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サヴァンブラタンナ  作者: 皆月 おき
第1章 朽ち果てた先で
7/22

1.7 追憶

 大勢の人々で賑わう。

 どこもかしこも熱狂の渦に包まれていた。人がいない隅の方で建物に寄り掛かりながらその光景を眺める。誰もこちらを気に留めることはない。皆が皆この時間を享受している。


 日はとうに落ちていた。普段なら辺り一面は闇に覆われているような時間だ。それでも、そこら中に括りつけられたランタンのおかげで明るい。空に浮かぶ星もいつもに比べて疎らに見える。


 目の前の人混みの僅かばかりの隙間を潜って眼鏡をかけ、如何にも知的で厳格そうな男性がこちらに駆け寄ってくる。


「やあ。こんばんは、テオ」

「こんばんは。 随分と早いものだな」

「ああ…、今日は特にやることもなくて暇だったからね。それよりもベナは?」

「遅れるそうだ。何でも外せない用事が出来たらしい。時間になっても来ないのであれば、構わずに遊んでくれてもいいとも言っていた」

「あ、そう」


 二人して楽なように後方に自身の体重を預ける。テオに至っては手帳を取り出した。

 どうもじっとりとしている。服を引っ張ったりして服の下に涼しい風を送り込もうとした。今朝はかなり蒸し暑いものだったが、今も相変わらずだ。それどころか増しているのではないのか。


「別に退屈なら、一人で先に見て来てもいいぞ」

「いや、遠慮しておく」

「そうか」


 彼は指で眼鏡を上げる。一旦、こちらに向いた視線が再び手元に戻った。隣からは紙とペンが擦り合わされる音が聞こえている。話しているほんのちょっと間を除いて彼はずっと紙の上にペンを走らせていた。


「何やってるんだ?」

「生徒たちへの教材を考えているところだ」

「ああ………」


 変わらず目の前では人々が騒ぎ、流れていく。先程に比べて熱気は衰えるどころか、増長しているとさえ思える。月も上の方へ昇ってきた。もう待ち合わせの時間にはなっている筈だ。過ぎていてもおかしくはない。


「待ち合わせの時間は既に過ぎてしまっている。我々だけで見て回ろう」

「そうだね。急な仕事だったけ。それなら仕方ないだろうね」


 渋々、揃って歩き出すことにした。出来るだけ人通りが他と比べ、少ない所を選んで流れていく。


「喉が渇いたし、飲み物を買ってもいいか?」

「そうか。では、私は何かつまめる物を買ってこよう」


 丁度、自分の目線の位置に垂れ下がったランタンを屈んで通り抜ける。店頭に並んでいた飲み物の中から無造作に二つ選んだ。


 よく見れば、大半の人も同じように飲み食いしていた。 

 陽気な楽器の音色が辺りを包み込んでいる。花やら果物やらの甘い香りが僅かながら鼻腔をくすぐった。中には両手にジャラジャラと宝石を付け、明らかに外から来たであろう者も。


「今年はまた盛大にやるもんだな」

「ただ、教団の誕生したこの日を祝う意味も変わってきた。周辺国の重鎮との繋がりが強くなっているせいだろう」

「それ、ここでしていい内容の話?」

「問題ない、誰も聞いてはいない」

「…確かに古くからの教団の教えじゃなくてナナを信仰する人ばかり見掛けるよ。これからもそんな信者は増えていく。問題はそれが必要になってきてることだと思うけど」

「君の方もか。 彼女の方はどうだ。負担が掛かり過ぎていないだろうか」

「…。それは心配した。あんな膨大な量の責務を易々と完璧にこなした上で、並行して自分の理想を叶えるためのことを着々と進めて軽口を叩いてるぐらいだ。最近はもっと効率よく進められるようになったらしい。流石にちょっと引いたけど」

