1.5 懐かしい夢を見た
左足を前に出す。
次に右足を前に出した。
どれぐらい進んだのだろうか。どこまで行ってもここは暗い。
ナナシの鼻腔の奥を甘い香りが刺激する。懐かしい香りだ。
行かなければならない。
約束を――――――
約束を―――………………
後ろの大木にもたれ掛かる。
昼過ぎの太陽が照り付け、温かな風が花畑を駆け巡った。
誰もいない森の中なので、自分一人でゆったりと木陰でくつろげる。
ゆっくりと瞼を開けると甘い匂いのする風が自身の焦げ茶色の髪を揺らす。昼寝するには丁度いい温かさだ。
眼前には赤や青、白などの様々な色の花が並ぶ。居心地はいいもので自分のお気に入りの場所となっている。一人でここにいることも悪くない。引き続きペンを動かし、手紙を書く。
誰かが草を踏む音がした。どうやら一人の時間は終わりを告げたようだ。振り返ってみると一人の少女が木々の間から出て来た。
顔は清潔感溢れる純白の布で隠され、同様に服装も白で統一されている。衣服を際立たせるための装身具は首から掛けている祭儀に使うであろう道具のみ。
簡素だからこそ誤魔化しはきかないのに、純粋に美しいと感じた。ゴテゴテとした装飾品など彼女の前では無粋でしかなく、彼女の生来の造形こそがなせる芸当なのかもしれない。どこか神秘的な威厳さえも感じられた。
流麗な動作で彼女は静かにその外套に手を掛け、取り外そうとする。その佇まいや動作の一つ一つが美しいと言えるものだった。
「……………………」
こんがらがって外せなくなったようだ。
どこかで引っかかったのかいくら引っ張っても、思い通りにならなくなっていた。そこから数分にわたって彼女の奮闘が始まる。終いには悪化して地面でジタバタともがき出した。
「××××、ちょっと助けてくれない?」
「はいはい」
とうとう諦めたのかこちらに助けを求めて来た。
彼女に近寄り、手を貸す。思っていた以上にややこしいことにはなっていなかったので、意外にも簡単に外すことは出来た。
次に顔を覆い隠していた布を取り、ようやく彼女の透き通るような白い肌があらわになる。中性的で平坦な声。毛先が黒みがかった赤髪に吸い寄せられるような赤い瞳。開いた彼女の口からは尖った八重歯を覗かせている。
「ボクってこの服、苦手なんだよね。何か動きにくいし、簡単に破れたりしそうだし」
次に首に掛けた祭儀の道具も取っていく。それからスカートやらひらひらしたものを片っ端から。あれもこれも。
「えぇ…………、それも脱ぐの?」
「大丈夫、大丈夫。下にはちゃんとした服を着てるから」
「それもそうなんだけどさ…………」
いくら周りに人がいないからといってそれはどうなのだろう。はしたないと注意すべきなのだろうか。どうも彼女に強く押されると注意しづらい。
出てきたのはどこぞの国の騎士の制服をモチーフにしたものだろうか。赤が前面に押し出され、確かに動きやすそうだった。さらにはどこから出したのか剣まで腰に差して。側から見れば、騎士にも見える。
見せびらかすようにナナはくるくる回った。
「新しいリボンなんだけど、どう?」
「良いんじゃないのか。前のやつも良かったけど、こっちはナナらしいと思うよ」
「ふふん、やっぱりそう思うよね」
自信たっぷりに彼女は鼻を鳴らした。飛び跳ねるようにしてこちらの背中に回り込み、後ろから手を回す。耳元でナナがは囁く。
「ちなみに駄目って言われたら、一ヶ月は口を聞いてあげないつもりだったけどね」
「え…? い………。じょ、冗談だよね?流石に…」
「どっちだと思う?」
おそらく冗談だとは思う。だが、この世の終わり並みに恐ろしいことだ。彼女に嫌われてしまえば、心に多大なダメージを受けるだろう。そこから立ち直れる気がしない。絶対に泣く、脱水症状になるまで。
「ねえねえ、××××は何書いてるの?」
今度は頭をこちらの膝の上に乗せ、擦り寄ってきた。下の方から手紙を覗き込んでくる。
「ああ、まあ。ほら、最近になって新しく入ってきた子がいたよね。確かマリーっていう金髪の女の子」
