第五十話 【秘史めきの果て灰風の丘】2
衝撃が、槍のように全身を貫く。
感覚の喪失、体が弾丸となって砂に突っ込む。
「がっ……」
横隔膜が上がりきって息が吸えない。眼球が飛び出しそうだ。骨も関節もきしみを上げて全身に恐慌が走る。
だが、なぜ。
なぜ五体満足でいられる?
もうもうたる灰色の空、それは雲の高さまで打ち上がった灰色の砂だ。僕の体に雨のように降りそそぐ。
「姫騎士さん……!」
それは彼女だ。灰の中に足を突き入れて身を支えている。彼女が踏みとどまって衝撃を半減させたというのか。
ジャスティスマスクが反転。再度の突進。技などではない獣のような猛進だ。それと姫騎士さんが触れる刹那、互いの体が弾かれたように分かれる。
あれは体術か。おそらく足場が柔らかい砂であることを利用し、ジャスティスマスクの突進を斜めに受けて勢いをいなしている。ビー玉にビー玉を当てたとき、その軌道がY字を描くように。
「静まってください、私たちはあなたの話を……」
ジャスティスマスクの腕が光る。飛び出すのは金属の棒だが、表面が真っ赤に赤熱している。熱は瞬時に高まり表面からばちばちと放電。磁界を三次元的に循環させ、超高熱のプラズマを刃に変える剣だ。
「プロミネンスブレード!」
「止めてください、どうか……」
設定上は1万度にまで達する剣。だが今のジャスティスマスクの力が初期設定に収まるのか。
刃渡りにして二メートル近い光の剣が、一瞬で加速して姫騎士さんを。
――斬る。
「!!」
陽炎に揺らめく地平。時間が引き伸ばされ、空間が無限に広がるような感覚。姫騎士さんの体が、ずれるように動いて砂丘の向こうに。
「姫騎士さん!!」
その時、がいん、と硬い金属同士がぶつかる音。
ジャスティスマスクに躍りかかった影。それは小柄なメイド服の少女、桜姫だ。ジャスティスマスクの光熱の剣と、巨大な両手剣がせめぎあい、火花と言うより溶解した金属片がはじけ続ける。
「うぎぎぎ」
「桜姫! だめだ引いてくれ! そいつの力は」
「ろけっと!」
その背面から吹き出すジェットノズル。ほぼ同時に爆発的に吹き出す火炎。光の剣を弾いて金属片を飛ばす。
そして回転。光を纏っての三次元的回転から生まれる無数の斬撃、ジャスティスマスクが腕でガードする上から光の筋が突っ走る。衝撃で灰が舞い上がり、丘の形すら変える。
がし。
しかしその優位は一秒未満。桜姫の両手剣をマスクに内蔵されたカメラアイが捉え、剣の切っ先を掴まれる。
「やばい!」
「エグゼキューション・コメットパンチ!」
手首が離断。同時に吹き出す強烈なジェット。ロケットの加速を得た右腕が桜姫の剣を、その奥にある胴体にめり込んで弾き飛ばす。
その姿が視界から消える。眼球の動く速度を超越する吹き飛ばし。一瞬遅れて砂丘が続けざまに爆散し、その軌道にピンクの残像だけが残る。
「桜姫!」
亜久里先生の叫び、見れば先生も僕と同じように倒れていた。
メイド服が破れて黒い板状のものが見えている。アーマーのようなものを着込んでいたか。
「ぐっ……くそ」
ここまでの攻防は20秒にも満たない。回復どころか自分のダメージすら把握できてないが、立たねばならない。
姫騎士さんはどうなった。確認しなくては。助けなくては。こいつと戦わなくては!
