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姫騎士さんは眠りたい  作者: MUMU
第八章 名もなき修羅と姫騎士さん
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第六十五話



脳が撹拌される。粉々に砕ける天守閣から飛び出して、最初に認識するのは落下の感覚。


重力の腕。体から魂を引き抜かんとする。僕は舌を強く噛んで意識を保つ。黒架を抱きしめる腕に力を込める。


「黒架! 飛んでくれ!」

「ひ、昼中っち」


ぐん、と制動がかかる。黒架の翼が力を取り戻したのか。

これは反重力とかそれに近いものなのか、僕の体重が消えたような感覚がある。


そしてもう地表間近だ。僕たちは反転して降り立った。


「ご、ごめんなさい、私、動けなかった……」

「黒架、大丈夫だ」


そうだ、こんなことはいつものこと。

相手はいつも僕より強い。それを受け入れるかどうかの問題だ。


ここは城の中庭なのか、立木もなく土が露出しただけの四角い空間。バレーコートぐらいの広さだろうか。

東側だけ石垣ではなく漆喰の壁になっていて、そこに木戸もある。あそこから建物に入れるのか。


「あいつ……降りてこないつもりか」


頭上を見上げれば、石垣に片足を突き刺すようにして立つ修羅。どういう体幹をしているのか、右足一本だけを支点に直立している。


「黒架、下がってるんだ」


修羅は黒架を優先的に狙っている。というより僕の存在など歯牙にもかけていないのか。

それは好機と考えろ。あいつが油断してるうちに僕が倒すんだ。


「ひ、昼中っち、危険っす」

「心配するな」


集中しろ。

刀にすべての筋力をそそげ。


完全に上を取られているこの状況、やつは不審がっているはずだ。なぜ建物の中に逃げないのかと。


どこかから弓や火縄銃で狙っているのか、下に罠でもあるのか、そう考えているのだろうか。

この場合の修羅の最適解は……。


「壁を崩す」


僕のつぶやきに答えるように、修羅がクナイを取り出す。

それを石垣の隙間に打ち込み、あろうことか無造作に手首を返した。がこんと巨大な組み石が剥がされ、いくらかの石片とともに落下してくる。


そして四方の壁を跳び周り、次から次と石組みを崩してくる。


「……!」


刀を振る。こぶし大の石を弾き飛ばす。

もう少し大きいものは身をかわす。すべて見えている。視界の中で落下はのろく見えて、僕の刀は石を中心線で捉えられる。


そうだ、わかってきた。切るのではなく石をそっと押しのけるように、刀の反りに這わせるように動かせ。


「降りてこい……」


額に石が当たる。細かいものは弾くまでもない。

黒架の気配は後ろにある。彼女なら翼で己を守れるだろう。


「降りてくるんだ……お前は黒架を無視できないはず。己の手で仕留めたいはずだ……」


全身を石くれが打つ。どこにどう当たれば骨が砕けるかは分かっている。致命傷にならない程度に受ける。


「昼中っち……」


黒架の声が遠く聞こえるかに思えた、その時に修羅の目が僕を見る。鎖の奥に確かにある闇色の目。

そうだ、それでいい、初めて僕を見たな。はぐれ忍者め。


だが降りては来ない。修羅は一度胸部を大きく膨らまし。その口の中にちらちらと光る何かが生まれ。


炎を。


瞬時に生まれるのは滝のような炎。石を砕き土をガラスに変えるほどの高熱。中庭がオレンジの光で満たされて炎の舌が石垣を炙る。


だが燃えはしない。黒架の作る力場が僕を守っているのか。あるいは僕の生み出した力場か。僕の周りを炎が避けて通り、数センチの隙間でひゅっと吸うように息をする。僕は殺意だけを満たす。


