カセットテープは、赤い車とともに
別れの日の空には、雲一つ無かった。
「ちょっと、走ってくる。」
大学1年の夏休み。初めて買った車がこの子だった。ピカピカの赤い車体を手で何度も撫でたのを覚えている。
キーを手に取り車に乗り込んだ。もちろんスマートキーではないので、エンジンをかけるために、鍵穴に差し込みクルリと回す。
ブォンという音。
アクセルを踏むと、すぅっとスムーズに動き出せる。うん。まだ走れるよね。君は。
当時、最新だったカセットCDデッキ。
カーナビは、映らない。最初にダメになったのが、カーナビ用CDだ。円盤を入れると、シュルシュルと音がするだけで、読み取らなくなったのだ。
ラジオとカセットテープの音しか流すことのできないデッキに、あの頃のカセットテープを差し込む。
バイト先の有線放送を録音したもの。週間J-POPランキング。あの頃の有線には、そんな音楽番組があった。
曲名を調べて、友達と一緒にレーベルの側面にカラーペンで書き連ねるのが、楽しかった。仕事そっちのけで、書いてたら、店長に怒られたっけな。
あぁ、懐かしい。
そう。車の中で、この曲を歌おうとしたら、キーが高すぎて声が裏返っちゃったんだよね。思い出した。
失恋に泣きながら、車を走らせた時も、カセットテープはクルクル回っていた。
坂道を上り、海が見える丘。アクセルと踏み込み、車を加速させた。窓を開ける。潮の香りが髪を揺らした。
つぅぅっと涙が流れる。離れたくないな。この子と。
5年近く乗ってなかったくせに…。車に口があったら、文句を言われそうだけれど、自転車で十分だったからね。最近は。
目をぬぐい、家の前に車を停める。そろそろ、引き取りの時間。1万円。それがこの子の下取り価格。仕方ないね。お年寄りなんだもの。たぶん、新車購入と同時の下取りだから1万円であって、そうじゃないなら、お金を払って引き取ってもらうレベル。
スーツのディーラの男の子が、持って来た新しい車は、軽自動車。実用重視の車だね。
色も赤くないし、パワーもない。もちろん、思い出も詰まってない。
赤い車と入れ替わりに、軽自動車が車庫に収まる。
キーを渡すと、男の子が赤い車に乗り込んだ。
あっ。忘れてる。テープを取り出してないっ。慌てて、声をかけようとして…やめた。そうだね。思い出のカセットテープとも、一緒にお別れしよう。
ぶぉん…という音とともに、赤い車が去っていく。
私の耳の奥には、まだあの頃のJ-POPが鳴り響いていた。
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こちらは『第3回「下野紘・巽悠衣子の小説家になろうラジオ」大賞』用、超短編小説です。
カセットテープが、一番難しいお題だと思います。