第二十六話
気まずいとは思ったが、僕は貼られているリンクを辿る。
どこかのアングラ的掲示板、スレッドのベージビューが表示されるタイプのようだが、一つのスレッドだけ突出している。
そこにあったのはいくらかの画像。明るめの内装とメイド服のアップ。地を這うような角度で店内を写し、スカートがカメラの上を通りかかる瞬間のカット。かなり露骨な画像である。
他にも控え室での歓談の様子。遠慮なく足を組むメイドさんたち。スカートの裾をばたつかせて空気を取り込む様子。さらに。
画面を閉じる。これ以上は見てられない。
画像を貼った人間は店名を明かしていないが、蛇の道は蛇と言うべきか、スレッド内ではごく当然のように西都の名前が上がっている。
ともかく明日、先生に報告しなくては。
僕は内臓がぐるぐる回るような、嫌悪と苛立ちの混ざった感情を抱いて目を閉じる。寝付きは最悪で、案の定、悪い夢を見た。
※
「知ってるよ」
翌日、昼休みの保健室である。僕一人で訪れた。
まあ知ってるのは当然か、お店のSNSにもコメントで知らせてる人がいたし。
僕は声のトーンを落とし、小兎のように周囲の気配を気にしながら話す。
「犯罪ですよ。警察に通報しないと」
「もうしてる。今日はお店を休みにした。警察の人が来てくれる予定」
先生の手は編み棒を握っている。銅線のようなごわついた質感の糸を編み、刺繍のようなものをこしらえている。聞くところによれば一種の電子回路らしい。趣味の工作というやつか。
「画像をネットに流されたからね、女の子には申し訳ないことになった」
「犯人は捕まりますかね」
「捕まるよ、というより」
先生は言い、編み棒がぎしりと弓なりに曲がる。
「捕まえちゃう」
「……」
※
夕方、何となく心配になって、黒架を誘って「はんど☆メイド」へ。
お店の外に二人の警察官がいて、メイド姿の先生と話し込んでいた。お店は休みなのになぜメイド服なんだろう……。
「それにしても先生よく働くっす。保健室の先生もやってるのに」
先生は毎日おおよそ17時まで西都高にいて、帰宅してすぐメイドに変わる。メイド喫茶の方は家業とは言ってたが、事実上の二足のわらじには違いない。というかなんで養護教諭やってんだろう。いろいろ正体不明というか、説明不能な人だ。
警察が帰ったのを見てから声をかける。
「先生」
「おや、来たの?」
「昼に話した件で……なんだか心配になって」
「まあお茶ぐらい出すから上がって」
先生は僕と黒架を店の方に通す。桜姫がとてとて走ってきて、紅茶を入れてくれた。
「せいろん!」
今日はセイロンティーらしい。軽い口当たりの割に濃厚な香りだ。アッサムティーとまったく同じ味な気がするけど気のせいかな。
「昼中っち、盗撮画像ってそんなきわどかったんすか?」
「かなり……あまり直視しなかったけど、下着も見えてたし、控え室のオフショットもあった」
「何枚ぐらいあったっすか?」
「よく分からない。スレッドが伸びてたから数十枚あるのかも」
「どんな下着だったっす」
「すごい食いつくな」
まあ黒架の彼氏としては語りにくい話だけど、ぼかすのも違う気がする。先生は腕を組んで口を開く。
「画像は41枚あった。下着も見えてたけどそれ以上にきわどいカットはなかった。更衣室は覗かれてないみたい。カメラは十箇所以上」
「そんなに……」
「もう全部回収したけどね」
ばらばら、とテーブルに巻かれる黒い粒。
「え、これって」
「画像を送信する電波式が七つ、メモリーに蓄えておく形式が三つ。油断した。私が学校に行ってる間に仕掛けられたみたい。セキュリティを強化しないとね」
さすがは先生と言うべきか、この豆粒のように小さいカメラをあっという間に見つけ出すとは。
