第二十二話
僕は話す。西都の町にできた新しいケーキ店と、その店主のこと。
「ソワレがこの町にいたっすか!」
「そうだ。ただ基本的に吸血鬼はターゲットにならないと言っていたが……」
僕の言葉は布団部屋の中に積もっていく。可能な限り詳細に、細大漏らさず。
キンダガートンの予言のこと。眠らざるもの。世界の滅び。そしてハンターが姫騎士さんのことも調べ上げ、この町に居座ったこと。
「あの方が……」
「姫騎士さん、黙っていてすまない。予言の話なんかで不安にさせたくなかったんだ」
「それは大丈夫です。でも、その予言は私のことなのでしょうか……」
キンダガートンの予言と、亜久里先生による予言。
両者に共通していることは世界が滅ぶ、あるいは何か大変なことが起こるということ。
さすがにここまで出揃っては無視はできない。
「オカルトねえ……」
亜久里先生の方は半信半疑の様子だった。やはりオカルトとは相性が悪いのだろうか。
「私はね、世界中のネットワークから情報を集めてるけど、ローマにある預言者の組織だとか、モンスターに懸賞金をかけてる出資者のこととか、聞いたことないよ。本物のモンスターというのも重奏の中でしか見たことないし」
……。
そう、これだ。
科学の世界とオカルトの世界、それらはどちらも存在し、どちらも相手を認識していない。
その両方を見ることができたのは姫騎士さんと、彼女を取り巻く数人だけなのだ。
あるいは、これが重奏という概念だろうか。
「世界」には様々な「世界」が内包され、重なり合って存在するのだろうか。あるいは僕たちがあまりにも矮小な一個の人間であるがゆえ、世界の真実のカタチ、隠れている様々な世界に気づけていないのだろうか。
「それに私、姫騎士さんの眠らない体質というのもちゃんと見てないし」
先生の声が胡乱げに響く。
「確かにそういう話はあるけど、眠りというのは外観だけじゃ判断できないよ。脳波をちゃんと測ってみないと、できれば記録しながら48時間ぐらい」
吸血鬼は信じるのに眠らない人は信じない、というのも変な話だが、理系には理系のものの見方というのがあるのだろうか。
姫騎士さんが言う。
「……その予言はどう解釈すべきなのでしょう」
「どう、というと……」
「キンダガートンの予言です。眠らざるものと世界の滅び、でも、世界はどうして滅ぶのでしょう?」
「……え?」
「眠らざるものが何かの怪物という意味なら、「眠らざるものによって世界が滅ぼされる」となるはずです。そのように言われていたのですか?」
僕は少し沈黙して、記憶の箱を探る。
「いや……確かに「眠らざるものが現れ、世界が滅ぶ」と言っていた。予言は2つのセンテンスで構成されていたな。といっても又聞きだし、元の予言を翻訳する際にニュアンスにズレがあるかも知れないが」
なるほど、と思う。
確かに僕の聞いた限り、眠らざるものと世界を滅ぼす力がイコールとは限らない。
そう考えると何が見えるのだろう。「眠らざるもの」に何かが起きて、それが滅びの原因になる? 何かだって? 何かとは何だ……?
「すいません、今そこまで考えるのは余計でしたね」
あっさりと、姫騎士さんはそれについての言及を終える。
「難しいことは明日以降に考えることにしましょう。今はただ、ゆっくり眠りたいです」
それはそれで正論だ。今ここで話し合うには材料も足らないし、眠気の混ざった頭で考えられることでもない。何より旅の目的でもあるし。
「わかったっす、じゃあ各自就寝で」
「ああ、姫騎士さんが眠ったかどうかはちゃんと見ておく」
亜久里先生が言い、僕たちは布団を並べたまま、目を閉じて静かな呼吸をする。
わずかな風の音、山の上にあるこの宿は、まるで天空の夜のようだ。
僕は、姫騎士さんが眠ることの意味を考えていた。
姫騎士さんが眠れる日が来たなら、僕たちの奇妙な関係も終わるのだろうか。ただの他人同士に戻って日常を送るのか。やがて大人になって、世界の片隅で生きていくのか。
姫騎士さんが「眠らざるもの」なら、彼女は絶対に眠れないのか。もし眠れたなら予言の対象ではなかったと言えるのか。
姫騎士さんにとって。いや、僕達にとって。
あるいは世界にとって、姫騎士さんが眠るということに、何かの意味が……。
…………。
……。
「……?」
手が。
誰かが僕の手を取っている。暖かく包み込む、熱を持った手。
(姫騎士さん……?)
