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姫騎士さんは眠りたい  作者: MUMU
第六章 正義の味方と姫騎士さん
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第四十三話 【逸しか愛しき万燈の宴】





お店にはいろいろな人が来る。


温泉地である西都では秋葉原とはだいぶ客層が違う。観光客が多いが、サラリーマンや高齢の男性、主婦も物珍しさでやってくる。


もちろんうちの店に死角はない。メイドたちのOJT(社員教育)には十分な時間をかけているし、店内は座席によって微妙に雰囲気が違い、どんなお客でも落ち着ける造りになっている。その時の客層によってライブステージでの曲目も変える。

有名な話であるが、メイド喫茶ではメイドとお客が一対一でトークすることは少ない。ほとんどのメイド喫茶は風営法における風俗営業店の認定を受けていないので、接待に当たる業務ができないのだ。


メイド喫茶はあくまで非日常の空間を演出する場所であり、メイドに直接何かを求めてはいけない、と私は思っている。

そういうのは何も注意せずとも空気として伝わるものだ。実際、うちのお客さんは実に行儀が良いもので、メイドの接客を受けながら静かにお茶を楽しんでる。


つまりは秋葉原には秋葉原なりの、西都には西都なりのメイド喫茶があると言うことだ。


しかし今日は何だか、妙なお客が。


「マカロンちゃん」


私はメイドの一人を呼び止める。


「はーい、どしたんですか店長」

「18番の席、あれ姫騎士さんだよね」


確かにそれは姫騎士さんだ。夏場だというのに黒のストールポンチョを着て、キャスケット帽に薄いブルーのサングラスといういで立ち。隅の方で本を読んでいる。

ちなみにうちはワンオーダー制で、1時間ごとのオーダーをお願いしている。もう3オーダーである。


「そうですねえ、キャンディちゃんが何か頼まれてたみたいですよ」

「キャンディちゃんが、へえ」


キャンディちゃんは国文系の大学に通う女子大生。かなりの読書家であり、うちのお店でも一般小説のプレゼン、いわゆる読み聞かせなどをやっている。


キャンディちゃんはバックヤードを清掃中だったので、そちらにも事情を聞いてみる。なんでも本を頼まれてたらしい。


「ええっとお、不倫とか、略奪愛が描かれた小説を紹介してほしいって言われてえ、私の家からいくらか持ってきて貸したんですよぉ」

「……はい?」


不倫? 略奪愛? 姫騎士さんが?

