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姫騎士さんは眠りたい  作者: MUMU
第三章 無限のお宿と姫騎士さん
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第十七話





「ひっろ……何これ池じゃん……」


外周の長さは50メートルはある。子供なら泳ぎ回れそうな広さの露天風呂。しかも見事な山並みのパノラマである。

崖の上に立つような理想的な立地、湯量は豊富で、うめる前の源泉は80度もあるという。脱衣場の片隅には無料の温泉卵があったり、源泉の熱を利用した岩盤浴室。さらに広々としたサウナまである。男湯全体で100人は入れそうだ。


「ここ夜景も綺麗だろうなあ。夜にまた入ろうかな」

「昼中っちー! そっちも広いっすかー」


竹垣の向こうから黒架の声。女湯の方からは散発的に水音が上がる。


「めちゃくちゃ広いぞ、それより他にお客さんいないのか、大声出して大丈夫か」

「大丈夫です、こちらには誰もいません」


姫騎士さんの声だ。黒架と一緒らしい。


「姫騎士さん、あっちに打たせ湯もあるっす、あれがコリに効くっす」

「滝行ですね、でも私の知ってるものと違うような……」


打たせ湯のドドドという音が響いている。黒架が声を大きくしてるのはそのせいもあるだろう。


「おおう、黒架さんすごくスタイルいいね。モデルさんみたい」

「うへへ、ちょっと自信あるっす。でも先生もなかなかっす」


亜久里先生も一緒なのか。でも黒架って血液が青いから肌の色が人間と違うはずだけど、ごまかす方法でもあるのかな。


「姫騎士さんほんと髪きれいっす。世界が嫉妬する感じのやつっす」

「そうですか? 黒架さんの金髪もお綺麗ですよ」

「姫騎士さんは体にホクロが一つもないね。若いときは少ないものだけど、完全にゼロってのはすごく珍しいよ」

「ほれぼれするっす……。鼻とかもちいさくてかわいいし、まつげも長いし」


なんか会話が生々しくなってきたから離れていよう。


「昼中っちー! 聞いちゃダメっすよー!」


ならそんなでかい声だすんじゃねえ。





「こちら、A5ランクの陶板焼きとなります」


すごい。

じゅうじゅう焼ける肉。

野菜ほくほく。

ちいさいコーンかわいい。

牛肉の握り寿司すごい。


語彙を失いつつ僕たちはそれを堪能する。夕食で出てきたのは見事なブランド牛のコースである。赤身のユッケにテールスープに焼き野菜の盛り合わせ。デザートは舌が痺れるほど甘いメロンだった。


肉は追加も可能で、シメは鯛茶漬けか炊き込みご飯から選べる。希望すればすき焼きや野外バーベキューもできるという。

先生は地酒を堪能していた。お銚子一本までなら無料らしい。


「いやー、至れり尽くせりというか。すごいなあ……」


お風呂も入って食事も済んで、内臓からじわじわ火照ほてる頃。

一階の自販機コーナーにて、僕はしみじみと感動していた。

黒架は姫騎士さんを連れてゲームコーナーに行っている。僕の目からはかなり古臭いゲームばかりに思えたが、黒架は赤い瞳をキラキラ輝かせて感動していた。僕は少し食べすぎたので、自販機コーナーで夕涼みの最中である。


「ここはいわゆる、バブルの夢のあとってやつらしいね」


声がぶるぶると震えている。マッサージチェアで全身もみほぐされつつ、浴衣姿の亜久里先生が言う。


「今ちょっと調べてみたよ。30数年前、ここを黒蔵こくぞう温泉郷という温泉地にしようとして、どこかの大企業の出資でリゾート開発が行われたらしい。それでこんな立派な旅館が建ったけど、バブルが弾けてリゾート開発はとん挫。いくつかの旅館が経営を続けてたけど、もう残るはこの一軒だけ、それで経営方針を転換して一般向けにしたんだって」


