第五十四話
8月となり、暑さがずっとピークを維持し続けるような日々。
山あいの西都の町では山がエメラルド色に燃え上がり、コンクリートの照り返しで観光バスが銀色に光るような季節。
「暑苦しい顔でどうした」
店に入った途端に言われた。白髪の老紳士、ソワレは商品棚の整理をしていたようだ。
「第一声がそれかよ」
「客でないことぐらいは分かる、足音とかドアの開け方でな」
言われて僕は言葉に詰まる。気の焦りが動きに出ていたのか。気をつけよう。
「単刀直入に言う。強くなりたいんだ」
「筋トレでもしろ」
間髪を入れず言われる。だが僕も引き下がれない。
「やってる。だが足りないんだ。怪物とも戦えるぐらい強くなりたい。武器も欲しい」
「なぜ私に言うんだ?」
「この町で一番強いからに決まってるだろ」
白炎のソワレ。
オカルトの世界では伝説と呼ばれてる人物らしい。師事するならこいつしかいない。黒架との因縁も考えると頼みにくくもあるが、もうなりふり構わないと決めたのだ。
「ふむ」
ソワレは少し考える風に、顎に手を当ててから言う。
「かの姫騎士どのに何か起きたか?」
「答えたくない」
「……最初から決めてたような返答だな」
姫騎士さんの力は加速度的に増しており、それによって重奏の事件も深刻さを増すかに思える。
僕が姫騎士さんを守らなくては、毛の先ほどでも役に立たなくては。そのためには真っ当な鍛錬ではとても追いつかない。
「あんたはキンダガートンの予言とやらでこの街にいるんだろ。この世の滅びを防ぐために。僕が強くなれば役に立つこともあるはずだ」
「とても間に合わんよ。我々の世界で一人前になるには20年はかかる。例外的に若くして前線に立つ者もいるがな。生まれ持った異能を持つとか、魔女の血を引くとか、魔術的な強化を受けているとかだな」
自分を内省する。生まれ持った超能力の心当たりはないし、親族に魔女がいたという話も聞かない。というより両親は新潟の旅館にいるらしいが、祖父やそれ以外の親族の話を聞いたことがない。両親について深く考えると憂鬱なので思考を打ち切る。
「わかった、じゃあ魔術的な強化とやらを」
「もののたとえだ」
ソワレはあきれたように言う。
「今は禁忌となっている。だいたい、お前を鍛えるぐらいなら知り合いのハンターを呼ぶ方が遥かに役に立つ」
「……」
「そんなことよりケーキを食べていけ」
と、ソワレが取り出すのは皿に乗ったショートケーキ。全体が濃緑色をしていて、アラザンの銀色の粒がふりかけてある。ホールケーキを切ったものらしく、断面は黒と緑の縞模様になっていた。
「なんか……緑が濃いんだけど」
「新作の抹茶ケーキだ。ほうれん草を練り込んで色を濃くしてある。今度の大会に出す予定だ」
「大会?」
問い返した瞬間に思い出した。西都の夏祭りだ。温泉街である西都にはその手の小さなイベントが多く、スケッチ大会とかカラオケ大会、草野球にどんぐり拾いに漫才大会と月イチで何か行われている。
そして今月は甘味処が集まってのスイーツ大会だった。地元のラジオ局も来るし、地方紙にも記事が乗る。それなりに歴史のある大会だ。
「そんなのに出てていいのか?」
「構わんよ。私の正業は裏の仕事だが、ハンターには表の顔を持ってる者も多い」
「そういうことじゃなくて、あんた潜伏のためにケーキ屋やってるんだろ、別に大会なんか出る必要……」
「この町では何が起こるか分からん。町で起きるイベントはなるべく近くで見るつもりだ。先月の子供相撲大会も観戦した。これも昼日中の守護者、闇を払う剣、教えに殉ずる火としての役割だ」
なるほど。まあイベントを無視するのも何か違う気もする。
