第三十八話
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西都医院は町を東西に横切る大通り沿いにあり、無骨な白い建物である。外観も内装も時間が止まったかのようだが、それは西都のだいたいのことに当てはまる。
病院の前に数人がいる。見れば入り口のドアにでかでかと、臨時休診の張り紙があった。
但し書きもあり、2名の入院患者については転院済みとのことだ。そこまでして休むのは只事ではない。
入り口の前にいる人はみな電話をかけている。診療の予約を入れてたり、薬を貰いに来た人だろう。誰も彼も苛立っているようだ。
「……」
やはりここか、と確信する。黑架を探さなければ。
どうする、裏手から忍び込むか。
「少年、こちらだ」
声がする。見れば人影が建物の角を曲がって消えるところだった。僕は後を追う。
その人物、ソワレは灰色の装束を着ていた。だぶついた灰色の服に、首周りに灰色の布を何枚も巻いており、戦闘の際はさらに頭部までを布で覆うはずだ。現代日本らしからぬ格好だが、その包帯を巻いたような服は気配を抑える効果でもあるのか、不思議と町の風景に埋没してしまう。
すでに裏の勝手口は開けられていた。ソワレは追いかけると逃げる幽霊のようにずんずんと先に進む。
「おい、待てよ」
「時間が惜しいのだろう? これでも君の到着を待ったつもりだが」
「どうやってこの病院を?」
「言っただろう、この町に妙なものがいて、動いていたなら必ず分かると」
バク……暗喰は70年以上町にいたはずだが、とは言わないでおく。
「急に魔力を感じてな。気配から見てここの三階のようだ」
階段を登る。エレベーターを使わないのは何かの用心だろうか。
たどり着くのは、奥まった場所にある個室だ。ソワレは少し用心する素振りを見せ、正面に立たずにドアを開ける。
中には……誰もいない。
いや、なんだか獣臭い。リッチフローの連れてたバクに似てるが、それよりもドブ臭いというか、すえた匂いがする。
部屋にはベッド、テレビ、小さめのキャビネットなど、一般的な個室である。
そして、ベッドの上にメモが。
「これ……姫騎士さんの字」
間違いない。ノートを破いたものに走り書きがしてある。
内容は以下のようなものだ。
――黒架さんと、この病院の院長さんを鷹野の病院へ連れていきます。
――もしこの手紙を見たのが私の近くにいる友人なら、どうか危険なことはしないでください。
鷹野は西都の町から東北に位置する市であり、西都と違って大きな総合病院もある。
近くにいる友人とはたぶん僕のことだろう。教室での席が斜め隣りである。
姫騎士さんが来てたのか。良かった。仔細はよく分からないが、黒架は無事のようだ。
「そういえば吸血鬼の経営してる病院があるとか言ってたな、ここがそうなのかな」
「おそらくその院長が敵に回ったな。この病院でその院長とアングに襲われたのだろう」
「なぜ分かる?」
「プラスチック爆弾だ」
ひょい、と銅線が放られる。
「20キロほど仕掛けてあったので解除した。おそらく病院ごと私を生き埋めにするつもりだったな。病院を支配下に置いてなければできないことだ」
「な……」
「アングは返り討ちになったようだな。吸血鬼の姫君がやったか、いや、おそらくは姫騎士どの……」
ソワレは片膝立ちになり、人差し指と中指で床を撫でる。
「これも分身だな。魔力が少し不自然だ」
「う……またか」
「だが、これはおかしい」
立ち上がり、大きな動作で手をはたく。所作の一つ一つが妙に大時代的というか、見栄えを気にしている気がする。
「何がおかしいんだ?」
「アングの最終目的が見えん。私を排除するのも少し不自然だ。たとえ私を殺せたとしても、世界中からハンターがやってくるぞ。己で言うのも憚られるが、私を殺した魔獣となれば数億の首になる。町にとどまることなど不可能だ」
「アングは……世界中の人間から夢を喰おうとしていた。世界を支配するつもりだったのかも」
それはいつかの予言。
西都の町にて「眠らざるもの」が現れ、世界が滅びるという予言だが……。
「そこまでの力があるなら私を罠で殺すのは不自然だ。人間の一人ぐらい真正面から殺せなくて、世界征服などできるわけがない」
ソワレが言うと何だかむず痒い感じがする。この男を殺せる魔物なんているんだろうか。
でも確かに、アングのやりたいことが見えてこない。
アングの本体がいるとして、それはどこに?
最終的に何を目的としているのだ?
