第六話
五月の風が町を撫でる。
何かの天災のようにずらりと並ぶ鯉のぼり。竹の皮と癒着している悪徳ちまき。写真館にて泣きながら鎧を着せられる三歳児。そんな五月晴れの風景が西都の町に訪れている。
僕はとんてんかんと釘を打つ。ホームセンターで買った板をつなぎ合わせ、縦に190センチ、横に80センチほど。天頂部分がカクカクしている西洋風の棺桶を作る。釘の先端が内部に出ないように気を遣う。死人が入るものなら出ていてもいいのだろうか。
それをサンドペーパーで丁寧に磨く。粗目、中目、細目の三段階。飛び散った血痕をぬぐう殺人犯の心境で。いかん、なんか作ってるもののせいか比喩が変になってる。
ともかく丁寧に。あとで塗装するとはいえ、ここらへんの磨きが完成形に影響する。
「昼中っち、何やってるすか?」
クラスメートの黒架が声をかける。ひょろりと長い手足に細身の体。身をかがめて棺を覗き込む。
「見てわからないのか、棺桶を作っている」
「えっ怖っ。なんで?」
「寝るからだよ」
黒架は眼をカエルのように丸くして、のけぞりつつ後退。
「……上級者だとは思ってたけど、そこまでとは」
「上級者の意味が分からんが、いま失礼なこと言われてるよな」
あまり目立ちたくなかったが、作業が学校の裏手でしかできないから仕方ない。だいたい、こんな草ぼうぼうの校舎裏になんで黒架が来るんだ。ルピーでも集めてるのか。
そう聞くと、黒架は携帯ゲーム機を取り出す。
「うへへ、新しいゲーム買ったっすよ。スターフィッシャーズの3」
「こないだも買ってただろ、よく金があるな」
「貢いでくれる男が多いんすよ」
冗談めかしてそう言うと、黒架は使われてない花壇のブロックにどかりと座り、ゲーム機を起動させる。
「おい、よそでやれよ」
「やーん。昼中っち最近付き合い悪いっす。もっと興味持ってほしいっす。新作っすよ新作」
確かに以前までの僕は、よく黒架の付き合いでゲームをしていた。西都に一つだけあるゲーセンで遭遇したのが切っ掛けだ。
黒架はどんなゲームをやらせても一流で、将来はプロゲーマーになるのだと息巻いていた。ゲーム業界のことはよく分からないが、挑戦しているなら応援したい。
「ところで噂を聞いたんすけど」
「なんだよ」
「……昼中っちが姫騎士さんと付き合ってるとか」
「ないない、なんだそのとんでもない噂は」
まったくもってぶっ飛んだ風聞だ。姫騎士さんが僕なんかと交際だと。そのへんのお地蔵さんとか福引きのガラガラと付き合うほうがまだ分かるわ。
そう答えると黒架はゲーム機の向こうから僕を盗み見て、なぜか深く息を吐く。
「そ、そーっすよねー、あははは」
「なんだよ勝手に納得して、妙なやつだな」
「いやいや、ごめんっす」
黒架は僕の背後に来て、背中をぽんぽんと叩く。
「じゃあ今日なんかどうっす、水曜はゲーセンのクレーンゲームが50円っすよ」
「今日は無理だ、先約がある」
「あうう」
黒架は眉根を曲げて残念そうな顔になる。
「ごめんな、来週なら付き合えるから、映画でも行くか」
「お、やったっす」
両手を上げて喜びを示す。騒々しいやつだ。
さて、もう水曜日か。材料の調達とか試作とかで時間がかかってしまったが、急がねばならない。
僕は黒のラッカーを取り出す。これから外側を黒く塗装して、じっくりと匂い取りを行う。高温乾燥の空間を確保して、有機溶剤を揮発させつつ換気を繰り返すベイクアウト法がいいだろう。天日干しもするとして、完成は金曜になるだろうか。
この姫騎士さん用の棺桶、気に入ってくれるといいんだが。
……なんかサイコな言い回しになってしまった。
※
「だいたい分かりました」
放課後の図書室、相変わらず世界の終りのように利用者がいないが、そこで姫騎士さんはぱたりと本を閉じる。
「古今東西の吸血鬼の書籍を調べたんです。おおむね思ったとおりでした」
ここしばらく、姫騎士さんは吸血鬼についての勉強をしていたらしい。
机に積まれた本をちらりと見る。
