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姫騎士さんは眠りたい  作者: MUMU
第八章 名もなき修羅と姫騎士さん
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第六十話





眠っている間は気づかなかった。


気だるく重く、怠惰で停滞していて、カレンダーを破り捨てるために生きるような日々。その頃は何もわかっていなかったのだ。


人生には困難なことが山積みなのだと。


青春と恋愛、社会と政治、財産と娯楽、成すべきことと避けるべきこと。難解さは言語を絶し、煩雑さは形容のしようもない。世の人々はこれほどの困難さに立ち向かって生きているのだろうか。


そして僕にできることは多くはない。問題ばかりが増えていき、どれ一つをとっても僕の手に余る。


だから僕は剣を振るう。

打ち下ろし、薙ぎ払い、突き通さんとする。


目の前で黒の防弾チョッキはずたずたになっていく。百年を経るような風化の眺め。僕の腕は何度も折れて、肩が外れて、どういう理屈か爪まで割れていく。そして何度も治る。


「そこまで」


ソワレの声がかかる。僕は肺の底から息を吐きつつ振り向く。


「まだ防弾チョッキを斬れてない」

「無駄だ。そもそも一週間かそこらで達成できるわけがない。明日はデートなのだろう、そのへんで止めておけ」


デート。


何だろう、はじめて聞く言葉に思える。


「エスコートする騎士が疲労困憊というのも絵にならんだろう」

「なんであんたがそんな心配を」


そこまで言って口を閉じる。心配するのは当然だ、ソワレにとっても姫騎士さんは重要な観察対象なのだから。


「結局、間に合わなかった……」

「そうだな」


ソワレは僕の剣を取り上げる。念じるほどに切れ味が増すと聞いている剣だが、そんな手応えを感じたことは無かった。


「歪んでるな、まあ近所の鉄工所で作ってもらった模造刀だから当たり前か」

「……」


まあ、そんなことだろうと思っていた。

僕の練習のために本物の魔法の品を貸し出すとは考えにくいから。


「なあ、本物を貸してくれよ、姫騎士さんを守るためなんだ」

「何を言う」


ざく、とソワレはその模造刀を突き立てる。


「この剣を持っていけばいい、多少曲がっているから今夜鉄工所で直してやる」

「いや、だからそれは刃もついてないし、ただの鉄の棒……」

「伝説の武具とは何かわかるか。英雄が使っていた武具だ。アーサー王の剣はただの剣だ。ロンギヌスの槍はただの歩兵の槍だ。来歴こそがその武器を特別なものにする」

「……」

「それに私の持論で言えば、戦いに際して準備が間に合っていた戦士はさほど多くない。誰もが半人前のままに戦場に出る。戦いの中で戦士と成る、それが現実だ」

「詭弁に聞こえるなあ……」


要するに本物を貸したくないだけじゃないのか。僕なんかが本物を持っても大した差はないと。まあそれは否定しにくいけど。


「そして重要なことだが、できることなら戦いは避けろ」


やや低め、僕のヘソに言い聞かせるような角度で言う。


「君よりも姫騎士や吸血鬼の娘のほうがはるかに強い。戦うなとまでは言わんが、実力の差は意識して立ち回れ」

「わかってるよ……」


嘘だ、本当は分かっていない。

実力差など関係なく僕が先陣を切るべきだと考えている。捨て石になれれば本望だと。しかし黒架や姫騎士さんの前で死にたくもない。いつも通りの僕のぐだぐだな現実だ。


「……あんたは行かないのか、富前霧街道」

「行かない。姫騎士どのについていたくもあるが、この町を手薄にもしたくないからな」


もっともな話だ。別について来てほしいわけでもないし。


また、何か起こるのだろうか。

起こらないわけはないだろう。


僕たちにも、そして世界にも……。





富前霧街道とは西都の町から一番近いテーマパークであり、シャトルバスも出ている手軽な遊び場だ。むしろ近すぎて逆にデートに使いづらい。

もともと江戸時代を中心とした一大施設になる予定だったらしいが、特に忍者に関する施設の受けが良かったこともあり、今では忍者を主なテーマとしている。


「楽しみっすよ。遠足で行ったきりっす」


黒架は黒のロングワンピースにレースのつばがついた帽子。外出の時はあまり肌を見せてこなかった黒架だが、今回は膝上までのスリットがある。日光に対抗する術を学んでいるとのことだったし、装いにもそれが表れているのか。


「黒架さんお綺麗ですね。生地もすごく上等そうです」


姫騎士さんはカーキ色のキュロットパンツに迷彩柄のブーニーハット。灰皿を寝かせたような、と言えば伝わるだろうか。

上はチェック柄の前ボタンシャツで、何だか山ガールのような装いである。パンツがひざ丈なのが目にまぶしいが、デートコーデという印象ではない。黒架が一緒だから避けたのだろうか。


