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姫騎士さんは眠りたい  作者: MUMU
第三章 無限のお宿と姫騎士さん
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第十九話 【虹神懸る如く月樹の宿】2


「これが「重奏アンサンブル」だ、私の研究テーマだよ」


亜久里先生は端末を見ている。透明な箱のように見える端末に、ドローンから収集された画像が展開されていた。全長は数キロに及ぶ巨大なアーチ構造。夜の虹、月虹げっこうのごとく、夜闇に浮かぶ橋である。


「私は調査してくるから、君たちはここで待ってて」

「大丈夫なんですか、その……何か危険が」


重奏アンサンブル、この世界に重なりあって存在するもう一つの世界という意味か。それが正確な表現かはともかく、今は先生にならってそう呼ぼう。

先生はポーチをぽんと叩いて言う。


「身を守る道具はあるよ。それに私はこの手の空間に何度も入ってる」

「先生、私達もご一緒します」


そう述べるのは、僕らの中から進み出た姫騎士さんだ。


「え、みんなも……?」

「先生、姫騎士さんは剣道の全国覇者です。護衛のためにも同行したほうがいい」


僕も言う。亜久里先生が只者でないのはもう十分に分かっているが、それでもこの空間において姫騎士さん以上に頼りになる存在はない、それもまた確信だ。


「黒架もこう見えて強いし、僕も役に立ちます」

「……ははあ、なるほど、まあ気持ちは分かるし、一緒に行こうか」


先生は皮肉げに笑う。僕たちが好奇心の怪物と化したと考えたらしい。ともかくも僕達は階段に足をかけ、山を渡る宿へと踏み込んだ。


そして香るのは、木の香り。

内部は元の旅館に似ているが、より格調高く見える。内部に長大な時間を封じ込めた柱に、羽毛のように柔らかく彫られた欄間。古代中国風の壺やブロンズ像などが何気なく配され、それらは花のような温かみがある。

意外というべきか近代的でもある。壁に電光掲示板があってニュースなどが流れ、電子マネー対応の自販機もある。あちこちにエスカレーターがあって勝手に動いている。


カウンターがあったので、先生が呼び鈴を鳴らす。のれんを押し上げて女性が出てきた。太めの目隠しで顔の半分が隠れている。


「いらっしゃいませ。つきばんへようこそ」


目隠しをしながら問題なく宿帳を広げ、ペン立てから万年筆を取り出してそっと横向きに置く。亜久里先生は慣れているというだけあり、ごく自然に話しかける。


「宿泊したいんだけど、部屋は空いてる?」

「相すみません、ただ今すべての部屋が埋まっております」


そうなのか、外観だといくらでも部屋がありそうだが。


「部屋は埋まっておりますが、宿泊は可能です」

「どういうことかな」


受付の女性は右手を示す。元々いた宿から見れば奥側の廊下に、次々と扉が出現している。新しく扉が生まれると、それまでの扉が奥側にずれていくのだ。


「七つ数えるごとに新しいお部屋が生まれております。新しいお部屋でしたら宿泊いただけます」

「これ部屋が増えてるのか、建物は大丈夫なのかな?」

「はい、問題ありません。宿の奥行きは限りなく遠くまでございます」


まるでヒルベルトの無限ホテルである。夢うつつの世界とはいえ、無限というものを考えると頭がくらくらする。


「どうぞ、いつまででもご逗留ください」

「いつまででもか、そうしたいけど、そこまで裕福でもないし」

「いえいえ、お気になさらず、いつまででもどうぞ。お代は一切いただいておりませんので」


うやうやしいお辞儀に見送られ、僕たちは旅館の奥へ。


「全部タダってことっすか?」

「あの支配人に影響されてるね、金儲けなんか度外視で人をもてなそうって方針が拡大・・されてる。部屋数とか、宿泊期限の限界というものが無いのかも」


奥へ行くと、だんだん賑やかになってきた。

土産物屋や飲食のお店が並んでいて、建物の中に温泉街があるような眺めだ。

ときおり目隠しをした人影が行き来していて、聞き取れない言葉で何かを話している。部屋はあちこちにあり、漢字二文字の部屋名らしいものが書かれているが、どれも見たことのない漢字でまったく読めない。


「お客さんがいるっす、でもなんか変な言葉を……」

「この世のものではない人々、って感じだろうね」


先生は端末を体の前に出しながら進む。その端末は懐中電灯のように、この不可解な世界を照らす光源のように思えた。


重奏アンサンブルは大小無数にあるけど、その最小単位は生物だ。自己認識の歪みから生まれた生物は、より完成度の高い空間に吸い寄せられる。水面の泡が互いにくっつくのに似ている」

