第四十四話
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校内は浮き足立っている。
それというのも明日からいよいよ夏休みである。終業式を終えた校内は教員の注意事項も右から左、机を立ったらそのまま吹っ飛んでいきそうな気配。校門の外で待ち構える夏の景色。
「昼中っち、頭痛っすか?」
そんな校内の気配をよそに、錠剤をがりごりやってる僕に黒架が話しかける。
「胃痛とか頭痛とか関節痛とか筋肉痛とか……」
それというのも深夜まであらゆる筋トレを繰り返して、今朝も四時起きでマラソンしてたからだ。くそう、半分は優しさでできてる薬もあまり効かない。
「そういえば鍛えてるらしいっすね、でもそんなすぐ筋肉つかないっすよ」
というより、じっとしていると余計なことを考えてしまうので、筋トレぐらいしか気の休まる暇がないのだ。
あの日、姫騎士さんの家を訪ねた日のことが瞼の裏から去ってくれない。
一体なぜあんなことが……。
いやいかん、考えるな考えるな、空気イス空気イス。
「昼中さん」
すぐそばに姫騎士さんが立っていた。夏服姿が眼にまぶしい。
「はいっ」
僕は電流を流されたように背を伸ばし、半ば条件反射的に叫ぶ。
「昼中さん、伊島の遊園地でヒーローショーが話題だそうです、ご存知ですか」
「はい存じてお゛りま゛すっ」
「どしたっすか昼中っち、奥歯を食いしばりながら喋ってるっす」
姫騎士さんも妙に力の入った様子で、ばんと机に3枚のチケットを叩きつける。
「実は知り合いから招待券を貰ったんです、皆さんで行きませんか」
「おおー、伊島遊園地っすね、行ってみたかったっすー」
「では23日の午前10時に現地集合でいかがでしょう」
「分かりま゛したっ」
「昼中っち、そんな力入れて喋ってたら奥歯欠けるっすよ」
では当日に、と言って姫騎士さんは歩み去ってしまう。わずか15秒の出来事。しかも7月23日って明日じゃないか。
「く、黒架、行くのか遊園地に」
姫騎士さんが去ってようやく金縛りが解けると、成立した約束が毛布のようにのしかかる。
「いやみんなで行くっすよ、久々に姫騎士さんと遊べるの楽しみっすね」
「そ、そうか、やはり行くのか」
何が起きたのかまだ把握しきれてない。高速で走る何かが家にぶちあたって、半壊した家の残骸を見ながら何が通ったのか推理してる感じだ。
「このヒーローショーすごいらしいっすよ。エフェクト盛り盛りで、なんとかRとか」
「AR(拡張現実)だよ。まあ見たら分かる……」
「そっか、昼中っちSF好きだったっすね、確かになんかロボロボしてるヒーローで……」
僕は机に残されたチケットを見る。青いヘルメットにシルバーのライン。全身をメタリックなアーマーに包んだヒーローの姿。
話題沸騰の正義のヒーロー、ジャスティスマスクの勇姿を。
※
西都から高速バスで一時間。
伊島遊園地とは別名を伊島の丘レジャーパークといい、歴史の長さと規模もあって、全国的にもそれなりの知名度がある遊園地である。
日本有数の木製ジェットコースター、90年の歴史を伝えるメリーゴーラウンドは特に有名で、キャンプ場やレーシングカートなど娯楽も豊富だ。
夏休み初日、当然のように黒山の人だかりである。スマホで自撮りしながら歩いてる女子の集団とか、ぬいぐるみに飛び蹴りをかます小学生とか、ハイテンションというタイトルで絵にできそうな眺め。
「残念っす、快晴だったっすよー」
そう言うのは黒架、彼女は白のロングワンピースに幅広の帽子をかぶっている。吸血鬼だから日光に弱いのだ。
「黒架、きついなら帰ろうか、そうだ帰ろう、死ぬ気で走ればバスに追いつける」
「何言ってるっすか。日焼け止めも塗ってるし大丈夫っすよ。あと魔力で日光を防ぐ術ってのがあって練習してるし」
「そ、そうか」
「だから帽子も短時間なら取れるっす、絶叫マシンにも乗れるっすよ」
「一発で気絶できるやつとかないかな」
