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姫騎士さんは眠りたい  作者: MUMU
第八章 名もなき修羅と姫騎士さん
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第六十九話



「倒した……のかな?」


修羅はぼろ切れになった黒装束だけの姿で倒れている。もはや鎖はひとかけらも残ってない。


「固体相を奪う液体かあ、超臨界みたいなものかな。それとも原子間の引力を無効化する液体なのかな、興味深いなあ」


桜姫の姿をした先生は液体に夢中のようだ。サンプルを採取しようとしているが、あの水は持っていけないだろうな。


「う……」


修羅が起き上がる。その体から腐食した布が剥がれ落ちて裸体になる。精悍な青年の体だが、あらゆる古傷に覆われている。

しかし何てタフさなんだ、全身がマイナス百度以上に凍てついたはずなのに、気絶もせずすぐに立つとは。


「あなたは……」


姫騎士さんが正対する。

妖怪や怪物を討つことだけに執着する無敵の修羅、すべての武器を失っても油断はできない。


「私は、すべての存在を奪われたからむくろ


訥々とつとつと、独り言のようにつぶやく。


「私は大いなる龍から剥がれ落ちた一枚の鱗、私は西から東に届く大木から落ちた一枚の葉、私は万象を記述する辞書から落ちた文字のかけら、私は石塊いしくれの雛形、私は形なきものの断片、私は一度きりの虫のささやき」


何だか安定しない。何かを語るというより、何かを探しているような言葉だ。

ひとしきりつぶやいた後に、ふと姫騎士さんを見る。


「あなたは、眠らざる者か」


! なぜ、修羅がその言葉を。


「……わかりません」


姫騎士さんはためらいがちに答える。


「私は眠ったことがないだけです。これから眠るのかも知れません」

「あなたは起きながら夢を見るか」

「矛盾しています。夢とは眠っている間に見るもの」

「あなたの思索と現実は常に等しい・・・・・か」


奇妙な会話だ、二人しか分からない符号をやり取りしているようでもあるし、機械のように一方通行な問いかけにも見える。


「わが身はとらわれの龍である」


語る前で、修羅の形象が崩れていく。肉は垂れ下がり、体毛はどろりと流れていく。


いや、違う、修羅の中に何かが。

人間がいる、少年のような、小柄な。


美しい顔立ち、染みひとつない白い肌、そしてかすかに笑うようなアルカイックな表情。


落下の感覚。


「うわっ……」


落ちていく、いや、落下ではなく世界が拡大・・している。僕たちは球体の中にいて、その球体は凄まじく大きい、天体に近いほどに。


「我が身はすべての物事の雛形である」


「我が夢は全ての詩情の最果てである」


「我が指先は滅びをしめす矛先である」


球体の内側はなにかの回路に思える。幾何学模様が走行している。円と直線、人影のようなシルエット、不可思議な文字、複層的に刻まれる文様。


もしかしてこれは曼荼羅まんだらだろうか。とてつもなく規模が大きい。もし人力で描けば果てしない年月がかかるほどの。


桜姫と僕は棒立ちである。

あるいは宙に浮いているのか、何も能動的な行動が取れない。この世界の名前が脳裏に浮かぶが、それは百万字でも足りないほど長く、とても意識できない。


「どうか、私を眠らせてくれ」


そしてすべてが溶け消えて。

吹き付ける風に気付く、僕たちは天守閣の屋根にいた。


「皆の者、無事であったか!」


屋根の上を走ってくる影がある、藤十郎さんだ。


「皆さん、目を閉じて」


姫騎士さんが言い、僕は命じられるままに目を閉じて。


「帰る時間です」


そして急に世界に音が増える。大勢の人の話し声と、行き交う足音だ。

目を開ければ、そこは富前霧街道。葉隠の国に比べればチープな江戸の街並み、行きかう着物姿のスタッフ、普通に観光客もいる。僕たちは団子屋の前に集まっている。


「はれ?」


黒架もいた。さすが姫騎士さん、重奏アンサンブルに散らばっていた僕たちを一瞬で集めたか。


「あ、姫騎士さん、戻ってきたということは解決したっすか?」

「はい、修羅は消えました。あとはあちらの世界に任せましょう」

「ねえ姫騎士さん」


亜久里先生の声だ、桜姫が割って入る。僕たちは全員で道の端に移動。


「姫騎士さん、あいつは何者だったんだろう、修羅じゃないよね」

「あの方は、おそらく神様です」


神様……。


ついに、その名前が出てしまったという感覚。やはり姫騎士さんの力はそこに行き着くのか。逃れがたい運命なのか。

しかし神と言ってもいろいろある、唯一神もあれば八百万もいる中の一人だったりもするだろう。


「正確に言えば神様と呼ばれる存在の力のかけら、大河の一滴のような、この世界に現れるための端末のようなものです。修羅という存在に植え付けられていました。その上で鎖で操られていたようです」

