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姫騎士さんは眠りたい  作者: MUMU
第八章 名もなき修羅と姫騎士さん
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第六十七話





どこかで水滴が落ちている。


とても遠い、だかはっきりと聞こえる。神経はこの手の刀のように研ぎ澄まされている。

燭台にて灯芯のはぜるじりじりという音。どこかの牢で怪物が漏らす唸り声。せわしなく牢内を歩き回っている者もいる。感覚はどこまでも肥大していく。


「昼中くん……」


黒架が僕に体重を預ける。不安な声だ。黒架の体は人よりも冷たいと聞くが、今は火のように熱く思える。


「黒架、大丈夫か。落ち着いたか」

「うん……昼中くん。さっき修羅と戦ったときのあれは」

「大したことじゃない。背中に怪物を降ろす感覚だ。僕の中に潜んでいる怪物だよ」


這いずり回る巨人。僕にとっての不安のイメージであり、ずっと僕の中に巣食っていたもの。

皮肉なものだ、それが今は武器になっている。


「昼中くんは強いね……」


黒架は震えていた。牢の中は肌寒く思えるが、凍えるほどではない。震えは心理的なものだろう。僕は彼女の腰を引き寄せる。


「わ、私は、恐ろしかった。あの修羅は形容できない怪物。いえ、強さじゃないの。あの殺気が。皮膚を剥がされるようなざらついた殺気が怖かった。動けなかった」


金縛りにあったという程ではないが、少なくとも反応は遅れていた。実戦ではそれが命取りになる。

僕が見る限りは黒架のほうが強い。この僕にすら破壊できた鎖を、黒架の爪が斬れないはずはないのだ。


つまりこれは心の問題。妖怪を狩り、怪物をほふってきたという修羅の息吹。皮膚の奥に届くような殺気が黒架を戦慄させた。あと一歩の踏み込みを躊躇させた。


「大丈夫だ黒架。僕が戦う」


黒架を落ち着かせるためというより、世界にそれを事実として刻むかのように、はっきりと告げる。


「黒架は無理をするな。僕はもう戦える。怪物が相手なら僕が怪物になる。魔物が相手なら僕の中の魔物を引き出す」


――人間が相手なら。


決まっている。黒架のために何人でも殺す。


だがさすがにそれは言葉には出さない。黒架が悲しむことぐらいは分かる。


「怖いよ、昼中くん……」

「安心しろ、あの修羅はけして倒せない相手じゃない。別の世界に引き込む力を使うようだが、注意していれば」

「違うの」


ふいに、黒架が僕にすべての体重をかけ、僕は石の床に倒れる。黒架は僕の上で、僕の上着を握りしめてわななく。


「怖いのは修羅じゃないの。でも言葉にできない。言い表せない何かに押しつぶされそうになる。すごく高い場所で下を覗き込んだ時みたいな恐ろしさなの」

「僕が怖いのか? 黒架」


それは違う、という意思を示すためか、黒架が僕の口を塞ぐ。

闇がざわめく。どこかの牢からの甲高い叫び。鉄格子をかんかんと打ち鳴らす音。火の息がどこかの牢から吹き出し、周囲のいくつかの区画をあぶる。囃し立てているのか。


まあいい、勝手に騒いでろ。


僕は黒架と深く求め合い、繋がり合って、鼓動を一つに重ねようとする。


何分そうしていたのか、黒架は僕から顔を上げて言う。


「昼中っちが、怖いわけじゃないっすよ……。言葉にするのは難しいっす。でも、あえて言うなら不安定さ」

「不安定……」 

「分かってきたっす。吸血鬼は永遠という言葉に近づく。だから死を恐れる。変化を恐れる。昼中っちが別の何かに変わるのが怖い、変わることそれ自体が怖いっす……」

「……」


永遠の血族。


完全なる不死の体現者。


しかし人はそうではない。変わり続ける存在。大きく成長したり、また歪んだりもする。完全と非完全、それが吸血鬼とそれ以外を分ける国境線なのか。


黒架はおそらく吸血鬼としての完成に近づきつつある。近づくごとに彼女から変化という言葉が遠のき、変化を恐れるようになったのか。


つまり、僕が吸血鬼ではないから。

変わり続ける人間だから、とも言えるのか。


「……黒架、僕の血を吸うか?」

「え……」

「黒架とともに生きるなら、いずれは避けて通れないだろう? 僕の血を吸って、僕を眷属に変えるといい。そして僕も吸血鬼の階梯を登ろう。完全なるものに近づこう。二人で一緒に」

