1.9 殴り合い
眼前の邪魔な植物のツタを払う
森の中を移動していく。誰もいない奥の方へと。
「この辺りでいいかな。じゃあ、ルールを説明するよ」
木が疎らになっている開けた場所に出て、歩みを止める。野鳥の囀りも聞こえなくなった。陽光は差し込み、倒れた枯木が背丈の高い草に沈んでいる。
「え―…。普通に拳で語り合うとかじゃ駄目……?」
「流石にそれはね……。怪我をするのも、させるのも僕としては困るんだ」
態度からして如何にもアルマは不満そうだった。すると、ルイスはこちらに話を振ってくる。
「ナナシ君の方はどうだい?」
「僕はそれで構いませんよ。というより、そうしてください」
正直、ひたすら不毛な乱闘など堪ったものではない。ここで一番、重要なのは終わらせるのが出来ること。それがあるのが望ましい。
「不満を言ってくれれば良かったのに………、出来るならたくさん………」
こちらに対し、ぶっきらぼうにアルマはそのようなことをぼやいた。
「というわけで、はい。やり方は分かるね?」
「あぁ……、やっぱりあのちまちまやるやつ……」
細い紐のようなものをルイスは手渡すともう一本を持ってやって来る。
「なんですか、それ?」
「ただの紐だよ。これをちょっと特殊な結び方をして腰からぶら下げるんだ」
「へぇ―――…?」
「方式としては決闘みたいな感じかな」
一先ずは彼が慣れた手付きで紐を括り付けていくのを見守る。
次に言われるがままにアルマと向かい合った。彼女にも同じように結ばれた細い紐が、間にはルイスが入ってルールの実演をする。
「その紐は引っ張れば、簡単に解けようになっているよ。この通りね」
ルイスの手元で一つ目の紐がゆっくりとスムーズに引っ張られて解かれる。
「勝者は相手の紐を取った方。それと武器の使用、魔術による遠距離からの攻撃は禁止にするよ」
ルイスが手の平を上に向けるとそこに涼やかな空気を纏った氷の粒が出現する。彼が手を閉じると粒は砕け、跡形もなく消えていった。
ここでルイスは手の内を明かした。或いは彼にとって手の内ですらなかったのか。
「それから最後にもう一つ。降参の意を伝えたい時には自分の紐を解くこと」
摘まんでいた二つ目の紐が容易く解かれる。
古風な感じだが、シンプルだ。相手に危害を加えることもなく、最低限、紐だけ取って終わらせることだって可能だろう。狙うならそれがいい。
妨げにならないようルイスは後退っていく。
視線をアルマの方へ戻す。
口元に手を当ててアルマは上を向いていた。何かを飲み込む。
先程と同じように彼女は構えた。こちらも構えてみる。やり方を知らなくて適当だが、何となく動き出しやすそうな感じにした。
ルイスがどうやっても勝てない相手。
どうもこの時代での能力の基準はよく分からない。ルイスが弱いのかアルマが強いのか。仮にも大の大人と華奢な少女だ。体格差を覆すだけのものを持っていると考えるのが妥当なのだろうか。自分の常識の範疇だと強者なって区分に入るとは思う。
断言できない辺り、自分の常識の修正が必要なようだった。
「いつ来てもいいよ……」
「………。…では、お言葉に甘えて」
感覚を頭に思い浮かべてから一歩、踏み込む。
一直線にアルマとの距離を詰める。自身の足が折れないよう加減しているが、彼女の前まではあっという間だった。
あと左手を伸ばして紐を取ればいい。果たしてこれをそういう技術や魔術と言って通るかどうか。
彼女を見れば、突っ立っているままだった。妙だ。何かしらの反応ぐらいはするものだが。だが、このままいけば―――――
「下手くそだね、体動かすの……」
「―――――!!」
小声で囁かれる。
気付いた時には既に自分の頬に直撃する寸前の位置までアルマの手の甲は到達していた。
まるで小蠅でも叩き落とすが如く、体を彼女の強烈な一撃が弾き飛ばす。
―――――痛い。
折角、詰めた距離も引き離されていく。
決して彼女は動いてなどいない。動いているのは自分の方だ。何度も地べたと空が入れ替わった。灰白色の土壌の砂を巻き込みながらも、後ろ後ろへと転がっていく。
左手を地面に引っ掛け、引き摺られながらも自身の体にブレーキを掛けた。半ば力業で崩れた体勢を立て直す。
「ゴホッ、ゴホッ……!」
口から血の混じった赤い唾を吐く。
舌の上ではじゃりじゃりと砂の味がして、頭はぼんやりとしてくる。一瞬、何が起きたのか理解出来なかった。強く首を振って、昏倒しかけの意識を叩き起こす。
砂塵が舞い、視界が遮られる中で揺らめくアルマの影が突っ切ってくる。
上からだ。
大急ぎで眼球はそれを捉えた。影から逃げるように引き下がろうとする。次は彼女が拳を振るう番だ。
速く、もっと速く。いつになく自分の体が鈍くて重い。思い通りにならない肉体に言い聞かせた。彼女から離れること。ただそれだけに神経を擦り減らす。
爆発音にも似た音とともに地面は揺れ、砂利が巻き上げられ、さらに砂塵が舞う。体は吹き飛ばされそうになる。
自身の視界のすぐ横を彼女は擦れ違っていった。結果的に直撃を免れはしたものの、ほぼ紙一重。
心臓は激しく脈打ったまま。少しも鎮まってくれやしない。
辛うじて命拾いしただけで生きた心地などあったものじゃない。この場にいてはならないと後退し続ける。これだけじゃあ足りない。もっとだ、もっと―――――
「………今のはちょっと意外だった」
そう言うと漸く彼女は足を止めた。
特に何かを仕掛けてくる様子はないように見える。だが、全く安堵することなど出来やしない。出来るだけの距離は保ったままにする。
「何だったっけ…、君の名前……」