「ふーむ、つまり重奏アンサンブルの中の怪物を強化できるのか、それはやっかいな存在だね……」


……つまり、修羅という存在を強化していたのは、あの少年のような中身だったのか。

ではあの鎖は、武器や防具であると同時に神様を操る手綱でもあるのか。


誰がそんなことを、決まっている、あの魔法使いの女だ。


「黒架、そっちはどうだった、魔法使いの女と戦ってたんだろ」

「なかなか強かったっす。魔法使いというよりたぶん幻獣使い、高位の霊体を操るタイプの術者っすね。なんだか本気で戦う気がないみたいで、防戦一方だったっすよ」


そうか……。


「あいつは何だったんすかね」

「たぶん、修羅を使って姫騎士さんを捕獲しようとしてたんだ、でも失敗した」


実際、かなり危なかった、姫騎士さんに手傷を負わせるところまで行ったのだから。


「ともかく西都に戻ろう、人は戻ってるみたいだけど、バスは動いてるかな」


「おい」


と、現れるのは白髪の男。詰め襟のシャツとカーキ色のズボンという姿のソワレだ。


あ、やばい。


ソワレはつかつかと歩いてきて、いきなり僕をぶん殴る。


「あっ! 何するっすか!」


と、黒架が倒れた僕に駆け寄り、頭を抱えあげる。


「このガキ、うちの店で集団食中毒が出たと保健所に通報した!」

「えっ」


ごん、と僕の頭を落っことす。


「メッセージだよ、来てもらう必要があったから」


頭を押さえつつ立ち上がる。


ひねくれ者のこいつのことだ。普通に呼んだのでは来ない可能性がある。だから僕をぶん殴りたくなるような電話をかけた。まあ少し遅かったが。


「昼中! お前は私のことをひねくれ者だと思ってるだろ! お前のほうが大概ひどいからな!」

「それはそうかもっす」


黒架そこはかばって欲しい。


「まあ何でもいいじゃないか。ソワレ、車で来てるんだろ、みんなを送ってくれ」

「ええい、仕方ない、だが車は四人乗りだぞ」


姫騎士さん絡みだと割と要求が通る、ソワレに関するトリセツである。


ええと、となると乗るのはソワレと……。姫騎士さんと、黒架と僕と、桜姫か。


「桜姫は後部トランク……はかわいそうか」

「いいよ、桜姫は自分で帰れるから、じゃあまたね」


先生の声で言い、桜姫はとてとて走ってどこかへ行ってしまう。


「じゃあこれで4人っす、早く帰るっす」

「……? 吸血鬼の姫君、君も乗るのか?」

「はれ? 送ってくれるんすよね?」

「まあ、そうだが」


ソワレは少し小首を傾げつつ、霧街道の出口へ向けて歩き出す。

さて、どうやら今回の騒動も決着のようだ。


あと一件だけ、用件を片付ければ。





どこにでもあるような市民病院の四階。


何の変哲もないドアがある。ドアノブ側の隙間をよく見れば、側面にかんぬきが見えている。


じゃかっ、とナイフが突き入れられる。太さ2センチの閂をあっさり斬り裂き、ドアを蹴り開けるのはソワレ。


灰色の装束に布を巻いて顔を隠した姿、こいつの戦闘スタイルだ。僕はその後に続く。


「いないな」


ここは西都病院の院長室。最近経営者が変わったと聞いていたが、その院長があの魔法使いだった。


だがいない。執務机の上には書類が散らばり、応接用の椅子には脱ぎ捨てられた服が散らばっている。なぜか下着の上下もある。


ソワレはその下着を手に取る。


「脱ぎ捨てられたばかりだ、我々の接近を察知して逃げたか」


着替える必要があったのだろうか。それとも魔女は裸がユニフォームとかそんなノリなのだろうか。


「なんで下着まで脱いだんだろう?」

「ありそうなのは人間形態以外に化けるという場合だ。高位の術師に稀にそういうのが居る。吸血鬼の姫が言うには幻獣使いとのことだったが、使役する幻獣が化学繊維を嫌う場合もある」

