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姫騎士さんは眠りたい  作者: MUMU
第七章 甘味の王と姫騎士さん
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第五十六話 【彼岸の果ての濤満の国】





翌日より僕は「Flamme blanche」に通うことになった。

動きやすい格好と言われたので下にジャージを履き、いちおうダンベルとか縄跳びとか軍手とかタオルとかをスポーツバッグに詰めて持っていく。


店の裏手にて、ソワレの指示の通りに軽く飛び跳ねてみたり、ラジオ体操の動きをやってみたり、持参した木刀を振ってみたりする。


「才能がない」


伝説の男はあっさりと断言する。


「まったくもってカケラもない」

「うるさいな、わかったよ」


別に格闘技をやってたわけでもないし、人より運動神経があるとも思っていない。それでもシンプルに傷つく。


「だから努力で補おうとしてるんじゃないか」

「逆だろう。君は別に努力漬けの人生を送ってきたわけではない。だから針の先ほどの可能性に賭けて、努力を補えるほどの才能がないかどうか確かめたんだ」

「才能がないのはもう分かったよ。それで、何か戦う手段はないのか」

「あの力を使え。かつて悪に堕ちたバクと戦った時に見せた力があっただろう」


それは意識している。

全身全霊を振り絞るような一撃。筋肉や骨の破壊もいとわない一撃。かつて僕の家を這いまわっていた巨人、あれを肉体に憑依させるような感覚だ。

だがあれは戦う技術と言えるだろうか。野生の獣のような無秩序な力だ。

できればあれを制御し、使いこなせるようになりたい。僕はそのように伝える。


「ハンターにもそういう連中はいる。内なる獣だとか、背後に立つ鬼神だとか形容される、自分よりも大きなものをイメージして力を振るう技だ。あの時、君がバクに見せた打撃は悪くなかった」

「内なる獣……それは練習の仕方とかあるのかな」

「これを使え」


ざく、とソワレが地面に突き立てるのは細身の剣だ。柄がシンプルな十字型になっている。


「持ち主の気力を消費して切れ味に変える剣だ。気合いを乗せて振るうほどに鋭利な剣となる」

「すごいな。そうそう、こういうのだよ」

「それを使ってあれを斬ってみろ」


と、ソワレが指し示す先には丸太が突き立ててある。

高さは1.5メートルほど。その上には黒のボディアーマーのようなものが乗せられていた。


「防弾チョッキだ。あれを斬れれば戦力になるだろう」

「なるほど……やってみる」


僕は的に近づき、大上段に振りかぶって剣の一撃を。

があん、とものの見事に跳ね返った。剣がびいいんと震えつつ宙を舞う。


うっ!」


指先の激しい激しいしびれ、それに肘のあたりに激痛が。


「折れたな」


ソワレがやってきて袖をめくる。折れた骨が盛り上がってコブのようになっている。


「こんな簡単に折れるなんて……」

「力の入れ方も知らんのに全力を出すからだ」


ソワレは指先を僕の腕に這わせる。塗料などを塗っていた様子はなかったのに、僕の腕に銀色の線が描かれた。すると劇的に痛みが引き、ハッカ油を塗ったようにひやりとした感覚が降りる。


「治ってる……すごいな、魔法か何かか」

「西方のまじないだ。自傷のみを回復させられる。ハンターが鍛錬に使う場合もあるが、使うやつは狂人扱いされる。ハンターは怪我を防ぎながら戦うことが何より重要だからだ」