降りてこい。


僕は死なないぞ。お前がその手で心臓をえぐり出すまで死にはしない。降りてくるんだ……。


やがて炎は消える。燃え種のないこの中庭では炎は持続しない。わずかに生えた雑草が炭化しながら燃えているだけだ。

焼け付く空気、肺と喉の鋭い痛み、眼球がざらざらに乾いて今にも破裂しそうな眼圧。どれも些細なこと。


修羅は眼下を覗き込むように背を曲げる。僕たちが死なないのをいぶかしんでいるのか。


「黒架、僕を抱えて飛んでくれ、あいつを仕留める」

「む、無茶っす。あいつは半端な強さじゃ……」

「そうか。じゃあ僕だけで行く」


黒架は連れていけない。怯えてる者は足手まといになる。


僕は落下していた大岩に飛び乗り、崩れた石垣を手がかりに上に。そして石の肌に靴底を這わせて飛ぶ。


跳べている。まだ異能とまでは言えないが、獣のように力強く跳べている。体幹に鉄芯を通して斜面に立ち、石の凹凸を足裏の感覚で捉える。

修羅は数メートル上にまで見えている。僕が歯向かおうとしているのが信じられないのか。


いける。僕は刀を片手で握り、石組みの一つをがっしりと掴み、その手にガソリンをかけて燃やすような注力のイメージ。


できる。

巨人の力を示せ。

渾身の力で自分自身を投げ飛ばすんだ。


「ふっ!」


それは人間を踏み越える一瞬か。僕の体は2メートル近くも真上に上がり、修羅の足元へと肉薄。


声にならぬ叫び。

全身の筋肉から放たれるような叫びとともに右腕が振られ、修羅の足の鎖を捉える。


鎖が割れる。

その一瞬で修羅は離脱している。さすがに反応が早い。修羅の右足でいくつかの鎖の輪が砕け、鈍色の鉄くずとなって転がる。


修羅は中庭まで降りて僕を見上げる。黒架がすぐそばにいるが、それよりは僕のほうが気にかかるか。


そして一瞬後、僕も石垣を蹴って飛ぶ。


修羅がやったことを真似ろ。加速度を己のものとしろ。

両手で刀を大上段に。あいつから学べ、奪い取れ、あの筋肉の凝集を、束ねた板ゴムを重機でねじり、大深度水圧の中でドラム缶を押しつぶせ。


力の炸裂。

着地と当時に振り下ろされた刀が修羅の肩をかすめる。車両の衝突にも似た音。手応えが残る。いくつかの鎖の輪が砕ける。


「こいよ、名無しの修羅」


お前が強者なら、僕はそれより強くなる。


黒架に戦わせぬように、僕が黒架よりも濃い異能となる。


修羅は僕に正対する。背後に黒架がいるが気にも留めない。僕も彼女に何かさせようとは思わない。


修羅は足元を見た。砕けた鎖の一つをひょいと拾う。

焼き締めた黒い鎖。鉄を切り裂く黒架の爪でも傷つかなかったが、今の僕なら砕ける。そうだ、お前自身もその鎖のように。


その鎖の破片が、紙細工のようにひしゃげる。


「……?」


いや、形が変化したのだ。

粘土をこねる様子を早回しで見るように、鎖が修羅の指の中でこなれて形を作る。


それは玉子。

玉子の殻を加工し、宝石で飾り、着色した工芸品、イースターエッグというものか。


だがその精度、細やかさは尋常ではない。見ればその絵は複数の層で構成されているのだ。卵殻の厚みを利用してレイヤーのように絵を描いており、背景となる冬の山、その手前に賑やかな街並み、さらには大通りを進む王のパレード。


