第四十五話
「先生、今のは何なんですか、まるで本当に攻撃が……」
「出てたみたいだね。桜姫には分かったんだろう」
観客席から外に出てみれば、すでに次の回への行列が生まれ始めている。この炎天下だというのに手で扇いだりハンカチを頭に乗せたり、しんどそうな様子だ。
「しゅじん!」
と、桜姫が走ってくる。5歳かそこらの体をメイド服で包んだ姿、もちろん一斉にスマホが向けられる。
「桜姫、どうしてステージに上がったの」
「かみなり!」
雷、やはりそうか。あの雷は現実に出ていたと……。
「先生、とにかく出演者に話を聞いてみましょう、スタッフの控室ってどこですかね」
「いま調べてる」
先生はスマホを例の箱のような形状に変える。その中に無数のPC画面が浮かび、淘汰されるように次々と消えていく。
「裏アカウントを含めたスタッフのSNSによると、ジャスティスマスクは最近、控室に戻ってないらしい」
「戻ってない、って……」
「監視カメラの方を調べてみよう」
と、先生はパークの案内板へと移動する。乗り物や売店がイラスト調に描かれた大きなものだが、先生はその裏へと回り、端末から光を照射する。
「近いものから順に16台を表示、体格と歩き方で本人を同定する」
投影されるのは監視カメラの画面。この短時間でカメラのハッキングまで……。
「分かりました、この方がジャスティスマスクです」
姫騎士さんの眼も早かった。右上の画面にて、移動してる一人を指差す。大きめのリュックを背負った人物だ。
「身長187から188センチ、体重105から107キロ、間違いありません。怪人さんも見つけました」
怪人は観覧車の近くを移動している。オフィス棟とは別方向であり、どこに向かうか判然としない。
「そうだね、こちらの分析でも同定できたよ」
「二人とも普段着っす、あの衣装をもう脱いだっすか」
「ん、いや、あの衣装ってARなんじゃ……」
言いかけて、先生もはてと首を傾げる。
ARで演出をサポートしてるとはいえ、さすがに出演者が普段着でステージに上がるとは考えにくい。あのアーマーは実在してるはずだ。
僕は思い出しつつ口を挟む。
「設定によると、ジャスティスマスクのメタルアーマーは折り紙のような構造になっていて、薄く小さくたためるんだよ。リュックに入った状態から射出して、0.04秒で変形装着する。大気中の水分を取り込んで高分子化し、耐衝撃ゲルに変えて充填させ……」
言ってて混乱してきた。それはテレビドラマでの設定だ、現実にあるわけがない。
「重奏概念」
先生が言う。
「ジャスティスマスクが、現実にいることになっている」
「……!」
まさか、そんなことが。
「でもさっきの放電球での攻撃、怪人の側から」
「そうだね、それにジャスティスマスクからは放電が現実の出来事だと分かったはずだ。それなのに芝居を続けていた。すでに二人とも重奏に引きずられてる」
「お話を聞くべきですね。私、ジャスティスマスクさんをお連れしてきます」
姫騎士さんが駆け出す。特に人混みの濃いステージ近くのエリアだが、誰にも触れることなく風のように走る。
「よっし、じゃあうちは怪人の方を押さえるっす」
黒架も行ってしまう。僕はその場で固まってしまった。
「ふ、二人とも……」
「あの子たち行動力あるねえ」
でも、と先生が端末を操作する。
「怪人の方は捕まりそうにないな。地下に入られた」
「地下……? 地下なんてあるんですか、ここ」
「いま電磁波反響で調べた。同時にネットワーク上で収集できる限りの伊島遊園地の資料もね。この遊園地は電気と水の地下共用溝があるぐらいで、記録上では地下施設は一つもない、にもかかわらず……」
先生は端末を示す。
そこに広がるのはアリの巣のような、あるいは網の目のような巨大な地下施設。
「観測できるだけで地下400メートル以上。生命反応も多数ある」
「まさか、怪人たちのアジトが……!?」
※
「確かに、オレがジャスティスマスクのスーツアクターやってる空御門だけど……」
空御門潮、22歳で体育大学の四年生。長身で筋肉質の男性であり、プロレスラーのようながっちりした体をしている。
「あなた方は一体……」
「あなたに起こっていることの専門家」