黒架の寝息が背中に聞こえる。闇の中で目を凝らせば、横臥の体勢だった僕の前に、姫騎士さんの膝が見える。
「昼中さん」
蝶の羽ばたきのような、あるかなしかの囁き。
並びで言えば、僕の隣は亜久里先生だったはずだ。なぜ姫騎士さんが。
そこで気づく、フスマの隙間から光が漏れていて、わずかにテレビの音声も聞こえる。先生はこっそり起きてビールでも楽しんでいるのか。
おそらくは話半分に受け取っていて、姫騎士さんはとっくに眠ったものと考えたか。
「昼中さん」
再びのささやき。僕が起きたことを確認しているのか。僕はわずかに頭を上げて、見えぬ中でも姫騎士さんを見ようとする。姫騎士さんは僕の顔に口元を近づけて言う。
「すみません……やっぱり無理みたいです」
「気にしないで……機会なんかいくらでもあるから」
姫騎士さんの表情は見えない。
「昼中さん、もしこの町に、何かが起きたら」
「……」
「あるいは、私に何かが起きたなら、すぐに逃げてくださいね」
その手。
姫騎士さんが両手で包む僕の手。その熱は、しっかりと掴む様子は、あるいは姫騎士さんの不安の現れだろうか。
特異な体質、さまざまに見てきた不思議な世界。それが姫騎士さんにも不安を与えているのか。完全で完璧な、一幅の絵のような姫騎士さんであっても。
僕はもう片方の手を布団から出し、姫騎士さんの手を取る。
「逃げないよ」
僕もまた、自分にすら聞こえないほどの淡い囁きになる。ひそやかに言わねば、何か大切なものが撹拌されて崩れてしまうような、そんな時間。
「何が起きても、きっと近くにいる。足手まといにならないように努力する。役に立てるように全力を尽くす。姫騎士さんに会うまで、僕は死んだも同然だった。生き返らせてくれたのは君だ。だから決して離れたりしない」
「ありがとうございます。でも……」
でも。
何が「でも」なんだ、姫騎士さん。
僕の力が不安なのだろうか。あるいは誰の手にも負えない事態になるとでも言うのか。
どこか悲しげな、あるいはさみしげな沈黙。姫騎士さんの手がするりと離れ、僕は闇の中でその温もりを探すも、夢の中の出来事のように手応えがない。
「おやすみなさい、昼中さん」
そう聞こえて、世界にまた沈黙が満ちる。
姫騎士さん。君は一人きりなのか。
誰もが眠る夜の底で、姫騎士さんだけが起きている。
僕は初めてそのことを理解した。その孤独さを、永さを、果てしなさを。
そして僕はまた、眠りという名の揺りかごに落ちる――。
※
翌日。
学校全体をどよめきの小人が走り回るような騒ぎ。
それというのも黒架が赤眼と金髪のまま登校してきたからだ。自然で流麗な、砂金の川のような髪。鳩の血のような胸を焦がす瞳。コルセットも外しているためメリハリのある体つきがあらわになり、そして何より自信にみなぎるような堂々とした歩み。それを見た全ての生徒が足を止めたという。
地毛証明の取得が目前だったこともあり、教員も朝のホームルームで地毛なのだと説明した。
事前に連絡してほしいと言われたらしいが、お叱りを受けることはなかったとか。近年では毛髪とか瞳の色はセンシティブな問題なので、それなりに配慮があったのだろう。
黒架はクラスだけでなく全校生徒の話題の的になった。まるでアヒルの子の寓話のような話で、見方によってはだいぶ失礼にも思えるが、黒架は朝から晩まで様々な人に話しかけられ、友人が一気に増えたのだとか。
「昼中っち、一緒に帰るっす」
そして授業が終わるとき、黒架は腕を組んできて、僕たちは一緒に校門をくぐる。
とんでもない量の視線が背中に刺さってる気がしたが、まあ大した問題ではない。黒架は黒架であり、僕たちの関係は以前からなのだ。
彼女の魅力とか美しさに、周りが気づかなかっただけのことだ。