「でも、これなら全力でトレーニングできる」

「折れた骨が治らなくなったら声をかけろ」


ソワレは僕に背を向けて店に入ってしまう。完全に放任状態であるが、このまじないだけで十分だ。

僕は巨人をイメージする。家の中を這いずり回り、巨大な手を打ち付ける巨人。

そのイメージを乗せて、剣の一撃を。


がす、とアーマーをかすめた剣が地面にめり込み、下腕部がもろに折れたと分かった。





「おおよそ分かりました」


夜の町で姫騎士さんと待ち合わせる。西都の中央部、夏休みの時期となれば観光客がちらほら残っており、足湯ではご婦人の二人組がぬくまっている。


「何か危険なものなの?」

「ある意味では危険ですが、ともかく見極める必要があります。お店に入りましょう」

「わかった、まかせてくれ」


無限堂さんからは灯が消えている。隣の建物の間に細い路地があり、僕たちはそこに入った。


僕は横に細長いガラスが何枚もはまった窓、いわゆるオーニング窓の下に立ち、金具を〇〇を使って〇〇してガラス板を外し、上半身からずるりと入って勝手口の戸を内側から開ける。〇〇した金具は慎重に戻しておいた。


「昼中さん、ちょっと手際が良すぎませんか?」

「必要になると思って練習しといた」


犯罪行為なのは承知している。もし警察に見つかったら全ては僕がやったこととして逮捕されるつもりだ。そのぐらいは当然だろう。


店舗スペースの奥には厨房。こってりとした餡の匂いと粉っぽい空気、パンの甘い香り、そして現実を突きつけるような生ゴミの匂いもする。特に異常はない。


姫騎士さんは迷いなくずんずん進み、厨房のさらに奥、更衣室や事務スペースの向こう、洗濯機の置いてるスペースに至る。


そこには下り階段があった。急な階段が下に伸びて途中でU字に折れている。


「ここから行ける気がします」


行ける、という言葉に強めのアクセントを乗せていたので、僕は姫騎士さんの方を向く。


「何か……結界みたいなものが?」

「いえ、ここはただの収納庫ですね。特に何も無いでしょう」


僕の頭に疑問符が飛ぶ。


「あるのはお菓子の王国です。雲は白玉で道は求肥、かき餅の家にずんだ餅の森」

「しぶい」


お菓子の国って和菓子でやると……その……いやまあそれはいいけど。


「行ってみましょう。昼中さん、階段を降りてみてください。ずっと足元だけを見て」

「わかった」


僕は階段を降りる。狭くて急な階段なので慎重に、足元だけに視線を絞る。光源は胸にさしてあるスマホのライトのみ。


「頭が一階の床より下になったあたりで、足踏みをして上下に動いてください。何段動いているか考えないように」


狭い踏み板の上で足踏みをする。どんどん、と建物に響く音。縦長の空間の中で上下に反響する。


「足踏みを続けながら、階段を下に押し出して・・・・・ください。自転車をこぐときのように」


言われたとおりに押し出す。体重をかけて、曲げた膝をぐいと伸ばして踏み板を下へ下へと。


「外へ出た瞬間、顔を上げてくださいね……」


そして、何度目かの踏み込みの刹那。

光が。

姫騎士さんが電気をつけたのか、それとも日の光か、はっと顔を上げれば、そこは煉瓦色の敷石が続く街道。


いや、よく見たら割れ煎餅だこれ。うまく組み合わせて直線の道を作ってある。


道の左右に洋風の家があり、練り切りの扉に黒棒の壁。屋根はたぶん落雁でできている。


「お洒落なお宅ですね」

「そ、そうだな」


無限堂は和菓子のお店だから、お菓子の世界も和菓子とか駄菓子になるんだろうか。


視線を遠くに伸ばす。この世界は何かくろぐろとしたものに囲まれている。

よく見ればそれは小豆餡だ。ここは野球場ほどの広さの島、それが小豆餡の海に囲まれている。


「ここの名前はお菓子の国でいいの?」

「割とどこにでもある場所ですからね、彼岸ひがしての濤満とうみつくにとでもしますか」


姫騎士さんは空中に指を躍らせて漢字を説明する。なるほど、海の果てにある波が押し寄せる国、それに菓子とか糖蜜という言葉を絡めているわけだ。


しかし人が見当たらない。あるいはこの世界は羊羹とか饅頭が歩いてたりするんだろうか。ともかく動いているものがない。


家の窓を覗いてみたりもするが、脱ぎ散らかされた服が見えたりして生活感はあるのに、人はいない。


「何かあったのかな」

「おそらく攫われたんですね。みなさん、どこかでお菓子とパンを作らされています」


姫騎士さんは自分の行動の何手か先が見えてるように思う。すでにおおよその事態を察しているのだろう。

つまりこの世界にはちゃんと住人がいるけど、それが何かに襲われて、奴隷にされている……?


