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姫騎士さんは眠りたい  作者: MUMU
第三章 無限のお宿と姫騎士さん
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第二十一話





翌日。


「まず行政を動かそう、道路が整備されてないから陳情して、県の広報課にも訴えていかないとね」


僕たちは宿の好意でもう一泊することになった。先生は朝から支配人と数名の従業員を集めて、ずっとレクチャーを続けている。


「施設は一流なんだから立地の悪さを逆手に取って、ラグジュアリータイプのマンスリープランを打ち出していきたい。いわゆるサービスアパートメント。長期滞在型は西都温泉ではカバーできてないのでインサイトなニーズが見込める上、省人化も狙える。しかし人員を減らすわけではなく、カルチャーやコト消費などアクティブシニアを見越した新しいサービスを打ち出して……」


ちょっと覗いてみたが僕にはついて行けなかった。


桜姫はというと姿が見えなくなった。まあ現れたときも突然だったし、基地かどこかに帰ったのだろう。


昼にはあたりの山をのんびり散策して、夕食も済ませて、あっという間に二日目の夜。


「はあ、何もできなかったっす」


三階にある広めのベランダ。夏場はバーベキューもできる展望デッキらしい。

わずかに欠けた月を眺め、ペットボトルのお茶を飲みつつ涼む。

脇には黒架がいる。二人でぽつねんと夜の山を眺めていたが、黒架はなんだか落ち込んでいた。


「情けないっす。ブラム・ストーカーによると吸血鬼の腕力は「人間の20倍」なんす。もっと戦えると思ったのに」

「仕方ないよ。相手はロボットなんだ。怪我がなくてよかった」


そう言うと、黒架は手すりにもたれかかって僕を盗み見る。なんだか切なげな眼だ。


「うちらはもっと凄いはずなんすよ……。夜の王様なんす。城の最下層に眠っていた深淵なる方々は、すべての異形を支配したとか言われてるっす……」


確か、黒架の母親もそんなことを言っていた。ハンターがいかに強くても、深淵なる方々には及ばないだろうと……。


「城は遠くの国に移って、簡単には帰れないっす。もう見捨てられたかも」

「そんなことないだろ。母親だって黒架のこと心配してたし」

「そうなんすけどね……」


黒架は唇を噛む。上顎からのぞく長い犬歯がちらりと見えて、また唇に隠れた。


「私、どうなるのが正しいのか……。ママは、私に広い世界を見ろって言ってくれたっすけど、それはつまり、人間として生きていけって意味かも知れないっす。吸血鬼として力を磨いても、私じゃ城を継げないと考えたのかも……」

「……」


どう答えるべきだろう。

先日の事件で、黒架とその母親に反目する吸血鬼は一掃された。

しかし黒架が城を継げば、同じことがまた起きないとは限らない。指導者の立場とはそんなことの繰り返しかも知れない。

黒架にとって何が最善なのか、どう成長すべきなのか……。


「両方やればいいさ」


ややあって、僕は言う。


「社会のことも知って、吸血鬼としても成長する。将来どちらを選ぶにしても損にはならないはずだ。成長が悪い事のはずがない」

「うん……そうっすね」


黒架は頭を揺らす。夜に酔うとでも言うのか、果ても見えない、明かりもほとんどない波のような山を見てると、自分の座標が曖昧になる気がする。


「社会を知るって、どうすればいいんすかね……」

「そりゃ、色んな場所に行ったり、映画見たり本を読んだり、ゲームして楽しく過ごしたり」

「それ、いつもやってることっす」


僕は苦笑する。


「そうだな、じゃあえーと、恋人を作るとか、今まで経験のないことをやるとか……」

「……」

「いや、変なこと言ってるな、僕にも何もわからないよ。僕だって将来は不安だ。問題は山積みだし、この町以外のことを知らないし、過去の自堕落な日々のツケを払わないといけないし」

「私もっすよ。吸血鬼の秘儀なんてほとんど知らないし、ゲームでも一番は遠いっす。知れば知るほど世界は広くて、踏み出すのを怖がってたっすよ」

「そうだな、お互いこれから苦労しそうだ。でも心配ないさ。少なくとも一枚か二枚、壁を超えた気がする。二人なら立ち向かえることもあるさ。今後もな」

「協力……してくれるっすか? 昼中っち」

「ああ、約束するよ。なんでも言ってくれ」

「……じゃあ」


黒架の声が憂いを帯びるような。喉を震わすような緊張を含んだ声になって、僕はそちらに眼を向ける。

赤い目が。そして薄い唇が見えて。



「私と、付き合ってくれますか」



世界の広さ。

その黒架の言葉は、僕に無限の広がりを与えるかに思えた。世界の可能性を広げ、未来への扉が無数に増えるような。


「一人でいる……のは、寂しいの。昼中くん、なら、一緒に生きて、いけるような……気が」

「いいよ」


その言葉が。

僕が何の迷いも溜めもなく、イエスと答えられたことを神様に感謝したかった。

似た者同士だった僕たちが、しっかりと手を繋いで歩いていける喜びが。手の届く距離にいることの大いなる安堵が。


「いい……っすか? でも姫騎士さんは」

「何度も言ってるじゃないか、付き合ってないよ。姫騎士さんには恩があって、それを返してるだけだ。元々、住む世界も違う。僕なんかが恋愛対象になるはずもない。姫騎士さんにとって、僕はその他大勢の一人、姫騎士さんが等しく優しくしている人々の一人なんだ」


