第五十七話 【連鎖暗闘咒騒圏】
さらに翌日。
夏休みの日の進みは早く。すでにスイーツコンテストは明日である。
僕は朝の5時から11時まで防弾チョッキを滅多打ちにして帰路につく。
まじないの効果なのか筋肉痛が抑えめなのがありがたい。本来なら腕の骨がフレーク状になってる程度だろうか。骨はなんだか太くなって腕全体がバットみたいに硬くなってる。肘の関節が固まらないようにほぐしておかねば。
「昼中っちー」
黒架に出会った。彼女は腰までの金髪を背中に降ろし、ややヒールの高い靴を履いている。黒のワンピースが体型の良さを顕にしている。
「やあ、ゲーセンでも行くのか?」
「今日はショッピングでも行こうかと思ってたっすけど、昼中っちはこれからお出かけっすか」
「いや帰るところだが……そうだな、ちょっと食べに行きたいところがあるから、付き合ってくれるか」
「了解っす」
黒架は僕の脇に回り込み、そして首筋に鼻を伸ばす。
「甘い匂いがするっす」
体の奥が熱くなる。血が心臓の周りをぐるりと一回転した。
「ケーキの匂いっす。しかもソワレの店で出してるこってりしたやつ」
そっちか。それはそうだ。昨日は一時間も風呂に入ったのだから。
「ああ、実はソワレのところで特訓してて……」
黒架は少し渋い顔をしたものの、説明を終えると納得してくれた。
「昼中っち、別に無理に強くならなくてもいいっすよ。姫騎士さんを守りたいなら私が戦うっす」
「強くなるぶんにはマイナスにはならない」
「じゃあスタンガンとかボディアーマーとか……いま私、吸血鬼のネットワークにも顔を出してるっすよ。銃だって手に入るっす」
黒架は順調に成長しているようだ。力と同時に吸血鬼のコネクションを取り入れつつある。
銃か、いちおう検討しているが、持ち歩くのは難しいし、まだ本格的には考えていない。
それはともかく、黒架との食べ歩きである。デートと言うより例のスイーツコンテストでの敵情視察だ。
土産物屋のカステラ。喫茶店のチョコケーキ。甘味処のぜんざい。西都には人口の割に飲食店が多いが、早足で回れば夕方には完了するほどの数だった。
「ふむふむ、これがフルーツサンドっすね。初めて食べたけど……まあパンとフルーツっすね」
「流行りに乗っただけでさほど洗練されてないな……これならライバルにはならないだろう」
「あとは足湯のとこにある無限堂っすね」
「ああ、そこは調査済みだからもういいんだ」
先ほども言ったがスイーツコンテストは明日に迫っている、だが姫騎士さんはもう調査は不要と言っていた。
姫騎士さんが言うには、問題の核の部分にあるのは無限堂の使っている酵母、いわゆるパン種らしい。
それは昨夜の潜入の際、十和澄店主が持ち帰ってしまった。潜入に気付かれたわけではなく、おそらく明日のコンテストに出す品のため、自宅で使うのだろう。
コンテストには持参するはずなので、その時に問題を解決する、というのが姫騎士さんの言葉だ。
もう解決したも同然とのことなので、黒架には黙っておく。
「それで、話の続きはどうなったっす?」
「ん、続きというと」
「ほら、ソワレに協力してるって話っす。ソワレのケーキにどんな改良をしてるっす? 正直ほうれんそうのケーキとか青臭そうでなんかヤなんすけど」
無理もない。野菜入りのケーキも確かにあるが、どこまで行っても野菜は野菜。人気が集まるようなものではない。
だから一般受けよりはコンテストで勝つことを狙う、というのが亜久里先生の作戦。
ソワレに、亜久里先生に、姫騎士さん。
その3人が絡んでる話だが、それぞれ僕としか会っていない。なんだか奇妙な感じだ。黒架はさらにその外にいる。
「特別な材料がいるからな……まだその作戦ができるかどうか分からないんだ。ソワレのツテを使ってアルゼンチンに野菜を発注してるんだけど、明日までに届くかどうか」
「アルゼンチン?? あれ? 西都の野菜を活かすんじゃなかったっすか?」
「ええと、説明が難しいんだけど、まず亜久里先生の言うには……」
槌音が聞こえる。バス停前の広場でステージが組まれているのだ。
屋台も出ているし、吹奏楽部のリハの音も聞こえる。明日のコンテストを盛り上げてくれるのだろうか。
ほどよい運動。彼女との歓談。そして祭りの気配。