いや、そうじゃないな。

ソワレに妙なことを言われたから意識してしまうが、そもそも今回の目的はデートでも何でもないしな。忍者について調べに行くだけだし。


「姫騎士さんは霧街道に行ったことは?」

「実はないんです。遠足で行く機会もありましたが、その時期に家族の都合で海外に行ってましたので」


姫騎士さんの両親は海外出張が多いらしいが、小学生の頃は一人暮らしというわけにもいかない。両親ともが海外にいる時期には学校を休み、どちらかに付き添って海外に行ってたのだとか。姫騎士さんのそういうセレブな側面ってあまり見えてこない。僕のアンテナが低くて見えないだけかも。


「ですので今日はとっておきの装いを用意してます」


ん?


あれ、そういえば姫騎士さんは大きめのスポーツバッグを持ってる。木刀を持ち歩くこともあるから気にしてなかったが、そうなると中に着替えが入ってるのか。


「もしかして江戸時代っぽい服とか」

「そうです。懇意にしているお店にお願いして送っていただきました」


あえてぼかすような言い方をして、微笑しつつ首を逸らす。

思わせぶりだな、何だろう浴衣かな。それとも本格的な振り袖だろうか。まさかテーマパークをそれで歩き回るわけないと思うけど。じゃあまさかミニスカ忍者服とか。


「昼中っち、なんか変な想像してないっすか」


黒架のジト目が僕の頭蓋骨を貫通する。う、いかん。想像を打ち消さねば。


「いや……黒架も気になるだろ。姫騎士さんのコスプレだぞ」

「もちろん気になるっす! ミニスカ忍者服とかっすか?」


発想のレベル同じだった。


ところがである。姫騎士さんは僕らの予想を超えてきた。

霧街道の入場口を入ってすぐ右手。貸衣装屋があって無料で使える更衣室もあるが、出てきた姫騎士さんは灰緑の袴に青の羽織、袖の部分に白いギザギザの模様、いわゆるだんだら模様になっている羽織である。

そして白のハチマキと腰に履いた刀。極め付きに姫騎士さんはぴょんと飛び跳ねて僕らに背中を向ける。そこに鎮座するのは誠の一字。


「な……なぜ新撰組?」

「江戸時代と言えばこれじゃないでしょうか?」


そうなのかな……そうなのか?

というか新撰組って江戸末期から明治にかけての組織だし、忍者とあまり関係ない気がするし、そのだんだら模様の羽織って実はあまり着なかったらしいし。


「姫騎士さんさすがっす」


と、なぜか感心してる黒架。


「その恰好なら女子でも普通に帯刀できるっす。目立つから見つけやすいし、何よりかわいいっす」


なるほど帯刀。その視点は大事だったな。女子に侍のコスプレは少し難しいし。バッグに入れてるといざという時に抜き放てないし。

羽織は深みがあってシックな色合いだ。コスプレ用ではなく本当の藍染めに見える。もしや本物の呉服屋さんが作ったものだろうか。


「と、そういえば黒架はそのワンピース大丈夫なのか。前に翼を広げようとしたら……」

「うう、言わないでほしいっす。ちゃんと背中が開くようになってるから大丈夫っす」


なるほど、背面を見ると肩甲骨のあたりで生地が薄い。よく見れば三日月のような切れ目があり、細い糸を渡して留めているのだ。翼を出すと三日月部分の糸が切れて、ドアを押し開けるように翼を出せるのか。


デザインのためというより、最初から翼の展開を意識して作られた服。吸血鬼に通じた職人の仕立てという事か。


「よし行こう。まずお金を小判に両替するんだよな、いろいろ見て回るだろうし2000円ぐらい……」


僕と黒架は連れ立って歩き出そうとして。

ふと足が止まる。


姫騎士さんがついて来てなかったからだ。振り向くと新選組隊士が脇を向いている。

その先には甲冑だ。建物の一部がショウウインドウのようにガラス張りになっていて、そこに刀と甲冑が展示してあった。

その上にはようこそ富前霧街道へ、の文字。よくCMで見かけるフォトスポットである。


「姫騎士さん、どうしたの」

「あ、いえ……」


姫騎士さんは少し疑問の顔をしつつ、僕らのほうに駆けてくる。コスプレ感がだいぶ薄いのは色味のせいだろうか。それとも姫騎士さんだからか。


「あのう昼中さん、こういうところの甲冑って模造品ですよね」

「そうだろうね、あ、でも本物を展示してたりするかも」

「そうですか……」

「甲冑が気になるなら、まず博物館にでも行こうか」


僕を真ん中において、右に黒架、左に姫騎士さん。

もはや言うまでもなく二人とも目立つ。黒架にも姫騎士さんにも多くのお客さんから視線が寄せられている。僕の存在感をかき消すほどに二人は眩しい。

何一つ憂うことがなければ、すばらしい青春の1ページに違いないのだが。





霧街道には様々な施設がある。食事処やお土産物屋はもちろん、寺子屋に旅籠、商人の屋敷に武家屋敷、そしてテーマパークとしての忍者屋敷、お化け屋敷、忍者体験ができるアスレチックもある。


