第五十一話 【極大深度十握隠】
時が止まるような空隙。
姫騎士さんが何をしたのか、何が起きたのか、直後は誰にも分からない。
まばたきを経た次の一秒。変化は足元に生まれる。
広範囲に渡って砂が一瞬で消滅。消滅範囲は円。爆発的な速度で拡大。つまり僕たちは全員が空中に投げ出される。
「うおっ……!?」
それは縦穴。
それが穴なのだと認識するのが遅れる。視界の果てに土色の地層が生まれてそれは穴の拡大とともに黒くなり、360度の全てが曇天と闇色に塗り分けられる。意識が急に広がるような感覚。
僕らは自由落下になっている。風圧で目が開けられない視界の中で、壁面がぎらりと光ったような気が。
「フォームチェンジ、エアクラフトモード。アダプト・バイ・サテライト」
天からの青い光。それは量子ビームに変換されたジャスティスマスクの装備だ。重装備が分解されて吹き飛び、新たな装備が実体化する。
まずい、やはりテレビ版と同じその換装手段が使えるのか。ここで飛ばれたら――。
「遅いですよ……」
爆発。
翼を広げる瞬間、ジャスティスマスクを包み込むような閃光と爆発。
それは一つではない。マシンガンのように持続的に小爆発が起きている。
そして見た。外周を覆う無数のきらめき。それは砲門だ。ロケット砲に重機関銃、ガラスの半球は何らかのレーザー兵器か。
この縦穴の直径はざっと数キロ。その壁面を埋める兵器群となれば何万、何億。
しかし一体、この場所は何だ!?
無限のごとき縦穴、壁を埋める兵器群。これがジャスティスマスクに関連する場所だというのか。
ジャスティスマスクは無数の攻撃を浴びている。そのボディに大口径弾が打ち込まれ、爆風がアーマーを弾き飛ばし、レーザーの熱がスーツから生身に浸透しようとしている。大銀行の金庫であろうと粉砕する飽和攻撃。全方位からの同時攻撃のためにジャスティスマスクの横座標が変化しない。
「昼中っち!」
がし、と肩を支えられ、自由落下に急制動がかかる。縦穴があまりに巨大なために分かりにくいが、今の十数秒の攻防でも1000メートルは落ちたはずだ。
風斬りの音、見れば桜姫と先生が抱き合い、桜姫の背中からローターブレードが出て回転している。そんなものを仕込んでたとは。
「黒架、姫騎士さんとジャスティスマスクを追いかけてくれないか」
「危ないっすよ、よく分からないけど途轍もない攻撃が……」
黒架が浮遊から下への飛翔に切り替えたが、姫騎士さんと青い機体はかなり下方だ。飽和攻撃から生まれる黒煙が高速で上に流れてゆく。僕は先生の方へ声を張る。
「先生、無事ですか!」
「大丈夫……桜姫の装備は重奏概念を応用したものだ。大抵のものは出せる」
下方から閃光。縦穴を純白に染め上げるほどの光。
「フォームチェンジ、シャイニーバードモード」
「! まだあるっすか!?」
まさかそれまで出してくるとは。
シャイニーバードモードは設定上にしか存在しない、テレビシリーズでは最後まで使われなかった幻の形態だ。そのスーツの本来の持ち主、悪の首魁ゼロ・シャドウのための技と言われる究極形態。
スーツ内の永久エネルギー機関を暴走させ、エネルギーそのものを質量として纏う技。ジャスティスマスクは巨大隕石を砕くためにこの形態になろうとしたが、結果としては世界中が協力した核ミサイル攻撃によって隕石を逸らした、そういうエピソードだ。
つまりそのエネルギーは、全世界の核ミサイルに匹敵――。
「無駄ですよ」
気がつけば砲撃が止んでいる。なんだ。なぜ止んでいる?