「…そうか。 熱心な信者には気を付けた方がいい。ナナの思惑を超えて何かをしでかす恐れがある。君の首が物理的に飛ぶこともあり得るだろう」

「………肝に銘じておくよ」

「ところで」


 まじまじと彼はこちらの顔を観察するように覗き込み、何かを考え込むように顎に手を当てる。時間にしておよそ数秒程。そこから一言を発する。


「ナナと喧嘩でもしたのか?」

「!!」


 余りにも核心に迫った一言だった。大きく見開かれた眼が斜め下の方に逸れ、彼の顔が視界の隅に追いやられる。


 まさか勘付かれたのか………?上手く隠せていた筈…………。

 まだそんな素振りさえ見せていない。


「…何故、そのことを?」

「そんな青い顔をしていれば、嫌でも気付くことになるだろう。 それに皮膚の乾燥や意識の鈍化。脱水症状の痕跡も見られるようだが?」

「そこまで分かるのか………」


 ナナとと喧嘩して散々、涙を流した。それからとにかく吐いた、口の中に血の味が染み渡るまで。

 あれ……? 思い出すとすると何だかまた涙が出てきた………。ああ……、もう終わりだ…。お先が真っ暗でしかない……。

 視界が霞んで何もかもがぼやけて見えなくなる。立つ気力も失せた。


「どうしよう、ナナに振られた……。助けてくれ、テオ。もし男女が喧嘩した際に変に蟠りが残らないで綺麗さっぱりに仲直りする方法はないのか」

「……。まず喧嘩の原因は何なんだ?」

「それは………その……」

「…………? どうした。まずはその箇所について話してもらわなければ、助言のしようもないぞ」

「…僕がくだらない意地を張ったからだ。昨日のナナはいつもと印象が違ってた。多分、気合を入れてお洒落をしたんだと思う。なのに、僕はそのことに何も言えなかった。それで………」

「彼女が不機嫌になって口論になったと?」

「…そんな感じで合ってる。 もしかしてもう相当、ナナに嫌われているんじゃないかって。もしかしてナナを傷付けたんじゃないかと思って不安で不安で仕方ないんだ」

「それはまた、揃いも揃って………」


 眉を顰め、テオは何やら考え込むように難しい顔をした。

 呆れられているようにも見えなくはない。ただ、自分にとっては途轍もない程の大事だ。せめて見放さないでもらいたい。この件で他に頼れる者はいないのだ。


「まず私からはそんな大した助言は出来ない。言えるのは一度ちゃんと腹を割って話し合えとだけ。君は結果を持ってめているのだろうが、相手はこうした地道な過程を求めてきている場合が多い。だから、決して楽な方を選ばないことだ」

