第五十三話
何かが。
視線を振り上げれば、それはポップな小物で飾られたメイド服。高い位置で腕を組んだ橘姫が、スカートの裾からエアジェットを噴気しつつ浮いている。
「グッド、ようやく動きを止めてくれました」
「橘姫!」
叫ぶのは先生。その右手を突き出し、白み始める空に熱線を放つ。
「フン」
橘姫は動きもしない。熱線が肩口に照射されるが、奇妙なことには服の表面を波紋のように光が散る。そして光の粒が撒き散らされ、地面に落ちて白煙を上げる。
「む……あれは、粉粒体冷却か、そんな技術を……」
「そのウェポンはスタディしました。耐熱装甲に反映済みです」
桜姫は音も立てずに着地、指を軽く弾くと、バラバラになっていた青のスーツが球形にまとまり、生き物のように背中に張り付く。
中身である空御門氏は目を白黒させて立ち尽くすのみ。
「ユー」
「え、お、オレか……?」
「これはただのショー。ユーは本物のヒーローなどではありません。ショーとして割り切って演じないと、リアルが過ぎるとオーディエンスもコンフュージョンです」
「お、オレは……」
「それにオーディエンスなど一人もいません。目を覚ましなさい」
だん、とステージを蹴って飛び上がる。それを追う二つの影。
「おいかけ!」
「待つっすよ! 今日は決着をつけるっす!」
桜姫と黒架が飛び出していき。
そして場には何か、熱が散っていくような感覚。
「あれ……」
大柄な大学生も、司会を務めてた女性も、分銅型の怪人も茫然と立ち尽くして。
そして姫騎士さんが拍手を送る。
「みなさん、こんな早朝までお稽古とは素晴らしいですね」
「稽古……? ああ、そうか、稽古だったな」
と、その時、空御門氏の全身から力が抜けて、死んだイカのようにステージに倒れ込む。
「あ、あれ、いててて、ぜ、全身に痛みが」
「空くん!」
司会の女性が駆け寄る。だがその足取りもおぼつかない。へたり込みつつ寄り添う。
「あれ、ど、どうしたんだろ。すごく眠い、力が入らない」
「先生、救急車を呼んでいただけますか」
「もう呼んでる、他のスタッフのぶんもいるだろうから二台ね」
どうやら特撮の世界から現実に戻りつつあるようだ、そのギャップで色々と弊害が起こり始めている。
「重奏がかなり現実に食い込んでいた。もう少し遅かったらこっちの世界観が現実になるところだったよ」
「……」
先生が重奏と呼ぶ概念は、あくまで現実ではない世界。繋がりが消えれば存在しなくなる。
だが、世界の繋がりとはどの程度のことを指すのか。
先生は重奏から美術品を持ってこれると言った。事実、あの橘姫はそれをやった。今回ではジャスティスマスクのスーツを。それは世界観の一部を持ってくることとも言える。
バク飼いの村は世界のどこかにあるのだろうか。吸血鬼の城は。人智を超えるほどのハッカーは実在したのだろうか。
あるいは記憶や経験、世界に触れることで変わっていく僕たちは、どこまでを現実とすべきなのか。
疑問は尽きなくて、僕の現状は泥沼で、そして世界はぎりぎりで踏みとどまっている。
そしてまた、朝日が昇る。
※
「よく覚えてないんだ」
早いものであれから五日。
病院のベッドの上で、空御門氏が語る。
「なんでもスモークに幻覚作用のある化学物質が含まれてたとか……怖いこともあるもんだな。オレたちは殺陣の練習中に気を失って、気がついたら病院だったよ」
僕と黒架と姫騎士さん、三人で見舞いに来ていた。伊島遊園地はあれから閉鎖され、爆発事故があったとかで大規模な改修を行っている。
「元気そうでよかったっすよ」
「ああ……済まないな、よく分からないけど君たちが通報してくれたとか」
「そうです。閉園後にバスを逃しちゃって、園の外で立ち話してたら爆発が見えたので」
そのように説明する。空御門氏は自分の記憶と、僕の話をすり合わせているようだ。目がふらふら泳いでいる。