私はリボンとスカートの裾をびしりと整え、店に出る。給仕のついでに姫騎士さんのテーブルをちらと見れば、いくつか小説が積まれていた。足元の紙袋にさらに何冊も。


「舞姫」「それから」「ボヴァリー夫人」「アンナ・カレーニナ」


さすがはキャンディちゃんだけあってハイソな選択だ。なるほど、きっとレポートの作成か何かで。


いや、紙袋を見れば最新のやつもある。かなりどぎついやつとか、とっても生々しいやつとか。もうぐっちゃぐちゃのやつとか。


亜久里あぐり先生」


いきなり呼びかけられたので心臓が爆発する。私は動揺を隠して答える。


「どうなさいましたご主人様、あとここではティラミスちゃんとお呼びくださいね」

「私、美人でしょうか?」


すごいこと聞いてくる。


「ええもちろん、町を歩けば十人のうち十人が振り返るお美しさですよ」

「体はえっちですか?」

「え、ええとその、もちろん大変魅力的です。嫉妬しちゃいます」

「男の人をめろめろにできますか」

「姫騎士さんちょっとこっちへ」


無理やり手を引いて、厨房から二階へ、そして私の部屋へ。


「どうしたの急に、不倫の本なんか読みまくって」

「実は……落としたい男性がいるのです。その方は彼女がいるので、隠語では爆弾と言うそうです」


それキャバクラ用語だったかな。知識だけ先に詰め込んだせいか、語彙だけが豪速球になっている。


「落としたい人……それって剣道部の誰か?」

「いえ……」

「もしかして昼中くん?」

「分かりますか……」


姫騎士さんはうつむいてしまう。意外というか何と言うか、超然としてて何一つ欠点の無い姫騎士さんが恋の悩みとは。


「でも確か、昼中くんって黒架さんと付き合ってるんでしょ?」

「そこを何とかできないかと考えてるんです」

「……」


常識的な大人なら止めに入るべきだろう。でも私は自由主義だし、高校生はもう十分に大人だとも思っている。姫騎士さんに清廉潔白さを求めるのも外野の勝手な意見だ。ドロドロした恋愛劇に溺れるのも若いうちの特権と言うものだろう。


それはそれとして、常識的なことは言っておく。


「私が思うに……昼中くんってマジメな男なんだよね。浮気をするという発想もないし、他人に心移りすることもまずない。黒架くんとも過度にベタベタしてないし、それでいて互いを尊重してる、なかなかに完成度の高いカップルだよ。切り崩すのは簡単じゃない」

「ティラミスちゃんは切り崩した経験が」

「もう先生でいいから、二階はお店じゃないから」


ごほん、と咳払いをして話を続ける。


「まあ完成度が高いとは言ったけど、高校生の恋愛なんて三日後どうなってるか分かんないからね。姫騎士さんはずっとそばにいればいいと思うよ。姫騎士さんは自分らしくいるのが一番魅力的。無理に策略とか狙わずに、自分を振り向いてくれるのを待つのもいいんじゃない」


もっと言えば、昼中くんより遥かにスペックの高い男が現れるほうが早いと思うが、それは口に出さない。


何しろ全国大会を二連覇である。学校にマスコミも来てるし、県知事の訪問まで検討されてるそうだ。大会が終わってからこっち、昼中くんたちともあまり会ってないようだし。


「待つのでは……間に合わないかもしれないんです」

「……」


それは高校卒業という意味だろうか。

確かに姫騎士さんは模試でも全国トップクラス。昼中くんの成績は詳しくないが、東大理3クラスということはないだろう。卒業すれば分かれてしまう運命だ。


「でも正直なところ、姫騎士さんに略奪愛とか向いてないと思うんだけど」

「そうでしょうか?」

「だって姫騎士さんって純朴そうな感じだし、いわゆる善人だし」

「……」


姫騎士さんは少し考えてから、紙袋の中身を机の上に置く。私の執務机に色恋沙汰の本が並んだ。


「先生、こちらの本を適当に並べていただけますか?」

「え?」


姫騎士さんは真面目な顔をしている。私はわけがわからぬままに言うとおりにする。

大きな本を中央に、外側をノベルス判や文庫で囲うように並べる。


「できたよ」

「内容を知らない本はありますか?」

「ええと、この「隣家の耳」って本は知らない」

「では、その本の内容を適当に想像しながら私に説明してください。その本だけにずっと焦点を合わせて」

「……わかった。ええと、隣家の耳か……。主人公のリンコはマンション暮らしで、怠惰な日常を送っていた主婦。ある日、隣人の大学生、ショウヤが自分の家に聞き耳を立てていることに気づく」


姫騎士さんは私が説明している本の周囲で、本の配置を次々と入れ替える。別の本で押し出すように動かす様子は16パズルか駐車場パズルか、めまぐるしく位置が変わる。私の周辺視野を本のタイトルがかすめる。


「リンコはショウヤを興奮させようと、反対隣りの独身男性、ヤマモトを誘い込んで情事にふける。だがあるとき、ショウヤが家の中にまで侵入してることを知る……」


眼が無意識に本のタイトルを追い、語る言葉も無意識的なものになる。本が渦を巻くように動く。


「リンコは隣の部屋にショウヤが潜んでいると知りながら……」


だん!