何一つ申し分のない青春の風景。ほんの一瞬だけでもそう思う、僕なんかには勿体ないほどの幸福なのだと。
※
翌日は天気予報の通り快晴。
広場の一角に作られた三角形のステージ。そこには審査員席と描かれた長机と司会者のためのスタンドマイクがある。
祭り慣れしている土地柄のためか、飾りつけも豊富だし人員もテキパキ動いててそつがない。温泉宿を浴衣姿で出て、会場へと向かう観光客もいる。
「うわー、けっこう盛り上がってるっす。屋台もたくさん出てるし」
僕と腕を組むのは黒架。商店街をステージのほうへと向かう。
「なんか全国区の番組も来るらしいぞ。なんだっけ、アサデスヨとかそんな名前の」
明らかに先月のイベントより人出がある。スイーツコンテストの立て看板もいつもより多く感じた。
まさか姫騎士さんのせいだろうか。確かに姫騎士さんの全国二連覇の垂れ幕、それは商店街の入り口にでーんとあるのだが。
「ティラミスちゃんは何を出すっすか?」
「ティラミスちゃん? ああ先生か。パフェとか甘いリゾットのオムライスとか言ってたけどはっきりしないな」
僕に協力してくれてるならソワレを勝たせるはずだけど、よく考えたら僕はもうソワレの指導を受けてるし、ソワレのケーキへのアドバイスも行った。
だから先生は別に手を抜く必要もないし、そんな義理もない。なんとなく勝ちに来る気がする。そして先生の性格を考えて、僕に言っていた品は避けてくる気も。
広場は予想以上の人だった。並べてあるパイプ椅子には座り切れず、広場の外周に垣根ができている。町内会の人が道路を塞がないように呼び掛けていた。
「姫騎士さんはまだみたいっすね」
審査員席には特別ゲストと書かれた札も置いてあり、町長さんと商店街の組合長はステージ脇にいた。ステージのヘリの部分よりだいぶ前にロープを張っているが、そのロープの前には膝立ちになった男たちがいる。まさか姫騎士さんの追っかけだろうか。いるとは聞いてたけど実際に見るのは初めてだ。
「黒架、ちょっとトイレ行ってくるから待っててくれ」
「分かったっす。コンビニ行くならついでにトマトジュース買ってきてほしいっす」
「この人ごみだとトイレ混んでるかもな……遠くに行くから少し時間かかるかも」
コンテストの開始までは10分ほど。僕は速足でその場を離れ。
広場から右手側の路地へ入り速度を上げる。裏通りまで出て大きく回り込みステージの裏手へ。
そこは参加者の控えのスペースになっていた。仮設テントがありコックコートを着た人物や、スーツ姿の人物、そして和装の十和澄氏が。
「昼中さん、こちらです」
姫騎士さんは電信柱の影にいた。帽子と黒マスクで顔を隠している。彼女はもう会場入りしてる時刻のはずなので、何か口実を作って抜けてきたのか。
「いいですか、十和澄店主は発酵酵母を持参しているはずです。それを処分します」
「分かった。でも一応質問させて。スイーツコンテストに出す品はもう作ってると思うんだけど、発酵酵母を持ってきてるの?」
「それは酵母の意思です。この会場をきっかけに参加者の服に取り付き、一気に西都の全体に広がることが目的です」
「酵母の意思……」
意思を持つ細菌ということか。あの和菓子の世界で住民を連れ去っていたのもそれなのか。
「その世界に行きます。ただし時間がありませんので、60秒で退治します」
一分、姫騎士さんなら余るほどの時間だろう。僕はイレギュラーなことが起こらないようにサポートしよう。そのへんに差してあったのぼりを一本、拝借する。
「この瓶を見てください」
容積1リットルほどのガラスの瓶。姫騎士さんは僕の前にかざす。
透明な歪んだ風景の中に和装の女性をおさめる。十和澄店主はこちらに気づいていない。
「瓶の中以外を見ずに、外周の風景を無理やり片仮名として読んでください」
西都の町並み、仮設テント、他の参加者やその荷物。その輪郭が瓶の曲面に沿って歪んでいる。僕はそこに文字を探す。
「ええと……カ、リ、ハ、へ、ト、モ」
「では心の中で、その言葉を繰り返して」
カリハヘトモ
カリハヘトモ
かりはへとも
借り合えども
狩り合え友
狩り 奪い あえ 者 共
「連鎖暗闘咒騒圏」
心の中にひらめく言葉と、姫騎士さんの言葉。二つが混ざり合う瞬間に僕の意識は世界を離れ、別の何処かへ。
