫騎士さんも心配っすね、何かあったら」
「大丈夫だろう、この町にはソワレもいるし、いざとなったら翼を使って戻れるんだろう?」
「その……姫騎士さんも誘って、三人で行ってもいいっすよ。私も、姫騎士さんと遊びたい、し」
「姫騎士さんは誘わない」
黒架がぼんやりと僕を見ている。わずかに潤むような瞳は黒架の眼が大きいからか。
「黒架と二人きりで過ごしたい。姫騎士さんは僕たちよりずっと強いし、大丈夫だよ」
「うん……そうっすね」
僕たちはコンビニを出て、連れだって歩き出す。黒架が腕を組んで体を寄せる。
「じゃあ、10月の最初の日曜にするっすか」
「そうだな、楽しみにしてるよ」
僕は朗らかな笑みで言う。
そこにけして演技はない。黒架もまた微笑み返して、アパートの前で別れる。
「10月か、寒くなるだろうし、服でも買っておくかな」
今日の流れに、嘘はなかっただろうか。
不自然さは無かっただろうか。
何もない、黒架への言葉はすべて本心だ。
だけどやはり、すべて偽りでもある。
黒架の眷族になるという事は、姫騎士さんとの完全なる別離を意味する。
姫騎士さんの求めに答えることは、黒架への裏切りになる。
それはどちらも、僕にとって死に等しい苦痛。
僕のやることに誠実なことなど一つもなく、それでいて偽りの心も無いのだ。どちらも選べない、どちらとも決めかねている。
「姫騎士さん……」
つぶやく、その一言に無限の罪が詰まっている。
どちらかを、選ぶなんて。
「……選ぶ?」
ふと、立ち止まる。
西都を囲む山を遠く見る。吹き降ろす秋風を感じる。ほとんど意識もしなくなっている硫黄の匂い。人のざわめき。歴史ある西都の街を感じる。
選ぶ。
選ぶ。
そうだ、僕は選ぶことができる。
信じがたいことだが、僕よりもはるかに高位の存在だと思えるあの二人が僕を好きだと言ってくれた。
もし、どちらかを選んだら、その先で世界はどう変わるのか?
「世界の滅び」という予言。それはもう誰にもどうにもできない、なるようにしかならない天変地異かもしれない。
でも少なくとも、僕の主観において、僕がどちらを選ぶかによって、世界は一変するのだ。劇的に分岐してしまうのだ。
あるいは、そうだ、あるいは。
これは、僕が姫騎士さんをどうにかするという物語ではないのか。
僕が姫騎士さんと黒架のどちらを選ぶか、それが唯一にして最大の分かれ道。少なくとも僕の見る世界において、その選択はまったく違う結果をもたらす。そんな気がする。
だが、僕にそんなことが可能なのか。
この身が二つに裂けても選びきれない無理難題なのに。
身に余る幸福も、終わりなき苦悩も、僕にはあまりにも耐えがたく――。




