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姫騎士さんは眠りたい  作者: MUMU
第五章 夢喰いの獣と姫騎士さん
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第三十三話 【八の禍戸の禁忌隷獣塔】



次の日、僕はまず姫騎士さんに会おうとした。

だが校内にいないらしい、大きな大会の前なので、三校合同練習試合とかで遠征してるのだとか。仕方ないので電話をかける。

これまでの調査について、バク飼いの一族について、そしてソワレと出会ったこと。


「バクを追うことは危険だと思います」


話し終えると、姫騎士さんは思いのほか反応が重かった。


「ソワレさんが動いておられるのでしょう? それならお任せするべきと思います」


電話の向こうからは竹刀の音。板張りの間をドカドカと踏み鳴らす音もする。姫騎士さんはどこかの学校で練習中のようだ。


「いや……あいつじゃバクがどうなるか分からない。バク飼いの一族が探してる子なんだ、何とかソワレより先に見つけないと」

「……昼中さんが危険な目に遭うのは、嫌ですよ」


今回の事件、姫騎士さんには直接関係はない。巻き込まれたとも言えない、僕たちが勝手に首を突っ込んでるだけだ。


「……悔しいじゃないか。この町でずっと囚われてた獣なんだ。僕は少しでも解決の力になりたい。黒架もいるんだ、そうそう命の危険にまではならないよ」

「……それは、そうかも知れませんが」


実のところ、町のことは二の次。

本当の理由は姫騎士さんだ。


僕が怪奇なることから逃げてしまったら、最前線に立つのは姫騎士さんになる、そんな予感がある。

そして姫騎士さんは、この町に現れるあらゆるものに一人で立ち向かうだろう。


それだけは、許せない。

そうなってしまったとき、僕は自分を許せなくなる。

だからせめて、露払いぐらいさせてくれ。


「バクは……このままじゃ退治されるか、連れ帰られる。その前に姫騎士さんもバクに触れるべきだと思う。できれば、リッチフローって子が連れてるバクにも」

「昼中さん……確認したいのですが」

「うん?」

「その方……リッチフローさんは、自分たちはバクと共に生きる共同体・・・だと言ったのですね? 組織や仲間ではなく……」

「ああ、そう言った」

「昼中さん……私としては、本当にソワレさんか、バク飼いの一族にお任せするべきと考えます。でも、関わることは運命という気もしています。だからせめて、これから私の言うことを覚えていてください」

「……わかった、覚えておく」

「ではまず、文庫本を一冊、用意してください……」


僕は聞き返すことも迷うこともなく、回れ右して図書室へ向かった。





深夜の西都。


アドレナリンが回っているのか眼が冴えている。

それは半ば自分の意志でのことだった。怪奇なることに好奇を持ち、興奮しようと・・・・している・・・・。恐れを抱かないために。


「使い魔たちを飛ばしてるっす」


僕と黒架、リッチフローの三人は西都にあるホテルの上にいる。西都で高い建物となればやはりホテルだ。十一階建ての屋上からは町が一望できる。


黒架は翼を広げ、差し出した指先にコウモリが止まる。コウモリは町じゅうに散らばっているらしく、ときどき黒架の手に戻ってきてキイキイと鳴く。リッチフローは少し疑問の顔だった。


「そんなので探せるの? 匂いを追うとは言ったけど、それは嗅覚って意味じゃないのよ」

「バクの匂いじゃないっすよ。ケーキの匂いっす」

「?」


やがて来る。ひときわ翼を激しく動かす個体が、細長い楕円を描いて黒架に方向を示す。


「見つけたっす! 四丁目の工場方面!」


黒架は僕を吊り下げて飛びあがり、リッチフローはビルの端にムチをひっかけて飛び降りる。

体が夜空の高みに浮き上がり、眼下には地面を走る巨体。緑のタテガミを持つバクが道路を走っている。


「ものすごく目立つけど大丈夫なのかな」

「いつもの夜より民家の明かりが少ないっすよ。すでに人払いのまじないが始まってるっす」


そして目的地上空。滑り台のようなベルトコンベアを備えたセメント工場だ。何らかの機械の低いうなりは聞こえるが、明かりはついていない。


ソワレはそこにいた。灰色づくめの装束。包帯を巻いたように顔が隠され、腰には革のケースをいくつか提げている。地面にはLEDのカンテラが置かれていて、何となく時代の流れを感じる。