朝日ソノラマ、電撃、角川、富士見。パステルカラーに全体が緑色のやつにライトグリーンの縁取りのあるやつ。
どう見てもラノベだが、まあ勉強の最後の締めみたいなことだろう、たぶん。
「やっぱり私は吸血鬼です」
「……えーっと、参考までに、なぜそう思ったのかな……?」
「ニンニクはそんなに好きじゃないです」
…………
……
「終わり!?」
「はい?」
姫騎士さんは小首をかしげる。
「いやもっとあるだろ! 日の光を浴びたら灰になるとか! コウモリに変身できるとか!」
「そのあたり割と情報がバラバラなんですよね」
文庫本をひょいとつまみ上げる。
「十字架を恐れるのはキリスト教圏の吸血鬼だけみたいですし、十字路に灰を積み上げるとか、川を渡れないなんて特徴はかなり少数派ですし」
「あの……姫騎士さん、そもそも吸血鬼は寝ると思うぞ」
人生で一度も寝たことがない、という姫騎士さんの特殊な体質。
だから自分は眠らない種族なのではないか、と考えるのはまあ分かる。
だが吸血鬼は寝るだろう。棺桶の中とかで。
「というかむしろ寝ぼすけのイメージあるなあ。ぐーたらしてていつも寝てる吸血鬼とか見たことあるし……アニメとかで」
「なぜ棺桶なのかと言うと、太陽の光を避けるためですね。あとは外敵から身を守るために寝床がシェルターになってたり、眠ったふりをして棺桶に潜んでるパターンなんかもあります」
どうも自説に都合のいい部分だけ引用してる気がするが、姫騎士さんはよどみなく話を展開させる。
「つまり、決まった場所があるんですね。安全な場所、閉じきって日のささない場所でないと眠れない、そんな本能があるんでしょう。だから私にもあると思います。私は棺桶の中でしか眠れない体質だったんです」
自信たっぷりに言われると、なんだか辻褄が合ってくる気がするから不思議だ。これがカリスマの声というものか。
「というわけで棺桶を調達しようとしたのてすが、ご近所の仏具店だと扱ってなくて」
「ないのか?」
「顔のところが開くやつしか……」
「……うん、それじゃダメってことか」
そんなわけで棺桶を作った次第である。
棺桶を台車に乗せて坂を上る。なんか警察に見つかったらやばい気がする。どうにか理由をつけて逮捕されそうだ。
「わあ、素敵な棺桶ですね」
姫騎士さんは今日も快活だ。花やスイーツに眼を輝かせる感じではしゃぐ。
金曜日の夕方、西都の町の北のはずれ。
姫騎士さんの家だが、今日は裏手の車道から登ってきた。まだ暑さが本格的になる前の五月だが、下着まで汗だくである。
僕は棺桶を剣道場に運び込むと、ささくれでも無いかと最後の点検を行う。空気穴もちゃんと確認。全体に12箇所空けてある。
「蓋は7キロぐらいあるけど、横にずらすように動かせば簡単に開くようになってる。もし息苦しくなったらすぐに言ってくれ。暑いとか寒いとかも」
「はい」
ごとり、とふたを開ければ人型のくぼみがある。発泡スチロールを人型に削ってはめこみ、柔らかな布を敷き詰めたものだ。
姫騎士さんは黒のワンピースという姿だった。なんだかイブニングドレスのように見えるし、薄く紅を引いている。姫騎士さんなりの演出だろうか。袖の短い黒い衣装は、姫騎士さんの肌の白さを一層際立たせる。
「吸血鬼に見えるでしょうか」
「見えるよ」
道場の照明が落とされ、西日の残照の中でそっと棺桶に入る。
それはどこか儀式めいた荘厳さで、何かしらの禁忌に触れる危うい快感もあって。
そして美しい、と思った。
姫騎士さんの無茶な思いつきも、彼女がやるなら何もかも肯定されるべきだと思える。だからどんなことでも協力するし、やる以上は本気で取り組む。それが僕の責務だろう。
姫騎士さんのすらりと長い手足が棺に収まり、僕はゆっくりと蓋をかぶせる。ぴしりと隙間なく閉じられると、道場に響くのは遠い蛙の声とか、下界から吹き上がってくる風の音のみ。わずかに硫黄の香る、西都の風だ。
「木の香りがします」
ぼわぼわと震えるような声。どこか遠い世界から響く思念のように聞こえる。
「そう……臭くない? 匂い消しは何度もやったけど」