「何だか長い夢を見てたようで……自分が本物のジャスティスマスクになって、マスカレードと戦ってたような……」
「ずっと遊園地で寝泊まりしてたそうですね。だからそんな夢を見たのかも」
「ああ、そうだな……下宿は狭くてな、園にいるほうが快適だったから……かな」
この件について、最も驚いたのは亜久里先生の行動だ。
なんと翌日には、伊島遊園地をまるごと購入したのだという。
「購入じゃなくて管理権を握っただけ。自己資金は出してないし、書類上のことだよ。取締役たちは人の手に渡ったことも理解してないだろうさ」
そう語っていたが、どんな手を打ったにせよ、法律で許容されてる範囲であってほしい。
亜久里先生は破壊されたものの後始末と、情報操作も行ってるらしいが、どこまで隠せただろうか。細切れにされた柵とかパイレーツとか、あれも現実へ回帰するときに戻ったのだろうか。そのうち確認せねばならない。
「それでは、私たちはこれで失礼します」
姫騎士さんがそのように告げ、僕たちは一礼して個室を出ようとする。
「空くん」
いれ違いに入ってくる人物がある。髪をアップにした女子大生ふうの女性、あのときヒーローショーの司会をしていた女性だ。
「もう、また起きてたでしょ。筋肉とか切れてたんだよ。寝てないとダメだよ」
「いや、来客が……あのとき通報してくれた方だ」
「あらそう? 大変お世話になりました。まだお礼できてなかったですね。灰島です」
そうお辞儀する女性は、しかし意識は空御門氏の方に向いていた。そそくさと布団の裾を直し、小型冷蔵庫の中をチェックする。
「明日からリハビリらしいから、消化にいいもの食べないとね。ヨーグルトとか好きなメーカーある?」
「いや別に……」
露骨にお邪魔そうだったので退散する。空御門氏は自己評価が極端に低かったらしいが、体力があるし根が真面目なのも感じるし、普通に生きていれば落ち着くべき所に落ち着くだろう、そんな気がした。
病院を出て、夏空の下に飛び出す。ぎんぎんと降り注ぐ日差しを受けて黒架が帽子をかぶる。
「はあ、散々だったっす、結局橘姫は取り逃がすし」
「しょうがないさ。相手もかなりのツワモノ……いやキワモノ、かな?」
「まあいいっす、遊園地デートできたっすから」
黒架は僕と腕を組み、首だけで後ろを振り向く。
「この病院に来たの二度目っすけど、ちょっとの間に随分綺麗になったっすね」
「そうだな、壁も塗り直されてたし、待合室もなんだか明るくてお洒落になってて」
入院先は西都病院である。空御門氏は伊島から最寄りの救急病院に運ばれたが、実家が西都なので転院したようだ。うがった見方をすれば亜久里先生あたりが手を回したかも知れないが、そこは気にしてもしょうがない。
たしかに内装はだいぶ変わっていた。理事長が変わったらしいし、そのせいだろう。
「前の理事長……確か木場とか言ったかな。それって吸血鬼の眷属だったんだろ? 黒架との繋がりとか、今どうなってるんだ?」
「それはまったくタッチしてないっす。人の血を求める一部の吸血鬼が利用していただけなんで、たぶん自然消滅っすね。木場って人物のことはちょこっと調べたけど、まだ入院中っす。まあまあ悲惨なことになってるとか」
まあ黒架に自白剤を射った人物と聞いている。同情する気はないし、それ以上知りたいとも思わない。
「皆さん」
姫騎士さんが何歩か前に出て、そして口角を上げて言う。
「ついに分かりました」
ワンピースの裾を翻して回る。ことさら明るく振る舞うような、それとも本当に何かを楽しむ動きだろうか。分からない。女性の心は深遠すぎて見通せない。
「私、忍者だったんです」
「……はあ、なるほど」
黒架がぽつんと返す。僕はどうしていいか分からず、とりあえず丁重に聞き返す。
「あの……差し支えなければ、なぜ忍者なのか伺っても……?」