「昼中っち。それは人間じゃなくなるってことっすよ。分かってるっすか」


もちろん分かっているとも。

別にそこまでのリスクとも思わない。黒架は昼にも動けているし、ブラム・ストーカーの語る吸血鬼ほど弱点は多くない。吸血鬼はハンターに狙われることもないし、何より長大な寿命と強い力がある。


「……姫騎士さんと、一緒にいられなくなるかも、っすよ」

「姫騎士さんは黒架と普通に接してるだろう」

「眷属になったら」


黒架は僕の上着を引っ張りもろはだを脱がせ、少し筋肉のついてきた僕の肩口に、そっと口を這わせる。牙は立てていない。


「本当に私だけのものになるっす。もう裏切れない。裏切りなんて許されない。血と魂に私の名前を刻み込むっすよ。肉体と精神が私を求めてやまない。そして私も昼中っちに全幅の信頼を寄せる。武器とその使い手のように一蓮托生になるっす。それでいいっすか」

「いいとも」


まっすぐに黒架の眼を見て答える。ルビーの瞳、僕の魂もその色に燃え上がる。


自分でも不思議だ。

姫騎士さんを守ると、彼女の思いに答えると言った僕と、今の僕はどう重なるのだろう。


どちらも嘘ではない。どちらも心の底から大事に思っている。


僕はとんでもなく不誠実な男なのだろうか。それとも、どちらも拒めない僕の弱さの表れだろうか。


だがやはり、どちらも真実なのだ。


己をどれだけ掘り下げても、どちらかが偽りとは思えないのだ。


黒架は。


黒架は泣いていた。何かが悲しいのか、それとも喜ばしいのか。

彼女の涙を止めてあげたいのに、言葉がとっさに出てこない。


それはほんの数秒だった。黒架は涙をぬぐって、そして立ち上がる。


「今は吸わないっす。そもそも私は女王の娘。眷属を作るならちゃんと儀式をやるっすよ。七夜七晩の宴っす。それでみんなに認められて眷属になるっす」

「そうか……」


残念だ。


そう、残念。その最初に浮かんだ言葉を意識する。

もしも安堵したなら、血を吸われなくてほっとしていたなら、自分で自分の目玉でもえぐり出したかも知れない。


「とりあえずここを出るぞ。姫騎士さんと合流する。そろそろソワレも来る頃だ」

「はれ? ソワレが来るっすか?」

「いちおう呼んどいた。できれば来る前にカタをつけたいな。そしたら遅いぞって怒鳴って、帰りに何かおごらせよう」


あはは、と黒架は笑う。しばらくぶりに彼女の笑顔を見た気がした。


「少しは元気出たか?」

「うん、何だか百人力って気分っす」

「よし、じゃあ鉄格子を斬ればいいのかな」

「あ、私がやるっすよ」


黒架がすいと前に出る。

反応は即座に起きた。周囲に点在する牢の住人が騒ぎ出したのだ。


炎に雷、毒の瘴気。くろぐろとした気配も届く。僕たちを押し止める気配だ。常人なら気が触れてしまうほどの威圧。


だが怖くない。

こんな連中、あの修羅とは比較にならない。そして黒架とも。


「――錬金術アルキミアの王の遺訓。終わらざる夜。銀無垢の竜。灰溜まりのびん。火燐の惑星。妖精の扉。すべて黄金の循環に組み込むべし」


黒架の背から気配が立ちのぼる。それは魔力とか妖気とか言うものか。黒架の中に渦を巻いている力がある。渦は速度を増し、膨れ上がって充実していく。


斬圏ジアノウ


腕を振る。

そして見た。彼女の爪から放たれる無数の線のようなもの。

水面で手を動かすように世界に斬撃を撒いたと分かった。黒架の指先で鉄格子が紙のように、あるいは煙を払うようにちりぢりになる。それは一瞬で世界の端まで届く。


一瞬後、僕たちの他に誰もいない。

他の牢も、その中の住人も、最初からいなかったかのように溶け消えた。文明を滅ぼすほどの怪物たちは実在した気配すらない。彼らの威光のようなものすら消し去ったのか。あとはただ暗黒があり。その中で僕はまばたきをして。