「いい香りですけど……ちょっとトゲトゲしてますね」
木材の香りが強く出すぎたかな。芳香剤でも吹き付けておくべきだったか。
「なんだか不思議な感じです……。世界に私しかいないみたいな」
「……そう、返事しない方がいいかな。そのほうが落ち着けるかも」
「そうですね……必要があれば名前を呼びますね」
実際、完全なる密閉空間で眠る人、というのはいるらしい。
真なる暗黒。鼓動の音すら聞こえるほどの無音。そんな中では人間の無意識は肥大し、深い思索に没頭できたり、雑念を排除できるのだとか。
しかしそれは僕の知らない世界。僕は棺桶の中の姫騎士さんに同調しようとする。音も光も絶無な世界について想う。
静けさの中で時間が加速するような感覚。
だんだんと気温が下がり、板張りの上に寒気が這う。僕は毛布をかぶり、暗闇の中で棺の輪郭だけを見つめる。
「何も見えません……瞼を閉じた時よりも暗い、真っ黒な世界です」
「……」
僕も息をひそめる。棺桶を静かに見つめていると、姫騎士さんの亡骸に向き合うような気分になる。
ここは古い因習の残る土地。姫騎士さんはこの地で帰らぬ人となり、その体は土に埋められる前に、祭壇にて死のけがれを落とすこととなる。僕は死者を守るため、姫騎士さんの祭壇の前で三日と三晩を過ごす。
僕は祭壇にて死者の声を聴き、冥府の住人と声なき対話を交わす。その死の眠りに思いを馳せる。
「星が見える気がします……。遠い星です。でもすごく近く感じます。そこに息づく小さな命とか、青白い太陽の輝きとか、渦を巻く銀河とか……」
姫騎士さんの言葉は聞こえるかどうかの細さになる。独り言のような、あるいは自分に暗示をかけるような声。姫騎士さんの想像力が肥大しているのだろうか。あるいは姫騎士さんの魂だけが肉体を離れて、どこかへ旅立っているのだろうか。
「不思議な感覚です……すごく広くて、静かで、でも耳に聞こえない音がたくさん、あるような……」
あるいは、棺の中で姫騎士さんは死んでいるのでは。
悲しみがこみ上げる気がした。取り返しのつかないことをした。もう二度と姫騎士さんに会えない絶望。悲哀の混ざった眠気が僕を襲う。
僕は毛布をかぶって片膝を立てたまま、姫騎士さんの最後の残熱を感じ取ろうとした。
祭壇に捧げられた棺。人形や飾り物、花や食べ物、燭台の明かりに覆われた棺。その中には姫騎士さんの最後の息がある。やがて失われる温もりがある。
その蓋ががたりと動き。
中から白い。
腕が。
「昼中さん」
「わああああああっ!?」
飛ぶように跳ね起きる。
「どうしました?」
「あ、え、ああ、いや何でもない。ちょっと夢を見てただけ」
びっくりした。姫騎士さんが生き返ったのかと。いや姫騎士さんは最初から生きてるからつまり死んではなくて最後の息が白い腕で落ち着けっ。
「ど、どうだった……眠れそう?」
「無理そうです。というより、この中で眠ったとしても昼中さんに見えませんね……」
「別にそんなこと気にしなくていいけど」
しかし何というか、眠れるかどうかという以前に非常に危険な試みに思えた。そういう目的でないとは言え、葬式の真似事なんてやるもんじゃないな。
姫騎士さんは少し残念そうな沈黙の後、うん、と気持ちを切り替えるような声を出す。
「やはり、本物に聞いてみたほうがいいでしょうね」
「本物?」
本職の棺桶職人だろうか。西洋風のものとなるともっと都会とか、あるいは外国とか。
「本物の吸血鬼さんに聞きに行きましょう」
「……」
何だろう。さっきの白い手で驚きすぎたせいか、リアクションの余力が少ない。
「西都にはいないんじゃないかな……? ただの温泉町だし」
かろうじてそれだけを返すが、姫騎士さんは棺から身を起こし、やたらと元気に拳を固めた。
「大丈夫です。ご存じですか昼中さん、吸血鬼は硫黄の匂いがする土地を好むんです。それに無防備そうな浴衣美人が出歩く町ですから、きっと吸血鬼さんの餌食にされてます」
無邪気にして純粋な、全国の温泉地への無差別攻撃であった。