1.6 目覚めた日から
誰かの会話が聞こえた気がする……。
片方は何となく見知った男性な気がした。
もう一人の方は……女性の声……?
果たしてあれは夢だったのか。それとも現実だったのか。目を開けようにも瞼が重い。
そもそも聞いたのは本当に会話だったのか。
まずゆっくりと体から先に起こして意識の覚醒を促す。口の中を舐めまわして口の中の感触を確かめる。そこからはしばらくそのまま。重い瞼があげられるようになるまで待つ。
それにしても懐かしい夢だった。自分にとってはそんなに昔のことではないのに、そう感じてしまう。夢の中が幸せだっただけに現実が辛い。これ以上、最悪なことなどない気さえする。
あの頃の自分はナナの方がいなくなるなど思いもしていなかった。ずっといなくなるとすれば、それは自分の方なんだと。だが、結果的に世界から弾かれたのは彼女の方だった。
ゆっくりと目を開ける。
目にしたのは夢で見たのに比べて短い自身の左手。目にかかった髪は白い。
それよりもここはどこなのだろうか。知らない部屋だ。見た限りでは使われている木材は古ぼけているようにも見える。そして、その部屋の隅にある小さなベッドの上にいる自分。端にある窓からは見えるのは建ち並ぶ幾つかの建物に手摺に寄り掛かる少女、老夫婦、鬱蒼と茂る大木、木の中に建つ塔。それぐらいだろうか。
「うっ…………」
頭に痛みはある。ただ、それほど酷いものでもない。まず何があったのだったか。
確か……自分はナナの話を聞いた。ルイスという友人の子孫から。居ても立ってもいられなくなって抜け出した……。それで弾丸を―――――
「…………!!」
すぐさま誰が着替えさせたのかぶかぶかな寝巻をめくる。
ゾッとした。あんなものを自分は受けたのだ。無事で済む筈がない。
服の下にあったのは何重にも巻かれた包帯。それが腹の辺りから肩にかけてまで。窓ガラスに薄らと映る自身の頭にまで巻かれている。あとは妙に力の入らない右手ぐらいだろうか。ここが一番、包帯が厚くされている。その上、何かの札らしきものまで張り付いていた。取り敢えず持ち上げてみる。
「あ、あああああああ…!!」
不味い。不味い。
襲ってきたのは途轍もない激痛。いや、痛いどころではない。焼き切れるように熱い。
蹲って力一杯、奥歯を噛んだ。呼吸をひたすら荒げて痛みを紛らわす。中々、引いてくれない。やばい。これ以上、動かすのはやめておくべきだ。
右手から力を抜き、そっとベッドの上に何とか寝かせる。
確かこっちの腕で座長を殴った。しかも、後先も考えずに本気で。そのせいだろう。他の所は問題なさそうだが、自分ではよく分からない。その辺りから記憶は途切れていてずっと夢の中。気を失いでもしたのだろう。
左腕を伸ばしたり曲げたりする。それから肩を回して感覚を確かめてみる。今になって思えば、正気ではなかった。あの時の自分は気が触れていたのではないのか。
何故あそこで真正面から突っ込んでいったのだ。もっといい方法をがあったのではないかと思えてしまう。あの時には確実に理屈が通っているような感じはした。だが、実際にはどうだ。理屈が繋がってくれないどころか、破綻している。ただ、まあ…………
ドアがノックされる。
そういえば、叫んだ際に下の方から足音らしきものが聞こえた。
「ナナシ君?入ってもいいかい?」
「え? あっ、はい。大丈夫です」
ドアをルイスが開けた。やはり顔つきをよく見てみれば、テオに似ている部分がある。自分にとってはそんな知っているけど、違う顔だった。
どれぐらい眠っていたのか。今の自分の状態について。あれからどうなったのか。そして、ナナの亡骸のこと。聞きたいことがたくさんある。
「えっと……、僕はどれだけ寝てたんでしょうか?」
「大体、三日間ぐらいかな」
「三日も……」
寝過ぎた………。
喪失感から苛立ちを覚える。そういえば、体がややだるくて、動かし辛い。こうやって普通に体を動かすのは三日ぶりということになるのか。
「…………!」
入ってきたのはルイスだけではなかった。後から女性も入ってくる。誰なのだろう。年齢は二十代半ばぐらい。顔には古傷、長い髪が後ろの方で束ねられている。それから彼女が持っているのは医療器具だろうか。
「安心していいよ。彼女は僕の友人だから。君の場合、病院に連れて行くわけにもいかないしね」
「ああ、そうなんですか。確かにそっちの方が個人的に助かります」
一先ずホッとする。いくら見てくれが人間であっても、病院のような場所へ行けば、人間ではないとバレかねない。一般の人にとっては人外が物珍しいような世の中だ。出来るだけそれは避けたい。
「初めまして、少年。私のことはアリッサとでも呼んでくれればいい。この男の友人扱いされるのは大変、不本意極まりないことだがね」
「…ど、どうも。 ナナシと申します」
「そうか、ナナシか。 大丈夫か?さぞやこの男が君に迷惑をかけたことだろう」
「いえ、そういうのは特には………」
