第四十九話 【秘史めきの果て灰風の丘】1
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「ハーッハッハア! ジャスティスマスクよ、確かにお前のパワーはすごい。だがこの動滑車ならば互角の仕事ができるのだあ!」
夜10時のヒーローショー。驚くほど当たり前のように進行している。
司会のお姉さんがスカートをひるがえし、踊りながら観客に呼びかける。もちろん僕たちの他に観客などおらず、お姉さんも僕達など見ていない。透明な子供たちに声援を呼びかけ、透明な子供たちに拍手を促す。
「あのう、以前の回で組織は壊滅したような気がするのですが」
姫騎士さんが小首をかしげる。僕は簡単に解説する。
「会話の端々から察するに、新しい支部長が来て再建したようだな。ジャスティスマスクの敵組織はマスカレードというんだが、テレビ版、漫画版、小説版すべてで支部長が違う。このショーで出ていた機械僧正フェイスドールというのはジャスティスマネーから続くヴィランの一人で、何度も倒されたり行方不明になってても復活してるからまあヴィランってそういうもので」
「あ、もうそのへんで」
たとえマスカレードを全滅させても、それで戦いが終わるわけではない。また新しい悪と戦うだろう。
だから永遠にこのショーが続く? それはあまりにも度を超えているというか、救いがないような。
「昼中くん、他のみんなも、情報が集まってきたよ」
先生が言う。先生は空御門潮という人物について調査していたらしい。しかし夕方から始めた調査でどこまで分かるのか……。
「空御門氏は体育大学の4年。F県の地方都市出身で、同じF県で親元を離れて一人暮らし。各種陸上競技で県大会上位クラスの成績。同時に高校からボクシングジムに所属する。プロテストは受けておらず、地元の中小企業に就職予定。スポーツで生計を立てるまでには行かなかったみたいだ」
ボクシングか……。何かこの現象に関係してるのだろうか。
「特筆すべきは少年期のいくつかのエピソードだね。彼はクラスメートに何度も暴力を振るっている」
「……!」
「状況は共通してる。喧嘩してる所に仲裁に入り、両方を殴ったというケースだ。それが確認できるだけで5回。本気で殴ってるので歯が欠けたり鼻血が出たり、入院ものの大怪我をした子もいるらしい」
「そんな情報どうやって……」
「ネットの海にはなんでもある。軽くサルベージしただけ」
少年期のエピソードだけで、その人物の人格を推し量ることは避けねばならない。
あくまで参考に留めるが、それでもやはり気になってしまう。あのマスクの下にある顔。好青年らしくも見えて、どこか複雑な心境を宿すようなあの顔が思い出される。そこに暴力性が潜んでいたのだろうか。
「他にもある。彼はあまり本を読まないようだが、図書館で正義と悪についての本を何度も借りている」
「正義と悪?」
「そう、正義とは何か、現代における正義は、みたいな本。実はあるあるネタというか、キャッチーなテーマだからその手の本は多いんだよ。正義と悪に関連付けて政治や経済を語る本だ。あらゆる分野に関連してくるからね」
海外の大学教授が、正義について講義してる姿を見たことがある。そういうたぐいの本だろうか。
「「正義と悪についての400日講義」「オックスフォード流正義の論理」「企業よ、正義の御旗を立てよ」ほかに何冊か。内容は一般的な現代政治論や経済論。その本を3ヶ月に渡り、返却期限ごとに借り直している時期があった。最後には自分で購入してるな。そんなに気に入ったのかな」
正義……。
例えば、この世の悪が許せないからジャスティスマスクの力で成敗したい。
人知れず悪を成敗する存在になったり、あるいは国家規模の出来事に干渉したい。そういう動機だろうか。だとすれば理解はできるが、果てしない話に思える。
もっと深読みすれば……そう、暴力からの脱却という考え方はどうか。
彼はボクシングジムに入っていたらしい。誤解を恐れず言えば、暴力性向をスポーツに転化しようとした、とも言えるかも知れない。正義とは何かを考え、暴力以外での道を。
……いや、でもそれだとジャスティスマスクとして戦ってるのは妙だな。今も怪人が右ストレートで吹っ飛んでるし。
