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姫騎士さんは眠りたい  作者: MUMU
第二章 夢見る黒架と姫騎士さん
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第十三話 【眠りて廻る灰溜まりの壜】



「さあ、この部屋なら安全ですよ」


案内されたのは、どこか古びた部屋。

掃き清められてはいるが、あらゆる調度が黒ずみ、欠けていて、とても歴史のあるものに思える。


「私は黒架カルミナ。人間がこの城に訪れるのは久しぶりですね。歓迎いたしますよ」


カルミナ、と名乗った女性は黒架に少し似ている。落ち着いた妙齢の美しさを備え、その肌は磁器のように青白い。

彼女は部屋の中央にあったテーブルにさっと手をかざす。すると人数分のカップが生まれ、湯気を立てる紅茶が生まれた。


「ママ、一族のみんなが……」

「心配せずともよいのですよ。ハンターの言っていた通り、私達に滅びはありません。この城の誰も踏み込めぬ場所、摂理の果てで眠りにつき、月の光とともに目覚めるのです」

「で、でも火で焼かれて、剣で斬られてた、同族が蘇るとこなんて見たこともないし……」


母親の前だからか、黒架はやや幼い様子になっている。その頬をカルミナがそっと撫でる。


「あなたはまだ夜の深淵に触れていませんからね。我々のたどり着いた無限の境地、術式の神秘を見せてあげたいけれど、あそこは容易に行ける場所ではないし、言葉で語ることは難しい……」

「その場所は」


姫騎士さんが発言する。銀食器にさじが触れるような硬質な声。不思議な存在感を持って響く。


「どう行けばいいのですか」

「そうね……肉体のままで行くのは不可能ですが、星ひとつない真の夜。朽ち果てた古城の門をくぐり、錬金術アルキミアの書を踏みつけ、地の底の霊に呼びかけ――」


カルミナの手が緊張を示す。姫騎士さんをまじまじと眺めつつ、周囲の気配に耳をそばだてるような気配。


「……踏み越える、それは茨の園、水銀の海、硝酸の沼、硫黄の獣、やがて黄金の循環に至る回廊」


呪文のような言葉。そして、最後の一文を飾るような姫騎士さんの声が。



ねむりてめぐ灰溜はいだまりのびん



景色が揺れる。意識に一瞬の断絶。

方向感覚の喪失、とてつもない距離を飛ぶような感覚。


はっと気づく、そこは灰色の砂漠。

真夜中の砂漠である。灰のようにきめ細かい砂が広がり、そこに人の背丈ほどのびんが並んでいる。

それはガラスでできた人間の形だったり、動物だったり植物だったりする。ガラスの花。ガラスの鳥。あるいはガラスの猫。そんなものが灰に半分埋まっている。瓶の口からはさらさらと砂が注ぎ込まれるように見えて、内部を少しずつ満たしていく。


星空かと思われたそれは無数に書き込まれた文字。あるいは数式か化学式のようなもの。抽象化された動物や道具の絵もある。

おそらくは数万ページに及ぶほどの膨大な文字が夜空にある。霞のようにも見える細かさだが、眼をこらせばその一文字一文字が読める気がする。


「我々は自己進化の特異点に至った種族なのです」


赤いロングドレスの女性、カルミナもそこに降り立っている。


「我々の城の核となる場所がここ。無限という術式を満たした壜です。我々は滅びれば微粒子となってここにかえり、魂の器に少しずつ自己を満たしていくのです」

「ここが……話には聞いてたっすけど……」


黒架は茫然としている。カルミナは薄く笑って姫騎士さんを見た。ぞっとするほど美しい女性だが、笑い方には柔和な穏やかさがある。


「あなた、不思議な力を持っていますね。ここは肉体あるものには触れえぬ概念的な世界です。あなたは高位の魔法使いではなさそうですが」

「不思議、なんでしょうか、やっぱり」


カルミナは面白げに口の端を上げる。


「私にもあなたのやっていることは説明できない。この世にはまだまだそのような神秘が満ちているのです。どうか己の力を大切にしてください」


カルミナは姫騎士さんに興味があったようだが、自分の娘を優先させたいようだった、話を切り上げて黒架の手を取る。


「ジュノ。我々にはハンターの襲撃など何ほどでもない。いかに高位のハンターでも我々の不死は脅かせず、城の下層に眠る深遠なる方々には指一本触れられない。あなたが気に病むことはありませんよ」