僕はそっと黒架の肩に触れる。人間の上位種とも進化の極みとも自称していた吸血鬼、だが黒架はごく普通の少女に思えた。それはきっと、僕と黒架が互いを近くに感じていたからだろう。


「でも黒架は違う。特別な一人だよ。あのときゲームセンターで出会ったことも、一緒に東京を旅したこともかけがえのない思い出だ」

「昼中っち」


黒架は僕にぴたりと寄り添って。

そして少しくだけた様子で笑う。


「うへへ、よかったっす、昼中っちにそう言ってもらえて、とっても幸せっす」

「笑い方が下品だぞ」

「頬がゆるんじゃうんすよお」


何もかも違うようで、それでいて似ていると感じる黒架。

未来とは何もわからないもの。この夜のように広大で得体のしれないものだけど。


今このときは、それに立ち向かって行けるような、そんな気がしたのだ。





「昼中さん、黒架ジュノさん」


二人で廊下を歩いていると、姫騎士さんがやってくる。


「姫騎士さん、なんだかホカホカしてるっす」

「私、今夜こそ眠れる気がします」


姫騎士さんは全身から湯気を上げるほど温まっていた。聞くところによると黒架と一緒に温泉三昧の一日だったらしい。それ以外にもマッサージを受けたり、スクワットで汗を流してみたりと色々やった後だとか。


「昨日、0時ごろにお部屋をお訪ねしたんですよ、でも返事がなくて」

「え、昨日? いや色々あったんで疲れて寝ちゃったな……」

「うちは気付いたら朝だったっす、気絶しちゃって」

「私は眠れなかったんですよ」


ぷい、と頬を膨れさせる姫騎士さん。なんだかご立腹の様子である。


「今日はちゃんと見ててくださいね」

「え?」


問い返す僕に、姫騎士さんははてと首を傾げる。


「そうでしょう。眠ったのかどうか見ててくださらないと」

「え、いや、黒架と同じ部屋だろ、なら黒架が見てるから」

「そうっすよ。私と同じ部屋っす。私が見てるっす」

「昼中さんは見てくれないのですか」


つんと顎をそらして言う。そういう動作も実に凛々しい。湯上がりのせいか肌のきめ細かさがすごい。シルクの布みたい。


「一人より二人です。二人でちゃんと見ててください」

「わ、わかった」

「昼中っち、うちらの部屋に来るっすか?」


黒架が僕の背中に寄りかかってくる。黒架は長身のせいか線が細く見えるが、実際に触れるとそのスタイルの良さが分かる。


「いかがわしいことはダメっすよ。高校生っすから」

「当たり前だろ、何もしない」


そして寝室。

部屋は真っ暗である。二人とも豆球もつけないタイプのようだ。ぴしゃりと寝室のフスマを閉めると、いきなり真の闇になる。


「何も見えないんだが」

「こっち来るっす」


黒架はやはり夜目がきくのか、僕の手を取って隣に導く。気づけば僕は二人の隙間。布団の間に潜り込む形になっていた。


「ほらほら、足だけ入れてあげるっす、照れちゃダメっす」

「黒架ジュノさん、なんだかウキウキしてますね」


三人で川の字となり、足先が黒架に触れる。陶器のようになめらかな足。細く長く、その内部にじわりと温かみを蓄える足だ。


「うへへ、西都の温泉は美肌の湯っすからね。どうっすか昼中っち、ほらスネをなでなで」

「落ち着かないからやめてくれ」


と、もぞもぞと体を反転させて姫騎士さんを見れば、すでに目を閉じて寝にかかっている。

なるほど、確かに深いリラックスが見られる。温泉でたくわえた熱を全身から放つかに見え、呼吸は深く静かで、胸がゆるやかに上下する。ほとんど見えないが頬には赤みが強く、足先は自然に甲が伸びて弛緩しているのだろう。