「だとしても、話し合いに出来るかどうか。昨日はお互い顔を真っ赤にして酷い別れ方をしたんだけど」

「ふむ。今回は騒動はあくまでも突発的なものだ。まだ問題ないと思うものだが」

「それはそうなんだけどさ………」

「それにまだ自分の想いを諦め切れずにいるのだろう?」

「……………………」


 ……今、自分は彼女のことをどう思っているのだろうか。

 周囲の人々の邪魔にならないよう適当な場所に座り込む。

 …………多分、以前とあまり変わっていないとは思う。嫌いにはなっていない。嫌いになる筈がないのだ。自分にとっての彼女の苦手な部分も余すことなく、全て。


 ………だが、今のナナの方はどう思っているのだろうか。

 精々、出来るのは当てにならない想像ぐらい。一緒に過ごして、多くの彼女の知らなかった一面を見た。どれもが彼女の魅力と言えるようなものだ。


 近付けば近付く程、ナナのことが分からなくなっていった………。

 いや、最初の頃は理解しているつもりになっていただけか……。

 本当は自分はナナの何も理解してあげられなかったのではないのか………。


 ………結局のところ、それを含めて彼女とは話さなければならないのだろう。

 正直、怖いと感じる。辛くて苦しいことになるのかもしれない。想像しただけでも鬱屈とした気持ちになる。


「………………」

「――――――――、――――――――っ」

「………」

「―――おい、聞いているのか?」

「………ん? あ…えっと、何だったけ?」


 見れば、テオの周りには小さな子供たちが集まっていた。男女合わせて数十人ぐらい。彼の教え子たちだ。


「以前、話していたことだ。裁縫を教えて欲しい生徒がいると」

「ああ……。そういえば、そんなこと言ってたな」


 すると、テオは同年代ぐらいの子供たちの陰に隠れて女の子を手招きして呼び出した。


「ほら、しっかり挨拶しなさい」

「…………よ、よろしくお願いします……」


 お辞儀をした後に女の子は直ぐにテオの後ろに隠れた。彼のズボンを握り締め、女の子は顔だけ出して怯えたようにこちらを見ている。


「こちらこそ、よろしく」


 膝を屈し、女のことの目線を合わせる。そして、出来るだけ柔らかい声音で言った。

 最後にもう一度だけお辞儀をして逃げていくように慌てて女の子は子供たちの中に戻っていく。


「あんた、ほんとにせんせーの友達か?」

「それに関しては間違いないけど、どうして?」


 話し掛けてきたのはツンツン頭の男の子だった。

 テオの新しい教え子だろうか。他にも見ない顔の子らがチラホラいる。


「だって、すげー弱そうだもんな。おれでも勝てそうだし」

「確かにそういうのはあんまり得意じゃないね」


 テオに比べれば、自分の評価などそんなものだろう。

 余程、男の子には自信があるように見えた。典型的な戦士になることを夢見るタイプの子だ。


「ほら。言ったとおりの人でしょ?」

「でも、ちょっとかっこいいかも」

「え~、どこが? 私はもっと明るい人がいいな」

「あんなヒョロヒョロのやつのどこがいいんだ?」

「正直なところ、私もあまり好きになれません」

「そ、そう…?やさしい人だとぼくは思うけど……」


 子供たちはこちらをチラチラ観察するように見ながら、ヒソヒソと囁き合っていた。


「あっ、もうじかんが来ちゃう」

「え、うそっ」

「ああ……、ちょっと待って」


 最初に女の子の方が気付いた。慌ただしくも走り去っていく女の子たちの男の子たちが後を追う。最後に出出しの遅れた男の子一人が固まって移動する子らの数歩後ろに続く。


「くれぐれも怪我はしないように!」


 手を振った。周囲の人々や楽器の音で掻き消され、きっと聞こえて言はいないだろう。ただ、こちらの方を見た子供たちは手を振り返してくれた。大人たちの陰に埋もれ、姿は見えなくなっていく。


「また新しい子を入れたのか?」

「マリー、エドガー、フィン。この三人が新しく入ってきた子供たちだ」


 そう言ってテオは指を折った。

 新顔なのはツンツン頭の男の子と子犬を連れていた女の子、それから綺麗なリボンをしていた子。自分の記憶が正しいのであれば、その子達辺りのことだろう。


「エドガーっていうのはあのツンツン頭の子?」

「ああ。私が見てきた生徒の中で威勢の良さは一番と言ってもいい」

「ふーん、随分と慕われてるみたいだったけど」

「エドガーには軽く槍術の基礎ついて教えたぐらいだ。当然、教養を与えることを怠るつもりはない。きっとそれは形を変え、いずれ彼にとっての掛け替えのない武器となることだろう」

