第十二話 【鏡の中のラインゼンケルン城】3
「姫騎士さん……!?」
棺の中にいた姫騎士さんは、稽古着に黒のジャケットを羽織っただけの姿だ。和装なことはもちろん。たしか一目で人間だと見破られるはず。
「人間だと……なぜこの城の中に」
「使い魔は何をやっていた。いや、これは議長の責任問題に」
「聞きなさい!」
一括。背骨に雷が落ちたような衝撃がある。それは吸血鬼たちまでも金縛りにかける。
「黒架ジュノさん! あなたは言いましたね、ゲームにおいて人間はまるで相手にならないと、そこから人間と吸血鬼の差を知ったと!」
「う、な、何を……」
黒架も当然のごとく戸惑っている。この場で自分と姫騎士さんの関係性を明かして良いのか分からないのだ。目が泳ぎかける。
「答えてください!」
「そ、その通り……だ」
一族の指導者としての責任感からか、黒架は動揺を体の奥に押し込め、声を張る。
「我々と人間はまるで違う、反射速度も、力も」
「反射神経がいい、力が強い、それは大事なことでしょう」
姫騎士さんはいちど息を吸い、鍛えられた腹筋から声を出す。
「ですが、それがどうしたというのです?」
「え……」
一瞬、騒然としていた議場が静まりかえる。混乱していた吸血鬼たちすらあっけに取られる、それほどの姫騎士さんの存在感。
「勝負ごととは複雑なものです。相手より一つ二つ優れている部分があっても、そんなことで結果は決まらない。いえ、たとえ勝っている部分が一つもなくても、まだまだ勝負は揺れ動くのです! 黒架ジュノさん! あなたは世界に挑んだことがあるのですか! 何百万というゲームプレイヤーと戦って勝ったのですか!」
「それは……」
戦っていない。
確かにオンライン対戦で無差別に戦うこともあった。それなりに有名人だったらしいが、公的な大会などに出たことはないはず。世界のトップと言われる人々は野試合ではなかなか出会えない。それとちゃんと勝負したことはないはずだ。
「さらに言うなら、それはこの場のみなさんもです!」
勢いよく右手を振りつつ言い放つ。急に巻き込まれた吸血鬼たちはどう反応していいのか分からない。目を白黒させるのみ。
「なぜハンターさんに勝てると決めつけるのですか? 吸血鬼が逆立ちしても勝てないほどの無敵の強さなら、そもそも人間に狙われていないはず。皆さんは恐れているのではないのですか、人間と戦い、結果を出すことに!」
「ち……違う!」
そう叫んだのは誰だろうか、声の主が分からない。叫んだものの姿を晒そうとしていないのか。
「個人でどう考えようと自由です! しかし、その考え方が黒架ジュノさんに影響を与えています! ハンターの問題と、黒架さんのゲームのことは繋がってるんです! 勝てるに決まってるからと戦いを避ける、その実、きちんと戦うことから逃げている! それは実は恐れでもあるのです! 万が一にも負けて、心の中の優位を失ったらと恐れている! 黒架さんにそんな考え方を抱かせたのは、この場の全員です!」
「と……取り押さえろ!」
ようやく、黒架の近くにいた男が声を上げる。すると何人かの夜会服の男たちが席を離れ、球型の空間を駆けてくる。
そして跳躍。人間より遥かに優れた肉体との言葉の意味するように、数十メートルも跳躍して掴みかかる。
姫騎士さんが動く。
竹刀袋を軽く放り、無重量状態にある竹刀袋のジッパーを下ろすと同時に中身を掴み、腕を上下に開くように抜き放つ。
それは木刀だ。濡れたように輝く樫の木刀。黒壇の執務机の上で構え、切っ先がU字を描くような軌道を。
「強い存在に、弱いものが対抗する手段――」
円の動き。
左回りの回転で木刀が加速。掴みかかる腕に外側から当て、わずかな力で夜会服の男を動かす。
姫騎士さんの側面に流れる吸血鬼、その足を払い、執務机に倒れるその体を、真上に跳ね上がっていた木刀が、突く。
どん、と芯に響くような音。何かしら急所を射抜いたことが確信される一撃。その一撃を中心に、雷撃が轟くような。
「――それこそが武です!」
「な……!?」
射抜かれた男は四肢をぴんと突っ張り、白目を剥いて動かなくなる。なんという鋭い一撃、掴みかかった男から見れば、何が起こったかも分からぬうちに意識を飛ばされただろう。
「馬鹿な、人間が……」
周囲がざわめく、他の若い吸血鬼たちの足が止まる。
だが姫騎士さん、吸血鬼はこの場だけで何百人もいると聞いてる、それがすべて敵に回ったら……。
