第十四話
――数日後。
「いやー、強かったな」
「まさか負け越すと思ってなかったっす。感動したっす」
僕たちの遠征は終わった、黒架とともに東京のゲーセンを渡り歩いたのだ。そして黒架は敗れた。
確かに黒架の反応速度は人間の比ではないが、対戦した猛者たちもとんでもなかった。
専門用語山盛りで言うならコンボ判断、詐欺飛び、仕込み入力、ディレイからの復帰狩りにダブルアップに相殺仕込みに暴れ潰しにゲージ管理に殺しきり他いろいろ。
黒架は反応速度はすごいがゲームの知識がまだまだ足りておらず、何人かのトップ層に負け越す結果になってしまった。だがむろん、黒架にとってこれは挫折ではない。より強くなるための貴重な経験であり、今後の目標を見つけられた有意義な旅だった。
学校からの帰り道、僕たちは遠征の試合一つ一つを振り返る。対戦数は300ほど、語るだけなら数ヶ月は続けられそうな濃密な時間だった。
黒架は少し外見も変えていた。
黒のウィッグだけは身につけているが、カラコンはやめたので赤い瞳がはっと目を引く。胸まで覆うコルセットを外したことで女性的なラインが強く出ており、化粧を明るめにしたことでぐっと華やいだ印象になった。実際、黒架が教室に入ってきたときにどよめきが起きたほどだ。
「二人とも、仲が良くてうらやましいです」
姫騎士さんも一緒だった。ややすねたように口を尖らせる。
「ほんとは私も行きたかったんですよ。剣道部の試合がなければ……」
「姫騎士さんにも感謝してるっす。あの時の言葉で目が覚めた気がするっす。弱いものが強いものと戦う技術こそが武だって。確かにトップクラスには武を感じたっす」
黒架には僕と姫騎士さんのことを話した。たいそう驚いてたようだが、黒架も姫騎士さんと仲良くなりたいとのことで、こうして積極的に話をしている。
「でもほんとに同棲してたっすか? 一つ屋根の下で……」
「変な言い方するんじゃない。何も起きてないから」
釘を差しておくが、ふふん、となぜか黒架は腰に手をあてて胸をそらす。
「でも私と昼中っちは三泊四日で東京旅行っす、私の勝ちっす」
「何が勝ちなんだ?」
冷静に突っ込んでおく。
姫騎士さんは一瞬きょとんとして、そして僕をじっと見る。
「でも一緒のおふとんで寝てませんよね」
「寝てないけど、なんの確認それ? 何がしたいの? 僕をどうするつもり?」
「あれ、こんな場所に新しいお店ができてるっす」
西都の町の商店街、通り一本入れば夜のお店の並びがあるが、このあたりはごく普通の商店街だ。名物であるお茶の専門店、観光客向けの土産物屋、ずっと昔からある骨董屋や中華料理屋などが並んでいる。
そこにやたら小綺麗な、洋館風のお店。似たようなのが2軒並んでいる。
「この数日で急ピッチでできたみたいですね。来月開店だそうです」
「一気に2店もできるのか……最近は何でも早いなあ」
見れば一つはケーキ屋、もう一つは……メイド喫茶?