「どうもピンと来ないと言うか……空御門さんが何を求めてるのか見えてこないな」
「そうっすねえ」
どごん、と爆発のような音。
敵の怪人が瓦礫をはね除け、電柱ほどの高さに飛び上がった音だ。ヨーヨーのような動滑車を操り、自動車ほどもあるコンクリート塊を吊り上げる。それを巨大な振り子運動でぶつけんとする。
「エクリプス・ジャスティスキャリバー!」
手刀で十字を切る。それは不可視の斬撃。高速で迫るコンクリート塊が豆腐のように斬り刻まれ、勢いのまま会場のフェンスも、その先にある海賊船のような遊具、パイレーツをも切り裂く。
「あっ」
遊園地を突っ走る三日月の衝撃波。鼓膜を震わせる轟音。電気がショートしてパイレーツ付近の街灯が消える。無数の街路樹やら屋台やらが薙ぎ散らされる。
「おのれえジャスティスマスク、小癪なマネを」
小癪ってレベルじゃなかったぞ。
「受けてみよ、正義の光を!」
ジャスティスマスクの全身を光が包む。その力はますます充実し、無敵の強さを体現するかのようだ。
「やばいっすよ! なんかパワーアップしてるっす! あの調子で戦われたら朝までに遊園地が更地になるっす!」
あのパイレーツの破壊はもはやごまかしようがないが。問題はそれにとどまらない。朝までに何とかしないと、あの破壊力が遊園地の外にまで及ぶのは明白だ。
「やはり、直接聞いてみるしかありませんね」
姫騎士さんが言う。
「聞いてみると言っても……空御門さん自身もよく分かってなさそうだったけど」
そう、事態をややこしくしてる理由は、空御門氏自身が何も語ってないことだ。
ヒーローを続ける動機、それは語りにくいことなのか、言語化が難しいのか……。
「何もかもやり終えた後なら、きっと話していただけます。そうですね。スーツの性能を加味して肉体の限界を考えると、50年後ぐらいでしょうか」
「そんなに待てないっすよー。地球が大変なことになっちゃうっす」
「なった場合、を引き出します」
えっ。
「ちょっと大変なので皆さんご協力お願いします。携帯のアラームを2分後に合わせて下さい」
僕たちは顔を見合わせ、ともかく言うとおりにする。
「できたよ」
「できたっす」
「私の端末ってアラーム機能とかないけど……まあ適当にネットから落としたよ。これでいい?」
先生も箱型端末を見せる。120からカウントが減り始めていた。
ちなみに桜姫は観客席の上の方で丸くなっている。このとんでもない音の中でよく眠れるなと感心する。
「いいですか、私のスマホも120カウント経過でアラームが鳴ります。これは滅びを告げるアラームだと考えてください」
「うん」
姫騎士さんの催眠にかけるような手法もだいぶ慣れてきた。僕は自分のと姫騎士さんのスマホを見比べる。
姫騎士さんは自分の髪の毛を何本か抜き、スマホケースに結ぶことでそれを宙吊りに。さらに手で回転を加えて回しだした。
「これは滅びを内包したスマホ。誰かが手で持つとカウントが進みます。だから常に吊り下げて、誰も触れられないようにしています」
バズビーズチェアのようだ。と感じる。
1702年。イギリスのノースヨークシャーにおいて、トーマス・バズビーという死刑囚が絞首刑にかけられた。
その後バズビーが愛用していたオーク材の椅子。それに死者の呪いがかかり、座った人間はほどなく死ぬと噂が立ったのだ。
現在、その椅子はとある博物館に展示されているが、誰も座れないように天井から吊り下げてあると聞く。
触れてはならないスマホ。見てはいけない数字。それに意識が引きつけられる。
スマホは回転し、数字はかすかに残像として見え、それは減っているのかあるいは変わっていないのか。そして。
アラームの重奏。
寸分の狂いもなく同時に鳴ったアラームに心臓が跳ね上がる。
鳴ったのは僕たちのスマホか。あるいは姫騎士さんの。
「え……」
灰色が広がる。
気がつけばそこは砂漠だ。ひとかけらの生命も感じない灰色の砂漠。観客席もステージもどこかへ消えた。
「秘史めきの果て灰風の丘」
それは何という虚無だろうか。枯れ木も、小石も、虫けらも見えないゼロの世界。
空はまだらに灰色が立ち込めるのみ。太陽の位置も、あるいは有無も分からない。