「海へ行ってみましょう」


おこし・・・の道を降りて海辺へ。パステルカラーの金平糖の浜に小豆餡の波が押し寄せている。ゾンビが覆いかぶさってくるような重量感でどぼんと浜辺を登り、ずりずりと引いていく。奇妙な粘性があるが、確かに波だ。


「いい味わいですね」

「姫騎士さん食べないほうが」


止める前にすでに食べてしまった。だが姫騎士さんが食べたのなら僕も続くべきだろう。波打ち際にかがみ込んで食べてみる。


「昼中さん、分かりますか?」

「え? ええと、たしかに美味しい餡こだね、すごく濃厚に甘いのに、さらりとした口溶けが」

「そうです、この餡こは美味しすぎるんです」


……。


「つ、つまり……?」

「小豆餡とは熱を加えた小豆に砂糖や水飴で甘く味付けしたものです。ですが、この餡こには砂糖が使われていません」


もう一度食べてみる。なるほど、そういえば砂糖の風味がしない。何というか焼き芋とかポン菓子みたいな甘さだ。


「これば発酵あんです。蒸した小豆を米麹で発酵させる餡ですね。米麹を使う場合、厳密には酵素による糖化なので発酵という言葉は適切ではないのですが。この海の餡こは間違いなく発酵しています。しかも通常の発酵あんよりずっと甘いです」


なるほど発酵あん。無限堂さんの和菓子の秘密はそのあたりにあるんだろうか。


「放っておくと世界が大変なことになります」


ん?


あれ、いま話が飛んだ?


「ど、どういうこと?」

「ですから昼中さん、この発酵あんは……」


「誰かいるの?」


懐中電灯の光。

僕たちははっと身をかがめる。


声の主はあえて電気をつけずに歩き回っている。たしか十和澄とわずみさんと言ったか。

戸棚を確認しているのか、がしゃがしゃと食器類が触れ合う音がしていた。


「店主が戻ってきたのか、まずいな」


どうする、僕だけが出ていって注意を引きつけるか。それとも強引にでも逃げるか。


「下へ行きましょう」


僕たちはそっと階段を降りる。

下はやはり収納庫だった。スマホで照らせば小豆なのか砂糖なのか、ビニール製のずだ袋がたくさん並んでいる。奥に隠れればすぐには見つからないだろうか。


「昼中さん、こちらへ」


僕たちは袋の隙間に体をねじ込む。所詮は並んだ袋なので全身を隠せてはいない。入り口からは見えない程度だ。


息をひそめる。

姫騎士さんが僕を深く抱くのを感じる。僕は彼女を包み込むように頭を抱える。

互いに動かない。体温だけが往還する。大地の奥からの音すら聞こえるほど耳を澄ます。鼓動が互いの体を離れ、大蛇となって僕たちを強く縛り付けるように思えた。僕たちは互いの鼓動に没頭していく。


店主の警戒は長く続かなかった、おそらく忘れ物でも取りに来たのか、事務室に寄ってからすぐに店を出たようだ。僕たちはそれからさらに数分待って、丸まったダンゴムシが元に戻るようにゆっくりと離れんとする。


「昼中さん」


僕の頬に、姫騎士さんの手が。

僕はそれに応えるように動く。背中に深く腕を回して再度、彼女を引き寄せんとする。むさぼるように求めあう。


「優しいですね、昼中さんは」

「何のこと」

「私が何をしても、嫌がらないんですね……」


そうだろうか。

姫騎士さんを拒むことはない。そう決めているだけだ。これは当然のことで、迷わないと最初から決めているだけなんだ。


暗闇の中、姫騎士さんだけを感じる。

姫騎士さんが何を望んでも、どこへ向かおうとしても、僕が必ずそばにいる。




そして僕は、きっとすべてを失うだろう。

それでも僕は、君のそばに……。



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