「うわ昼中っち、メイド喫茶ができるっす! 西都にもついに来たっす!」
「おお……秋葉原では入れなかったからな、どこも満席で……」
メイド喫茶の方は「はんど☆メイド」
ケーキ屋の方は「Flamme blanche」というらしい。
「……フラム、ブラン」
懐からスマホを取り出し、翻訳にかける。
「ケーキ屋さんですか、楽しみですね。でもメイド喫茶のおとなりって大丈夫なんでしょうか」
「きっとシノギを削る戦いになるっす。メイドさんが出血大サービスするとか」
「あの……二人とも、先に帰ってくれるかな」
二人は僕の方を向き、きょとんと首を傾ける。
「どうしました、昼中さん」
「ちょっと用事を思い出したから、それじゃ」
僕は二人に背を向けて駆け出す。
かなり走ったところで体を反転。二人が歩き去ったのを確認して、道をぐるりと回り込んで建設中のお店へ。
両方のお店の窓を覗き込む。メイド喫茶の方はまだ工事中だった。喫茶店の方はすでに内装ができている。
裏口に回る。勝手口前に人はおらず、鍵も空いてなかった。靴を持って中に入る。
「ごく普通の厨房だな……きっとどこかに秘密の地下室とかが」
「ないよそんなもの」
どきりとして振り向く。
男性、髪が真っ白だがそこまで高齢には見えない。人種的なものか。後ろに撫でつけてワックスで固めている。
開襟シャツに無精ひげ、手には泡だて器を持ち、白のエプロンをしていた。フランス出身の小粋なケーキ職人、に見えなくもない。
直接顔は見ていないが、この背格好、醸し出す気配は。
「ソワレ……!」
Flamme blancheとはフランス語で「白い炎」という意味。soireeことソワレとはやはりフランス語。夕方から日の入りにかけての時間のことで、転じて夜に行う演劇の公演を差す。
この男がつまり白炎のソワレ、伝説のハンター……。
「なぜこの町にいる!」
僕はそいつに指を突き付ける。男からプレッシャーは感じない。僕などどうとでもできると思っているのか、あるいはとぼける自信があるのか。
「もう吸血鬼の城は消えた! これ以上この町にいる理由はないはずだ!」
がらん、とボウルがテーブルに出される。
「泡立てなさい」
「……は?」
「いまケーキの試作をしようと思っていた。まだ電気が来てなくてね。メレンゲを泡立ててくれ。卵は三つ。そっちのクーラーボックスに入っている。砂糖は三回に分けて加えること」
「いや、聞いてるのか、なぜこの町に」
「私から時間を借りたいなら、私の仕事を減らすことだ。当たり前のギブアンドテイクだろう」
「……」
いいだろう、そっちのペースに持ち込みたいのか。そうでなければ僕と話もできないか。
一人暮らしは長い、それなりに料理の心得ぐらいある。僕は十五分ほど卵白をかきまぜ、ツンと角の立つメレンゲを仕上げた。
「ほう、上出来だ」
スポンジケーキでも作るのかと思ったが、ソワレはメレンゲに生地を混ぜ、カセットコンロとフライパンで焼き、メレンゲたっぷりのスフレパンケーキを作る。僕の分もあった。
「うむ、美味い」
「これ店で出すのか?」
僕は疑問をこぼし、ソワレはナプキンで口を拭う。
「何か問題が?」
「隣に喫茶店ができてるぞ。スフレパンケーキじゃ持ち帰りに出来ない。この店に喫茶スペースを作るのか?」
店舗のほうは大型のショーケースは運び込まれているが、まだ内装が定まっていない。テーブル席を置いて喫茶店にするのか、持ち帰り専門にするのか決めかねてる印象だ。
「うむ、私も意外だった。まさか隣がメイド喫茶とは」
だが、とフォークをパンケーキに突き立てる。
「どちらにせよ競合するなら容赦しない。しょせんメイド喫茶など浮ついた文化だ、王道の喫茶メニューで叩き潰してくれるわ」
「そんなライバル意識燃やしてると思わなかった」
そんなことはともかく、僕はこいつの意図を聴かねばならない。
「約束だぞ、質問に答えろ。なぜこの町にまだいる。住み着くつもりなのか」
「我々ハンターの目的は何だと思う」
質問に質問を返されることに多少ムッとしたが、ともかく自分がソワレであることは認めたようだ、少し考えて答える。
「世界の平和を」「金だ」
食い気味に言われた。風情のカケラもない。
「徳の高いお題目を唱えるやつはみんな死んだ。綺麗事でやっていける仕事ではない」
「じゃあ吸血鬼から金を奪うつもりか」
「そんな事はできんよ。吸血鬼ぐらいになると人間世界で身分を持っているものが多い。手を出せば強盗だよ」
確かに、黒架は僕たちの高校に通っているし、アパートも借りている。何らかの方法で現実的な身分を持っているのだろう。
