第六十六話 【極大深度透空峡】
この国の名は葉隠。
花備の城とはその中央に位置する城塞都市、というより都市めいた城塞。
20あまりの天守はそれぞれ複雑さを極め、無数の中庭や回廊、城壁に曲がり大路などが迷路のように配置されている。一つの天守をとっても姫路城や大阪城を大きく超える。
「姫騎士さん」
その中央にある天人花の天守、その奥廊下にて、姫騎士さんに声をかける。
「その声は、亜久里先生ですね……」
「姫騎士さんの携帯信号をロストしたから飛んできたよ。正確には昼中くんと黒架くんの携帯信号もね」
来てみて驚いた。異様に規模の大きい重奏概念が展開されている。国一つ、いや、我々の歴史とは違う形の日本が、あるいは世界が創造されていたのだ。ここまでの規模はめったにない。
あと姫騎士さんの新選組スタイルにも驚いたが、まあ突っ込むことじゃないか。わりと似合ってるし。
姫騎士さんが声で私と判断したのは、外見は和装の桜姫だったからだ。桜柄の手描き友禅の着物に桜の髪飾り。髷は結わずに後頭部は自然に流す。武家の娘というイメージである。
「さぽおと!」
「桜姫のAIは稼働させてる。重奏を隔てた電波が使えないので量子のぶれを……まあつまり遠隔操作はラグが出やすいので、戦闘になったら操作は桜姫の自律に任せるよ」
「分かりました。この国には修羅という強い忍者がいます、気をつけてください」
姫騎士さんは何も言わないが、桜姫では姫騎士さんの助けになるかどうか。これはサポートというより、事実上は姫騎士さんのデータ収集だ。
城内にはいたるところに鎧武者がいて、木窓から外を見張っている。少し前に修羅が現れて、黒架さん達と戦闘になったらしい。向こうで崩落してる天守があるけど、爆薬でも使われたのかな。
「姫騎士さん、黒架さんたちと一緒じゃないの?」
「ええ……黒架ジュノさんは、先にこの城に来たはずなのですが……」
別行動は少し気になったが、詳しく聞くのも変なので黙っている。
藤十郎とかいう人物が話を通していたようで、姫騎士さんは中央天守にてこの城の主、妙華様という女性と面会した。ついでに桜姫の同席も許可してもらう。
領主はとても美しく可憐な人だったが、修羅のことには心を痛めているようだ。
「あれは今はなき勿忘里の遺児なのです」
そういう名前の里がある訳ではない。かつての戦乱の時代に失われた忍者の里をそう呼ぶのだとか。
藤十郎は脇に控えていた。悲しげにうつむいた妙華にかわって言葉を継ぐ。
「幻人の戦……かの七夜七頭の獣を討ち果たした刀は夕月姜の鍛冶師たちの手になるもの。刀を継いで名を捨てて、使命にのみ生きるが忍者の三訓の一つ……」
専門用語が増えてきたので要約する。
この国にはかつて大量の怪物たちがいた。
人間がそれに対抗する手段として生み出したのが忍術、つまり忍者たち。
人間たちは人間たちで戦争もあったけど、忍者たちはその強さのために人同士の争いに加担することが禁忌とされた。
忍者たちは人々のために怪物と戦い、すべての怪物を討ち果たしたならば地上から姿を消すと決めていたのだとか。
人間に害をなす大妖はだいたい倒されて、あとは人間と友好関係を結んでいた種族や、人の支配圏にほとんど現れない妖怪だけになった。この和天の御代に平和が訪れたわけだ。
そんな中で時代に逆らい、怪物たちを殺し続けているのが修羅というわけだ。
「修羅さんとお話はできないのでしょうか」
姫騎士さんが言うと、藤十郎は渋い顔をさらに渋くする。
「話してどうなされる。あれはあまりにも殺しすぎた。手にかけてやるが情けというものだ」
話を聞くだけだと、つまり怪物を殺すという役目を終え、アイデンティティを失った忍者の暴走という感じだろうか。
忍者の里まで襲ってるそうだが、それは時代に同調できた忍者たちへの嫉妬だとか、単に戦う相手が欲しいとか、そんなとこかな。
姫騎士さんは修羅と話し合いたいようだったが、そんなに楽しい話は返ってこない気がする。桜姫は退屈そうに部屋の隅で座り込んでいて、私はモニターしてるだけの身分なので口は挟まない。
その時、人の騒ぎ声。
音声分析。修羅を見つけたらしい、屋根の上に現れた、か。