とりあえずケーキを食べろ、とソワレの目が言っていたので、手近なテーブルに座って食べてみる。うん、お茶の風味と、内部に閉じ込められたチョコソースの濃厚な甘さ。ふわりと香るほうれん草がアクセントになってるし、甘さに深みが出てる気がする。
「悪くない……生地も丁寧に仕上がってるし、隠し味に何か……まさかドングリか?」
「その通り、アク抜きしたドングリを砕いて混ぜている。野性味を感じるだろう。ほうれん草もこの町の農家から仕入れたもの。鶏卵と生乳も、お茶も県内のものだ。つまりこれは西都のすべてを凝縮したケーキなのだ」
おお……とさすがに感嘆の声が漏れる。すごいけどそこまで本気出さなくても。
「隣のケバケバしい店にあてられて客足が今ひとつだったが、ここで一気に知名度を上げてやる。あのような浮ついたメイド喫茶の後塵を拝するわけにはいかん」
なんか役割とか色々言ってたけど、そのへんに本音がありそうだな……。
「……なるほど、間に入ってるチョコソースも一級品……どっしりと甘いけど生地が軽いから最後まで食べ飽きない……」
僕はしっかりと味わって最後の一口まで食べ終えると。
がらん、とやや乱暴にフォークを置く。
「だがダメだ。このケーキじゃ『はんど☆メイド』には勝てない」
「なに!?」
ソワレが磨いていた皿を取り落としそうになる。この人が動揺するのはきっと珍しいことだろう。
「隣もスイーツ大会に参加すると言っていた。僕はそのメニューを試食させてもらったが、恐ろしい完成度だった。この抹茶ケーキも悪くないが、あれには及ばない」
「くっ……出るだろうとは思っていたが……」
「僕が思うに、ある要素で隣のスイーツには勝てない。そこを改善できれば勝算はある」
「そ、それは何だ」
僕はカウンターに両手をつき、ソワレの目を正面から見る。
「教えてもいい、その代わり……」
「む……」
葛藤が見える。
僕から助言を受けるのも本当は不本意だろう。だがそれに勝るほど勝利への執着も見える。歯噛みする気配。そして両手を肩まで上げる。
「分かった……少しだけなら指導してやろう」
「ありがとう、ソワレ、いや師匠」
「気持ち悪いことを言うな。それで、私のケーキに足りないものとは」
がたん、と立ち上がる。
「それは明日伝える。まだ日数はあるだろ」
「……仕方ないな。明日は朝6時に来い」
「分かった」
店を出て、僕は小さく拳を握る。
これで劇的に強くなれるとまでは思わないが、ともかく何かしなければ、という心の焦りが少しは静まった。今日は筋トレをそこそこにして早く休もう。
と、僕は帰路につく前に、隣の「はんど☆メイド」に入っていく。
西都の町のスイーツ大会、出場するかどうか聞いておかねば。
※
「それで指導の約束を取り付けたわけ?」
メイド喫茶の二階、リビング兼オフィスにて亜久里先生と話す。先生はいつものようにぴしりと決まったメイド服である。
先日の遊園地での場面が思い出されるが、だからって敬遠するわけにもいかない。それに先生の言うとおり、僕から先に泥に踏み込むと決めたのだから。
「出るんですか?」
「もちろん出るよ。パフェでも開発しようかなと思ってる。あるいは甘いリゾットのオムライスでもいいかな、ラズベリーソースでお絵描きするの」
先生ならかなりの水準のものを仕上げてくるだろう。
「それで隣の『Flamme blanche』の抹茶ケーキですけど、先生から見て欠けてるものってあります?」
「昼中くんってだいぶ図太くなってきたね」
と言いつつも、先生は例の箱型端末を取り出して何やら分析を始める。
「地元の品にこだわってる感じでしょ。抹茶にほうれん草だったっけ。チョコソースで層状にしてるなら、上にアラザンがかかってたんじゃない?」
アラザンについては説明を省いていた。さすが亜久里先生である。