姫騎士さんが手を軽く広げる。それは自由落下状態にある己の軌道を操作する動きだ。風を捉えて赤熱しているジャスティスマスクに近づく。
光に包まれんとするその体に、空中でバク宙を切って、とん、と胸を蹴って離れる。
ジャスティスマスクは一瞬、虚を突かれたようだ。互いの軌道をわずかに変えるだけの蹴り、攻撃とも認識しなかったのだろうか。
そして次の瞬間。黒い影がジャスティスマスクを撃ち抜く。
上空より来たる黒い槍。直後に百の雷鳴を束ねたような衝撃波。体が引き裂かれそうになる。
「なっ……!?」
「一発の重量およそ4000トン。地上から射出された質量弾です」
姫騎士さんは悲しげな声をしていた。ずっと変わらぬ自由落下の暴風の中で、その声は張り詰めた糸のように響く。
「この縦穴の深さは約3000キロ、マントルを貫いて外殻にまで食い込んでいます。地上の大気の数パーセントがこの穴に流れ込み、圧縮されて鉄の硬度となるのです。そして次の段階では、無数の純水爆によって外壁を崩します。それは地球の質量のおよそ一万分の一、60京トンという岩塊とマグマがこの穴を埋めるのです」
縦穴の中央には黒い柱。
それは質量弾か。あまりにも絶え間なく連続で打ち込まれているため、繋がって一つの柱に見えているのか。
その下でジャスティスマスクは押し込まれていく。地球の核に肉薄する深さまで、奈落の底よりなお深き場所まで。
姫騎士さんは自由落下の風を受け、じっと下を見ている。かなり距離があるのに、風圧でまともに目が開けられないのに、なぜか姫騎士さんの表情が分かる。そこに深い哀れみがあると思えた。
姫騎士さんはジャスティスマスクを哀れんだだろうか。世界で一人ぼっちになって、今まさに星の中心に封じられる彼を。
「……ここはあなたが魔王となった場所。あなたを倒すために地球のすべてを用いた牢が生まれたのです。もちろん地球もただでは済まない。もう人の住める星ではなくなるでしょう。そうであってもあなただけは封じる。そんな場所は存在することすら禁忌。でもその場所にも名はあるのです、それが」
「極大深度十握隠」
だん、と地面を踏む。
一瞬膝が沈む感覚、尻餅をつきかけるのを何とかこらえる。
「オレはまだまだ戦う! また応援に来てくれ!」
その声が遠く聞こえる。ここはヒーローショー会場の外。街灯がわずかに照らす深夜の遊園地である。
「……戻ってきたのか。ジャスティスマスクは、健在のようだけど」
「封印が完了する前に繋がりを絶ちました。あと数秒、向こうにいたなら、こちらのジャスティスマスクさんも消えてたでしょう……」
姫騎士さんはやや気だるげに言う。しとやかながらも常にはっきりと話す姫騎士さんには珍しかった。そのように物憂げで、夜の持つ幽玄さと女性らしさが溶け合うような様子は。
「次は深夜0時の回ですね。おおよその方針は分かりました。次の回であの方を止められると思います」
「いや、待ってくれ」
僕は手を挙げて言う。
「朝の4時の回にしよう。姫騎士さんも疲れが見える。少し休むべきだ」
「ですが……ヒーローショーの余波が」
「もうパイレーツのあたりは壊滅してる。とうせ明日になれば大騒ぎだ。最大まで被害が出ても園の外までは行かないだろう。それよりは次に確実に終わらせるために休もう」
「そうだね、ここはインターバルを置こう」
亜久里先生もやってきて同意する。その背中で桜姫がおぶわれて、ぐったりしている。
「がすけつ……」
「桜姫のメンテに時間が欲しい。ついでに騒ぎが外に漏れないための工作にもね、何時間かは必要だ」
「……分かりました。では一緒に行動しますか?」
「君たちは事務所に行くといい。情報を得たけど仮眠室がある。このキーで開けられるから」
と、先生は先ほど見た水銀のような鍵を僕に渡す。
「私は車で桜姫のメンテしてる。同時に地下もモニターしてるから、君たちに何か近づいたらスマホに連絡入れるよ」