「ハンターとしての正装ってとこか。やっぱり狩るつもりか」


その背後に降り立つ。僕はごく自然に黒架の前に。

ソワレはというと僕たちのほうを見もしない。気づいてないはずもないが。


ソワレはナイフを取り出す。瑪瑙のような自然石の刃だ。黒架も似たようなものを使っていた。


真律を競うフィドネード


何もない空間を斬りつける。瞬間、その斬線が虹色の残像として残り、輪郭線となって八方に散る。


僕たちを囲うように走り回る雷。網膜に残るのは円筒に近い八角形の筒。小城宜こしろぎ団地跡のものより大きい。


「やっぱり結界か、ここに移ってたんだな」


ソワレに確認するように呟くが、彼は機械のように僕たちを無視している。


「あいつ……あなたたちの知り合い?」

「まあ一応……」


背後にリッチフローが来ていた。鞍もなしにバクにまたがっており、巨体の上で低く構えている。


「やはり相当な術者ね。力技だけど的確な術式。果物の皮をむくみたいに結界を剥いでる」

「あいつは白炎のソワレ。あれでも伝説の男らしいからな……」


リッチフローは腰からムチを抜き放つ。月光の中ではほとんど見えない。黒く塗られているのか。


「リッチフロー、僕たちでソワレを足止めしようか」

「いえ、少し様子を見るわ。邪魔にならないなら排除する必要はない」


……邪魔にならないなら?

それはまあ、ソワレとしてもバクが金になるなら捕獲を目指すだろう。だけどそれでいいのかな。バクの奪い合いにならないか。


「終わったぞ」


ソワレが言う。

そして僕にもはっきりと見えてきた。輪郭線だったものは面となり、立体となり、質感を備えて空間的広がりを持つ。場に満ちる風のうなり、外壁から漏れ出る光。


それはやはり円筒構造。大きさはこのコンクリート工場を包み込み、高さは雲を突き抜けるほどの超構造体。

それはビルだ。古い商業ビル、さびれたマンション、朽ち果てようとしている立体駐車場、古い学校、公民館、学習塾、事務所。

それは、ビルをつなぎ合わせた網。

冗談のように巨大な鎖が建物同士をつなぎ、建物同士がパッチワークを構成。それらのビルは通電し窓から光を漏らし、僕たちのいる場をあかあかと照らし出す。


「これは……なんだか、異様に禍々しい」


どんな存在がそれを作れるのか、鎖を打たれた建物は遥か上空から吊り下げられ、重力を受けてぎしぎしと揺れ、石片やガラス片がぱらぱらと降ってくる。数千万トンの質量に取り囲まれる威圧感。