ぱち、ぱち。
「……?」
拍手の音。この緊張が張り詰める議場で、奇妙な脱力感を伴って流れる。
「見事だ、吸血鬼は呼吸の仕組みが人間と異なり、肺の形状も違う。肩甲骨の間はまさに吸血鬼の急所だよ。本能でそこを突いたのならば驚愕だな」
その人物は、いつからそこにいたのか。
黒架に食って掛かっていた若い吸血鬼、彼の机に座っている。灰色の衣服に札のようなものが無数に垂れ下がり、顔は同じく灰色の布を巻いて隠している。
そして腰には、いくつもの短剣が。
「な……貴様、どこから……」
「そしてお嬢さんの言葉はおおむね正しい。確かに吸血鬼は強く、想像の及ばぬほど長命だ。だが人間に対抗手段が無いわけではない」
どん。
「このようにな」
その吸血鬼の胸に、剣が。
刃渡り15センチほどの短剣が突き刺さり、一瞬後、そこから猛烈な白煙が上がる。
「が……な、なぜ……!!」
「清めよ」
白煙は炎に変わり、その体を瞬時に包み込んで燃え上がる。そしてようやく吸血鬼たちに恐慌が走る。
「白炎のソワレ!」
「堕天の火!」
「ソワレだと……! あの灰色の異端がなぜ!」
ソワレ、そう呼ばれた男は座ったまま、奇妙に上半身をねじらせる。
針金の人形のようにびきびきと剛直した腕、肩から指先まで異様な力が込められており、その指先が何本もの短剣を掴む。
そして見た。手首のひねりからその短剣を投擲する、それが執務机に触れた刹那、その天板がはじけ飛んだことを。
雷速。人間が行った投擲とは思えぬ速度。吸血鬼たちは反応しかけたが、防ごうとする腕をすり抜けるように回転する短剣が、その体に突き立つ。首から上が吹き飛んだ者までいる。そして白炎が体を包む。
「こ、殺し……」
僕が言いかけるとき、ソワレの眼が僕を見た気がする。
「心配いらんよ。吸血鬼の不死性はまさに完全無欠。西方に伝わる魔術の炎でも、せいぜい七つ先の満月までその恐れを遠ざけるのみ。術式の中心たるこの城を何とかせねばね」
「やつから離れろ! 術で身を守るのだ!」
老いた声で誰かが言う。
吸血鬼たちは混乱しながらも、戦えるものは立とうとして。
「ノーグッドです」
そのうちの一人が、股から頭頂部まで一瞬で離断され、青い血を飛ばしつつ左右に分かれる。
僕達から見て真上、そこにそれはいる。
「エネミーは一人とは限りません。ビハインドにも常にアイサイト、重要です」
何という冗談のような光景。
それはエプロンドレスを着て、腿までの白靴下を履き、頭にはフリルつきのホワイトブリム。
服のせいかやや大柄、やや太めに見えるその人物は。
「メイド……?!」
1秒の半分ほどの時間、あっけに取られかけるが、いま両断された吸血鬼は紛れもない現実。そのメイドの周囲で吸血鬼が殺気立つ。
「おのれ! ハンターまがいの人間か!」
「ふざけた格好を!」
何人かが武器を抜く。それは細身のサーベルのようなものだ。何かを叫びつつメイドに斬りかかる。
「ノーグッド」
そして、メイドさんの肩口から炎が。
「なっ!?」
肩だけではない。メイドさんの持つ両手剣の柄から、手首から、さらに肘からも強烈な光と炎がほとばしる。
一瞬で腕が加速。タービンが高速回転するような音を放ちつつ剣が動く。その腕の振りは人間の視力をあっさりと超越。両手剣の触れる刹那、サーベルが粉砕され、吸血鬼は上下に分かたれ、さらに無数のジェット噴射が剣の起動をめちゃくちゃに踊らせ、一瞬で相手をサイの目に刻む。
衝撃波が吸血鬼の体も、近くの机も、あるいは床の石材すらも粉砕して広範囲に吹き飛ばす。そこまでが一秒。
「ろ……ロボット!?」
声が出る。とても信じられない。しかし、あの剣の軌道を人間の関節でやれるはずがなく、またジェットの余波に生身で耐えられるはずがない。
「うわ、昼中さん、ロボットですよロボット。わたし初めて見ました」
「たいていの人は初めてだよ!」
周囲はもはや鷹に襲われたコウモリの群れに等しかった。恐慌を起こして逃げ出すもの、物陰に隠れようとするもの、それをソワレの短剣が射抜き、メイドのジェットの斬撃が斬り刻む。
「ロボットだと……」
「マジック……ですか」
二人は一瞬だけ視線を交わし、そして互いに、吐き捨てるように言った。
「ありえんな」
「ノーグッド。ありえません」
ぷいと視線をそらし、そしてめいめいに戦いに戻る。
この二人、仲間じゃないのか……?