「本当か、それは?」
「え、ええ」
何だか妙にルイスに対して刺々しい。それに彼を避けている感じもした。
アリッサと名乗った彼女は握手を求めてくる。とてもにこやかな顔をしていた。一応、それに応じる。
「具合の方はどうだ?動かすと痛いだとか、痺れるような感じがするだとか。些細なことでも何でもいい」
「右手は動かそうとするだけでも痛みがあります。あとは………それぐらいでしょうか」
「まあ…、そうなるだろうな。他は特に何ともないと?」
「ええ」
まず自身の体を起こし、包帯が巻いてある部分をアリッサに見せる。それを直に触ったりなどして彼女は包帯を取っていった。そこから新しい包帯を巻いていく。包帯の巻き数の方は減っているようだ。正直、安静を強いられるのは御免被りたかった。一刻も早く行動に移りたい。
ふと彼女の右手に目が引かれる。先程まで死角になっていて、見えていなかった。鈍い光沢を放つ滑らかな表面。肘の辺りから鎧の籠手のようなものになっている。義手だ。
「何だ、気になるのか?」
「いえいえ、そういうわけでは………」
「気にしなくていい、こんなの若気の至りでやったぐらいものだ」
そう言ってアリッサは笑い飛ばしたので、思わず顔が引き攣る。どのような顔をしていいのか。少なくとも彼女は特に気にも留めていないように見える。深くは考えないでおこう。
「いだっ…!!」
とうとう彼女の手が一番、包帯が厚く巻かれている右手に触れた。軽く触れた程度だ。なのに、痛みが上へ上へと昇ってくる。
すぐさまアリッサは右手から手を放す。包帯やら取り出した医療器具をまとめて仕舞った。
「この分だと経過は良好のようだ」
「この状態でですか…? 右手がもの凄く痛いんですが」
「寧ろ、想定していたよりいい方だ。何ら問題はない。 君の自然治癒能力には驚かされるばかりだ。擦り傷ぐらいなら数時間で完治するだろうな」
「……そういうのって分かるものなんですね」
「アリッサ、どうかこのことは内密でお願い出来るかな?」
「ああ、分かってる」
取り敢えず秘密にしてくれるようだ。彼女がこちらに向ける目はどこか物珍しそうな様子だった。世間一般では便利だと認識されるのだろう。でも、自分の考えとは違う。
一度たりとも…、この力をもらって良かったなどと思ったことはない……。
「……………!」
軋むような音が歯から僅かにした。
すぐに手を当てて口元を覆い隠す。自分は歯噛みをしていたのか。眼球を動かして目の前の二人を見るが、ルイスもアリッサも気が付いてはいなさそうだった。
さて、どうしたものか。怪我の方は大したことないというのは喜ぶべきことだろうが、簡単にバレやしないかと不安になってくる。流石に傷の治りとなると自分ではどうしようもない。
「ただし、右手に関しては絶対に安静だ。何せ最も重症だったからな。運ばれてきた時には萎びた縄のようにあらぬ方向に捻れていたぐらいだ。骨はグチャグチャ、治療にはわざわざ魔術まで使った」
「そんなにですか……」
やはり全力で動こうとすれば、自分の体の方が壊れていく。三か月前にも似たようなことがあった。確かあの時は歩こうとしただけで足の骨が折れそうになったんだったか。
制御できずに貰い物の力が自らの体を置き去りにしていった。念のため足の方を確認するが、折れてはいない。
「何とかすぐに右手を使えるように出来ませんかね、それから激しい運動とかは大丈夫でしょうか」
「…………! おいおい……、そんな大怪我をしたのにか?あと数日は休んだ方がいいとは思うが」
「急いでいるので」
時間が過ぎていくのが早く感じる。
サーカスにいた時と同じだ。殆ど縮こまっているだけでいつの間にか三ヶ月が経っていた。その間が全部、無駄だったように思えてきてならない。
かなりの時間が既に経った。にもかかわらず、まだ何も進んでいない。何もしていなかった。状況だって変化する。ナナの亡骸がどうなっているのかも分からない。
今はただ時間が惜しい。
「ルイス。大丈夫か、この子は」
「彼がそう言うなら、別に僕は反対はしないかな。寧ろ、個人としては賛成なんだけどね」
「はあ………、やっぱり黙ってろ、このポンコツ」
「え…? ポンコツ…? ……それってもしかして僕のこと?」
「お前意外に誰がいる……」
「それは酷いね……、僕だってちゃんと傷付くのに……」
ここでのアリッサの声のトーンが落ちた。
対してルイスは素っ頓狂な声を上げる。
「もう傷口が開くこともないだろうし、別に行かせてもいいんじゃないかな?」
「正気か?」
そう言ったルイスに対し、アリッサは愕然とした。自分もルイスも無茶を言っているようなので、そんな顔にもなる。
「やはり難しいんでしょうか?」
「その前に何故、そこまで急いでいるんだ」
「どうしてもやらなくちゃいけないことがあるから。今でないと。次なんてないんです。だから…、だから………」
「おい、ちょっと待って。何か事情があるのは分かったが、一旦、落ち着いたらどうだ。体に障る」
