第二十話 【虹神懸る如く月樹の宿】3
「な……!」
何かを射ち出した。メイドに。先生の仲間ではないのか。
黒煙の中で光がきらめく。
一瞬、煙に裂け目が生まれる。ケーキを切り分けるように分断される錯覚。爆発の中心から弾ける斬閃。周囲のあらゆるものを斬りさいなむ。
「ノーグッド、通常炸薬で私のボディはフェイタルにならない」
肩にかつぐ、長く肉厚な両手剣。メイドの周囲では蛇のうねるような条痕が刻まれている。
剣は足元にある麻袋にかざされる。先生は目から炎を吹くかのような怒りの形相。
「橘姫……! まだそんな真似を!」
「この程度はノープロブレム。アンサンブルスペースはリアルの延長。それはあなたも承知の」
返答は最後まで言えなかった。先生が反対の腕を突き出し、その先端が目を焼くほどに輝く。
「せっかち」
橘姫と呼ばれたメイドは跳躍して後退。一瞬後、元いた地点から猛炎が噴き上げる。
そして焦点が動く。壁を、天井を超高熱のレーザーが爆散させながら追いかける。
「ここです」
橘姫が天井付近まで跳躍。ジェットの火がその全身を炎上させるかに見えて、人間には絶対に耐えられない速度で回る。
ごうん、という鈍い音。それは木材、石材、鋼材がまとめてぶった斬られる音だ。天井に裂け目が生まれ、水のカーテンが降ってくる。それはレーザーに触れて白霧の爆発となる。
雪崩が押し寄せるような白の奔流。視界が効かなくなる。
「うっ……こんなもの吹き飛ばして」
「ノーグッド、遅い」
霧を突き破り、飛び出してくるのはメイド。そのパステルカラーの体が両手剣を振り。
僕の体が投げ出される。急に重力の腕が僕を掴み、真下にあった屋台の屋根に墜落。
「うおっ」
黒架が手を離したのだ、と気付いたときには、彼女は黒い矢となってメイドと交錯。がいんと火花を散らす。
「おっと、これはミステリアス、ヴァンパイアですか」
「久しぶりっすね、同族が世話になったっすよ」
黒架の爪が伸びて五指剣のように変化している。吸血鬼の能力か。
僕は屋台の屋根から降りて、中二階部分に向かう。あちこちに気絶している人影があるが、もはや逃げ惑う一般客はいない。半壊している階段を登って先生の元へ。
「先生!」
メイドと黒架の斬り結ぶ様子、先生は茫然と見つめている。その左腕ではレーザーユニットらしきものから白煙が上がり、浴衣の袖が焦げていた。
「先生! それを外して!」
「う、あ、ああ」
ばちん、とバネの音がしてレーザーユニットがふっ飛ぶ。
「あれは……まさか吸血鬼。かなり高位の重奏の住人、しかもあんなに明確な存在相を……」
「先生、あのメイドは何なんですか、先生とどういう関係なんですか」
先生は僕を見て、ふいに正気に戻ったように眼の焦点を合わす。
「あれは……私が作ったロボットだ。重奏世界との境界を超え、どんな世界でも生存し、調査できるロボットだった。十年前に私が作ったんだ」
十年前……?
それはもしかして、先生が飛び級で進学したという大学でのこと。
そして先生は、その研究で何かを「しくじった」と語っていたが……。
がいん、とひときわ大きな音。
見れば黒架の爪が大きく弾かれ、胴部に直蹴りが叩き込まれる瞬間だった。
「黒架!」
その体が僕たちの脇を抜け、木戸を突き破ってどこかの客室に打ち込まれる。
天井からは滝のように落ちかかる水、それがメイドに触れると、強烈な水蒸気が立ち上る。体を冷却しながらメイドは腰に手を当てる。
「ノーグッド、私はヴァンパイアよりスピーディ」
並のハンターなら圧倒できるはずの吸血鬼の姫。それをさらに何段階も上回るというのか。あのメイドの性能は、どれほどの……。
「昼中くん」
先生が言う。メイドはジェットをふかしながらこちらに向かってくる。
「まだ、本当の意味での私の発明を見せてなかったね。これは自信作で……」
「先生……?」
「……とてもすごいよ」
先生は栗色の髪に指をすき入れ、そして取り出すのは、簪のような長細い金具。
それを床に突き立て、叫ぶ。
「桜姫! 来い!」
轟音が。
落雷のような衝撃。天井が崩れ、無数の破片が落下し、僕たちのいる中二階の床まで破壊の波が連鎖して、足元が大きくかしぐ。
そして現れる、桜色の姿。
全身を包む淡いピンクのエプロンドレス。メガホンのような厳つい小手。肩までの髪は空気を包んで広がり、丸っこい靴で床を踏み鳴らす。
僕はといえば、硬直する。
それは少女という年でもない。およそ就学前とすら思える幼児だったのだから。