「あったら遊園地つぶれるっすよ?」
「昼中さん、黒架ジュノさん、お待たせしました」
やってくるのは姫騎士さん。
姿を見て僕はかなり度肝を抜かれる。
膝上10センチのラメ入りタイトスカート。青を基調にしてシダの葉を散らしたハワイアン柄のチューブトップを着て、白のハーフジャケットを羽織っている。イケイケの女子大生から借りたみたいなコーデである。
「うおおおお、姫騎士さんオシャレっす! インスタ上げたら万バズしそうっす!」
「あまり着慣れない服なのですが、せっかくのイベントなので頑張ってみました」
いつもポニーテールにしている姫騎士さんの髪だが、このときは自然に背中に流れている。艶めく漆黒がきらきらと光る。黒架の金髪と並ぶと一幅の絵のような対比である。
というか視線の集中がすごい。通り過ぎる人たちが海外セレブでも見つけたみたいな視線を投げてくる。
「と、とりあえず入ろう」
「そうするっす」
ええい、とりあえず考えるのはやめだ。
この人混みの中で溺れてしまおう。ハレの日の思考に染まろう。
そしてしばし。
「次あれ! あれ乗るっす! あのぐにゃぐにゃしたやつ!」
「昼中さん! あっちに射的があるそうです!」
「うおおお、これが木製コースターっすか、さっそく並ぶっす!」
「昼中さん! トラです! トラのぬいぐるみです!」
あっちで並び、こっちではしゃぎ、飲み食いして写真撮って。黒架はなぜかサインねだられて、姫騎士さんは一緒に写真を頼まれたりしてそれは断って。
オープンカフェでロコモコを食べるのが午後の一時。まだ三時間でこの疲労だと……!?
「うーん、けっこうしっかりした味っす、肉もいいの使ってるっす」
「これがハワイ料理のロコモコですね、初めて食べました」
「西都にはファミレスとか少ないからな……浮葉モールにはあるけど」
姫騎士さんの無邪気そうな顔。平和な遊園地と楽しそうな家族連れ。遠くから聞こえる軽快な音楽……。
そんなものに囲まれてると、なんだか悩んでた自分が遠く感じる。
――何かの間違い。
そんな言葉が浮かぶ。
そうだ、そう考えよう。
僕は姫騎士さんの手足になると決めたのだから、余計なことを考えずに従者に徹すれば良いのだ、そうだそうしよう。若干現実逃避っぽくもあるけど。
「ところでヒーローショーって何時からっすか?」
「えーっと、午後は二時からだな。一日に六回あるらしい」
何度かヒーローショーの舞台近くも通ったが、特設スタンドはまさに大入り満員のすし詰め状態。音だけでも聞こうと近くのベンチまで埋まるほどである。
確実に観るには30分前から並ぶ必要があるらしく、僕らもそうする。
「こちらをどうぞー」
と、スタッフの女性が配るのはサンバイザーのような帽子。大きなアクリルのグラスがついている。
「昼中さん、これは何ですか?」
「ARゴーグルだ。これを装着して観覧するんだ、バイザー型だから黒架は帽子の下につけられるな」
「大丈夫っす」
座席はスタッフにより案内される。おおよそだが小さい子供ほど前に、中学と高校生は中ほど、大人は最後列という塩梅である。
「はーいみなさーん! 今日はジャスティスマスクの応援に来ていただいてありがとうございまーす! じゃあまず、みんなに配ったゴーグルをかけてくださーい!」
装着する。変化はすぐに現れた。
司会のお姉さんの服が変化したのだ。メタリックながらスカート状の脚部パーツを身につけ、顔以外をパワードスーツに包んだ姿。手に持ったステッキを振ると光の軌跡が残る。
お姉さんが踊るように動けば、光の軌跡がわずかに動いて文字になり、ジャスティスマスクのロゴに変化する。
「うおお、すごいっす、これテレビになってるっすか!?」
「ディスプレイな。すごいだろ、この軽さで透過型ディスプレイになってるんだ。子供が扱うことも想定してアクリルで保護してあるのが素晴らしい。市販すれば一つあたり10万はするだろうな」
「ひええ」