「ただ、製造番号やメーカー名がなかった。部品を組んでの手作りかも知れない。よほどの暇人だよ犯人は」
「こんな小さいと高そうっすね」
「高いね、この十個で部品代だけでも百万を超える」
「ひゃっ……」
黒架が固まる。
「ま、もらってやるつもりもないけど」
先生はその中の一つをつまみあげ、ペンチ型の爪切りでぱちりと押しつぶし、中の糸くずのような配線を引っ張り出す。ちょっと怖い。
と、その時、からんからんとドアベルが鳴る。後ろの勝手口の方だろうか。
「てんちょー」
そして入ってくるのは快活な印象の三人。瞬間、トラックで花を流し込まれたように空気が変わる。
三人は女子大生だろうか。明るめの髪色に目元がぱっちりした化粧。みんな素晴らしくスタイルがいいし、靴も小物も目新しいデザインで、どこか都会的である。
「お店休みってほんとですかー?」
「ほんとだよ、電話で言ったでしょ。盗撮被害が出たから」
「あたしらそんなの気にしませんよー」
「よくあることだしー、下はアンスコ履いとくようにしますからー」
あっけらかんとした様子である。深刻に捉えていただけに気が抜けてしまう。
「もうカメラは解除したから、明日はまた開けるからね」
「はーい」
「桜姫ちゃんまたねー」
「またこい!」
桜姫は元気に手を振り、女の子たちは帰っていく。
「なんというか……すごくレベル高いメイドさんですよね。西都にもあんな美人がいたなんて」
「違うよ。美人はどこにでもいるの。特別な素地があるわけじゃなくて、磨き方次第」
「磨く……」
店長は壁を見上げる。在籍してるメイドさんのシフト表だ。七人ほどが入れ替わりで出勤してるらしい。
「基本的には面接に来た子はみんな合格したの。着飾り方とか体の作り方はマニュアル化できるからね。春先から2ヶ月かけてみっちりと鍛えたんだよ。化粧の仕方からバストアップまで」
「に、2ヶ月でそんなに変わるものっすか?」
黒架が思い切り身を乗り出して言う。
「科学の力も使うけどね。矯正下着とか特殊な化粧品とか。あの子たちは西都にごく普通にいる女の子だよ。メイド姿になると変身するの、プリキュアみたいに」
「はあ……」
それはそれですごい話だが、とりあえず盗撮の件は解決したようだし、それでいいとするべきか。
帰り道、黒架が言う。
「昼中っち、なんだか悩み事の顔っす」
「悩みというか……気になってるんだよ、盗撮のこと」
「まあカメラ10台は異常っすね、ストーカーかも」
「もっと大きな事件に発展しないとも限らないし……犯人が他にどんな画像を持ってることか」
「亜久里先生なら大丈夫っす、タダモノじゃないっすから」
それはそうだろう。今日だってあっという間にカメラを見つけていた。
だが、僕の中にざわつきが消えない。
何だろう、この心臓を撫でられるような不安は。
僕はなぜ、こんなにも落ち着かないんだろう。
※
騒動は終わらなかった。
あの掲示板にはまだ盗撮画像がアップされ続けている。
更衣室やトイレなどは撮られてないが、ローアングルでスカートの中を狙う画像。天井付近から胸元を狙う画像など毎日何十枚もアップされている。掲示板には固定層が貼りつき、スレッドが立つやいなや凄まじい勢いでレスが流れる。
「まったく、いつの間に仕掛けたんだろう」
先生はニッパを使って隠しカメラをぱちぱち解体している。今日は七つだ。集音マイクもあった。
「てんちょー、気にしても仕方ないですよお」
「私たち平気ですからー」
女の子たちは本当に気にしてないのか、いつもと変わらない様子である。
控え室にて、メイドさんたちが口々に言う。
「そもそも私たちってホームページに顔も出てますしー」
「東京だと路上撮影会なんかもやってましたしい」
なぜそこまで平然としてるのだろう?