「忍者は天井裏に忍ぶとき、けして寝ないと聞いたのです。寝てしまうといびきで所在がばれてしまうので」
確かに、忍者は超人的な精神力で天井裏に潜み続ける。そういうエピソードはいくつか伝わってる。
たとえば天井裏に潜んだ忍者が槍で突かれたとき、血をこぼさないよう袂でぬぐいつつ忍びつづけ、ついに暗殺を成し遂げたとか、そんな話だ。真実と創作の比率が気になるとこだが。
ついでに言えば西都は忍者の里と呼ばれる地域にほど近い。忍者に関連する大きなテーマパークもあって観光地になっているのだ。
「でも何というか、忍者って種族とか生まれとかじゃなくて、訓練で成るもの……」
「ですから、忍者の才能があったのです。忍者について知らなければなりません。皆さん、富前霧街道に付き合っていただけませんか」
富前霧街道というのがそのテーマパーク、時代劇風の街が組まれ、巨大な忍者屋敷もある。
「いいっすね! またみんなで行くっすよ」
「……そうだな、行こう」
僕は朗らかに笑う。
どこにでも付き合うよ、姫騎士さん。
それが僕たちにとって茨の道でも、不幸の扉しか存在しない回廊でも。
姫騎士さんが苦しむ以上に、僕が苦しんでみせる。
だからもう少しだけ、この世界がこのままであるように。
三人が、三人のままでいられるように……。
※
「今回はミステイクでした」
理事長室にやってきたメイド服、橘姫はそのように告げる。
取り出すのはアタッシュケース。中身はパーツ単位で分解され尽くした青い機械だ。元の形も分からない。
「技術は取り込めたの?」
「いくつかはハブアグッドアイデア」
目処がついたという意味だ。なんでこんな喋り方なのだろう。言語能力の進化は優先順位が低いのだろうか。
橘姫は世界各地にラボを持っており、ロボットたちがあらゆるものを生み出し、また分析している。
しかし今回の収穫物、永久エネルギーについては出力が大きすぎて取り込めないらしい。使用するには出力を極限まで絞らねばならず、それ以上に上げると暴走。一度暴走させるとこの国が消えるまで火が消えないそうだ。
それ以外にも兵器やセンサー類、特殊装甲などは既存の技術で代替可能。危険を犯したほどの成果は上がらなかったらしい。
「何ごとも一歩ずつよ。成果がマイナスよりはいいでしょ」
「ミネギシ、ユーは何をしてるのです? 予言にある「この世の滅び」はいつウェイクアップしますか?」
そう問われて、私はのっそりと立ち上がる。
窓際に寄れば三人の高校生が見えた。楽しそうで幸福そうで、それでいて奇妙な緊張感をはらんでいる。女二人に男一人の組み合わせだ、何かしら恋の駆け引きでもあるのだろうか。
「すでに特異点、つまり事態の中心は捕捉してるわ。捕獲のための術式を集めてるところ」
「おう、リアリー」
「この町には世界有数の実力者が集まってきてる。ただの人間が障害になるとは思えないけど、特異点にだけは慎重に当たらないとね」
橘姫は感心したようにうなずく。
「グッド、さすがミネギシです。私はどうすればいいですか?」
「あなたは目立ちすぎるから、西都を離れてた方がいいわ。作戦決行のときは呼ぶから」
「それを手に入れると、何がどうなるのです」
「さあね。日本円で50京円あげるって言われても何がどうなるか想像できないでしょ。そういうものよ」
「はあ」
橘姫はまだ釈然としないようだ。仕方がない。私もすべてを理解してるとは言い難い。
だが、まあ、高校生の三人よりは、多少は分かってなければいけないだろう。そうでなければこんな極東の片田舎の、素敵な少年少女たちの物語に割って入る資格はない。
「……哀れな子」
その中心にいるのは、あの黒髪の少女。
これはどんな話だろうか。
奇妙で不思議で、美しくて悲劇的で、官能的で痛ましく、慎ましくて美々しくて、救いがなくて希望に満ちて。
そしてきっと、愚か者たちの話だ。
「……なれるとでも、思ってるんでしょうね、神様に……」