「隣家の耳」に姫騎士さんが平手を打ち付ける。


そして周囲が塗り替えられる。


夜の草原。

それは宴席の眺め。丈の低い床几しょうぎが無数に並び、二人一組で向かい合った人々がいる。そのそばに従者らしき子供がいて、大きな角灯を捧げ持っている。


角灯の輝点が等間隔にどこまでも並んでいる。なだらかな山裾に沿って、数万以上も。


人々は長裾でゆったりとした、どことなく中華風の衣服だ。興じている遊びはおはじきのようで、碁石よりも大きな黒白こくびゃくの石をはじいている。


「ここは……」

いつしかいとしき万燈ばんとうえん


姫騎士さんは床几しょうぎの一つを覗き込む。おはじきのようだが、黒と白の石がぶつかると色が変わって灰色になったり、勝負と関係ない石が周囲に散らばってたりする。


「ここは恋愛劇の世界です。古今のあらゆる恋愛劇がおはじきの形で表現されています。石の色が黒いほど悪役です」


姫騎士さんの能力か。おそらくは私の研究テーマ、重奏アンサンブル概念ノーティスなのだろうけど、私が空間位相を検知して辿り着く場所とは格が違う。とても概念的で不確かな空間でも安定させる。あんな催眠じみた方法で、簡単に……。


「こちらの机はスタンダールの「赤と黒」ですね。向こうはドラマにもなった文学賞受賞作の……」


なるほど、そのおはじきは相関図になっている。言語化するのは難しいが、ドラマの推移がおはじきの勝負という視覚情報で理解されるのだ。わずか一分足らずの勝負を見ただけで、500ページの小説を理解した気分になれる。


「私は数百の話を読んだのですが、本当に様々なパターンがあると知りました。略奪愛とだけ言ってもこれだけあるのですね」

「まあ一時期ブームになったからね。不倫は海外の古典にもよくあるし」


高校生がそれを読むことは否定しないでおこう。しかしさすがは姫騎士さん。読書のやり方も並外れている。


「色々なパターンを読むうちに気づきました。登場人物たちは必ずしも自分を悪と感じていないことがある。良かれと思って、あるいは肉体の求めに従うことがこの世の道理である、とする考え方も……」

「ふむ、まあ否定はしない」

「そして疑問に思ったんです。私は、そもそも善なのでしょうか」


ぴし、とスネにおはじきが当たる。


瞬間、元の部屋に戻っていた。

見慣れた私の部屋、私の机、下階から響いてくる歌声。メイドさんのライブパフォーマンスが始まったらしい。


「そもそも、正義とか悪とは何なのか、私はどちらに属するのか、私はそんなことも知らないんです……」

「知らない……」


そういえば姫騎士さんはほとんど本も読まず、テレビも見ないと聞いている。あれほど成績がいいのに、眠らない体質で時間はあるのに、俗世間との関わりが薄いのだ。


「正義と悪かあ……」


私は少し考える。

つまり理性と本能の話だ。本能に従うべきか、理性で自重すべきか。どちらが客観的に正しいことなのかに迷っているのか。


いきなり不倫文学を読みまくったために妙な考えに染まった、と言えるかも知れない。でも正しい考えが一つだけなんて息苦しい。時には常識を差し置いて好きに行動するのも人間だろう。


「姫騎士さん、昼中くんとデートしてみたら?」

「デートですか? でも昼中さんには彼女が……」

「まだ高校生だし、友人と遊びに行くぐらい普通だよ。黒架さんも誘って三人で行ってもいいし」


必要なのは共通体験。

一般常識と置き換えてもいいが、三人で過ごして互いの価値観が共有できれば、そこでの自分の振る舞いも見えてくるだろう。


「そうそう、お客さんへの景品にしようと思って仕入れてたものがあるんだ、あげるよ」


机から取り出す。それは遊園地のチケット。ベタな選択だが、初デートならベタな方がいいだろう。


「ヒーローショーが話題の伊島いじま遊園地、三人で行ってきなさい。知ってるでしょ、ジャスティスマスク」


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