「金とはつまり懸賞金だ。いろいろな筋から懸賞が出ているのだよ。我々はそれで狩りを行う」
ソワレは窓の外を眺める。
「慈善団体や科学者の集まり、政府組織や宗教組織など様々だが、基本的に吸血鬼はターゲットにならない。彼らの氏族は世界にいくつかあり、国家並みの政治力を持っているからだ。今回は特例だよ。だがアテが外れたがね」
「アテ?」
「「キンダガートンの予言者たち」という存在がある。ローマにある秘密組織だ。それが一つの予言を出した、それは」
「眠らざるもの」
その言葉が、肩に置かれた鉄塊のように響く。
「それが世に現れ、世界が滅ぶという予言だよ。およそ900年に及ぶその組織の歴史において、これほど明確な滅びの予言が出たのは2度しかない。これが3度目だ。高額の懸賞金がかけられたが、あまりに曖昧で絵空事のような予言なので、ハンターたちもどう動いたものか困惑している」
「世界が……滅ぶ?」
「眠らざるものとは夜に活動するもの、と解釈できなくもない。吸血鬼の有力氏族のことではないか、という意見もあったので私が出向いた。吸血鬼たちとは色々悶着があったが、結論を言えば違うようだ。吸血鬼の女王も、その娘も特別な存在には見えなかった。吸血鬼たちは変わらず隠棲を続けていたしな」
やはりソワレは吸血鬼の女王と接触していた。僕にはそれを隠す気も無いらしい。
「見れば……分かると言うのか?」
「必ず分かる」
ソワレは断言する。
「この仕事も長いが、ここ一番というところで切り抜けた要因は、実力ではなく勘だった。いつも己の直感に助けられてきたのだよ。その勘が告げているのだ。この町に何かがあるとな」
勘……。
「違う」
僕は言う。ソワレは無精髭の口で皮肉げな笑みを浮かべる。
「ほう、なにが違う?」
「あんたはもっと実際的な男だ。店まで出してこの町に居座るなら根拠を求めるはず」
だいたい、西都には旅館ぐらい山ほどある。店を出すのは情報収集のためだろう。より町の人に近い視点となって、じっくり何ヶ月もかけて調べるつもりなのだ。
「つまり何か確信があるんだ。その「眠らざるもの」について」
「君もなかなかに勘がいい」
当然のことながら、僕の頭の中には一つの連想がある。
連想というより、答えそのものとすら思える人物のことが。
そして、ここまで来れば僕にも分かる。なぜソワレがあっさりと正体を明かしたのか。そして僕とこうして話をしているのか。
「彼女は何者なのかね」
姫騎士さん。
予言にあるという、世界が滅ぶ元凶。眠らざるもの。
姫騎士さんが……?
「プロフィールについてはこちらですべて調べた。生まれてから眠ったことがない、まあそういう話は例がなくもない。問題は彼女が吸血鬼の結界を突破し、あの城に乗り込んでいたことだ」
さすがは伝説のハンターというべきか、すでにかなりの部分を調べ上げているのだろう。おそらく僕よりも詳しい。
「僕にも分からない」
およそ腹芸で勝てる相手ではない。こいつを味方につけるぐらいの気持ちでいるほうが良いだろう。正直にそう言う。
「彼女には不思議な力がある……。この世ではない場所への扉を開くような。でもあまりに奇妙で、どういう理屈の力なのか分からない」
「ふむ……」
「彼女も探している。自分が何者なのか。もしかして人間ではないのか、とまで思っている。僕はできるだけ彼女に協力してるけど」
「分かった」
ソワレは僕の言葉を打ち切るように言う。おそらく僕の話の推測の部分は聞きたくないのだろう。いらぬ予断を挟むことになるから。
「彼女が予言の存在と決まったわけではない。しばらくこの町にいるから、何でも相談に来るといい。それと、私のことは秘密にしておいてもらえると助かる」
ソワレは体を伸ばして、ぽんと肩を叩いてくる。
「……」
こいつは果たして敵なのか味方なのか。姫騎士さんにとってどういう意味を持つのか。
そして、この世界に何が起きようとしてるのか……。
「あとスフレパンケーキ、380円だ」
「金取るのかよ!!」
※
それは匂いを嗅いだ。
どこか遠く、硫黄の匂い、水銀の風。錬金術とも呼ばれた技術の気配を感じた。
それにとって偶然はなかった。己が感じ取ったことには意味があるとして疑わない。
――そこに、いるのか。
遠い、だが行かねばならないだろう。
汚物とボロ布にまみれた姿で、それは這うように移動する。
泥の湿地を、冷たい川を、そして人の住む街をずるずると動く。
――いるんだな。
――私を、眠らせてくれる、ものが。
そして数え切れぬほどの星の明滅。
蛙の声。
夏の気配。