ふと気がつけば畳の間。


周りには何人かの鎧武者がいて、僕たちにぎょっとした視線を投げる。


「修羅はどこっすか」


誰よりも早く黒架が言う。その一言だけで関係性の構築には十分だった。鎧武者たちは数歩下がり、中にはひざまずく者までいた。


「あ、薊葉あざみばの天守にいる。き、北だ。何かを追っていたと聞いたが……」

「了解っす!」


黒架が背中の翼を勢いよく展開。もちろんここは室内だが、僕は黒架の背に手をあてる。

一瞬後、脇の土壁が砂のように崩れ去って、それを認識した瞬間には僕らは宙にいて加速をかけていた。


「えーと北の天守っていうと、あれっすかね」


相変わらずとんでもない広さだ。電子基板のように複雑怪奇な石垣と渡り廊下の中で、北にぽつんと存在する天守が意識される。


と、そうだ、色々あって言うのが遅れていたが、あの変態のことを告げておかねば。


「黒架、さっき言いそびれてたんだが、実は魔法使いらしきやつと出会った」

「ほへ? 魔法使いっすか?」

「そうだ、若い……たぶん20代半ばぐらいの女だった。僕が見たのでは指先から風の刃みたいなものを出してきたな」


心当たりがあるか聞いてもいいが、あまり意味はないだろう。あいつの世界が黒架やソワレと重なっているとは限らない。


「外見の特徴とかは?」

「特徴というか……変態だった。頭に紙袋をかぶって全裸だったんだ」

「は……?」


そういう反応になるよな。そりゃな。


「たぶん身元がバレるのを嫌がってたんだ。外見もいじれるとか言ってたな。いちおう言っとくと身長は172ぐらい。体つきの印象だけなら日本人だ」


だからって全裸で出てくるのはあまりに不自然。きっとイレギュラーなことが起きて焦っていたのか。だから急いで服を脱ぎ、売店の紙袋をかぶって出てきたわけだ、冷静に考えるとおかしみが深い。


「……おっぱいは大きかったっすか」

「けっこうあった。85ぐらいかな」

「腰のくびれは」

「腹筋がそこそこ締まってて綺麗にくびれてうわっ!?」


いきなり力場を解除された。ほんの5分の1秒ほど。黒架の背中から落ちかける。


「昼中っちの浮気者」

「なんだよ怒るなよ。変態なんだよあいつは。というか僕はそいつに攻撃されて……」


急旋回。


黒架の力場の中ではGは軽減される。掴んでいたのが飛行機だったら腕がちぎれるほどの勢いで旋回。


だが今度のは僕への懲罰ではない。はっきりと見えた。緋色の線が。


「あいつっすか!」


今度はさすがに全裸ではない。どこかから調達してきたのか、濃い紫色の着物を着て浮いている。やはり紙袋はかぶっているが。


「あら生きてたの。癒やしのまじないでも仕込んでたのかしら。しぶとい子ね」


気だるそうな、面倒そうな声でそいつは言う。すでに高さは200メートルあまり。最も高い中央の天守すら見下ろす高さだ。強い風が吹きすさぶ中でそいつは言う。


「吸血鬼の娘さん、今ちょっと取り込み中なの、あとにしてくれるかしら」

「お前は何者っすか! 吸血鬼は魔術師ギルドや錬金術師アルキミストの主派にも通じてるっす! ことを構えるならただじゃ済まないっすよ!」

「姫騎士さんを狙ってる。それだけで答えは十分でしょ」


こいつは姫騎士さんを狙っている。

そして、口ぶりからしてこいつは姫騎士さんを利用できると言うのか? 確かに姫騎士さんの力を我が物にできるなら、ギルドやら派閥やらも関係なくなるのか。こいつがそれに所属してるとしてだが。


ぶおん、と。

黒架の爪が振り下ろされる。さっと身をかわす魔法使い。その眼下で何枚もの石垣がぶった斬られ、直線に沿って煙が上がる。


「こら黒架!」

「ちゃんと人がいないラインを狙ったっすよ! 今ちょっと気が立ってるっす! 昼中っちはそこにいて!」


ばん、と肩を叩かれる。すると体が黒架から引き剥がされ、大きく下降して天守の一つに落とされる。

エレベーターで降りる3倍ぐらいの速度だろうか。なんとか無事に着地。


「無茶するなよ、黒架……」


だが、それにしても修羅がまだ健在なのか。

あの牢に閉じ込められてた時間が現実なら、数十分は経ってるはず。とっくに姫騎士さんと修羅が遭遇しててもおかしくない。

それなのに修羅が健在……やはり、あいつは異常なほどの怪物なのか……?


「……空中戦には参加できないからな。姫騎士さんのほうに行くか」


行けるはず。そう信じられればあとは簡単。

僕は天守閣の頂点部分から、三階ほど下の屋根をめがけて跳躍。


激突と着地の中間のような一瞬。その勢いを殺さず、屋根の角度を利用して前に飛ぶ。前転しながら渡り廊下の屋根に着地し、続けざま膝のバネを一気に伸ばして跳び――。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 説明にある通り、既視感のある人気設定を全部混ぜる系、で面白い! ハルヒ+セイバー(黒髪)+月姫+よふかし+…などなど。 オリジナリティがないというわけではなく、それらのお約束を踏まえて丁…
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