「昼中っち、動かないで!」
前に出る、それは白い衣の吸血鬼。
ジャスティスマスクが振り向く瞬間、空気が歪むほどのオーラをまとわせたカギ爪の一撃。
振り下ろすと同時に打ちあがる三角波。衝撃波で大気が震える。わだかまっていた砂煙が広範囲に吹き飛ばされる。
「黒架! 姫騎士さんが!」
「まだ生きてるはずっす。こんなやつ秒で倒して救出するっすよ!」
血流がぐるぐると脳内を巡る。異様にテンションが上がっているためか、今なら僕にも分かる。黒架の足元から立ち上る上昇気流。闇夜のように世界を覆う気配。これが魔力の充実か。
黒架の爪は直線的に伸びている。五指剣と化した腕を振るい、ジャスティスマスクが防御する。
「頑丈っすね!」
斬りつける。ちゅいんと装甲の表面に走る火線。桜姫が速度なら黒架は切れ味か。防御せんとする腕の装甲板を斬りはがしていく。
「いけるっす、しょせんは生身の上に着こんだアーマー。配線を傷つけられれば力が出せないはず」
「フォームチェンジ、ヘビィガンナー」
周囲で砂柱が上がる。一瞬意識が外側に向きかける中で、ジャスティスマスクに殺到する青い影。
衝突する、がしいんと重々しい音がしてジャスティスマスクが押し飛ばされるように動く。
そしてそれは完成している。腕から肩に連結する巨大な砲身。腰に構えたミサイルポッド。全身を覆うタイル状の装甲。
「そんなんありっすか!?」
砲身が黒架を向く。一瞬で狙いを定め、おそらくは生体情報を入力して自動追尾モードに。ジャスティスマスクは大きく横に跳躍しつつ、空気破裂音と共に砲弾を打ち出して。
「狭霧の塔!」
黒架が腕を突き上げる。瞬間、周囲に形成される石の尖塔。黒曜石を積み上げたように黒光りする石の塔だ。それが完成する瞬間に砲弾が直撃し、閃光と爆炎が。
「っ!」
自分の叫び声も聞こえない。歯を砕かないようにとっさに口を開け、身を伏せるだけが限界だった。うわんうわんと頭蓋骨の中で音が反響する。破壊された尖塔の破片が周囲に散る。
今のは魔術のようなものか。おそらくは黒架の母、黒架カルミナが行ったという鏡面結界に系統としては近いもの。
視界の果てに白い影が倒れている。砂漠に流れる黄金の髪。
あれは黒架、衝撃で気を失ったのか、あるいは重傷を負ってしまったのか。
このままでは――全滅。
「ぐっ……くそお!」
立ち上がる。意識が飛びそうだが構っていられない。
立つんだ、勝てるかどうかなど考えるな、武器がないなら拳を握れ、戦士になれ。
「ジャスティスマスク! こっちだ!」
大声で呼びかける。吹き飛ばされた余波なのか喉に痛みがある。
ジャスティスマスクは装甲と兵器に覆われた体で、人形のように義務的にこちらを向く。
大丈夫、行ける。
僕がやらねばならない、こんなガラクタに負けるか。
「来いよ、ヒーロー」
がしゃり、と重々しい足音と共に迫る。僕には弾薬など必要ないというわけか。だがその慢心が命取りだ。
あのタイル状の装甲、あれはおそらく爆発性反応装甲。敵弾の着弾と同時に爆発して、衝撃の浸潤を防ぐ装甲だ。
だがお前のデフォルトのアーマーは50年の戦いで傷ついていた。大きな裂け目もできていた。きっちりと覚えている。右胸部だ。そこで爆発反応を起こせば、アーマーの内側まで無事でいられるか。
息を吐く、腰を落として構える。大丈夫だ、落ち着けている。相手の突進に合わせてカウンターを打て。砲弾を撃ち込んできたなら脇に飛べ。相手が早ければ早いほどいい、音速で近づく相手だろうと恐れるな。
「だめです」
ふわりと、前に降り立つ影。
それは姫騎士さんだ。着こんでいた白のジャケットが焼け焦げており、黒髪が乾いた風になびく。
「……! 姫騎士さん!?」