「ああ、確かにいたね。ボクの後ろを付いてきたりして。結構、可愛かったな。いっつもナナシ様、ナナシ様って」
「今、その子への手紙を書いてるんだ。今週中に三十通は送ったのかな」
「……………………」
「熱烈な内容に仕上げたのに、何故か返事が―――――」
いきなり天地がひっくり返る。
あまりにもその滑らかな彼女の動きに一切の違和感はなかった。せいぜい認識できたのは彼女に腕を掴まれたことぐらい。あの体勢から自身の体が宙に投げ出されているとは全く思いもしなかった。
「ぐへっ………!」
半回転して逆さまになった所からそのまま腹部を殴打。
強烈な一撃だった。そこから先はただ自分がゴムボールのように勢いよく地面を弾みながら転がっていくだけ。
数メートル程転がってようやく止まった。気持ち悪い。目が回って平衡感覚が狂っている。だが、すぐに立ち上がらなければならなかった。
「沈められたい?それとも、埋められたい?」
同じようにナナは拳を突き出し、隣の大木をへし折った。太い幹の方からごっそりとだ。絶対に怒っている。というか、これは殺気なのだろうか。息苦しさを感じる。顔が笑顔なので、余計に怖い。
「あのですね………、彼女への手紙というのは嘘でして………」
「どういうことなのかな?」
「本当は祖父母に宛てて書いた手紙なんです!何一つやましいことはありません、この手紙も見てもらって構いません!本当なんです、信じてください!」
ここぞとばかりに彼女に弁明する。手紙も渡して内容を確認してもらおうとした。ここで失敗するとかなり不味い。具体的に言うと明日には行方不明者の一員に加えられるぐらい。さらには関係の修復も見込めなくなる。
「まっ、知ってたけどね」
「え…?」
重っ苦しい空気が唐突に緩んで跡形もなく消えた。後には和やかな空気が漂う。彼女はクスクスと笑い始める。先程の身の毛もよだつようなものではなく、ただ悪戯っぽく。
「え……、知ってた?……一体、いつから?」
「最初っから」
体から力は抜け、膝を屈した。
日頃のちょっとした仕返しのつもりで言ってみただけだった。彼女がどんな反応をするのか好奇心が刺激されたというのもある。最初からナナの手の平の上で転がされていたというわけだ。
とはいえ、殺気は本物だった。二度とこんなくだらない嘘はやめよう。心臓に悪過ぎる。
やるにしても、もっと誰も傷付かないほっこりするような悪戯にすべきだった。
「……それで、あの木はどうするんだ?」
彼女が拳でへし折った木を指して言う。お気に入りの場所なので、何となくこのまま放置しておくのが嫌だった。そもそも木が可哀想というのもなくはないのだが。
「何とかなるよ、それを分かってて折ったわけだし」
気のへし折られた部分にナナは手を当てた。
彼女の手元に白い光が収束する。
折れた幹は失われた片割れを探し始めた。
失われた片割れに辿り着いたものから繊維の一本一本に渡ってまるで蛇のようにうねり、繋ぎ合わされ、一人でに木は枝を揺らしながら立ち上がっていく。最後の一枚の表皮が繋ぎ合わされてゆっくりとその跡も目立たなくなっていった。
「今のは魔術? そんなことも出来るんだな」
「そんな大したことじゃないよ。魔術を使える人が増えていってるってことは知ってる?」
「そうらしいな」
「だから、百年後二百年後あるいはもっと先か。きっと皆んなが当たり前のように魔術を使える時代が来るかもしれないよ。何だか面白そうだと思わない?」
「百年後か二百年後ね…。それぐらい先か………」
夢幻のようですぐに薄れて消えていきそうな淡い想像をする。自分とはあまり縁のない事柄だ。でも、彼女の言う通り面白いとは思うし、何だか感慨深くも思えてくる。
「……というか、こんな大木をへし折るぐらいの力で殴り飛ばしたのか?」
「大丈夫。手加減はしたから、多分」
「多分って、あんな風に人が飛ぶなんて普通はないと思うんだが……」
「まあまあ。無事だったから、いいじゃん」
「背中を思いっきり擦り剥いた。血が出てると思う」
「じゃあ、後で治してあげるよ」
いくつか文句を言ってみたが、ナナは軽く受け流してしまった。