「……アングのやってきたことを整理しよう。まず、あんたが夜の工場でアングの結界を見つけた」
「そうだな」
「その後、僕と知人と、リッチフローとで3人でいるところを襲われた。リッチフローを目的としていたようだ」
「バクはどうした」
「会ってたのが学校だったから、連れてなかったな、どこかに隠してたんだろう」
「ふむ……そうか」
ソワレは少し考えたあと、目線で先を促す。
「そのアングは退けたが、その直後に黒架からSOSが届いたんだ。病院にいるらしいと分かって、ここへ来た」
つまりリッチフローやソワレが狙われている。ということか。
「この病院のアングは私を狙っていたようだな」
「そうとは限らないだろ」
「分かるとも。20キロのプラスチック爆弾だぞ。並みの準備ではない」
まあ確かに。
「アングの本体から見れば、分身が次々とやられてる格好だよな……勝てないと悟って、このまま身を隠すんじゃないか?」
「それはないな。狭い町だ、結界に逃げるとしてもしらみ潰しに探される」
「否定ばっかだな、何か考えはないのかよ」
言われたソワレは腕を組み、しばらく考える。
「移動するつもりかも知れんな」
「バクは匂いを追えるらしいから逃げられないだろ。それに、逃げるならバク飼いやあんたを狙うのはなぜだ」
「追手を消すつもりだとしたらどうだ。この町の力ある者をすべて消してから逃げれば、とりあえず追跡は困難になる」
それはありそうな気がする。しかしそれでも追手が絶えるとは思えない。
いや、何だろうこの感じ。
今までの会話、どれも正解をかすめてるような気がするし、それでいて何か肝心なものが見えていない気がする。
「この町から逃げる、強い力を手に入れる、大量の夢を食べる……」
目的はその三つだろう。しかし、どれから手を付けるにしても時間がかかる。追手を倒せるほど強大になるには……。
「……」
待てよ。
その三つを、最短手順でやれるとしたら?
「まさか……アングの目的地って、バク飼いの村!」
「ふむ……」
ソワレが感心したように言う。
「伝説にあるバクの住む土地か。そこに舞い戻ってバクを食べる気か」
「バクはアングを食べられる……なら逆にアングもバクを食えるのか!」
「だが、それは実行できることだろうか」
ソワレは冷静な様子で言う。
「何か矛盾があるのか?」
「その村にはバクが何頭もいるのだろう? バク飼いもだ。アングはそこに戻れるのか」
確かに……バクはそれなりに強いし、バク飼いも戦える。アングがそのすべてを圧倒できるほど強大なら、それだけの夢を食べているなら、バクを食べることを目的とするのも妙だ。
いや、だがやはり答えに近づいてる気がする。
もう少しなんだ、もう少し……。
「少年、他に奇妙なことはないのか」
「何だって?」
「お前が見てきたことで、気になったこと、不自然なことを思い出せ、そこに鍵が眠っているはず」
「あんた何なんだよ。何だかサポートしてるみたいな印象だけど、そこまでして懸賞金が欲しいのか。 それとも前に言ってたみたいに護符でも作るのか」
「懸賞金などかかっておらんよ」
「え?」
ソワレはそこで、なぜか会話を楽しむような笑みを見せる。
口の端を上げる皮肉げな壮年の笑いだ。フランスに旅行に行くとこういう笑いを向けられるんだろうか、だったらヤだなあ。
「人間には、無償でも仕事をする理由が三つある」
「……?」
「一つはいわゆるライフワーク、もう一つは義理だ」
「あと一つは?」
「そうだな……何となく、だ」
「ふざけてるのか?」
「いや……うまく日本語にできない。当然やるべきこと。自分の意志。定められたこと……」
……。
ソワレは今回、どうも妙な動きをしている。
アングを狙っているようだが、不自然に僕達の前に現れるのだ。
この病院がそうだ。僕を案内する必要などないはず。
ライフワークとは思えない。義理でもなさそうだ。
その三番目の理由だろうか。
……いや、そんなことを考えてるヒマはないのだ。
最初にソワレの言っていた、不自然なことについて考える。
不自然なこと、奇妙なこと。
奇妙な……偶然。
「そうだ、似てたんだ」
深水先輩と、リッチフローが似ていた。
そしてリッチフローがこの町に来てから、アングも動き出した……。
「まさか……!」
それは惑星直列のよう。
すべてのことが一列に並ぶような、連想の波が……。
※
バク飼いは、15から18までを旅の空で過ごす。
それは見識を広める旅でもあるし、過去に逃げたバクを追う旅でもある。旅立つ先は様々だが、私はこの極東の島国に送られた。
そして3年をかけて、いや、70数年かけて、ようやく見つけたのだ。
だが私は、何もわかっていなかった。
アングに落ちたバクがどこまで変わるのか、どのような考えに至るのか。それは永遠に分からないような気もする。
縛られている。
ビニール紐で不格好にぐるぐると巻かれ、さらに服をペグ(杭)で畳に固定されている。指先をわずかに動かすことしかできない。
「おとなしくしててねえ、あなたからは村のこととか、色々聞きたいからねえ」
そいつは私の姿をしている。
黒づくめの村の装束。私から剥ぎ取ったもの。私を見下ろしてにやにや笑う。
「浅はかね、私になりすまして村に戻るつもり?」
その不愉快な笑いに悪態を投げる。
「あなたは町を出れやしない。あのハンターに狩られて終わりよ。それともどっちが本物か分からなくて攻撃できないとか、そんな安い作戦を打つつもり?」
深水と名乗っていた女はつと首を回す。視線の先は町の中心だ。
「爆発が起きないねえ。これはソワレがここに来ちゃうフラグだねえ」
「爆発……何のことか知らないけど、かなり追い詰められてるみたいね。もうあなたの企みも終わりよ」
「そうかもしれないけどねえ、ふふ」
深水は、それは果たして人間の笑いなのか。獣のように不自然に吊り上がった口で笑う。
「私を殺すなんて無理だよお」
だって、と小さく言いおいて、そいつは私に囁きかける。塩の粒を顔に落とすように、ぼつぽつと。
「私は、どこにも、いない、から、ねえ……ふふ、ふ……」