「自己認識……」

器物きぶつかいってあるでしょ。チョウチンとか石臼いしうすに手足が生えたようなお化け。あれは無機物の認識の歪みから生まれた異形だよ。同じように建物が複雑で深淵な自己認識を持つ場合もある。自分はもっと広大であり、歴史があり、あらゆるものを受け入れる立派な宿なのだと。それに同調することで重奏アンサンブルに踏み込むことができる」


先生の語ることはオカルトのようでもあるし、オカルトを理性的に解釈しようとしてるようにも感じる。


「無限ですね」


姫騎士さんが言う。それは僕の背中を指でなぞるような、先頭の先生に聞こえない呟きだった。


「どういうこと?」

「このお宿の根幹は無限です。とても古いものです。おそらく山々に住んでいた格の高いもの・・・・・・と融合しています」

「格の高いもの……」

「あまり適切な言葉がなくて、そうとしか言えなくて……」


……黒架の城なみに巨大な世界かも知れない。慎重に行くか。

それにしても広い。ときどき動く歩道もあり、何度か乗り継いで奥へ奥へと進む。


「先生、ところでどうやって旅館を立て直すんすか?」


黒架が聞く。黒架は揺れるように左右に動きながら歩き、物珍しそうに周りの人を眺めている。

それらの人々は、こちらを雑草のように無視する。


「こういう空間は奥に進むほど深淵なものになる。そこにお宝があるだろうね」

「お宝」

「例えばそこの大皿」


カラフルな久谷焼っぽい大皿である。

先生はその大皿に端末をかざす。すると箱型の端末内部に同じ皿が出現し、三次元的に回転。似たような皿がいくつも浮かんで比較される。


「古九谷の大皿、鑑定額450万円」

「そんな名品が?」

「奥の方にもっといいのがある。あまり高額だと現金化が大変だから、3億ぐらいのやつを一つ持って帰ろう、それで当座はしのげるだろう」

「ど、ドロボーっすか?」


黒架が反応するが、先生はいたずらっぽく笑って指を振る。


「人聞きの悪い。言ったでしょ、ここはさっきの旅館と同じ場所なんだよ。本来あったかもしれない世界、建物それ自体が、あるいは従業員が認識している世界だ。この旅館にあるものは元々の場所の物でもある。移動させるだけだよ」

「先生、物を持ち出すなんてできるんですか?」

「できるよ。骨董品にはよくそういうことが起こる。記録上では消失したはずなのに、なぜかマーケットに再浮上する品だ。贋作という場合が多いけど、その作品が世界から失われていないと誰かが思ったことで、重奏アンサンブルから持ってこれた場合もある」


話を聞きつつ、さらに奥へ。

進むごとにお客も奇妙さを増す。大柄で魚の頭を持つ人、天井にぶら下がってぼんやりと発光する蛸、組体操のように何人かがくっつき合ったまま動いている人……。


「でも何個も持ち出すと重奏アンサンブルが不安定になるから、一人一つにしておこう。君たちも何か選んでくれ」

「うーん、じゃあこの高そうな蒔絵の箱なんかいいっすね。あ、でももっと奥に行くっす」


まるで遠野物語にある「マヨイガ」である。

山中にあって迷い込んだものに富を授ける家、迷い込んだものは、その家から何か一つ持ち出してよいことになっている。

……つまり、それも重奏アンサンブルだったということか。


「昼中さん、何か変です」


姫騎士さんの囁き。彼女は目立たぬように気配を消していた。後ろに視線を送れば、姫騎士さんは緊張の面持ちで音もなく歩いている。


「……どうしたんだ」

「いくつか、すでに奪われている調度があります」


……何だって?