よく惚れた方が負けだとか、告白した方が負けだとかはよく耳にする。その定義でいけば自分はとっくに負けている。きっとこの立ち位置はこの先もずっと変わることはないのだろう。全く難儀なことだ。
「ねえ、××××」
強い風が吹く。花畑を駆け巡って甘い香りを運んできたそれは彼女の黒みがかった毛先の赤髪をなびかせた。
「もし明日にでもボクたちが離れ離れになったらどうする?」
辺りが静寂に包まれる。迫り来る雨雲が太陽を覆い隠し、地上に暗い影を落とした。
最初は気付かないぐらいの小さな音。そこから徐々にゴロゴロと雷の音が大きくなっていく。
溜め込んでいた雨水を雨雲の群れは弾けるように一気に地上へと落とした。
「うわぁ……、降ってきたな」
「これからお茶会の約束をしてたのにね」
濡れないよう大急ぎで元通りにしたばかりの大木の下に避難した。この様子からしてしばらく止むことはないだろう。幹から離れて雨の様子を眺めている自分に対して彼女は幹に寄り掛かって座っていた。
「それで?早く答えを聞きたいな」
濡れた髪を掻き上げ、彼女の赤い瞳がこちらの顔を見つめてくる。
もし明日、離れ離れになるとしたらか……。とても現実的で笑えない話だ。今この瞬間にでもそれが十分にあり得る。一寸先にでも自分の命の危険が迫っているのかもしれなかった。
「たとえ離れ離れになったとしても、僕はナナに会いにいくよ。何年、何十年経っても、必ず」
真っ正面から彼女の顔を見れなかった。だから、雨雲の方を向く。雨が強くなる。空気を引き裂くように空に稲妻が走る。
彼女は俯き、押し黙っていた。彼女にも思うところがあるのだろうか。
「は、はははは―――――」
と思いきや足をバタつかせ、彼女は腹を抱えて笑い出した。
「………笑い過ぎだろ」
「だって、いきなりこんなキザったらしいこと言うんだもん」
「だって、これぐらい言わなかったら、拗ねてただろ」
キザったらしいというのも自覚はあった。正直、恥ずかしいと感じる。数年後には黒歴史として思い出す度に悶え苦しむことになるのだろうか。だが、以前にも同じようなことがあった時に彼女は偉く不機嫌になった。不機嫌にならないだけ良かったと考えるべきか。あの時はかなり堪えた。
「そっか…………」
地面に手をつき、ナナは立ち上がろうとした。が、足を踏み外して転ぶ。
「……ごめん、手を貸してくれない?」
「また?」
仕方なく彼女の手を取り、体を起こしてやる。
近付いて見た彼女の顔は若干、紅潮していた。ただ、すぐに彼女はそっぽを向いてしまう。
ああ、そうか……。どうやら恥ずかしかったのは彼女も同じだったのだ。
「××××は会いに来てくれるんだよね?」
「ナナがそうして欲しいのなら。もっとも、そんな事態にならないよう願ってるよ」
「そっか……。そっか―………」
自らの中で浸透させていくようにナナは繰り返し唱えると大雨の中、枝の外に出ていった。
空に向かって手をかざす。
「じゃあ、待ってるよ、ずっと」
眩しいぐらいの笑顔だった。
ナナの腕が振り下ろされるとともに雨雲が一斉に引いていく、腕を振り下ろした方向へと。雨雲が自然に引いていったということだけで済む、そこに彼女の姿がなければ。
雨雲と彼女は一纏だった。それがごく当たり前であるかのように。彼女が望んだままに。
太陽は顔を出し、雨雲は完全に見えなくなった。
「行こっか、テオもベナも待ってるだろうしね」
「天気も変えられるってこういう時、役に立つんだな」
「最近の信者たちなら泣きながら喜ぶんだけどね」
「むしろ、こんなことをホイホイやるナナが心配になってくるんだが」
ナナの背中を追いかけ隣に並んだ。二人はそのままこの場から去っていく。
見れたのはそこまで。紐解かれるように霧散し、何もなくなった。意識だけとなり、周囲と入り混じり、浮遊感や抵抗力が取り巻き、同化していく。
緩やかに上へ上へと押し上げられていった。
夢から覚めていく。
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