僕はポケットから文庫本を取り出す。どこにでもあるような古い小説。

姫騎士さんに言われた通りの儀式を行う。


――その場所が見えたら、最初に眼についたものを数字に置き換えてください。


最初に眼につくものは……鎖だろうか。じゃあ93、となるか。


――その数字に当てはまるページを開いて、一番左端の行の中から、その場所の形を表すような文字を探してください。


連想する言葉は、八だ。僕らを取り囲む八角形の結界。


――指を真横に構えてその文字を隠し、一文字ずつ、ゆっくり開示しながら読んでください。


八、の、禍……。

不思議な感覚だ。それが意味のある言葉となることが確信で分かる。読みが自然に浮かび、その言葉がこの場所と溶け合っていくような。



禍戸かど禁忌きんき隷獣塔れいじゅうとう



世界の輪郭が明確になる。不安定で曖昧だった印象の世界がどこまでも見通せるような。


そこで気付く。この文庫本。僕が開いた93ページだけ凄まじく文字が乱れている。文章になっていないどころか段組みも乱れて乱数表のようだ。


「……」


僕が呼んだ名前。それはやはり姫騎士さんの言葉だ。世界の形を明確にするような、唯一無二の力。


「ほう……隠形おんぎょうの霧が完全に晴れている。ここまでの規模の結界すら暴くとはな」


ソワレは僕のやったことに気付いたのか、かすかに視線を向けて笑う。

背後からリッチフローの声。


「いたわ!」


結界の片隅にそれはいる。

まるまると太った豚のようなシルエット。白い部分の多いリッチフローのバクと違って、尻尾までくろぐろとした茄子紺なすこん色に染まっている。


「やはりな」


呟くのはソワレ。

僕が視線を向けた瞬間、ソワレは右手指に三本の短剣を挟み、その腕がびきびきと鳴って。


「待――」


言い終わる前に投擲は完了している。岩すら爆散させる力を込めた短剣。

ぴぎ、と鳴き声を上げて黒いバクは回避し、結界の外周部を回り始める。


「待てソワレ! 殺す気か!」

「もちろんだ。そちらのお嬢さんと同じようにな」

「……何」


白いバクが飛び出す。その勢いは大岩が転がるごとく。

口腔を限界まで開いて牙をむき出しにし、黒いバクに噛みつかんとする刹那。


ひゅん、と空気を裂く音。直後にバクの巨体が不自然に弾かれ、十メートル近くも飛んで地面を転がる。工場にあったトラックに叩きつけられる。


「バク! 動いて!」


リッチフローはバクをそう呼ぶのか、ムチを鳴らして指示を出す。バクは瞬時に体勢を立て直して跳ぶように動く。


「どうなってるんだ、なぜバクを」

「あれは暗喰アングよ」


アング、という言葉、リッチフローの声が一オクターブ低くなる。忌々しい感情を乗せた名前だ。


「アング……」

「夢を食べすぎたバク。私たちの村はバクと人間の数がほぼ等しい、それなら食べ過ぎたりしない。でも都会は人が多すぎる。あらゆる夢を食べたバクは変化する。邪悪になって、同族をも襲う」

「リッチフロー……まさか、最初からそのつもりで!」


アングのシルエットが揺らめいている。

バクを吹き飛ばした手段。それは鼻だ。

そいつの鼻は三つある。ロープのように長く、大男の腕のように太い。

そして先端は眼と舌を持ち、しゅるると威嚇音を放つ蛇だ。そいつは蛇の鼻を持っている。


それが伸びる。荒れ狂いながらバクを打たんとして。

そして到達の寸前で弾かれる。破裂音にも似た鼓膜を圧する音。蛇の胴体が裂けている。


「バク! 今よ!」


それはリッチフローのムチだ。数十メートルの距離からあの鼻を撃ち落としたのか。


バクは口腔を開いてその鼻に食らいつく。その牙の鋭さ、顎の力は重機のごとく。一秒で鼻を噛み切る。

咆哮。アングがのたうつ。見れば胴部に短剣が突き立っている。いつの間に第二射を投げたのか。


ぎいいい、と怒りと恐怖の混ざった咆哮。その背中が泥が吹き出すように伸び、一気に左右に広がって翼となる。カラスのような黒一色の翼を、左右に。


「飛ぶ気か」


ソワレがつぶやきを終える瞬間、爆発のような衝撃。

アングが円筒形の空間で跳躍する。鎖で吊られたビルの一つに着地。周囲の鎖がたわんでとんでもない質量が揺れ動き、拳銃弾のようなスピードで二手、三手と飛び回る。


効果はすぐに出た。石だ。ビルのコンクリートが剥がれて降り注ぐ。ガラス片は乱反射を見せて雨のごとく。


「黒架! 上へ!」


黒架に抱えられて飛ぶ。その周囲でガラスの滝が落下していく眺め。


僕はそれを理解して背筋を凍らせる。この降り注ぐ礫片とガラス。下にいるリッチフローとソワレは。


そして見た。

ソワレはまるで動揺を見せない。右手に短剣を握り、降り注ぐ死の雨の中で目を開く。


時間が引き伸ばされるような感覚。ソワレの集中が僕にも伝播するかに思える。


ガラスの一枚が、肉を切り裂く鋭利さを備えた一枚が、回転しながら落ち、それがソワレの顔面に触れんとする、瞬間。


雷光。

そう見えたのは白い刃。下から上へ投げられるその一投は空気を裂き、音を置き去りにするかと思えるほどの勢いでアングに激突。


空間を、それを聞く僕の心を音が満たす。

魂が凍るようなアングの断末魔。安定を失ってマンションの一つに衝突し。無数のコンクリート塊とともに、落下し、跳ねて。


そして墨のような、漆黒の血が大地を染めた。



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― 新着の感想 ―
[気になる点] リッチフローってなんだっけ?と思って調べたらポアンカレ予想を解いた時に使われたナニカだった。 リッチフローの説明もポアンカレ予想の説明も脳味噌を素通りしていきました。 [一言] 多分…
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