「姫騎士さん、聞こえてくる情報を総合するとあっちの方角、距離350メートル」
桜姫の口を借りて告げ、操作を桜姫の自律に切り替える。
「藤十郎、行ってください」
「ですが、妙華様……」
「私が行きます」
姫騎士さんが言う。藤十郎は岩のように無骨な顔で問いかける。
「失礼いたすが、そなたはただの人間に見えるが……」
「……大丈夫です」
桜姫をモニターしている画面にアイコンが浮かぶ。言葉の調子に違和感があるというアイコンだ。具体的には不安や偽り、虚勢に必死さ、そんなパラメータが声に現れている。
姫騎士さんには珍しい様子だ。不安でもあるのだろうか。
「では……」
姫騎士さんは木窓から外に出る。下では鎧武者たちが蟻のようで、空は雲ひとつない。
桜姫も追う。身軽な桜姫はとりあえず天守閣の屋根に登った。
「はっけん!」
光学センサーが動体を捕捉。拡大して補正。確かに人がいる。全身に鎖を巻いた姿だ。
向こうも姫騎士さんに気づいたようだ。鎖の内側から何かを出して広げる。
凧だ。だが糸が繋がっていない。翼長3メートルほどの凧を背負い、あろうことか天守から飛び降りる。
「みなげ!」
桜姫そんな言葉どこで覚えた。
だが違う。ぎいいいと金属板を曲げるような音がとどろき、まったく違う場所から凧が飛び出してくる。遥か上空に一気に飛翔。
すごい動きだ。ビル風のように天守の間を吹き抜ける風を利用したのは分かるが、操縦が人間業じゃない。もし下方に飛び込んで、気流を捕まえられなかったらどうするんだ。
そして修羅の飛行速度も凄まじい。上空から大きくU字カーブを切ってこちらに向かう。坂道を滑り降りるような軌道。どんどん加速をつけてくる。
「姫騎士さん! かわして!」
桜姫の毎秒400コマのカメラがとらえる。姫騎士さんが回避に移ったのは修羅と6メートルまで接近したとき。するどく足を踏み変えて回避する脇を凧が駆け抜け、吹き抜ける暴風。瓦屋根全体ががらがらと鳴る。
修羅の速度はなんと400キロ以上。信じられない。スポーツカイトでもハンググライダーでもそんな速度は不可能だ。姫騎士さんの手の届く範囲にいたのは百分の一秒もない。あんなのと戦えるのか?
「姫騎士さん、桜姫の武装を使おうか。コンバクトミサイルがあるけど」
「いえ……」
姫騎士さんが片手を突き出す。人差し指と親指を伸ばしていわゆる鉄砲の構え。修羅はまた大きく上昇する。
変化は即座に訪れた。気圧が急激に下がったのだ。
そして世界も変化する。花備の城はいつの間にか朽ち果てている。石壁は崩れて屋根は崩落し、骨となった亡骸がそこかしこに積まれている。奇妙なことには、あらゆる場所に弾痕のような穴が空いている。
空は青さを失っている。雲もなく風もない。星空と太陽が見えている。
「大気が……」
姫騎士さんはいつの間にか長銃を構えていた。120センチほどもある大きなものだ。
桜姫のスキャンにより解析。なるほど火縄銃ではない。弾丸の手前に金属で包まれた薬包があり、火薬と酸化剤のようなものが仕込まれている。先込め銃ではあるが撃鉄によって発射されるライフルだ。あれなら真空でも撃てる。
修羅はといえば真空の世界で落下するかと思いきや、足から爆炎のようなものを出してさらに速度を上げる。まさかジェットを仕込んだ義足? いや、あれは重奏に近いものか? この異常な環境変化に対応している。
「姫騎士さん、気をつ」
言いかけて気づいた、真空だから声が伝わらない。
修羅は一撃離脱を目論むのか、朽ち果てた城の上空を大きく旋回。真空の世界は空気抵抗がなく、修羅はさらに爆発を繰り返すような加速。
「――落ちてください」
姫騎士さんが引き金を引く。
瞬間、撃鉄が落ちると同時に凄まじい爆炎。天守をまるごと包み込むような噴煙とともに撃ち出される弾丸。
それは光の線となって修羅を撃ち抜く。大きく起動を崩して城塞の谷間に滑り降りる。
今のは何だ。銃の威力じゃないぞ。
おそらく火薬だ。あの火薬の爆発力は黒色火薬の比じゃない。同量のニトログリセリンよりも遥かに上。20グラムほどの丸型弾頭を撃ち出したが、その初速は……マッハ35!?