温泉旅行の余韻がまだ体に残っている。風呂とマッサージでほぐれた体に五月の薫風を吸い込み、清々しい気分の放課後である。
「昼中っち、またゲーセン行くっす、クレーンに新しい景品が入ってたっす」
「そうだな、付き合おうか」
町をゆく人々からも視線を感じる。おそらく人間ではない者たちからも見られてるだろう。さすがに少し恥ずかしいが、慣れていかねばならない。
「あれ、行列が」
ふと気づいた。平日の夕方に行列ができてる。西都では珍しい眺めだ。
視線を伸ばすと行列の彼方、白塗りのケーキ店があり、行列はその隣、ピンク色の建物に吸い込まれている。
「おおー、メイド喫茶っす、ついにオープンしたっすよ」
「……」
店名は「はんど☆メイド」
ポップな書体が屋根に置かれ、壁にはキャンデーやチョコレートの装飾。窓がホイップクリームのような白いモコモコで縁取られている。モチーフはお菓子の家のようだ。
「一時間半待ちっすね、じゃあ並ぶっす」
「そうだな、並ぶか」
もちろん並ぶ。90分などすぐだ。
西都高校は制服での飲食店立ち入り禁止の校則はないし、前の方にうちの学生も何人か並んでる。
並んでる間、宿題を片付けたりしながら少しずつ列が動く。女性客もそれなりにいた。
ふと隣のケーキ屋を見る。窓の奥には店員の姿は見えないが、メイド喫茶の動向を気にしているのだろうか。ケーキ屋も評判は悪くないらしいのだが。
「次にお並びのご主人さま、お入りくださーい」
僕たちの番だ。やたら甲高い声に呼ばれて店内へ。
そこにはブースに区切られたいくつかのテーブル席、5人がけのカウンター席があり、数人のメイドさんが忙しそうに働いていた。左奥には円形のステージもあり、ライトやスタンドマイクの設備もある。
メイドさんは、こういう場の雰囲気のせいか全員すごく美人に見える。まぶしい笑顔にくびれたウエスト、やや浅い角度で広がっている、パニエ状の膝上スカート。腰に傘をつけたような、という形容が浮かんだ。
「おお……白のハイソに、あっちは黒タイツっす。すごっ、生足もあるっすよ」
「メイドさんのレベル高いな……。建物もかなりお金かけてるし、ステージがあるってことは何かパフォーマンスもあるのかな」
テーブルチャージ料などはないが、混雑時のみ1時間での入れ替え制。メニューは充実していて料金も思ったほど高くない。しかもなぜかケーキの種類が豊富だった。隣の店へのあてつけではないと思うが。
僕は視界を巡らせる。メイドさんを観察して、あるいは厨房の奥に見える料理人にも。
「昼中っち、えらい見てるっす」
「そうじゃない、まさかとは思うけど、この店のメイドって……」
「おかえりなさいませー、ご主人様さまー、はんど☆メイドをお楽しみでしょうかー」
そのメイドは僕たちの席に来て、にこりと笑う。
「……」
なんか予想と違ったけど、僕の中で色々と噛み合う感覚。
他のメイドよりだいぶ挑戦的な服であり、ヒップのラインぎりぎりまでスカート丈を切り詰め、胸部は盛大にせり出して北半球を放り出している。よほどボディに自信がなければ着れないやつだ。
「ご主人様、本日のおすすめはノンアルコールのピーチフィズ、アーモンドと白桃のタルト、お食事は三色オムライスとなっておりまーす」
そして弾けるような営業スマイル。目も口も最大級の笑顔である。この笑顔120円というのはこういうのだろうか。
あまりの事に僕と黒架はしばらく硬直していたが。やがて気を取り直して、言った。
「……教師が、副業していいんですか?」
「いやここ私の家だから、これは家業ってやつ」
胸元の布を引っ張りつつその人物は。
西都高校の養護教員、亜久里先生は堂々と言った。
そして、とてとてと歩いてくるメイド服の少女。
僕たちを見て、ずばっと勢いよく手を挙げる。
「よくきた!」
こっちはまだ研修中のようだ。




