第十六話
※
「眠るなんて簡単っす。美味しいもの食べて温泉に入ればいいんすよ」
日を改めてまたもや放課後の図書室。黒架は僕と姫騎士さんを前に語る。
「なので旅館に行くっす。酒池肉林のたわむれっすよ」
どさどさと置かれるのは西都にある温泉旅館のパンフレットだ。万里閣ホテル、鵬楽園、紅葉山荘。有名どころが並んでいる。西都の観光案内所でタダで配ってるやつだ。
「まあ話は分かるけど、姫騎士さんの不眠ってそういう感じのじゃないからな……」
「でも、旅館は興味あります」
姫騎士さんはブランド牛についてのパンフレットを開いている。我が県は国内でも割と有名なブランド牛の産地であり、とうぜん西都でもそれを食べさせてくれる。
「環境を変えてみると眠れる、そういうこともあるかもしれません」
「まあ分かるけど……」
「それと昼中さん、訂正があります。私は眠れないわけではないですよ。まだ眠ったことがないだけです」
「そ、そうだったな」
姫騎士さんは眠りを一種の技術と考えているフシがある。それは何かしらの方法論であり、自分はそれを知らないだけなのだ、と。
その意見に対して、医学者ならばいくらでも突っ込みは入れられるだろう。
だが、現実とか医学という言葉が、姫騎士さんの前では色あせて見える。
何より姫騎士さんの言葉を否定したくないのだ。なるべく姫騎士さんの考え方を尊重しよう。
姫騎士さんの生活を思う。
あの広い屋敷に一人暮らしなことはもちろん、夜通し剣術の稽古をしており、いつも武術家としての気が張り詰めている。学校でも一部のスキもないふるまいだ。心が休まる暇はないだろう。
そう……リラックス。姫騎士さんの心身に緩和を与えることができれば、もしかして眠れるのかも。考えているとだんだんそんな気がしてきた。
「旅館か。そういえば西都に住んでるのに旅館に泊まったことないな。温泉もあんまり……」
商店街のほうに公共の足湯があったり、温泉のみ利用可能な旅館もあるが、ほとんど入った記憶がない。家の事情もあるけど、あまり興味がなかったせいだ。もちろんブランド牛も食べたことない。
「私も旅館は初めてです。昼中さんに黒架さん、一緒に行ってくれますか」
「わかった……あまり高いところじゃなければ」
「お金なら私が持つっすよ」
「そうじゃなくて、さすがに高級旅館は学生の行くところじゃない。食事をそれなりに豪華にするなら、3人で一泊5万円以内ってとこじゃないか」
「了解っす」
西都だと素泊まりで一泊6000円から。食事付きなら1万数千円。高級旅館もいくつかあって、3万か4万ってところだったはず。よその土地は知らないが、ごく普通の相場だろう。
「でも未成年だけで温泉旅行ってのも問題かな? 僕と黒架はともかく、姫騎士さんは大会を控えた身だし」
奇遇というのか何なのか、三人とも親が同居しておらず一人暮らしの身だ。だが、だからって自由に振る舞えるわけじゃない。むしろ一層、規律を正さねばならない。
一人暮らしの子供は旅行もできないのか、と思わなくもないが、さすがに男一人女二人の旅行ができるほどの度胸はない。
「私なら大丈夫です。校則には無断外泊禁止とありますが、ちゃんと海外にいる両親に電話で許可を取ります」
「いや、それはそれで、ご両親が何と言うか……」
「?」
姫騎士さんはきょとんとしている。
冷静に考えると僕が同行するのもまずい気がしてきた。黒架と二人で行ってもらうべきか。いやそれでも未成年が二人なことは変わらないが。
黒架はもどかしそうな様子で言う。
「じゃあ、誰か大人に引率頼むっす。それなら大丈夫」
「大人……」
フランス人のケーキ屋の顔が浮かぶが、すぐに打ち消す。
「姫騎士さん、剣道部の顧問の先生に頼めないかな」
「お忙しい方でして……休日も他県に指導に出ているので相談しにくいですね……」
剣道部の顧問は外部から高名な人を招いてるそうだ。といっても指導は他の部員が主で、姫騎士さんとは掛かり稽古の相手しかできないそうだが。
「うーん、他に大人の人……か」
できればフトコロが深くて、突然の提案にも付き合ってくれそうな人……。
あ、そういえば。
「……ダメもとで、一人心当たりが」
※
「旅行の引率? いいよ」
放課後の保健室にて、丸椅子で足を組んだ亜久里先生が答える。保健室は手狭なので、頼みに来たのは僕だけだ。
「いいんですか? 旅行と言っても西都の温泉旅館ですよ」
「広いお風呂に入って、豪華なご飯食べたいって話でしょ。独身の身だし、そういう衝動は理解できる」
亜久里先生は外見はかなり若く見えるが、どことなく達観したような落ち着きもある。美人なので生徒にもファンが多いらしい。
亜久里先生は白衣を着て、机の上で何やら小さなブロックを並べていた。緑色のブロックは一つ一つが発光しており、平面的に並べるとドット絵のように光が動く。
「それ何ですか?」
「ライフゲーム。上下左右にある光点の数によって、次のターンの光の挙動が決まるの。これは三次元にもできる」