そしてあの銃だ。爆発力に耐える砲身。噴気を複数方向に出して反動を相殺する仕組み、人間の作ったどんな銃とも違う。
修羅がまた飛び出してくる。無音の世界でジェットの噴気を撒きながら、鎖がいくつか砕けたのが分かる。
「あれに耐えるのか。瞬間空洞で内臓がドロドロになりそうなもんだが」
「無駄です」
その影を光条が撃ち抜く。赤熱した弾丸の放物線だ。ほぼ完全な直線に見えるそれが修羅をかすめる。
今のはどこから?
桜姫の観測範囲を伸ばす。5キロ、10キロ、まだ見えない。
だめだ見えない。まさか地球の丸みに隠れているのか。ということは重力を利用した弾道狙撃。そんなことが。
そうか、真空の世界では丸型弾頭でも狙いがぶれない。そして化学の限界を超えた火薬、工学の限界を超えた銃身が見せる超狙撃。いったいどんな狙撃手たちがいるんだ、この世界には。
「ここは朽ち果てた世界」
姫騎士さんが語る。声は聞こえないが、桜姫の送る画像を通して唇を読める。
「生み出されたのは魔弾のごとき鉄砲、超人のような狙撃手たちです。その鉄砲師の里はこの世のすべてを滅ぼした。その薬学は地上から空気すら奪った。狙撃を確実なものとするために」
そんな世界は。
そんな場所は成立するはずがない。自立しない人形、一本の針の上に立つ屋敷のようなもの。空気のない世界で鉄砲師だけが生きているだって? いや、そもそも空気を奪うなんてどうやって。
姫騎士さんの全身から蒸気が上がっている。体表面の水分が蒸発しているのか。低圧環境で眼球の水分や血液すらも沸騰するはず、果たして姫騎士さんでも長時間生きていられるのか。
「不安定で愚かしく、誰にも救えない世界です。すべてが完全な終わりを迎えるまで長くはかからない。ですがそんな場所にも名はあるのです。それは」
そして無数の光。
流星のような槍のような、直線的な弾道が修羅を撃ち抜く。音のない世界に鎖が散る。
「極大深度透空峡」
修羅が落ちていく。
鎖の輪を銀色の星に変えて、屋根の一つに落下。
そして空に青みが。
気圧が戻ってきたのか。重奏の中でさらに重奏に行くのは初めてだったけど、さすがは姫騎士さん……。
ど。
そんな音がする。
はっと桜姫が音の方を向けば、新選組のだんだらの羽織を着た姫騎士さん。
その肩に、赤い血の花が。
「けが!」
桜姫が駆け寄る。そんな馬鹿な、あの姫騎士さんが負傷を、しかしいつの間に。
「う……」
傷は真上からだ、肩を撃たれて脇の下に抜けている。あっという間に右袖全体が血に染まる。
そして桜姫のカメラアイが見つける。重量20グラムほどの丸型弾頭。
「まさか……」
これは、一番最初に姫騎士さんが撃った弾。
それが修羅を打ったときに魔法の弾丸を引き起こして反射し、運悪く姫騎士さんの肩に?
いや、偶然なんてことが。
姫騎士さんが横に動く。倒れ込むような飛び込むような動き。
直後、立っていた部分の瓦を数発の弾丸が撃ち抜く。
「……!」
修羅だ。己の体を、鎖を、骨を肉を、あらゆるものを利用して弾丸を真上に跳ね上げ、姫騎士さんのいた地点を狙ったのか。自由落下であっても、遥か上空からなら十分に殺傷力がある。
もちろん、これは技術とか発想とかそんなレベルではない。
無数の偶然から姫騎士さんが撃ち抜かれる世界を選択する行為。これは一種の重奏。
つまり、あいつはまさか、姫騎士さんと同じ……。
修羅は煙のように立ち上がり。
同時に、桜姫は自己判断で姫騎士さんを抱えあげ、ジェットを噴射して飛翔。
その背を手裏剣がかすめたことが分かったが、かろうじて飛行機能は喪失しなかった。