そして博物館。地域に息づいていたという忍者についての資料、使っていたと言われる道具など展示されている。鍵縄とか忍者刀はともかく、水蜘蛛があるのはご愛敬だが。


「思ったより広いな。焼き物とか古い家具もあるし」

「昼中っち、こっちには土器とかもあるっすよ。勾玉ってきれいっすね」


僕ははっと気づく。これはアレを言えという意味ではないか。黒架のほうがきれいだよ、というアレを。デートのテンションで、若さに任せて言うチャンスなのか。


「黒架のほうがきれ……」


そこでちらと勾玉が目に入る。翡翠であり、手に収まらないほど大きい。表面は絹のようになめらかで、カーブには女性的な優美さ。太古の気品を感じる美しさだ。


「これは……いやどっちだこれ。こんな立派な勾玉見たことない……いやでも黒架には金髪があるし……」

「そんなガチで見比べなくても」


まあ地元の出土品が展示されてるのもよくある話だ。主旨から逸れるので忍者関連の展示に的を絞ろう。


「あ、手裏剣があるな。十字型だったり棒状だったり」

「意外とでかいっすね。これ投げつけられたら痛そうっす」

「姫騎士さん、どうかな、何か感じ……」


と、また姫騎士さんがいない。

だが浅葱色の羽織はキリンのように目立つ。少し離れた場所で何か見ているのが分かった。


「姫騎士さん。何か気になるものがあった?」


すたすたと歩いていき、姫騎士さんの視線の先を見れば白っぽい球体。台の上に乗せられていて、何やらすごく細かい彫刻がある。


「これ……玉の中に玉が入ってるな。どうやって入れたんだろう」


展示してあるわりに解説もない。確かに見事な彫刻だと分かるけど、それだけに由来とかが気になるところだ。


「……象牙多層球」

「え?」

「黒架さん」


姫騎士さんに呼ばれて、勾玉をしげしげと見ていた黒架が寄ってくる。


「どしたっす?」

「この球体を見てください。これは象牙多層球といって、一本の象牙を削り出して球体を作り、その内部にさらに球体を作って動くようにした彫刻です」


そう言えばテレビのお宝鑑定で見たことがあるな。職人が長い時間をかけて作る逸品だったか。


「この球体が何層の球で構成されているか分かりますか?」

「ええと……ちょっとよく見てみるっす」


黒架はまじまじと球体を見る。

吸血鬼である黒架は人間よりもいろいろな能力が優れているらしい。例えば動体視力や反応速度。聴覚や嗅覚も人並み以上らしい。ならば視力もそうなのだろうか。


「たぶん……二十六層っすね。最後の何層かは大豆みたいに小さいっす」

「二十六……」


すごい職人技だな、途中でぽきっと折れたらどうするんだろう。


「黒架、そんなに奥まで見えるのか?」

「ものを見るための術を使ったっす。赤外線とかX線も見えるっすよ。集中がいるんで術を使いながら動けないんすけど」

「昼中さん、黒架さん、私はこれと似たものを台湾で見たことがあるんです」


唐突にそのように言う。


「それは十九世紀の清で作られた象牙多層球、現在は台湾の故宮博物院にあって国宝です。職人が三代に渡って作り上げたと言われるその球体が、二十四層なんです」

「え……」

「私の浅薄な見立てではありますが、この博物館は異常です。宝石に土器に衣服、国宝級の品が何気なく置かれています」


美術品が本物……それは何を意味する? 何が起きているのか?


「まさか、亜久里先生が言うところの重奏アンサンブル


以前にもあった。山の上の宿から行けた空間、あそこには一流の美術品が置かれていた。


「いえ、まだ何も感じません」


姫騎士さんは言う。その肌には緊張がみなぎるかに思える。産毛が揺れるほどの気配でも察しようと。何一つ見逃すまいと。


「しかし、何も感じないのは危険です。これらの美術品は、いったい誰が……」


ごとり。

そう音がして、僕らは振り向く。


展示スペースから伸びる回廊。その奥に黒一色の姿。



忍者、が。


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