そう言ってサイコロ型に組み立ててみせる。よく分からないが色々と趣味の多い人だ。
「それで、どこの旅館行くの?」
「まだ決めてないんですけど、一人あたり1万数千円ぐらいのところに」
「なるほど」
と、亜久里先生はスマートフォン……じゃない。手のひらサイズの液晶モニターを取り出して、組み立てていた緑のブロックに接続する。
そしてざらざらと数十個のブロックを出すと、まるでキーボードのように長方形に並べた。
「探してみようかな」
「それパソコンなんですか? 凄いですね」
「仮想キーボードをブロックに当てはめてるだけ、見た目が面白いだけですごくない」
どうも美意識めいたものがあるらしい。
モニターを机の上に立てて、ブロックを打鍵する。ブロック同士は磁力でも働いてるのか、くっついてて乱れない。
「詳細条件を述べよ」
「えーと、まず部屋は男一人、女二人、先生が一人の3部屋ですかね。大浴場、できれば露天。夕食つき、朝食はなくてもいいです。静かで落ち着いたところ、マッサージチェアなんかもあるといいかな」
とたたた、と猫の足音のような打鍵。
「夕食の希望は?」
「それなりに豪華ならこだわりません。ブランド牛とかだと高いし無理でしょうね」
「その条件だと市内の安宿だね、シーズンじゃないし多分取れるはず……」
はた、と指が止まる。
「昼中くん、山の上でもいいよね」
「いいですよ。温泉があるなら」
「言われた条件を踏まえて探したよ。旅行サイトを参考に、各種サービスを数値化して最大評価のところをピックアップしたの。そしたら黒蔵山に一軒あった」
黒蔵山は西都の町の南側にある山だ。緑が濃くて、名前の通りくろぐろとして見える。
標高は799メートル。西都の子供は何度か遠足で登るが、それは中腹までで、山頂を目指すとそこそこハードなコースになる。
「西都温泉の源泉って黒蔵山にもあるんですか?」
「わかんないけど天然温泉のかけ流しだって。夕飯はブランド牛の陶板焼き、他に送迎あり、サウナと岩盤浴、薬湯、打たせ湯あり、あん摩無料サービス。ゲーム設備あり、これで一泊七千円」
「やっす……」
なんだろう、補助金でも出てるのかな。温泉宿というのはピザと同じで、数多くの割引サービスがある。市の補助金が出てたりすると自己負担ゼロなんてケースもあるのだ。
それにゲームありか、黒架が喜びそうだ。
「じゃあそこにしましょうか。宿の名前は……」
「えーと、温泉旅館、月ノ番だってさ」
そして話は定まり、その週の土曜日。
送迎が来るという市役所前にワゴン車が到着、中から50がらみの半纏を着た男性が降りる。頭は見事に光り輝いていた。
「どうもどうも、4名様ですね、ささこちらへ。あ、お荷物は後ろへどうぞ」
満面の笑顔で荷物を積み込んでくれる。えらく愛想のいい人である。
「温泉楽しみっすー、あとゲームコーナーとか超楽しみっす」
黒架はえらくテンションが高い。いつもの灰色のカーディガンに、黒のテーパードパンツだ。すらりと長い足が印象的である。
姫騎士さんはライトグリーンのシャツとクリーム色の厚手のスカート。目に優しいコーデである。
亜久里先生は赤のトップスにネイビーのジャケット、下は灰色のスラックス。オシャレな大人の雰囲気だ。
ワゴン車は曲がりくねった道をえっちらおっちら登る。一時間ほどで舗装された道から外れてさらにガタゴト。
「な、なんかメチャ山奥っす。土ぼこり凄い」
「すいませんねえ。何せへんぴなとこに建ってますから」
そして、たどり着くのはそれなりに立派な宿だった。
正面からの眺めは三階建て、瓦屋根のいかつい作りで、あちこちに太い木が使ってある。神社の社殿のようにも見えるのは、古風な建築様式だからだろうか。
玄関も立派なもので、ロビーは革張りのソファが並んでいる。磨かれた木の床はてらてらと光り、年代物のジュークボックスとか九谷の大皿とか、絢爛な欄間などが何気なく存在していた。
「亜久里先生、ここほんとに七千円ですか……?」
「サイトにそう書いてあったもの。間違いないよ。ページの魚拓取ってるから、ぼったくられたら訴えればいいだけ」
落ち着きの方向性が違う気がする……。
宿帳を記し、夕飯の時間を指定してからそれぞれの部屋へ。
部屋は和室で、想像してたより広い。寝室が別になってるタイプで、窓のそばのテラスもたっぷり取ってある。なんと檜造りの内風呂まである。
「すごく豪華な気がする……こういうもんなのかな……何せ温泉旅館って初めてだし」
とりあえず浴衣に着替えて、テーブルにあった干菓子をパリポリやってから、縁側の籐椅子に座ってみる。
大きな窓からは山が見える。波のようにうねる西都の山々、町はどこにも見えず、人跡未踏の地のような風情がある。
そして離れたところに竹で組んだ塀があり、その向こうから湯気が上がっていた。あれが温泉だろう。その一帯からもうもうと湯気が上がっている。
「けっこう広そう……湯量も豊富なのかな」
歴史のありそうな建物に、充実の設備、これだけでも大したものだが。
それからも温泉と夕食で、僕は二回も度肝を抜かれた。