その人物は勢いよく右腕を上げ、この世の全てに宣言するように、言った。
「おまかせ!」
メイド……少女のメイド。まさか、あの子も。
「……外から? 仮想の位置インフォメーションを割り出してアドヴァンシングなウォールを超えた……」
だが橘姫のほうは油断する様子はない。正しい行き方でなく外からの乱入、それに注目したようだ。
「桜姫! あいつを倒せ!」
「ぶちのめ!」
そして桜姫と呼ばれた幼女が、跳ぶ。
床の石材が爆散するようなジャンプ。一瞬で上空のメイドに向かい、その背中に背負った大剣を引き抜く。
がいん、と鋼がたわむような音。メイド服の二人が交錯する。とてつもない速度が出ている。少女のメイドは勢い余って、天井から壁にかけて斬撃の波が。
視界に捉える、それはひとつながりの切断面。
天井から床にかけて写真に切れ目が入るような眺め。
柱が、彫像が、屋台が飾り布が、数十メートルの範囲で斬撃を浴びる。あらゆる重量物が斜めにずれて倒壊。
「すごっ……!?」
「桜姫の剣は並じゃない、コンクリート塊だろうと斬るよ」
「二号機、なかなかにグッド、私がいないのによくこんなものを」
だがメイドの対応は早い。ジェットノズルを突き出して飛翔。飛び回る桜色のメイドに襲いかかる。
「先生、あれは」
「桜姫。橘姫の技術をさらに改良した二号機。その出力も演算性能も、橘姫の数倍は」
どがあん。と何かが僕たちの近くにぶつかる。
それは桜色の少女だ。あちこちから白煙を上げ、髪は焼け焦げて服の一部が千切れている。
「なっ……そんな!」
「ノーグッド、開発時のスペックなど意味がない」
すたり、と橘姫が僕達の前に降り立つ。
「私は常にエボリューションしている。これからも永遠に」
「ぐ……」
「あなたの成長より、兵器の改良より、私が遠ざかる方が早い。それが人と私の差。けして到達しえぬメカニカルの極限」
その声が、不可思議な抑揚を。
何らかの感情の色を含むような、気が。
「やはり、あなたでは無理……」
「くそっ……」
「まだまだ!」
突然、ボールのように桜姫が撃ち出される。勢いのまま長身のメイドに体当たり。それは大砲のような衝撃で、メイドをはるか後方にまで押す。
「ぐ、しつこい! バラバラにしますよ!」
「こちせり!」
こっちのセリフだと言いたいのか、橘姫の二号機のはずだが、なぜか口調は舌足らずで端的である。
桜姫の得物は大剣である。橘姫よりも大きく、構えて走ると床が豪快に削られる。
小柄な体から繰り出される破城の一撃。ジェットをひいた両手剣がぶつかり、力をいなす。あらゆるものが余波を受けて吹き飛ぶか、輻射熱で炎上する。
まさに人外の剣戟、重機すら破壊しそうな打ち込みが床を弾けさせ、柱を切断する。
「先生、とにかく逃げよう、あのメイドに襲われたら死んでしまう」
「しかし……」
「逃げるのはダメです」
じゃり、と立つ姿がある。ぬばたまの黒髪に、すらりと背筋の伸びた立ち姿。
「姫騎士さん!」
「あのロボットはこの場所の骨董品を狙っています。大量の骨董品を奪われると、この宿の価値が下がるんです。この場所が零落して消滅してしまいます」
「それは……まさか、重奏における毀損崩壊。なぜそんなことを」
「姫騎士さん、でもどうやって」
「先生、あそこの大柱を壊せますか?」
姫騎士さんが指差すのは数十メートルほど奥側。ビルでも支えられそうな黒樫の柱である。円柱型に製材されており、胴回りは大人が三人手をつなげるほどもある。
「あれはこの区画の心柱です。天井や壁がだいぶ傷んでいる今なら、柱を崩せばこの区画を崩落させられます」
「崩落……でも、たぶん橘姫はそのぐらいじゃ」
「倒すわけではありません。区画を崩落させると、この宿の無限が崩れます。崩落した場所の直前が宿の終端となり、新しい部屋を増やせないからです。この宿は無限の拡張という神秘性を失い、元の場所に格納されるでしょう」
「? そ、それは……価値ではなく性質を毀損させるということ? そんなこと試みたことも……」
僕だけでなく先生まで困惑している。姫騎士さんはこの宿の仕組みを掴んだと言うのか、この短時間で。
「一時的に宿が営業を止めるでしょう。その間にあのメイドさんが入ってこれないようにします。柱を壊せますか?」
「で、できる……」
先生は浴衣の胸元を探り、筒状の物体を取り出す。
それをダーツのように投げると、ぷしゅと空気の吹き出す音が連続。エアスラスターの補助を受けた筒は、見事に指示された柱に突き刺さった。