「……」

「今回の騒動は、私の責任なのです」

「え……」

「本来、我々はハンターに狙われるような存在ではない。一族を敵に回すことになるのはもちろん、城の根幹をけがすのは至難の業。あるとすれば、それは人の世との最後の争いの日になるでしょう」

「でも……実際に」

「私がいけなかったのです。あなたにもっと広い世界を見てほしかった。私は人間の文化を取り入れようと考え、あなたにも人間のことを学ばせようとした。それが一族の反感を買ったのです」


反感……。

それが今回の事件を招いたのだとすれば、まさか。


「コウモリの眼を通して見ていました。あのハンターは、一族の者の手引きで入ってきたのですよ」

「……! そ、それは誰っすか! アンテルミア、ジャコバン、まさかロゾの爺さま……」


名前を挙げられて、カルミナはひどく悲しむように思えた。沈痛な感情が眼の端に浮かぶ。


「あの場にいた全員ですね・・・・・?」


姫騎士さんが言い、黒架が目を見開いて振り向く。


「なっ……」

「そうです」


カルミナは答える。


「この城にてハンターを暴れさせ、その責任をあなたと私に取らせるつもりだった。しかしまさか、白炎びゃくえんのソワレなどを呼び込むとは」


そうか、だから会合で黒架は不自然なほど孤立していたのか。

この地に留まっていたのは黒架の判断だった。その会合の最中に乱入があれば、黒架の責任にできると考えたわけか。


「そんなことが……」


黒架はカルミナの裾にすがりつき、畏れにわななくかに思えた。様々なことがありすぎて感情の整理がつかないのだろう。


「私は、この城を移動させようと思います」


カルミナは場の全員に言う。


「今回の首謀者たちは私の責任において封印します。この城もしばらくは深き夜の果てに隠しましょう」


カルミナが片腕を上げる。すると灰に埋まっていた壜がふわりと持ち上がった。

数百もある人型の壜。それが頭を下にして宙に浮き、灰が頭頂部の穴から落ちて砂漠に混ざる。

ただそれだけの光景なのに、不思議な恐ろしさがあった。それらの壜はいつ正しい向きに戻るのだろう。内部の砂をすべて地に落として、ただのガラスの器としてこの場所に浮かび続けるのだろうか。


「ジュノ、あなたは人の世に残ってもいいですよ」

「残る……でも」

「吸血鬼の社会はもう完成され尽くしてしまった。それが幸福だと言う人もいるけれど、あなたにはもっと広い世界を見てほしい。予感があるのです。この世はまだまだ広く、新しいもの、忘れられたもの、理解の及ばないものに満ちている。それを探求することにはきっと意味があると」