「テオって槍術なんか出来たっけ?」

「教えるために習得した」

「だろうな」


 相変わらず彼の熱意には感心させられる。

 普通はそこまでやらないだろう。というよりそもそもそんな短期間で出来るようになるものだろうか。


「もう本職よりこっちの方が向いてるのでは?」

「そうでもない。私としては時々、何かを教えることが丁度いいと思っている」

「そっか」

「たが、彼ら彼女らがずっと笑っていられるような環境を作ってやりたいと思っている、こんな時代でも。いや、こんな時代だからこそなのだろう」

「こんな時代だからこそ、か……。 確かに、それは間違いないな」

「この先、どのような道を進むのか想像してみるのも面白いものだ」

「………うん、そうだね」

「何を成し遂げるのか、どのような才能を開花させるのか。あの未成熟で小さな体には可能性で満ち溢れている」

「………………」

「自由奔放に彼ら彼女らが野原を駆け回る姿などは実に微笑ましい。そう思えないだろうか?」

「え―と…。一応、聞くけど、わざと?」

「………? 何のことだ?」

「あ――…、いつものか…。うん、知ってた。テオはそういう人なんだって、うん」


 本当に彼は何も分かっていないようで一人でブツブツと理論を組み立て始める。その内、結論を出すことだろう。

 テオの発言に他意はない。(よこしま)な感情などもない。頭は良いのに、時折そういう所がある。何度、変な誤解されそうになったことやら……。

 そのような連想を自分がしてしまう辺り、自身の心が(すさ)み具合がよく窺える。


 周囲を包み込んでいた音楽の曲風が変わり、華やかだった空気が移り変わっていく。道の真ん中で綺麗な歌声やら踊り子の舞踊を含んだ行進が始まる。そこを起点としてどこか幻想的と呼べるような雰囲気は醸し出される。


 空から一羽の鳥が降りてきてそういったものの先頭に舞い降りた。

 騒めいたのはほんの束の間だけ。同じように周囲の人々はシーンと静まり返る。誰もが眼前の光景に釘付けとなった。

 鳥の姿が見る見るうちに変化していくではないか。


 花開くように白い装束に身を包んだ少女の姿へと変貌を遂げた。

 歓声が響く。傍らに控えている二人に加え、音を奏でる者達の列を引き連れる。全員の服装が清楚な白い装束で統一されていた。少女を含めて全員の顔は一枚の白い布に覆われ、誰一人として顔を見ることは出来ない。


 とうとうそれが目の前にまで到達した時。血の気が引き、足が竦んだ。

 直ぐにでも目を瞑ってしまいたかった。

 ただただ怖くて怖くて仕方がないのだ。


 涼し気な風が吹いた。少女の顔を覆っていた布は僅かに捲れ、素顔が見えそうになる。

 そして、少女の赤い瞳と目が合う。


 いざ彼女の目を見ると目を背けることが出来なくっていた。

 捲れた布が元に戻される。何事もなかったかのようにとても静かに、それでいて流麗に少女は通り過ぎていった。


「…………。次にナナに会う時、まず最初に謝ろうと思うんだ。許してもらえないかもしれないけど」

「……? いきなりどうした」

「心のどこかで僕はナナは僕なんかより強いのが当たり前だと思っていたんだ」


 先程の時だって自分は彼女からの視線が怖かった、睨まれたり、目を逸らされるんではないかと。でも、実際はそんな想像と余りにも違う。どこかしおらしくて陰りのある目をしていた。目が合った時にはそれがより分かりやすくなる。


 何を恐れていたのかが分からなくなった。想像なんかよりもっとずっと酷い。このままでいるのが許せなくなった。自分なんかよりずっと多くのものを見てずっと多くのことを考えて。そして、自分なんかよりずっと彼女は傷付いていた。


「ふむ。私からすれば、君達二人は似た者同士に見えるものだが」

「そう……なのか…?」


 テオの言葉に納得出来ずに首を傾げる。

 もう一度、空を見上げた。

 時代は移り変わっていく。その瀬戸際は近いのかもしれない。遠くに聳え立つ神殿はどこか無機質で城塞のようにも見えた。


 さて、教団はどこへ向かっていくのやら。

 いつになく、気ままにナナに会えないのが心苦しく感じる。

 今はただ自分の出来ることをしよう。

この作品を読んでいただき誠にありがとうございます!!

楽しんでいただけたのなら、幸いかと。


また、感想や評価を受け付けております。作者自身にも把握し切れていない部分があるので、教えていただけたら嬉しいです。

作者のモチベーションアップにも繋がりますので、どしどしお待ちしております!

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