ともかく、これがハンターの実力ということか。想像を遥かに超えていた。まさか吸血鬼たちをここまで簡単に。
「昼中さん、あっちの扉が開いてます」
姫騎士さんが言う。
「黒架さんを連れて逃げましょう」
黒架……。そうだ黒架だ。このままだと黒架までハンターに消されてしまう。
その黒架は……いた。茫然自失という感じで床にへたり込んでいる。
僕は走ってそこまで行く。周囲は阿鼻叫喚。もはや狩られる側がどちらかは明白だった。あらゆる声で叫びがあがり、破砕音と火炎の音、そしてジェット噴射のごうという音が響く。
ハンターは僕を見咎めるだろうか。だとしても構うものか。
僕は黒架のとこまで行き、その体を揺り動かす。
「黒架、ここにいたら危ない、外に逃げよう」
「あ……あ、で、でも……」
「もうハンターたちは止められない。吸血鬼たちだって不死身なんだろ。ともかく今は逃げるべきだ」
返答を待ってはいられなかった。僕は黒架の体を抱えあげて走る。重さなど感じてる余裕はない。
幸運なのか、それとも眼中にもなかったのか、ハンターに捕まらずに外に出られた。姫騎士さんが扉のすぐ外にいて、手招きしている。
「こっちのほうが人気が少なそうです、行きましょう」
「ああ」
廊下を走る。全体が渦巻状にねじれている奇妙な廊下だ。上も下もないこの城ならではの装飾だろうか。
「わ、私……」
黒架が、僕の腕の中で身を縮める気配がある。
まだ身動きはできない。これはいわゆる、腰が抜けたという状態か。
「な、何もできなかったっす。一族の長なのに……」
「仕方ないよ……ハンターがあそこまで強いなんて」
「い、いや、白炎のソワレなんて、とんでもない名前っす。巨人族を滅ぼしたとか、竜の心臓を食ったとか。架空の人物だと思われてたほどの……ま、まさか実在したなんて」
吸血鬼がそれを言うのは何だか妙な感じだ。まあ吸血鬼が実在するように、伝説のハンターというのも実在したのだろう。
「誘導されてます」
前を走る姫騎士さんが言う。
「え、何?」
「廊下が動いてます。別の通路に連結されて……どこかに案内されてるみたいです」
「この道って……」
と、黒架が僕の夜会服を掴む。降ろしてくれのサインのようだったので、僕は黒架をそっと降ろした。
「ここ……お城の最上層っす。ふだんは道が繋がってないのに」
僕にもわかってきた。廊下全体が転がるように動いているのだ。この廊下には窓もあり、窓の中で西都の町が上になったり下になったりしている。回廊や部屋がパズルのように移動するのか。
そして通路の先、大きな赤い扉が現れる。
その扉が開き、中からはやはり赤い、真紅のロングドレスを着た女性が。
「皆さん、こちらへどうぞ」
そして黒架は、ぽつねんと呟いた。
「ママ……」