メイド姿の先生がぴしりと切り出す。空御門はそれで察するものがあるらしく、申し訳無さそうな仕草でうなだれる。
「そうか……やはり異常なことだったんだな」
うーむ話が早い、これが大人パワーか。それともメイド服パワーだろうか。
聞き手は僕と先生と桜姫、それに姫騎士さんだ。場所はパークの南東にある4階建てのレストラン。最上階はイタリアンになっており、桜姫はなぜかエスカルゴをもりもり食べていた。
黒架はまだ戻ってない、前回のバクの経験もあるし無茶はしないと思いたいが。
「たばすこ!」
言いつつ僕のスパゲティにタバスコをしこたまかけてくれる桜姫。スパゲティがどんどん血の池に沈む。
「まいるど!」
そして粉チーズを一振り、ありがとう桜姫、これ食べても必ず生きて帰ってくるよ。
「きっかけは二週間ほど前なんだ。ステージ上の殺陣に異様なほど集中できるようになって、アーマーの重さとか、金属のきしむ感じとかがすごくリアルに感じられた」
たしかに、ゴーグルをかけてた僕らも、まるで現実の戦いのように感じた。
「そしてある時に気づいたんだ。怪人が毎日変わっている。あるいは毎回のステージごとに」
あのようなヒーローショーでの最大の懸念の一つとされるのが悪役の不足だ。ヒーロー役は同じキャラクターが出ずっぱりで良いが、敵役のスーツを複数作るのはコストがかかる。
とはいえ遊園地でのヒーローショー。敵は1パターンでも大した問題にはならないし、3体も作れば十分に回せるだろう。
逆を言えばステージごとに敵が変わるというのは、現実的にありえない。
「それに何だか妙な感じなんだ。始めて出会う敵とはいつもアドリブで掛け合いやるんだが、他のスタッフが誰もそれを疑問に思わない。怪人役のアクターと出会うことがない。それに、一日に12回も上演してるのに体が疲れないんだ。眠くもならない……」
「12回……?」
「そうだ……。お客さんはいないんだが、深夜から明け方もずっとスケジュールが……」
僕はポケットに入れてたパンフレットを見る。
そう、ステージは一日六回のはずだ。だいたい伊島遊園地の営業時間は午後8時まで、クリスマスから年末年始の10日間のみ夜10時までの営業だ。
「2時間おきに35分のステージ……。なんだか不思議なんだが、それに疑問を持たなくなっていくんだよ。明け方にステージをやることも、家に帰らずにいることも……」
「待ってください、ということは空御門さん、眠ってないのですね?」
――!
姫騎士さんの言葉ではっと気付く。
滅びの予言。まさか、この人物もまた「眠らざるもの」
その出現に伴って世界が終わるという……この一件がそうである可能性もあるのか。
「典型的な重奏だね。海外にも類似の例がある」
先生は端末から映像を投射し、テーブルに映し出す。
「ればにら!」
桜姫は一階の中華レストランに出前を頼んでいた。怒られないかな。
「優れた芸術は重奏が生まれやすい。絵を描いてるうちにその絵の登場人物が自分を訪ねてきた。舞台を演じてるうちに、敵役の役者が本当に仇に思えてきて凶事に及んだ。そんな話はいくつか残ってる。有名なのはモーツァルトのレクイエムだね」
それはモーツァルトの死の間際の話だ。
彼が依頼を受けてレクイエムを作曲しているとき、黒尽くめの人物が何度も訪ねてきた。モーツァルトはその人物が死神だと思い、自分への葬送曲を作らせていると考えた、そんな話である。
芸術家が創作にのめり込むとき、現実と幻想の境目が曖昧になる、そのような伝説として伝わっている。
「ということは、ジャスティスマスクを演じるうちに、ジャスティスマスクが現実の存在になった……」
僕が言うと、空御門氏は大きな体を縮こまらせて悄然となる。
「問題はそれだけじゃないんだ。この戦いがいつ終わるのか、ということだよ」
「うん……?」
先生が片方の眉をぴくりと動かし、空御門氏は深い苦悩を見せるように言う。
「来る日も来る日も新しい怪人が出てくる……。いくら倒しても終わりがない。やつらを全滅させても、また別の組織がどこかに生まれるだろう。オレはいつまで戦えばいいんだ。いや、戦うことが苦しいんじゃない、解決策が見いだせないことが辛い」
ぎしり、とどこかで建材がきしむような音がする。