そして最も手前の層は王の馬車ではない。護送馬車だ。


馬車の中にいる人物は遠景の山を、町並みを、王の行進を見て、牢に繋がれる己の生涯を思うのか。


そうだ、すべての情景は手前の人物の記憶だ。繁栄に生きた王だったが、生涯の最後で牢に繋がれた。その茫漠たる栄華の記憶。


それは狂気の細工であり、圧縮された王の歴程。


「まさか……!」

「スレンヴェラフの生涯しょうがいたまご


泥を吐くような修羅の声。


意識がぶれる。

五感が書き換えられる感覚。とてつもない距離を一瞬で飛ぶような。


気がつけば、そこは牢獄。


冷たい石の床。冷ややかな空気。そして周囲を囲む鉄格子。

この牢は四方に鉄格子があり、四隅に燭台がある。床と天井は濃い藍色の岩。鉄格子は子供の手首のように太い。


そして牢の外にも無数の牢が見える。虫かごを置いたような個別の牢だ。とてつもない広さの空間に無数の牢が配されている。


牢の中には怪物がいる。


頭が二つある狼のような獣。炎の息を吐く赤茶けた巨人。格子から無数の腕が出ている牢もある。


直感として分かる。あの牢の住人たちは桁外れの怪物どもだ。どれ一人を出したとしても文明が滅ぶほどの。


「くそ! 閉じ込められた!」


今わかった。あの修羅を縛っている鎖は、あの露出狂の魔法使いが用意したもの。


あの鎖は防具でもあり武器でもあり、魔術的な効果を示す道具でもあるのだ。


あの修羅は魔法使いの手駒ということか? 魔法使いは姫騎士さんをどうにかしたいようだったが、ではあの修羅を使って、ということか……。


いや、それよりもここを出なければ。


「黒架、脱出するぞ、歩けるか」

「だ、大丈夫っす……」


だが黒架は立てないでいる。もう翼も出ていない。長い脚を牢の床に這わせている。


「黒架、ここを出て修羅を探す。姫騎士さんが修羅と衝突する前に見つけたいんだ、手伝ってくれ」

「う、うん……」


その黒架の様子は、なぜか濡れた粘土を連想させた。

その肌に湿度を感じる。息は浅く早く、肌はじっとりと汗ばむ印象。炎を浴びたからか、戦闘の興奮のためか。


いや、少し違う。黒架の体に力が入っていない。己の体重すら重く感じるかのように項垂れている。


「黒架、どこか怪我したのか」

「だ、大丈夫っす、少し休めば……」

「……」


気にはなるが、まずはこの牢から出よう。


僕は刀を構える。

石を切り、鎖を切った刀だ。刃こぼれでぼろぼろになりつつあるが関係ない。今の僕ならこんな鉄格子ぐらい何とでもなる。


構える。狙うは一点。袈裟懸けに振り下ろして斜めに切断する。


全身に気力をみなぎらせ、筋肉を引き絞り、そして。



――破滅。



「!」


腕が止まる。


振り下ろす刹那で止めたために筋繊維がぎちりと鳴る。


「これは……」


認識した、いや、認識させられたと言うべきか。


別の牢にいる住人たち。そいつらの気配が一斉にこちらを向いたのだ。


僕が牢を出ることを許すまいとしているのか。それとも自分も出せと威圧してるのか。


あるいはこの空間には牢に捉えられてない怪物もいて、それはどこかを歩き回っているのか。

牢を破壊した瞬間、そいつは風のように駆けてきて僕を噛み砕く、そんな予感がある。


この世界は負の感情で満たされている。


捕らえられた怪物たちの怨みの念が渦を巻き、誰も何もできない膠着状態を作っている。下手にそれを無視して動こうとすれば、影響は物理的な形となって訪れると予感される。


「作戦が必要か……」


僕はどっかりと床に腰を下ろした。


どうすればいい、どうすればここを出て、姫騎士さんを探せるのだ。


ずり、と音がして黒架が肩を寄せてくる。僕はその肩を抱く。


震えている。

寒いのか、それとも恐ろしいことでもあるのか。

僕は張り詰めていた気を少しだけ緩めて、強く黒架を抱いた。


牢の外には地獄の住人たち。

だが恐れはしない。僕は戦士になったのだから。


前だけを見て、あらゆる敵に立ち向かうと、すでに決めているのだから――。


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