丘の上に、青い機体が。
「ここは無敵となった者の果てです。ジャスティスマスクさんが絶対の強者となり、すべてを滅ぼしてしまった世界。ここなら何か語っていただけるかも」
とんでもない破壊だ。彼の力はそこまで高まっていたのか。あらゆる建造物も、自然も、空すらも壊したのか。そんな世界にたどり着く可能性があったのか。
姫騎士さんは丘を進み、僕たちも追う。風は冷たくもぬるくもなく、いっさい水気を含んでいない。
「ジャスティスマスクさん」
姫騎士さんが呼びかける。うずくまっていた青の機体は、バチバチと火花の音を立てながら胡乱げに振り向く。
「ああ……まだ、人がいたのだね」
「ジャスティスマスクさん、どうして世界を滅ぼしたのですか?」
滅ぼした。
そう言われて、ジャスティスマスクは狼狽えたように周囲を見る。何も意味あるものは無く、再生の可能性すら閉じきった世界を。
「滅ぼした……オレが、か」
「どんな小さな悪も許せなかったのですか? だから自分以外の人を、赤ん坊さえも」
「違う! そんなことは思ってない!」
彼は老人の声になっている。必死に首を振り、考えようとする。
なるほど、これは催眠による尋問に近い。
ジャスティスマスクはいま内省しているはずだ。どうしてこんなことになったのか、自分で自分の内面に潜ろうとしている。
姫騎士さんはそっと手を組み合わせ、巫女のように、意識の隙間から入り込むように問いかける。
「では、ひたすら力に溺れたかったのですか? 恍惚のうちに山を砕き、海を干上がらせた」
「そんなはずはない……私は戦ってる間、いつも辛かった。早く逃れたいと思っていた」
重要な証言だ。僕はスマホのメモに書き留めておく。
「では、何かを求めていたのですか? 富や名声を。そのために社会と衝突した……」
「何も、求めてない……何も」
取り繕った言葉には思えなかった。マスクの下で歯を軋らせる気配。焦りの中で彼は思考している。どうして世界は滅んだのか。自分は何がしたかったのか。
「お、オレ、は……」
青いマスクの上から髪をかきむしるような動き、混乱と煩悶。マスクの奥で眼球が目まぐるしく動くかに見える。
何を語るのか。何にたどり着くのか。
僕たちは息を呑み、そして。
その青いマスクが、僕たちを。
「!!」
砂地が爆発。一瞬で間合いを詰めた青いスーツが、僕らに躍りかかろうと。
割り込む影。黒架の脚がその胴部を捉え、弾丸のように吹き飛ばす。
雷鳴のごとき音。データベースでは170キロあるはずのスーツを30メートルは蹴り飛ばす。
「大丈夫っすか! 昼中っち!」
「だ、大丈夫だ」
鳥肌が引かない。
今の一瞬、明らかに殺気があった。僕だけでなく全員を消そうと……。
「まさか……」
声を漏らすのは姫騎士さんだ。
一瞬遅れて唇をわななかせ、寒気に耐えるように己を抱きしめる。
そうだ、姫騎士さんが僕らを危険に晒すような手を打つのは考えにくい。
今の一瞬、あの姫騎士さんにすら予想外な事が起こったのだ。
「なぜです……! なぜ語るのを拒むのです。すでに世界は滅んで、誰もあなたを咎める者はない。どんなどす黒い欲望でも、高慢を極める理想でも……」
「やめろ!!」
がしゃり、と立ち上がるジャスティスマスク。その体はよく見れば傷だらけだ。いくつかのパーツは剥がれ落ち、裂け目のような大きな傷には火花が散っている。
黒架の蹴りのためではないだろう。50年に渡る戦いの爪痕だ。
「オレを見るな……! オレを知ろうとするな! オレに何も語らせるな!!」
背面からエンジンノズルを突き出す。そこからは最初に黒煙。世界を闇夜に染め上げるような猛烈な煙。
やがて火力が安定していく。炎が背後の砂を吹き散らし、やがて青白い光となって、きいいいというジェットエンジンのような音が。
「……! 私が止めます」
「姫騎士さんだめだ! 危険すぎる!」
「許可できない。ここは引こう」
左右から腕を取るのは僕と亜久里先生。それは当然だろう。いくら姫騎士さんでも生身の人間だ。
「大丈夫です……私が、責任を取らないと……」
言い合いをしてる余裕は2秒もなかった。
ジャスティスマスクが地を蹴り、その突進の速度は、初速から音速を超えていた。