「ママ……」


ふと、奇妙な気配が。

それは姫騎士さんが動いてない・・・・・気配だ。

微動だにしていない。眼はどこを見るでもなく、口は息が漏れない程度に閉じられている。


これは……この構えは何だろう。

何の感情も感じられない、いや違う、これはポーカーフェイスだ。感情を外に漏らすまいとしているのだ。


姫騎士さんは何かを隠している? いや、そうじゃない、今なにかに気づいたのか。

何か、今の会話に不自然な点が。


「昼中さん……」


小声で囁かれ、僕はぐっと口をつぐむ。黙っていてほしいという合図と受け取った。

だが僕の小市民性ゆえか、黙っているのは了解できても、考えることまでは止められない。


そうだ、あのハンター。

最初にやられた吸血鬼は「なぜ」と言っていた。不死身を見越して攻撃させたわけではない。あれはソワレの裏切りであり、それが意外だったのだ。


なぜ裏切った? 吸血鬼は不死なのになぜ攻撃したのだろう。


カルミナ、黒架の母親である彼女は、内紛のことを知っていた。すべてを防ぐことは間に合わなかったとしても、何か手を打てたのではないか。

ハンターと接触し、何かを依頼することぐらい、は。


「……」


疑いとは洞窟に似ている。勘ぐれば底はなく、深く入り込めば戻ってこれなくなる。

推測だけならいくらでも可能だ。今回の騒動がどこから計画されていたのか。それは誰の利益となったのか。結果としてカルミナは自分と、娘に反感を抱く者たちを一掃できた。

ソワレ、短剣使いのハンターと機械のメイド、それとカルミナはどのぐらい関係しているのか、どこまでが偶然で、いつから結託していたのか。


あるいはそれは、もっとずっと昔から。あるいは黒架ジュノという吸血鬼が生まれる前から、という可能性すら……。


カルミナは、その吸血鬼の女王は曖昧に笑い、僕にささやかな視線を投げるかに思えた。


「また会いましょう、何も定かならぬ夜に」


ふと。肌に触れる風。

硫黄の匂い。ここは西都の町だ。温泉の香りを感じる町。僕たちは道の真ん中に立っている。黒架のアパートがすぐそこに見えた。


いるのは僕と姫騎士さん、そして吸血鬼の姿となっていた黒架だけ。


「……黒架」


黒架はぼんやりと空を見つめていた。その麦の穂のような金の髪、赤い瞳がさみしげに揺れ動く。僕の眼にはもう城は見えないし、西都を囲うように存在した超高層ビルも見えない。

黒架は耳を澄ませるような動作をして、僕たちを見る。


「……もう大丈夫っす。お城は消えたし、夜の生き物たちも騒いでない。ハンターもどこかへ消えたみたいっす」


やや義務的にそう言う、僕はそんな黒架に呼びかける。


「黒架、今から東京に行こう」

「……え?」


きょとんと、その赤い眼が丸くなる。


「一緒にやってたゲームあったろ、あれの聖地系ゲーセンが東京にあったはずだ。新宿ワンダーランドだったかな、秋葉原バンバンでもいいか。千葉には五井カーウォッシュってのもあったな。明日は配信のある日のはず。ネットで有名どころに呼びかけてみるよ、女子高生が遠征行くって」

「ひ、昼中っち、それどころじゃないっす。私はいま、城を出ることになって……」

「黒架、問題は一つずつ解決するんだ」


その両肩を掴み、眼を見て言う。


「一族のこと、今後の生活のこと、考えればキリがないだろう。だけどゲームのことはすぐにでも解決できる。お前の力がトップに通用するかどうか確かめろ。他のことなんかそれから考えればいい、今はゲームのことだけを考えるんだ」

「で、でも、戦って、もし一度も負けなかったら」

「やる前から勝つなんて決めつけるな!」


通行人が聞いてたらツッコミが飛びそうな言葉だが、むろん真剣そのものだ。


「全力で戦うんだぞ、それが相手に対する礼儀だ。一生懸命戦って、勝ってしまったらそれは仕方ないじゃないか。そこからまたどうするか考えたらいい。結果を出してこそ見えるものもあるはずだ。広い世界を見る、それが黒架のお母さんの望みだろう」


黒架は震えるような眼で僕を見て。静かに息を吸う。僕たちはゆっくりと時間をかけて、互いの呼吸を合わせようとする

やがて黒架は、こくりと頷いた。


「わかった……っす。東京行くっす。有名どころとガンガン戦うっす!」

「よし、さっそく行こう。現金あるか?」

「大丈夫っす、ぶっちゃけ私ってば大金持ちっす。現金とか宝石がたっぷり用意してあるっす」

「よかったですね、お二人とも」


姫騎士さんも満足そうに頷く。

黒架も僕も、抱えている問題はけして単純ではない。だがそれでも前に進むことはできる。

一見すればどうでもいいような悩みでも、それでも若者にとっては大きな壁。打ち砕いて前に進むべき壁なのだ。


「でも今から東京に行かれるのですか? バスがありませんけど」

「う、それは……」


西都の町に鉄道の駅はない。高速道路が接しているので、高速バスを使えば県の中心部まではすぐだが。もう新幹線の最終も出てる頃だろうし……。


「タクシーで行くっす! 今は深夜の3時ぐらいっすね。明日の昼までには東京に行けるっす!」

「おお、それでこそ黒架だ」


僕たちは青春の気炎を上げ、これからの滅茶苦茶な旅に心を躍らせる。東京タワーにも登ってやろうか、温泉地の子として大江戸温泉を偵察してみるのも悪くない。美味い物もたっぷり食べてやる。

何もかもこれからだ。僕たちの青春も、人生の大いなる試練ってやつも。


「駆け落ちと思われませんか?」


それは思われそうな気がするけど、言わないで姫騎士さん。



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