使用者の視線を感知し、見ている景色にオーバーラップで映像を表示する。かなりのハイテクである。
伊島遊園地はバブル期ののちに外資に買収されたらしいが、こんな太っ腹な設備投資ができるあたり資本力を感じる。
そして悪役が現れる。両手が金属の玉になったようなデザインだが、あれは静電気を発生させるヴァンデグラフ球だろうか。少年向けの科学館などでお馴染みのやつだ。
「クックック、我は静電気を操る怪人ヴァンデー。この力でにっくきジャスティスマスクを打ち倒してくれる」
怪人は舞台を練り歩きつつ、最前列の子供たちに向かって言う。
「なぁにぃ!? 静電気が何か分からないだとお!? 仕方がない教えてやろう。冬場にセーターを脱いだときなどに、パチパチと音が鳴ることがあるだろう!」
なるほど、子供向けの科学実験をショーに取り入れてるのか。これはテレビシリーズにはなかったな、唸らせる演出だ。
「昼中さん、私ジャスティスマスクさんという方は存じないのですが、どんなヒーローなんですか」
「うん、戦隊シリーズ、ライダーシリーズ、メタルヒーローシリーズとも違う独自のヒーローだ。もともとは深夜ドラマだったが、わずか数年で人気が沸騰し、映画まで作られた。特徴として昭和期のヒーローとハードSFのハイブリッドとも言われていて、スーツの機能一つ一つに山のような設定が」
「あっ、出てきましたよ!」
青いメタリックなフォルムにシルバーのライン。弁当箱のような、とも揶揄される重厚なブーツ、だがあれがいいんだ。
「そう、この歩くときのサウンドエフェクト。油圧ダンパーに加えてスラスターでバランス調整しながら歩くので設定上はものすごくうるさいらしいが、それをスマートに聞かせる音質の調整が職人技で……」
「ずっと一人で喋ってるっす……」
ショーは続いている。ジャスティスマスクが纏うのは青いオーラのようなエフェクト。怪人ヴァンデーの繰り出すパンチを弾き、互いに大きく位置を入れ替えながらの攻防。
「おのれいにっくきジャスティスマスクめ、こうなったら我輩の必殺技を見せてやろう。うぬぬぬぬぬ」
ヴァンデーが両手のヴァンデグラフ球を近づける。すると電気の放電音がして、空中に弧を描いて電撃が現れた。
「くらええい!」
そして放たれる放電球。電気が球状にまとまるのは妙な話だが、まあそのぐらいは演出として受け入れるべきであり……。
瞬間、何かの影が。
ばちいん、と強烈な音が弾ける。観客全員の肌がびりびり震えるような衝撃。
「なにいい、弾いただとお!」
「甘いぞ怪人ヴァンデー、このジャスティスメタルにそんな攻撃は通じない! いや、私の正義の心には通じないのだ!」
今のは。
「くらえい! アース・シャイナー・ジャスティスパーーーンチ!!」
「ぐわああああー!!!」
パンチを中心に円錐形の光のエフェクト、怪人は溶けるように光の中へとかき消える。
「姫騎士さん、今の見えた?」
「見えました、桜姫さんです」
桜姫……やっぱりそうか。一瞬だったから鳥かとも思ったが。
桜姫、あの亜久里先生が生み出したロボット。5歳の少女のような外見ながら、恐るべき戦闘能力を秘めている。
あの瞬間、桜姫がステージに躍り上がって、放電球を叩き切ったのだ。
――つまり、あの放電球は実在した? そんなまさか……。
その時、僕の携帯が。
まだショーの余韻は続いている、観客は何か違和感を覚えるものもいただろうが、子供たちの歓声の前には些少の疑問となってしまったのか、次々とスタッフに誘導されて退出している。ゴーグルにはIDが振られており、子供だけ前に座った家族連れも問題なく合流できているようだ。
電話に出る。
「もしもし、亜久里先生、伊島に来てるんですか」
「来てる、というより後ろの方にいるよ」
後ろを見る。そこにはウェーブたっぷりの栗毛のウィッグをかぶり、ホイップクリームみたいにフリルを効かせたメイド服の、亜久里先生が。
「君たち目立つからね、すぐ分かったよ」
……先生にだけは言われたくない。