「単なる露出好きの可能性もあるのか?」

「ある。術師は精神が振り切ってるものだ。裸を晒すという背徳を魔力の根源にしているやつもいる」


うーむなるほど、奥が深い。


一例として推測すると、やつは急ぎ富前霧街道に来る必要があって、何か人間ではない姿に変身した。だから裸だった。

まあ説明はつくけど、単にケレンを利かせたかった、という方が正解かも知れない。


僕とソワレは西都に戻ると、すぐさま魔法使いを追跡した。


やはりと言うべきかソワレの情報網は鋭く、翌日には西都に渡った魔法使いの情報をもたらした。


名はミネギシ。


高位の幻獣使いとして知られているが、ここ数年はまったくの音信不通状態だった、死んだと思われていたらしい。


日系人なのかも不明、魔法使いとしての経歴も不明、実年齢は術師にはあまり意味を持たないらしいが、それも不明である。


やつは自宅やホテルなどは持たず、病院にある私室で寝泊まりしていたらしい。それでこうやって乗り込んだわけだが。


「失礼ね」


声がする。ソワレは腰に吊ったナイフを抜きかけたが、すぐに手を収めた。


話しているのは人形である。ねじった針金で編まれて、布切れで頭部と手足を作られた簡素な人形。

執務机の上にあったそれが、動きだして声を発している。


「人を露出狂みたいに」

「実際そうだろ。いくら身分がバレたくないからって、裸で僕の前に現れるのはイカれてる」


どこかで遠隔操作しているのか、あるいは僕たちを目視できる位置にいるのか、僕は窓に寄って周囲の建物に目を凝らす。


「しかも素性もすぐにバレてる」

「必要な措置を取っただけよ。あの場合は脱ぐ必然性があった。そしてバレたときの用意はすでに済ませていた」

「そんなことはどうでもいい」


ソワレが言い、針金人形のそばにナイフを突き立てる。


「ミネギシ、姫騎士どのから手を引け、手を出すなら西方の静謐せいひつなる炎で焼かれ続けることになる」

「あら怖いこと、何が怖いって、ロートルが不器用な脅しをかけてくることね」

「西方魔法協会を敵に回す気か」

「あなた達、姫騎士さんのことどれだけ知ってるって言うの?」


話をそらす気か。

もう説得など諦めて、見つけ出す方向で取り組んだほうがいい気もするが、ソワレはもうすこし会話する気のようだ。


「天の御座を継ぐもの」


ソワレはそのように表現する。


この世界には神がいて、それは眠りを欲している。

空白となる天の御座を埋めるため、姫騎士さんが選ばれる、と……。


「私の考えは違う」


針金人形はぎしぎしと音を立てつつ、椅子に座るポーズになる。別に椅子はない、どこかにいる本体の動きをトレースしてるように見えた。


「姫騎士さんがその器だとしても、代替わりなどするべきではない。世界は今の状態で安定している。私が捕獲しているあれ・・も、あと千年は余裕で生き続けるでしょう」

「世継ぎをさせぬ気か」

「させてどうなるの。人生など生まれ落ちて死ぬまでの寸劇。人の寿命を超える範囲で世界を考えるなどそれこそ不遜。私は姫騎士さんを捕らえてその力を奪う。そして私自身の幸福のために「消費」する。不用意な代替わりなど危険そのもの。姫騎士さんは私が消費するべきなの、それが世界の安寧」

「お前ごときに何ができる」

「実際にできてる。修羅の中身は私の手にあり、姫騎士さんを捕らえる術式もある。それに、私に言わせればあなたたちは誤解している。姫騎士さんとは超越者ではなく」


ばきん、と針金人形が断ち切られる。ソワレは憤慨した様子で息を吐いた。


「魔法使い風情が吹き上がるものだ」

「ソワレ、やつは姫騎士さんと同格の何かを捕えてる」


あの少年、あれはまさに姫騎士さんと同格の存在。いや、力のひとかけらだけで同格だった。きっと想像もできない怪物だ。


やつが姫騎士さんを捕らえられるかはともかく、警戒はしなければならない。


「あの存在は危険だ、魔法使いがあいつの力を利用できるなら、姫騎士さんも危ない」

「つまり……「当代」を捕らえることに成功したと言うのか。とても信じられぬが、それだけ「当代」が弱まってるということか? それとも禁じられた術式に手を出したか、よほどの組織をバックにつけたか……。まあ警戒はしておこう」


ソワレが部屋を出ようとするので、僕はその背中に言う。


「僕はもう少し調べる」

「何もないと思うが、好きにしろ」


そしてソワレが去って。

僕は机の上にある針金のかけらをじっと見て。そっと手を伸ばす。人の形に組み直す。


「あら、チャンネルが繋がった」


針金が言う、一度斬られたためか、さっきより声が小さい。


「ミネギシ、お前に用がある」

「あら昼中くんね、何かしら」



「姫騎士さんを、それ・・にさせない方法はあるのか」



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