諫められて止まった。ナナなら文句を言いながら、ずっと待ってくれるだろう。きっと待てないのは自分の方だ。
「………やはり駄目でしょうか?」
「……怪我に関しては薬を渡しておく。痛みも治まる。一日三錠、食後に飲むように」
鞄から取り出したのは褐色の瓶だった。中には数粒の錠剤が入っている。
「ただし、今日一日だけはあまり無茶をしないこと。特に右手は絶対に使わないことだ」
「あ…、ありがとうございます……」
「全く、ちゃんとした医者なら何と言ったことやら……」
最後の最後に彼女は悪態をついた。医療器具を持って彼女は立ち上がる。
「何か思うことがあるなら来い。話ぐらいは聞く」
再びドアは閉まる。アリッサは部屋から出ていった。
本当は一日でも休んでいる暇はないとさえ感じる。でも、これ以上は現実的ではない。いくら慌てようとも、どうにもならない。それより、次すべきことを考えた方が断然、有意義。
………やってられないのだ、嘘でもそう思わないのと。
「多分、彼女が心配してたのってナナシ君の怪我の具合じゃないと思うけどね」
「……………。 …ルイスさんはアリッサさんと仲が悪いんですか?」
「彼女が僕を嫌っているのは確かだね。 昔の知り合いと会うと何故か大半はもの凄く嫌ってくるかもの凄く喜ばれるかのどちらかになるんだ。まあ、その大半には全く信用もされていないんだけどね」
「それは…………」
彼の方に原因があるのでは………?
話を聞いた限りではそんな風に思えてくる。
「えっと………、…冗談か何かですか?」
「そうだね、冗談だよ」
ほんの少しだけ寂しそうな顔をルイスはした。冗談らしい。どの辺りを彼は冗談だと言ったのだろう。
頬杖をついて窓の外を眺めた。あまり無茶をしないよう言われている。一旦、肩から力を抜いてみた。
「それでナナの亡骸について聞いても?」
「そうだね。丁度お昼だし、食べながら話そう」
そう言って紙の袋を手渡してくる。生温かさが紙を通して伝わり、ほんのりと焼けたパンの香りがした。
そういえば、お腹の中がずっとグチャグチャしている。ずっとものを食べていなかったせいだろう。余り胃の中に何かを入れたい気分ではないのだが、食べた方がいいとは思う。
中からパンを一つ取り出して齧り付いた。十分に噛んでから飲み込み、もう一度嚙り付く。
「さて、どこから話そうか。まずは亡骸の場所についてかな」
ルイスは鞄から紙を取り出し、紐を解いた。それを広げて床に敷く。それは地図だった。中央が海で隔てられた東と西の大陸。その一部分を拡大したものだろう。
「僕らが今いるのはここ、ブエナチア。その首都から離れた所になるね。亡骸の在り処はここから南に進んだ所。旧道を通って最短で行く」
地図上では西側に比べ、幾らか小さく見える東側の大陸を彼は指す。そこから真下に向かって地図上をなぞる。
「で、南に行くと未開拓領域の樹海にぶつかることになるね。この樹海は世間一般じゃあ危険地帯だと認識されてるよ。それを越える必要がある、亡骸があるのは樹海の奥地だから」
地図ではそこは白く塗られていた。敢えてそうしているのだと思う。白く塗られた上から何本もの木が描かれており、それで樹海を表している。
「危険地帯というのは?」
「人の手に負えないような怪物がうじゃうじゃいるんだ。下手に踏み込んだら,最後。人間なんて死体すら残らなくなる。あっさり餌として捕食されてお終いだ。因みにそれが開拓が中々進まない理由の一つでもある」
「あのサーカスでそういう生物が檻に入れられてましたが、それを思い浮かべればいいんですかね?」
「それでいいと思うよ。というよりあそこの生物って同じどこかの未開拓領域から調達してきたと考えるのが妥当だね」
知性は獣並みだが、どの生物も図体が大きくて力も強かった。単純だが、たったそれだけで十分に並大抵の生物は圧倒出来ると思う。こちらを見るや否やすぐに襲い掛かろうとしてくる上、時には悪質とも言えるようなやたら殺意の高い習性を持つ個体も。そんなのがうじゃうじゃと……。
溜息を吐きたくもなってくる。
「大丈夫。樹海についてはある程度、対策を用意してあるから」
「……そもそも何故、亡骸がそんな場所にあるんですか」
「ある集団がこの樹海の奥地を根城にしてるんだ。亡骸をその集団は所持していた、五百年間ずっと」
「五百年間ずっと、ですか?」
「その集団については………あまり詳しく話す必要はないね。 …多分、僕なんかよりナナシ君の方がよく知っていると思うから」
「まさか………」
飲み込もうとしたパンの欠片を危うく喉に詰まらせかけた。無理矢理それを唾液やらで押し流す。
ルイスが答えを出す前に確信に至った。ナナの亡骸を五百年前から所有し続けるような集団など自分が知る限り一つしかないのだから。
「スキラカルリッジ教団、それがその集団の名前だよ」
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