「さてと、姫騎士さんが寝るまで起きとかないとっすね」

「うん……」


というか、いかん、僕も眠気が来そうだ。

しかし黒架って意外と体温高いな。姫騎士さんの布団からもじわりと熱気を感じるし。この熱気は風呂と散歩でほどよく疲れた体にきつい。

あ、なんか良い匂いする。それに黒架の足、この異様なすべすべ感はなんだろう。そうか女の子にはスネ毛がないから。


「こらー!」


がらっ、とフスマを開かれる。


「わあああっ!?」


僕は慌てて飛び起き、そして奥歯をぎりぎり噛んでる亜久里先生。


「この不純異性交友軍団!」

「そんな言葉はじめて聞いたっす!?」





そして十分ほど。


「眠ったことがない?」

「そうなんです」


先生と僕達で四人、布団の上で車座になって説明する。主に語るのは僕だった。


「だから、温泉でリラックスすれば眠れるんじゃないかって話になって、眠ったところを見ようとしてた所です」

「見なきゃいけないもんなの……?」

「もちろんです!」


姫騎士さんはホカホカの体を冷ますのが嫌なのか、膝まで布団をかぶった状態で話す。


「私は眠るという状態を知らないんです。これが眠りなんだ、と誰かに判定してもらわないと不安です」

「そ、そういうもんかな」


姫騎士さんには独特の圧というか、誰が相手でも気後れしない強さがある。先生もやや引きつつ応じる。


「うーん、でも高校生の男女が添い寝ってのは……立って見ておくとか、なんならカメラとか用意するけど」

「見張られてると寝られない気がするんです。剣の鍛錬のときがそうです、虫の視線にすら気づいてしまうんです」


剣術家の姫騎士さんにはそういう感覚があるのだろう。緊張のあるなしで説明できる話ではないと思うが、姫騎士さんはとにかく、自分のイメージ通りにやりたいらしい。


「わかった、じゃあ私も寝よう」


と、先生が提案する。


「えっ」

「端から姫騎士さん、私、黒架くんに昼中くん、この並びなら許可する。寝室は広いし」

「分かりました、では先生のぶんのお布団出しますね」


ばたばたと押し入れから布団を出して、てきぱき敷いてさっさと横になる。どうも姫騎士さんはかなり燃えてるらしい。


「じゃあ先生、電気を消してくれますか」

「当たり前のようにやってるけど割とアブノーマルな状況だからね?」


そして川に一本足した状態に。


「私、もうちょい起きててビールとか飲もうかと……」

「諦めないとダメっす。そもそも旅行の目的はこれなんす」

「そうですよ先生、ちゃんと姫騎士さんを見ててください」


そして数分。


「……」


さらに数分。


「やばいっす昼中っち、うちマジで落ちそう……」

「うん……僕もだいぶ」

「先生」


ふと声が上がる。姫騎士さんの声だ。

布団を首までかぶった先生が応じる。


「どうしたの?」

「少し時間がかかりそうです……何かお話をしてくれませんか、それでリラックスできるかも」


姫騎士さんはまだ気が張ってるのだろうか。


「お話か……昔話ならいくつか知ってるけど」

「そういえば先生、まだ例の話を聞いてないです」


僕が声を上げる。


「話? 橘姫のことならみんなにも説明したじゃない。私が昔作ったロボットで、暴走して私のもとから逃げていったって、なぜか金を追い求めるようになって、重奏アンサンブルに潜ってるって」


昨日のうちに聞いていた話だ。先生はロボットの技術的側面も話したけど、三歩踏み込むだけで僕の理解を超えてしまった。


「そのことじゃないです。この西都の町に来た理由ですよ」

「ああ、そのことか……」


昨日、言いかけて聞けなかった話だ。先生は闇の中で僕たちの気配を伺うようにもぞもぞと動き、やがて観念したように言った。


「君たちも只者じゃなさそうだしな……話した方がいいか」

「お願いします」

「理由というのはね、予言なんだよ」


予言。

その言葉で、僕はぎゅっと拳を握る。


「私はね、常にネット上に情報収集ボットを走らせてる。新技術だとかビッグデータだとか、役に立ちそうな情報を根こそぎ集めて自分の発明に役立ててるのさ。情報は毎秒数十ペタバイトという規模で、その分析の過程はもう人間では追えない」

「……」

「西都の町から、世界が崩れる・・・・・・


先生の言葉が、金の針のように僕に刺さる。


「数年以内に世界に起こる最大のイベント、という指定で検索したとき、この短い予言が生まれた。私は橘姫を追っていたから、彼女がこの町に現れるのだと思った。事実、西都近くのこの宿に重奏アンサンブルが出現し、橘姫も現れた。予言は見事に的中したわけだ。西都に来てよかったよ」

「数年以内の……最大のイベント」


今なら分かる。先生はいわば「科学の世界」に生きている人だ。この世界において、あの橘姫というロボットは科学の頂点と言えるだろう。


だが。それだけではない。

科学の頂点と同時に、この町にもう一人いるのだ。

言わば――オカルトの頂点が。


「先生……僕からも、伝えておくべきことがあります」

「昼中くん……?」

「黒架も、姫騎士さんも聞いてくれ、僕は先日、あの新しくオープン予定のケーキ屋、「Flamme blanche」に行った……」


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