そこは戦場。
数万人もの鎧武者がひしめいている。互いに刀を持ち槍を持ち、弓を射かけて戦っている。騎馬武者の蹴立てる土煙、火花と血潮、あらゆる根源的な匂い。
だが空の様子が何かおかしい。上を見ればそこにも戦場が見える。ガラス張りの天井を見るように武者たちの具足が見える。
「危ない!」
姫騎士さんに斬りかかろうとした武者を、僕の旗竿が打ち据える。旗竿が根本から折れ、武者はその場に倒れる。
そのとき気づいたが地面がない。あまりにも大量の武者とその死骸、散らばった刀剣と血溜まりのせいで地面があると錯覚しただけだ。血溜まりは何もない虚空に生まれている。
ここは層状になっているのか、あるいは上下という概念が薄いのか、戦場は横方向に限りなく続くと同時に、上下にも限りなく続いている。
あるいはそれは時間もだ。ここでは全てが無限に思える。無限の戦い、無限の血潮、そして無限の生命力。
おそらくあの和菓子の世界。あそこの住人もこの戦場に連れてこられたのか。
「そなたらは何者か」
武者の一人。いや、その人物だけは他と違うと分かった。他の武者よりずっと豪奢な鎧を着ており、腰だめに構えた野太刀もかなり大きい。
「酵母さん、争いはやめてください」
こいつが酵母なのか。何となくパンや小豆餡の発酵という、のどかなイメージからは遠いけど。
「小童が、何を言う」
「争うべきではありません。あなた達は一つに混ざり合うべきです。一つの酵母となって瓶の中で繁栄を得るのです」
「愚鈍なことを。我らの力は相争うがゆえの力。この地にて無限に刀を交えることが」
侍大将なのか将軍なのか知らないが、申し訳ない。
時間切れだ。
僕はそのへんで拾った刀を大上段に構えている。背後に巨人を投影させ、無尽蔵の力を込める。
一瞬の忘我。爆発するような気迫。満身の力で振り下ろす。
その武者は反応しようとした。刀を振り上げんと。
だがこちらの方が早い。太刀が兜を割り、頭骨を砕いて武者の刀を押し下げ、鎖骨まで達して僕の手首の骨に雷鳴のような痛みが。
はっと意識が戻る。
「昼中さん、手は大丈夫ですか?」
腕を見る。大丈夫、折れてはいない。ちょっと角度が良くなかったから折れかけたが。ギリギリで耐えられたようだ。特訓の賜物だろう。
「ごめん、時間がなかったから勝手にやってしまった」
「いえ……説得は無理だろうと思っていました。ああするしか無かったんです」
姫騎士さんの持つ瓶には何やら緑色の塊がある。粘土のような質感だが、うっすらと湿っている。
「それが酵母なの?」
「そうです。危険なものでした。この酵母ははっきりと意思を持っていたんです。無限堂のご主人を操るまでに成長して、この世界の隅々に広がろうとしていた」
瓶に封じられた粘性の生物。そんなSFホラーがあったなとぼんやりと思う。
「その影響はパンや小豆餡に留まらなかった。白玉団子に葛切りにカスタードクリームまで、すべての有機物に取り憑いて糖化させようとしていたんです」
つまり……何もかもを甘くする酵母か。
何となく幻想的にも聞こえるが、現代社会が様々な菌のサポートにより成立してることぐらいは知っている。そのバランスを崩す存在なら一大事だろう。
あるいは人体や樹木や大地すらも甘くなる? それは考えすぎだろうか。
「おそらく湯捏ねパンの源泉に大本があったんです。それが何百万という世代交代の中で進化したのですね」
「そうか……源泉の方もいちおう消毒しとこうかな」
「面白そうな話だね」
と、声をかけてくる人物。それは膝上20センチのスカートを装備したメイドさん。
「亜久里先生」
「姫騎士さん、その菌のサンプルを貰ってもいいかな」
「構いません。ちゃんと管理して頂けるなら」
世界を滅ぼせるほどの菌らしいが、それをこの人に預けてもいいのだろうか。
「大丈夫ですよ昼中さん。すでに凶悪さは失ってますから、もう何の変哲もありません。少し糖化効率が優秀なだけです」
思考を読まれたように言われてしまう。さすが姫騎士さんだ。
そう、姫騎士さんに不完全な仕事などあるわけがない。
登場すれば必ず事態は解決し、世界の滅びは回避される。失敗も敗北もあるわけがない。
それが世界の中心。
僕にとっての光――。




