満開の桜
「えっと………兄ちゃん、本当にいいの?」
頭の左半分はそりこみを入れ、右半分を金髪のロン毛にしている、黒いタンクトップを着た男。その向きだしの肩から指の先までビッシリタトゥーをいれている。そして、その男が自分に尋ねてきた。こんなところにまで来て、まだ僕を正そうとしてくれる人がいるんだな、と思いながらも出す答えは決まっていた。
「はい、お願いします」
何一つ後悔のない、澄んだ目で答えた。
「はあ……まあ兄ちゃんが決めることだけど、ほんと大変だぞ。兄ちゃんまだ高校生ぐらいだろ?
この先長い人生、一生残るんだぞ。まだ兄ちゃんぐらいの年齢じゃわかんねーと思うけど…」
おそらく全身にタトゥーの入っているであろう、片側金髪ロン毛の男こと、この店の店主は話し始めた。彼からしたら、今まさに人生のレールを踏み外そうとしている高校生を止めようとしているのだろう。(まだ厳密には、高校生ではないのだが)だがしかし、そのような説得、いな正論は、今の自分には何も刺さらないのだ。
もう何日たったのだろうか。あの日、満開の桜が咲いていた三月中旬、大切な人を亡くした。そして、大切なものを無くした。本当に大切なものが少ない自分にとって、その悲しみは大きかった。もう忘れたい、あんな事件に目を背けたい。しかし、自分は立ち向かった。忘れたいことであっても、忘れてはならないことだからだ。
「はい、大丈夫です。もう自分の中で覚悟は決まってるんで」
心に込もっている思いをとどめて、最小限の文字数で伝える。この思いは自分にしかわからないのだ。
「んん……確かに兄ちゃんが考えてくれたデザイン案は、いいんだけどさあ…背中一面となると話は変わってくるぜ。今の時代、腕のワンポイントぐらいならレーザー治療で消すことができるけどさあ、こんなにでかく彫っちゃあ、消すのはすごく難しいんだぜ。金もかかるしさあ」
「大丈夫です、消すことはありません。あと、今回の施術代金を払えるだけの代金を持ってきています」
「そういう問題じゃねえんだけどねえ…」
あえて既存のデザインではなく、自分の思いを込めたデザインにしたいと、この日のために考えてきたのだ。絵は、全くとして上手ではないがそこは、店主の力に任せることとした。だがしかし、その当の本人は、入れることに対して否定的でなかなか施術が始まない。本当に人生はうまくいかない。
「本当にもういいんです…お願いします」
少し涙目になってしまった。何をやってるんだ僕はほんとに。もう本当にどうでもよくなってしまった。今後の人生のことやら、自分の体のことやら、もうどうでもよくなったのだ。ある一つの思いを除いて、僕の心は空っぽになってしまっている。もう、僕の心は冷めきっている。
「本当にお願いします…」
もう一度お願いした。今思えば早くしてもらいたかったのだろう。そんなに何度も止めないでほしかったのだ。もしかすると、気持ちが変わってしまうかもしれなかったのが怖かったのかもしれない。
そうすると店主は、頭を掻きながら言った
「ああ、もうわかったよ兄ちゃん!俺の負けだよ。兄ちゃんにどんな事情があるのかは知らねえけど、そんなにも覚悟ができてるっつうなら、俺も入れねえわけにはいかねえよ」
そう言うと店主は、おもむろに紙とペンを取り出し何やら絵を描き始めた。書き終わると、その絵を見せながら言ってきた
「こんな感じでいいか?この背景の桜の木はかなり細けえから、かなり時間かかるぜ」
見せられた紙には、今日自分が持ってきたデザイン案をよりいっそ上手に、入れても美しくなるように、一生共に過ごせるように書き直してくれた絵が描かれていた。
そして今日何度言ったのだろう。耳に胼胝できることを言ってきた。
「本当に入れるぞ」
「はい、お願いします」
よく人生には分岐点があるなどとよく言うが、まさにその言葉は、今日の自分のためにあるのだろう。今日自分は、レールの上を外れるのかもしれない。しかし、外れるのではなく、分岐されたもう片方のレールの上を進むのだ。そう冷えきった心に誓った。
あれから何時間たっただろうか、店主であり彫り師の男に、自分の背中に何やら下書きをしてもらったのだけは、覚えている。ただし、その後実際にインクを入れられてからは、痛すぎてあまり覚えていない。頭や太ももは格別にいたいと、ネットにかいてあったが、実際入れてみるとどこも大して変わらないのでは、と思ってしまう。(背中以外に入れたことはないが)
その後、どうやら気絶していたのか、寝ていたのかわからないが、何やら遠くのほうから声が聞こえてくる。
「…………おーい……出来たぞ……起きろー…」
重い瞼を開きうつぶせの状態から、顔を上げると、全身にタトゥーが入っているのかいないのかわからない(どちらでもいい)片側だけ金髪ロン毛男がこちらを覗いていた。普通に疑問なんだがこういう人は普段どのようにして生活しているのだろうか。目立ってしょうがない。
「おー、やっと起きたか」
そんなことを思っていると、店主こと彫り師の男が話しかけてきた。しかも何やら少し得意げに話しかけてきた。どや顔をしているようにも見えた。
そこで今自分が置かれている状況を思い出した。ああ、入れ終わったのかと。
「おい兄ちゃん、そんないつまでも寝てないで、早く自分の背中を見てみろよ」
と言い横にある全身鏡を指さした。てゆうか、寝ぼけて気が付かなかったが、背中がずっとチクチクして痛い。ネットで見た入れた直後数日は、痛むという情報を思い出した。
そんなことを思いながら横にある全身鏡に目を向ける。
「ああ…」
思わず声が出た。
満開の桜が自分の背中に咲いていた。それを背景に崖の先に立ち遠吠えを吠えている。
彼もまた、満開の桜の日に自分を残して居なくなってしまった。
などと悦に浸っていると。店主は、鼻の下を指でこすりながら、またも得意げに言った
「いやー久々にこんな大きなのを入れたよ、最近の子はやっぱり真面目だから入れるとしてもワンポイントとか、服を脱がないと見えないような場所に入れる子たちばっかだからね。だから、実は兄ちゃんみたいな人がいると思うと嬉しくなっちゃうんだよなあ」
どうやら、店主からしても自分のような客は珍しかったようだ。こんなに大きなものを入れている十五歳は世界で探してもなかなかいないだろう。
その後、いつまでも上裸なわけにはいかず、服を着て、店主にお礼を言い、代金を払い颯爽と店を出た。すると、自分が店を出ていこうとしたときに店主は言ってきた
『おい兄ちゃん、まあ今後大変なことがきっとあると思うけど、まあがんばれよ。今の兄ちゃんは間違いなく強くなっている。俺が保証する。まあなんかあったらまた相談しに来いよ』
と言い、親指を上げているのが見えた。
何やらかっこいいことを言ったつもりなのだろうが、文字に起こしてみると、あまり深いことは言っていないようだ。だが、きっとこの店主が言ってくれた言葉は忘れないだろう。
さて、前置きが長すぎた。僕の名前は大津 翔太朗。今日この日、四月十四日日曜日背中に大きな桜を背負った。いや、濁さずに言おう、僕は今日背中一面にタトゥーを入れた。大きな満開の桜を背景に、生まれる前からの友達、いな愛犬が崖の上で遠吠えを吠えている。
僕はこれを一生背負っていくことを決めた。
もう一度言うが忘れたいことであっても、忘れてはならないことだからだ。