「欠点なんて明らかでしょ、地味なんだよ。ケーキにほうれん草という発想は割とあるけど、パウンドケーキとかパンケーキに合わせるのが一般的。ショートケーキに合わせれば物珍しさは得られるだろうけど、人気で一番を取るとなると難しい」
まあ僕もそんな感じだろうと思っていた。あのケーキは美味しいし丁寧な仕事だったが、華やかさがない。
「じゃあ、どうすれば『はんど☆メイド』のスイーツに勝てますか?」
「君どういう質問してるか分かってる……?」
しかしこの質問は先生の脳細胞を刺激したらしい。腕を組んで考える。
「そもそもほうれん草って秋から冬の野菜だからね。確かに夏場のほうれん草も注目されてるけど……猛暑に耐えるために品種改良されてたり……」
そしてぽんと手を打ち、キウイのような酸味のある笑い方をする。
「じゃあ、もっと地味にしようか」
「え?」
「ほうれん草という着眼点は悪くない。パフェやケーキには華やかさで劣るけど、より味を高めれば質実剛健なものと評価される。他のスイーツが華やかなだけに見えるぐらい質を高めれば勝てる」
「なるほど……それで具体的には」
「こっから先は有料」
ぴしゃり、と手刀でシャッターを下ろす。
「お金とるんですか生徒から」
「そうじゃない。姫騎士さんを審査員に誘ってほしい」
「え……」
「その後、三人の関係はどうなの」
にやりと目を細めて聞いてくる。姫騎士さんが先生の研究に関係するというだけではないだろう。興味の色がにじんでいた。
「別に何も……遊園地の件からまだ数日ですし、黒架とは家でゲームしたぐらいで、姫騎士さんは剣道部で忙しくて……盆が開ける頃に富前霧街道に行こうって話になってますが」
「スイーツ大会はその前になるね……じゃあ審査員ぐらいできるでしょ。拘束は半日ぐらいだし」
姫騎士さんはもはや西都の誇りであり、県レベルの有名人である。全国大会二連覇というだけではない、その容姿のためもあるだろう。
「こっちからも町会に手を回して審査員として呼ぶよう働きかける。昼中くんは姫騎士さんを誘ってくれればいい」
「……何か期待してるんですか。刺激しないで、そっとしておいた方が」
「そうは思わない。受け身では対処できないよ。なるべく姫騎士さんの動向は把握しておきたいし、この町で行われるイベントにも関わっておきたいの」
ソワレも似たようなことを言っていた。
世界の滅び、科学とオカルトの両方が予言したというその一文、姫騎士さんがそれに関係することはもはや疑いようもない。
問題は、いったい何が起きるのか、誰にも分からないという事だが……。
「……分かりましたよ。誘うだけなら」
何かが起きるならそれも仕方ない。僕がタイミングを選べることでもない。
何かが起きるなら、僕はその場にいたい。それだけだ。
先生はにこりと笑い、背もたれに体重を預けて腕を組む。
「うちも本腰入れて頑張るよ。優勝は難しいと思うけどね、無限堂の和菓子に勝つのは……」
どん、と音が鳴る。
それは二階の隅にあった柱時計。その振り子が金属音を鳴らしたのだ。見れば振り子が途中から破断しており、先端の錘が落ちている。
「! 実相感覚器が」
「え……?」
「無限堂か……? なるほど自覚できない。これも姫騎士さんの力なのか」
「どういうことです」
「あの振り子は世界の揺れを感知するセンサーになってる。重奏が発生するときの独特な振動を感知して自壊する。成功率は3割もないけどね」
「……」
では、また起きたのか。
亜久里先生が言う重奏概念、オカルトの世界では結界などとも呼ばれる不可思議な世界。
無限堂……子供の頃から知ってる西都の名店。それが名状しがたい何かだというのか。
そして、それは姫騎士さんにどのように関わるのか……。