「分かりました、先生もお気をつけて」
「ん、じゃあ朝の3時50分にここで」
残されたのは僕たち3人。
遊園地にはまだこうこうと明かりが灯っている。怪人がいることも考えると明るいほうがいいだろう。
果たして地下にはまだ怪人がいるのか。黒架が接触したという橘姫はどこに行ったのか。
それも含めて次で終わる、そんな予感がある。
「姫騎士さん、黒架、これから休むけど、深夜0時と2時のショーには手を出さないでくれ。たとえどれだけ簡単な仕事に思えても、一人で行動しないでほしい」
「はい……」
「みんなで一緒に休むっすよ。いつかのお泊り会以来っすね」
何しろ伊島は広い遊園地だ。事務所はショーの会場から20分ほど歩く。ある程度の距離がないと不安だから丁度いいぐらいだろう。
仮眠室に入ったのは深夜11時15分。畳の間であり、隅に布団が積まれているだけの簡単な部屋だ。
集合が3時50分だから、身支度の時間を考慮して4時間ぐらい眠れるだろうか。
一時は世界が危ういほどの事態かと思われたが、僕の中でその実感が遠くなっている。
それというのも先ほどの光景のせいだろう。想像を遥かに超えた世界を見てしまった後では、今現在のジャスティスマスクには焦ることができない。
「昼中っち、こっちの布団が若干フカフカっすよ、一緒に入るっすか」
「やめとく、さすがに他の女子がいる横でイチャイチャできない」
それはごく自然な発言であり、黒架もそれはそうだなという様子で頷き、布団をかぶる。
「4時間だけ寝るとか慣れてないっす……」
「レム睡眠の波が90分と言われてるから、仮眠はできれば90分の倍数がいいんだが……まあ仕方ないな。ちゃんと起きられるかどうか不安だけど」
「お二人とも、時間が来たら私が起こしますよ」
白ジャケットだけ脱いで、ハワイ柄のチューブトップ姿の姫騎士さんが言う。彼女も布団に入っていたが、それは体を冷やさないようにだろう。
「頼んだよ」
「はい」
淡々とした光景。電気が消され、僕たちは闇を共有する。布団に入ったまま手を取り合うような感覚。
だがやはり、眠気は遠い。
地球規模の戦いを見た直後なのだ。血流は早く、目は自然と見開かれ、子供のように興奮する気持ちが胸にわだかまる。
闇の中でじっと動かず、それでいて早足で歩くような昂ぶり、そんな中で思うのはやはり姫騎士さんの事。
また、新たな力の一端を見た。
姫騎士さんの能力について言語化は難しく、姫騎士さん自身にもどこまでやれるのか分かっているのかどうか。
それは例えば、隠れている世界を見つけ出す。オカルト的に言えば結界を暴く。
それは例えば、よく似た別の世界を引き込む。科学者が言うなら平行世界へ渡ること。
それは例えば、起こり得る未来へ移動する。平和になった世界も、世界の終わりも思いのままに。
だがそれすらも、姫騎士さんの全容の前では「点」に過ぎない。
ジャスティスマスクを封印した世界。あれは人類の未来の一つとも思えず、結界や平行世界ともまた違う。
言うなれば、想像しうる世界。
たとえ一秒後に崩壊してしまう世界でも、現実には絶対にありえない世界でも、想像できる限り具現化し、安定させる。それが姫騎士さんの力なのか。
それは果たして、超能力とか魔法という言葉に収まるものなのか。
それほどの力を持った者は、いったい何と呼ばれるのか……。
「……?」
きい、と音が鳴った。
暗闇に眼が暗順応しきっており、ごく小さな明かりすらも見える。夜光塗料の塗られた壁掛け時計は、深夜3時を示していた。
(姫騎士さん?)
僕は眠っていたのだろうか。ずっと休みなく姫騎士さんについて考えていた気がする。だが眠気はなく、寝起きの気だるい感覚もない。頭は冷めてきてるが、内臓がまだ興奮して熱を持つような。
僕はそっと起き上がり、ゆらゆらと揺れるドアをくぐり、暗闇の廊下を歩いて、部屋を出た誰かの後を追った。