「指向性テルミット爆薬だよ。太さ60センチの鋼鉄柱を溶解させる威力がある。本当は橘姫を倒すための武器だったが……」
活動停止してから撃たねば意味がないだろう。そして、今の僕たちにその力はない。
持続的な閃光。
効果範囲は絞られているが、網膜を焼くほどの光。テルミット反応による数千度の熱が柱の半身を包み、数百年を刻んだ高密度の木材すら炭化、あるいは蒸発させる。
「! 何をしています!」
メイドが気づく。そして僕らも気づいた。空間全体がきしんでいる。
「させません!」
そこに立ちはだかるのは姫騎士さん。そして気づいた。彼女は手に日本刀を握っている。どこかで調度品を見つけてきたのか。
叫ぶのは先生。
「だめだ姫騎士さん! 橘姫は人間のかなう相手じゃない!」
刀を抜き、鞘を捨てる。姫騎士さんはじりじりと右へずれる。
「どきなさい! どかないと命をロストします!」
「……」
姫騎士さんは刀を顔の前に構えている。刃紋を相手に見せつけるように。
「……! その、ソードは」
「やあああっ!」
と姫騎士さん、思い切り大上段に振りかぶっての唐竹割り。
メイドは受けずに避ける。あれ、刃物では斬れないとか言ってたのに。
「や、やめなさい、ソードがブロークンします」
「えーいっ」
畑を耕すような力強い連続上段。しかもかなり近い。あれは刀の腰の部分。根本近くの最も脆い部分で打っている。メイドはなぜか反撃できずに身をかわしている。
そしてついに、燃焼する柱ががくんと傾き。
亀裂が天井に走って一瞬で左右の壁まで拡大、パイプがずれるように回廊に裂け目が。
姫騎士さんは刀を投げる、裂け目の向こうへ。
「ぐっ……」
そして橘姫は、口惜しい表情を残して向こう側に向かい。
変化は一瞬で現れる。廊下にずらりと並んだ扉が互いにくっついて数を減らす。あるいは柱も窓も、屋台や階段の段差すらも。あらゆるものが融合して数を減らしていく。
回廊が短くなっているのだ。生まれた裂け目があっという間に巨大な谷となり、向こう側の回廊もまた縮んでいく。
伸び切ったゴムが戻るように、泡がはじけるように、複雑深淵だった回廊が一気に折りたたまれて、仲居さんやお客の姿も見えなくなって。
そしてバランスを失って尻もちをつけば、そこは畳の上。
「え……」
旅館の一室。寝室が別になっている広めの造り。そのフスマには桜色の幼女が突き刺さっていて、寝室の壁には頭を下にしてひっくり返った黒架が目を回している。裾がはしたないことになってる。
ものも言わず、姫騎士さんが部屋を出ていく。
「あ、ま、待って」
亜久里先生が茫然自失の様子なことにちらりと視線を投げ、後を追う。
「支配人さん!」
たどり着くのは一階、支配人はラッキョウのような顔でこちらを見る。
「ど、どうされました」
「このお宿にブラックリストはありますか? なければ今作ってください」
「ぶ、ブラックリストですか? ええと、はい、一応ありますけど、何年かに一度しか追加されませんが」
「それにこう書いてください、橘姫、と」
「? わ、分かりました。でもちょっと待っててください、いま従業員が炭をこぼして柱を焦がしちゃって、七輪で魚焼いてたらしいんですが、とりあえず掃除しないと」
「ダメです、今やってください」
「は、はいっ」
支配人はわけも分からぬまま、支配人室へ駆け込む。
「炭火で柱を……」
それには何か意味があるようにも思うし、ただの偶然とも思える。
こちらの世界とあちらの世界、その2つは奇妙な連動を見せている。あるいはどちらも同じ場所とも言えるらしいが……。
「ブラックリスト……それで防げるのかな」
「大丈夫です。この宿に泊まれない方は、あの場所へは行けません」
姫騎士さんの言葉には迷いがない。きっと、僕達よりもさらに多くのものを見て、感じているのだろう。
「けど残念だったな……あの日本刀とかも高そうだったんだが」
「そうですね、あれはおそらく重文級、5千万円ぐらいです」
「ごっ……」
なるほど、だから橘姫は刀に気を取られてうまく戦えなかったのか。
あのわずかな時間でメイドの行動理念まで読み切るとは、さすが……。
「あ、でもそうなると、この宿を立て直すって話は」
「それも大丈夫ですよ」
姫騎士さんは本当にすごい。
あらゆることに前もって考えを巡らせているのか。
「亜久里先生なら、きっと名案を思いついて下さいます」
そうきたかー。