それは不可視のプレッシャーだ。建物全体に重力がかかるような圧迫感、ただならぬ事が起きてる緊張感。
僕はテーブルの表面を這わせる声で姫騎士さんを呼ぶ。
「姫騎士さん、これは一体」
「複雑です。重なり合ってて安定してなくて、私にもはっきりと見えません。まだ確定してない感じです」
この重奏は、やはり空御門氏の妄想の産物なのだろうか。地下にあるという敵のアジトも、生まれてくる怪人たちも……。
その時、かんこんとチャイムの音が響く。
それはレストラン近くの広場でからくり時計の演奏が始まる合図。そろそろ午後四時である。
「すいません、オレ行かないと」
空御門氏は立ち上がって店を出ようとする。
「あの、コーヒー代」
「ああ気にしないで、話を聞きたいって言ったのこっちだから、私が持つよ」
亜久里先生がひらひらと手を振り、空御門氏は店を出ていく。今、話し合っていたことを完全に忘れてしまったかのように、何の疑問も抱かずにステージに向かう。
あるいは僕たちの側が妄想に引きずられた気さえする。彼はヒーローであり、彼の悩みをどう解決すべきかを話し合っていた、そんな記憶の混乱が。
「がんばれ!」
桜姫は手を振り、僕たちは額を突き合わせる恰好になって言葉を交わす。
「先生、どうしたらいいんでしょう」
「手っ取り早いのは、あのデカいお兄ちゃんを拘束しちゃうことだね。麻酔で眠らせて病院へ運ぶ」
「そんな乱暴な……」
「そう? この現象が妄想から生まれてるなら、もう病気と考えてもいいと思うよ。環境をガラッと変えて、病院でゆっくり休めば改善する可能性はある」
……。
そうすべきなのだろうか。
確かに観客に被害が出てからでは遅い。それにこのまま重奏が広がれば、怪人が遊園地の外に出る可能性だって……。
携帯が震える。
通話アプリでの連絡、黒架だ。メッセージは短いものだった。
――怪人さんたちとお話してる、みんな良い人。
……。
「……え、もうアジトに入ったのか? だ、大丈夫なのかな?」
「昼中さん」
声に反応して横を見れば、鼻が触れるほどの距離に姫騎士さんが。
「な、なに?」
「私、ジャスティスマスクさんについてます。今はショーを無事に終えられることに集中して、閉園時間になってから対策を練りましょう」
「わ、分かった」
姫騎士さんもレストランを出ていく。
残されたのは僕と先生、それとホットミルクにストローで空気を送り続けてる桜姫。
「ど、どうしたらいいんでしょう」
「ふむ」
先生は椅子の背もたれに体重を預け、向かいにいた僕をじっと見る。
「昼中くん、姫騎士さんと何かあったでしょ」
「えっ」
0.3秒ほどの動揺。抑え込もうとしたものの、声がわずかに高くなることまで止められなかった。
「さっきもそうだった。黒架さんと姫騎士さんがバラバラに出ていったのに、どちらも追わなかった。まるでどちらを追うのか選びたくなかった感じ」
「うぐ……」
「負い目を感じてる風じゃない。それなのに姫騎士さんを直視することを避けてる。何かあったというより、何かされた、かな」
「……大したことじゃないですよ。ちょっとした行き違いです」
傍から見れば、取るに足らない感情のもつれに過ぎない。実際、本当に何かの間違いという可能性だってあるのだし。
「そう、ならいいけどね」
その短いスカートで、大胆に足を組む。
「起きたことを、起きなかったことにしちゃうのは最低だよ。それは覚えとくことだね」
「……」
起きなかった、ことに。
だけど、あのことを受け止めろと言うのか。それはとても、僕には……。
「時と場合によるでしょう……」
それについて言及するのは苦痛だったが、僕はささくれ立つ心を抑えて言う。
「先生。人間なんて間違いを繰り返す生き物です。相手の言ったこととか、やったことが一線を超えかける事だってある。そんなことをいちいちマトモに受け止めてたら、互いに疲れ果ててしまう。時にはスルーすることだって必要なはずだ」
「桜姫」
ふいに桜姫を呼ぶ。メイド服の少女が首だけで振り向く。
「どした!」
「私の替えの服取ってきて、車にあるから」
「わかった!」
そして先生は手元のカフェオレのカップを引っ掴むと。
手首のスナップを効かせて、己のエプロンドレスにぶちまけた。