「あの場所、何か置いてあった跡があります。あそこの休憩所には絵がかけられていたと思います」


なるほど、言われてみれば廊下に四角く凹んだスペースがある。近づいてよく見れば敷き布のへこみも見える。高台こうだいを持つ壺か何かが置かれていたのだ。


「……。黒架、ちょっと耳かして」

「ほえ?」


亜久里先生は探索に夢中という様子で、端末をかざしながら先行している。


「黒架、飛べるんだよな。僕たち三人を抱えて入り口まで飛べるか」

「たぶん大丈夫っす、どうしたっすか」

「何が起きるか分からない。いざとなったら僕たちを抱えて……」


どたどた、と足音がする。

見ればタスキがけをして、薙刀を構えつつ走る仲居さんたち、やはり全員が目隠ししている。


「何だ……?」

「お客様! 賊が現れました! 身をお隠しください!」


三十人以上いる。薙刀にはぎらりと輝く刃がついており、刃がかすめた柱が木片を散らすほどの鋭さだ。

瞬間、通路の奥で爆発。


「!!」


巨大な炎と黒煙が空間の上の方を流れていく。天井の一角から竜の頭のようなものが出てきて、内部から水流を吐き出して火災に立ち向かう。


「ぐうっ!」


先行していた仲居さんがいたのか、数人の女性が爆発とともに飛ばされてくる。薙刀が半ばから折られ、数人が激しく転がりつつ壁にぶち当たる。


そして混乱の中で、先生がこちらを振り向き。


「――何を」


その瞬間。体をぐいと掴まれて意識が横に流れる。

姫騎士さんに体をかっさらわれたのだ。黒架も瞬時に上に飛んでいる。そして僕たちのいた空間を黒い影がよぎる。

それは網だ。細い糸で構成された投網、先端が弾丸のような勢いで壁に打ち込まれて網を固定する。内部に数人の仲居さんが捕らえられる。


「お客様! 何を!」


先生は僕たちを眼で追おうとしたが、それは一瞬のこと。すぐにきびすを返して奥側へ走る。


「先生!」

「追いましょう」


姫騎士さんが駆け出す。腰の高さがある衝立を軽くまたぎ、異形の人々が駆けてくる波に逆らって走る。


「姫騎士さん! 危険だ!」

「昼中っち、手を!」


黒架が手を伸ばす。そうか、飛んで追いかけるべきか。

黒架は内股に構えて全身に力を入れ、その浴衣の背中がぐっと瘤のように膨らんで。


あ、やばい。


ばん、と左右に展開するコウモリの翼。左右に2メートル以上も展開されて、もちろん浴衣は後方に吹っ飛ぶ。


「にゃああああああ!!?」


その場にへたり込む黒架、勢いで腕を引かれて転びそうになる。

しかも黒架は湯上がりである。浴衣の下がどうなってたのか……詳細は控える。


「あ、あうう、しまったっす。いつもは下にノースリーブ着てるのに」

「……い、いちど翼しまって、これ着ろ」


僕は浴衣の下にTシャツを着てたので、それを黒架に渡す。黒架は半べそをかきながらそれを身に着けて、あらためて翼を広げた、やや遠慮がちに。


「うう、と、飛ぶっすよ」


そして手を引きつつ、飛翔。

羽ばたきはほとんどなく、また自分の重量をあまり感じない。

それは道理だろう。僕と黒架で100キロ以上。この重量を羽ばたきで飛ぼうと思ったら、翼の大きさはとんでもないことになるし、そんな翼を動かす筋肉は形容しがたいほど巨大になる。


コウモリは胴が短いため、鳥よりも小回りがきく。黒架も鋭い軌跡を描いていた。大きめの植木や煙を回避しつつ飛ぶ。


ほどなく様々な音が聞こえてくる。爆発音、何かが倒壊する音、そして悲鳴と喧騒。


乱戦になっている。何者かが迫りくる薙刀を弾き飛ばし、回し蹴りで数人をまとめて吹き飛ばす。


そしてジェットの火。

一瞬の灼光、薙刀が切断されて金属片が散る。


「あれは!」


仲居さんは鎖帷子かたびらのような防具を着込んでいる。だが斬撃を受けた衝撃は大きく、柱に背中を打ち付けて動かなくなる。


敵はメイドだ。

ピンクと水色が散らばった色彩、ふくよかなボディラインをたっぷりの布で包み込むようなフォルム。そして無秩序に突き出してくる円筒形のエンジンノズル。

ロビーに作られた人口の川、それに渡されたアーチ橋の上に立っている。目隠しの仲居さんが大きく飛び上がり、柱を利用して三角跳び、全体重を乗せて斬りかかる。


「ノーグッドです。刃物で私は斬れません」


ジェットの火、手の側面からの噴炎が手刀を加速させ、強烈な勢いで鎖骨に叩き込まれる。人間の体がメンコのように床に叩きつけられた。


メイドの足元には大きな麻の袋があり、中から様々なものが見えている。絵画、巻物、ガラスランプ、置時計に仏像まで。


「メイド……あの時の」

「姫騎士さんと先生が見えないっす、どっかで追い抜いたっす」


あのメイド、美術品を強奪するつもりか。

この神さびた空間で、そんな下世話な行為を。


たちばなひめ!」


亜久里先生の声。

見れば中二階になってる廊下に先生がいる。手すりの上に立ち、眼下のメイドに呼びかける。栗毛の髪がざわりと逆立つかに思える。


先生、あなたはいったい……。


「もう逃がさん!」


先生が右手を突き出す。

そこに巻き付いた金属製のギミック。スプリングによって飛び出す筒。その全体にばしりと電流が走り。


そして強烈な加速で打ち出された何かが、メイドを中心に爆発を起こした――。

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