方針転換で一般向けに……だからこんな激安セールをやってるわけか。


「あまり聞いたことなかったですね。西都から車で一時間なのに」

「セレブ向けの秘湯って触れ込みだったみたい。だから市のホームページにも載ってない。でもセレブ客も大して来てなかったらしいよ。温泉と料理が立派でも、こんな山奥じゃねえ」


先生はマッサージが気持ちいいのか、口元を緩ませている。背中の揉み玉の振動で前がはだけてきていて眼に危うい。


「やっていけるんですかね」

「無理だね。あの宿泊料でランニングコストをペイするには、常に半数以上部屋が埋まってないといけない。現実的じゃない」

「でも、30年経営してたんでしょ?」

「出資してた大企業の意向だよ。税金対策に存続させられてただけ。不採算部門をわざと抱えておくのも戦略ってことだね。でも方針転換したってことは、いよいよ見捨てられたかな」


シビアな意見である。しかしまあ理解できる。どう考えても七千円の宿ではない。


経緯はどうあれ30年以上続いている旅館なのだ。経営が危ういと聞いて物悲しい気分になってきた。


「何だかもったいないですね」

「滅びの美学ってやつだよ。こんな高級旅館に私らが泊まれるのも、運命の巡り合わせってものさ。この一瞬を大事にしないとねえ」


と、先生は完全にはだけかけていた胸元を直し、伸びをしつつ体を起こす。


「こういう宿はなかなか興味深いよ。いろいろな念が渦巻いてるからね」

「念?」

「そう、いとしく思う愛念あいねん。丹念で入念なもてなし。あるいは執念、怨念、無念、そういうのが渦巻くところは奇妙なことが起きるんだよ」

「お、怪談話ですか。みんな呼んできてやりましょうよ。黒架とかそういうの好きだし」

「怪談ってわけじゃないけど」


先生はわずかに苦笑する。


「昼中くん、私の研究テーマって知ってる?」

「え?」


研究テーマ? 亜久里先生は保健医であり、ときどき保健の授業を受け持ってるだけのはずだ。趣味で機械いじりをしているのは見てたけど。


「いえ知らないですけど……。大学に籍とか置いてるんですか?」

「ダメだよ昼中くん、学問とは生きることと同じ。研究はどこでもできるし、誰しも自分の研究テーマを持ってないといけない。いかにお金を稼ぐか、幸福になれるかでもいい。人生を生きるための目標だね」


酔っているのか何なのか、とぼけたような口調で言う。


「それで、先生の研究テーマって」

重奏概念アンサンブルノーション


聞いたことのない言葉だ、大学で研究してたテーマだろうか。


「それは何ですか?」

「例えばね、この世界は「暴力の世界」だと感じている人がいる」

「? はい」

「また別の人は「学問と知識の世界」「経済の世界」あるいは「私だけの世界」とかね。いろいろな見方がある。同じ世界に生きてるのにも関わらず、だね」

「……」


ほぼ水平に倒したままのマッサージチェア、亜久里先生はその上に座って、片足だけ椅子に上げる半跏趺坐はんかふざの構えになる。理系の雰囲気だがふっくらとした肉感、冷静そうな顔立ちなのに何かをたくらむような不敵な眼差し、そんな複数の印象が同居している。


「人によって世界の見え方は違う。そう説明されるのが一般的だろう。だがもしかして、誰しも自分だけの世界というものを持っており、必要に応じてそれを渡り歩いているだけ、としたらどうだろう」

「……そうだとしたら、何が起きるんですか」

「世界はこれまでの観測よりもずっとおおきいと分かる。一人一人が自分の世界を持ち、あるいは草や木、動物ですらも固有の世界を持つとしたら。そして何らかの手段で、他の世界から技術や資源を取り出せるなら」


亜久里先生がそんな研究を?