彼女たちはいつも堂々としているし、自信に満ちていて愛想が泉のように湧き出てくる。メイド服という鎧をまとっているからだろうか。盗撮もストーカー的被害も、それはメイドという別人格の話であって、一人前のメイドである自分たちはそんなことに動じたりしない、という様子である。
同じくメイド服を着ていた亜久里先生は、眼を三角にして頬杖をつく。
「君たちが良くてもこっちが気にするよ。営業中にこのカメラを全部仕掛けるのは無理だ。忍び込まれてるんだよ、不法侵入だ」
「先生、セキュリティを強化するって話は」
「してるよ。赤外線、熱感知、硫化水素感知、重量センサー他いろいろ埋め込んだ。人間が歩き回れば警報が鳴るはず」
「うーん……?」
ぽん、と両肩にメイドさんが手を置く。
「まあまあ、カタく考えない。警察の人もパトロールしてくれてるし、そのうち捕まるよお」
……だと良いんだけど。
※
「で?」
こぽこぽ、とポットの湯が沸く気配。
「それをなぜ私に相談するのかね」
日曜の午前中である。
白ワイシャツに藍色のベスト、黄褐色の蝶タイという姿で紅茶を入れつつ、白髪の男は不満げだった。
僕はケーキ屋の窓から、隣のピンクの建物を見つつ言う。
「どうしても信じられない。店内には山ほどセンサーを置いてるんだ、その全部を回避できるなんて」
「昼間に客として訪れて設置すればいい」
「閉店後に隅から隅まで調べてる。電波探知も、磁力センサーとかでも、でもその時は見つからないらしい」
ふむ、とその店主、ソワレは顎を撫でつつ考える。
「透明人間ではないのか」
「……まじめに言ってるか?」
「まじめだとも。姿を隠すことのできる怪物はいくらでも存在する。この国で言えば天狗などだな。天狗の隠れ蓑という言葉は知ってるだろう? 天狗は女好きらしいじゃないか。のぞきをしても不思議ではない」
ソワレは本日のおすすめだというカフェロールと紅茶のセットを出す。所作は上品で余裕があり、ダンディな色男と言えるだろう。ケーキだってちゃんとしてるのに、なぜか僕以外に客は見えない。
「姿が見えない、というのは怪物を怪物たらしめる要素の一つだ。人は姿の見えない視線だけの存在が不気味なのだよ。それを妖怪や怪物にあてはめて恐れた」
「怪物……じゃあ、そんなやつがこの町に」
「言ってみただけだ、そんな存在の気配はない」
ソワレはグラスを磨きはじめる。どうも本当にまじめに取り合う気が無いらしい。言葉が軽い。
「ないのかよ」
「私を誰だと思っている。この町に人外の怪物がいて、悪事を働いてるなら必ず気付く」
「……」
この町にはいない……。しかし、では誰がカメラを。
「犯罪なんだぞ、隣のよしみで何かないのか」
「内部犯だろうな。店員のメイドたちが怪しい。よくある話じゃないか。わざと自分の盗撮風画像をばらまいて人気を得ようとする」
「……その説は考えなくもないけど、どうもそんな子たちには見えないんだよな。それに閉店後にカメラが見つからないことの説明がつかない」
「私はその先生とやらはときどき見かける程度だが、完璧な人間などおらんよ。セキュリティの穴などあって当たり前だ」
……。
なんだろう、答えにニアミスしている気がしてならない。
それは最初からだ。僕たちは惑星の周りをスイングする衛星。答えの重力に引き寄せられてるのに、そのそばをかすめてたどり着くことがない。
何か、真実はすごくシンプルなことなのに、僕達がそれを見落としている、ような……。
「完璧なものはない、怪物のようなのぞき魔、内部犯の可能性……」
怪物。
その言葉が僕の琴線に触れる気がする。
そう、犯人はおよそマトモではない。異常な執着、そして能力、人ならざる怪物のような……。
その時。
突如として向きを変えた衛星が、僕のこめかみを打ち抜く。
「……まさか!」
僕は大急ぎでケーキと紅茶をかきこみ、立ち上がるやいなや代金をレジ横に置いて店の外へ。
「ごちそうさま!」
「こらちゃんと味わえ!」
まさか、そんなことがありえるのか。
僕は隣の店舗へ。
ばん、とドアを押し開ければまだ開店前なのか人はおらず、小さなモップで掃除してた桜姫が歩いてくる。
「おかえり!」
「ただいま桜姫、先生は?」
「ここにいるよ」
カウンターの奥から先生が出てくる。手に大きなアンテナを持っており、カメラを探していたようだ。
「どしたの急に、なんか慌てて」
「先生、のぞき魔の正体が分かりました」
「え……?」
僕は脇にいた少女をすくい上げる。
「桜姫です」
「犯人は、桜姫をハッキングしている!」