徐々に足元の砂埃は晴れ、地面に出来上がった円形の窪みがあらわになる。
あの細い腕のどこからそんな力が出るのか。
「まあ、いいや……。どうせ、すぐ忘れるんだし……」
「………確かに味方になってくれるなら心強いですね、…ルイスさんの言った通り」
「ふ―ん…、そんなこと言ったんだ…」
アルマが一歩、踏み込もうとすると同時に殆ど反射的に後方へ下がった。
「何か危険な呪物を回収するんだったけ…?」
「――――っ」
眼前が像で埋められる。浴びせられていた日差しも遮られ、陰った。重心が傾き、背中から倒れ込む。
振り被った左手が空を切る。あんなに離れていたのに、もう目の前にいた。手を伸ばせば届いてしまう、そんな所に。
「それが何かも聞かされてないし、知りたくもない……」
そこから握り締めた右拳による追撃。完全に地面に密着する前に手を付き、横にずれる。
「行きたくない……、もの凄くめんどくさい……」
もう一度、左手を付き、倒立から体の向きを変えてさらに下がる。だが、地に足が付いた時にはアルマの姿はない。
いや、違う。アルマは曲線を描くようにしてこちらの視界から外れていた。
今度は蹴りだった。自分の代わりに直撃した後ろの岩が粉砕される。
次は右からか、或いは左からか…。
子供の体が可能な限りの小回りを利かせる。逃げて逃げて、ひたすら逃げた。
片足は常に地から離れている。跳ねて潜って、転がりもしたと思う。我を忘れるように動き回って攻撃を掻い潜った。仮に一撃を何とか凌いだとしても、二撃目で確実に沈められる。逃げていく度に何かが壊れ、何かが爆ぜていくような音が鳴った。
潰しに来ている。先程から本気でやってるのではなかろうか。
一体、何を考えているのだ。
「ずっと紐を狙ってくる気配がありませんね!?」
「……ルール上は問題ない筈だけど? ボコボコにした後でゆっくりやっても……」
「はぁ!?」
「文句なら後で聞く………」
内心で強く舌打ちをした。全くもってふざけてる。何のためのルールだ、と叫んでやりたくなった。
「終わった後に、口が利けたらだけど……」
感情など感じられないぐらい冷ややかに言い放たれた一言だった。
このまま付き合うのも割に合わない。即刻、降参してしまおう。一応、アルマもルールには則っている。なら、これでお終いだ。
不意に何かを叫んでいるルイスが視野に入る。もの凄く慌てて手を振りながら彼は自身の腰の方を指さしていた。何となく紐を外せと言うジェスチャーだと分かる。
迷う必要もない。一切の躊躇もなく、自身の紐の指を掛ける。
「………………!」
炸裂したかのように土が飛んだ。いきなり真っ直ぐ詰め寄ってきていた筈のアルマの進行方向がい変わる。
死角を縫うような蛇行。全く予期していなかった方向からの逃げ道を塞ぐような攻撃。
紐から指が離れていく。方向転換しようにも、歯止めが利かない。出出しの遅れを取り戻そうと対処に移ろうとした。
体が強張ってぎこちなく手足が動いていく。そこからアルマはもう一捻りを後出しで加える。
不味い、対処の仕方を間違えた。
「うっ………!」
すんでのところで強引に身を捩った。僅かに掠ったのかもしれない。
自身の脇腹の辺りをアルマの腕がギリギリで突き抜けていく。
自分の目の前を今にも接触しそうなぐらいスレスレでアルマの体が過ぎていく。
その瞬間、彼女の紐が目と先にあった。ここで手を伸ばせば、取れそうだと思えてしまう。それだけ無防備になっていた。
「あれ………?」
手を届かせることは叶わなかった。
体がバランスを崩して躓く。掴もうとした自身の手の中から零れ落ちていく。まるで擦り抜けていくように触れることさえ出来ない。
少しばかり強引にやり過ぎた。
地面を蹴って後ろにあった木に凭れかかる。
もしや…、行けるのではないのか……?
幹を背に体勢を立て直し、次に備えようとした。
だが、こちらをアルマは無言のまま眺めているばかりで何もしてこない。
よく分からないが、好都合だ。
視線は外さない。離してしまった紐に再び指を掛ける。
あとはちょっとの力で引っ張るだけでいい。
それで終わる。
引っ張ろうとした。引っ張ろうとしたのだ。
途中で手が止まった。のんびりもしていられない。直ぐにアルマが突撃してくることだってあり得る。わざわざ続ける必要だってないのだ。割に合わない。ここで引くのが最善の筈だ。それが正しいに違いない。
なのに、どうして自分はそれを止めてしまったのか。自分でもどう言い表せば、いいのかが分からない。まともな思考なんてずっと出来ていやしないのだ。ただ、一つ言えることがあるとすれば………。
ここでやっと勝算が見えた。勝てそうだと思えたのだ。なのに、ここで引くのは余りにも――――……
……――――余りにも、勿体ない。
……………………………………………………。
……………………………。
………………、一回だけ…。
一回だけ試してみよう。
駄目だったなら自身の紐を解いて即刻、降参する。感情に任せてお世辞にも賢いと言えないような選択をした。ゆっくりと体を起こし、突っ立ったままのアルマの方を向く。一応、勝てば、協力してくれるらしい。
「まだ続けるんだ……」
「ええ、僕もゆっくりとやりますよ、…貴方をボコボコにした後で」
「死にそうな人の顔…………。 そんなの出来っこないのに……」
「さあ……、それはどうでしょう」
使い古された安物のシャツの袖を捲った。
もう一度だけ勝ちにいく。
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