ただの高校の保健医、機械好きなだけと思っていた女性が、そんな独自の理論を立ち上げ、研究していたというのか。


「私はね、6歳から大学でそれを研究してたんだ」

「6……!?」

「飛び級なんてそこまで珍しいものじゃない。でもそこでしくじってしまってね、流れ流れて西都の町にたどり着いた」

「なんで西都の高校なんかに」

「理由があるからだよ」


……。


この会話は何だろう。何もかも作り話の戯れの会話なのか。それとも何かしらの必然なのか。


「……その、理由って」

「知りたいの?」


先生は歯を見せて笑う。


「じゃあ、私の恋人になるなら教えてあげる」

「……」

「うわ、ちょっと何そのマジな顔。冗談だよ冗談」


先生は手をひらひら振って、緊張した空気を笑い飛ばすように言う。


「この町にはね……」


聞けたのはそこまでだった。

どこか遠くの方から、女性の悲鳴が上がったから。


「! 今のは!」


急に空気が張り詰める。今のはまさか姫騎士さん? それとも黒架か? 遠かったし、建物で声が反響してよく分からない……。


「落ち着いて」


亜久里先生はスマホを取り出す。

すると、そのスマホの四隅からマッチ棒のような柱が立ち、スマホが2枚に剥がれ、一枚がマッチ棒の柱を登って屋根となる。つまり全体が箱型になった。側面も極薄のパネルのようなもので埋まる。


「すごっ……」

「これはちょっとだけすごい」


スマホの本体が消える。線だけで描いた立方体のようだ。スマホの表面に反対側の景色を映して透明に見せているのか。


「先程の悲鳴、音紋分析、反響音から発生地点を計算」


透明な空間にこの温泉宿が出現する。僕たちのいるあたりが輝点となり、そこを通り過ぎる波が出現。波は建物の形状に沿って反射しており、複数の波が表示され、やがて逆再生のように波が一箇所に収束する。


「悲鳴の主は40代から50代の女性。たぶん仲居さんだね。発生源は一階、カウンターの奥にある部屋。チェックインの時にちらっと見たけど、たしか支配人室だ」

「行きましょう」


走る。先生は帯を締め直しつつ後ろについている。


「いつのまにこの旅館のデータ取ったんですか?」

「自動だよ。動いたルートは常に記録させている。建物のマッピングもだ。いざという時に非常口が分からないと困るでしょ」


冗談めかしてそう言う。だが僕でも分かる。今の技術は現行の水準を超えていると。


「昼中さん! 今の悲鳴は」


姫騎士さんが廊下から飛び出してくる。おおよその位置は察しがついているのか、僕の前を走る。


「ま、待ってっす。浴衣の裾がもつれて」


後ろから黒架も来ていた。そして僕たち全員で支配人室へ。

入り口の前で、和服の中年女性が腰を抜かしてへたり込んでいる。


そして部屋の奥には男性が。

だらんと手足を伸ばす人物。その人物の周囲に、赤い水溜りが――。


「……!!」


支配人室の床はフローリングであり、赤は部屋いっぱいに広がっている。まさか、これは血……。


「そこの方、下がって」


先生が言う。僕が仲居さんの腋を持ち上げて身を支える。


「し、支配人が……」


仲居さんは息も絶え絶えである。そして気づいた。倒れている人物は僕たちを送迎してくれた人。50がらみの頭の禿げ上がった男性……。

先生は水溜りを踏まぬように中に入る。


姫騎士さんが言う。


「早く病院に」

「そ、そうだな。まだ息があるかも。救急車を……いや、車で西都の病院に送る方が早い。誰か免許のある人を呼び……」


「必要ないよ」


亜久里先生が言う。

必要ない……まさか、すでに。


「だってこの人、寝てるだけだもの」


…………


「は?」

「もったいない。そこそこ高いワインだよこれ。というか寝てもいない。ふてくされて寝っ転がってるだけだ」


え? 何? どゆこと?


「うう……ぐす。ほっといてください……」


その50がらみの支配人は、寝たままでめそめそ泣きだした。


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