「大丈夫ですよ、私が戦いますから」
いや、その前に、姫騎士さんはさっき斬り飛ばされていなかったか。
ぎりぎりでかわしたのだろうか。あの光熱のブレードのせいで大気が揺らいだためか。
いや、そんなはずはない、確かにあの時……。
「それより亜久里先生を見てあげてください。起き上がれずにいるようです」
「だが……」
「お願い」
……。
声に逆らいがたい響きがある。僕はそれ以上は何も言わず、ゆっくり後退して亜久里先生の元へ。
「亜久里先生、大丈夫ですか」
「だ、大丈夫……ちょっと過呼吸起こしただけ」
短く浅い息をしていたが、身動きできないほどのダメージからは回復しているようだ。今は上半身を起こそうとしている。
「先生、さっき姫騎士さんは」
「私も見たよ。ほとんど息も吸えない状態だったけどね。たしかに斬られた……ように見えた。あのプラズマの乗った剣で斬られたら、肌に触れた瞬間にショック死してもおかしくない」
姫騎士さんはジャスティスマスクと対峙している。重装甲となったヒーローはしかし、姫騎士さんに何か感じるものがあるのか、簡単には近づいてこない。あるいは彼も奇妙に感じているのか。斬ったはずの姫騎士さんが起きてきたことに。
「……昼中くん、私はずっと考えてたことがある」
「……?」
「考えてた、というより、考える必要もないことだと思ってたんだ。姫騎士さんの、眠らない体質について」
「体質……」
姫騎士さんは両手を前に出して前羽の構え。ジャスティスマスクは一瞬、思考するようにゴーグルを光らせ、肩の大口径砲が火を吹く。
ざ、と砂地に降りる音がする。姫騎士さんの反応が早い。射撃の瞬間にはもう回避していた。
「眠らない体質……だが本当に眠りたいなら、最終的には何とでもなると思っていた。つまり、薬で眠ればいいと思っていた」
「……」
「ベンゾジアゼピン、トリアゾラム、あるいはヒドラジンのような麻酔薬。それに意志の力で抗える人間はいない。大怪我をして激痛に苛まれていても、重度の不眠症でも無理矢理に眠らせる。薬とはそういうものだから」
それは、考えなかったわけではない。
姫騎士さんの体質を病気と考えた場合、薬では根本的な解決にならないと思ったし、姫騎士さんも望まなかっただろう。
ただ何となく、誰もそれを口にしなかった。無意識的に避けてたような気もする。
それは、恐れだ。
薬まで使って、それでも眠れなかったら、それは何を意味するのか。
それを証明するのが怖かったから、だから誰も試さなかった。とことんまで検証することを避けていた。
「姫騎士さんの体質は、本当に眠らないことなのか」
先生が言う。その視界の先で姫騎士さんの動きは羽のように軽い。ジャスティスマスクの掴みかかる手をそっと弾いて軌道をそらし、砲門が己に向く瞬間には大きく動いて回避する。この数分でさらに動きが早まっている。速度だけでなく正確無比、流麗の極みのような体術。
「そもそも眠らない存在とは何なのか。それは眠りを必要とせず、常に覚醒し続け、けして弱みを見せることがない。つまり、絶対に活動を止めない存在」
「先生、それ以上は」
「姫騎士さんに存在しないのは、停滞や停止、封印、自失、昏倒、気絶、昏睡、そして終わりすらも無いとしたら」
……。
姫騎士さんの手が。
その白く柔らかな腕が、機械の戦士の反応速度に追いついている。
超高速で繰り返される組手のような動き、理詰めの位取り、電子の演算速度すら凌駕して、姫騎士さんの手がジャスティスマスクを捉える。
ヒーローの腰から白煙。ミサイルポッドを使おうとした気配があったが、それよりも姫騎士さんが早い。
彼女は目を伏せ、世界のどこかに呼びかけるような声で、言葉を放つ。
「――極大深度十握隠」




