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サヴァンブラタンナ  作者: 皆月 おき
第1章 朽ち果てた先で
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1.4 名無し

 昨夜、対峙した怪物に比べて一回り小さい。だが、腕力だけなら昨夜の怪物以上だった。

 その光景を見て団員たちは面白そうに笑う、まるで自身は関係のないただの観客であるつもりのように。あくまで目的は観戦であり、参加するつもりはないようだ。それでも、厄介であることに変わりはない。

 瓦礫を蹴飛ばし、起き上がる。体の所々が痛い。


「お前を買ったのは見世物として使えるからだったが、そんな人間みてえになりやがって」


 床に向かってポタポタと血が滴る。頭が割れるように痛い。頭を手で押さえると血液が付着する。流血は頭からだった。

 思いの外、打ち所が悪かったのだろうか。視界はぼやけ、頭は回らない。


「割に合わねえんだよ、死ぬまで働いてもらわなきゃな」

「……要するに貴方は僕を見逃すつもりはないと?」

「最初からそう言ってるだろ、何だ?頭打っておかしくなっちまったのか?」

「………そこをどうにか出来ませんか」

「出来ねえつってんだろ!お前の全ての権利は所有者である俺の手元にある。一生このサーカスで金を産むために働き続けることがお前の運命だ!俺がそう決めた、覆ることは絶対にねえ!!」


 路地に風は吹き、咆哮にも似た声が空気を振動させる。

 座長の体は萎み、元の人の姿に戻った。


「さあ、帰るぞ。仕置きもたっぷりしてやる。奴隷として使えなくなったら、肉は捌いて骨を引っこ抜く」

「…………………」

「いい出汁が取れそうだと思わねえか?」


 ナナシの手を彼は引っ張っていく。だが、ナナシはそれを無理やり振り解いた。それから反抗的な目を向ける。

 分からない。ずっと耳鳴りがしている。何となくそうしなければならない気がした。


「何にも分かってねえようだな」

「………………」

「調子に乗りやがって」


 座長の体が再び膨れ上がる。


 ちょっと考えれば答えは出るのかもしれなかった。なのに、思考は全く捗らない。そのちょっとが遠く感じる。あるもの全てが掻き回され、取るに足らないものであるかのように零れていく。


 眼前ではやたらうるさくて、硬いものが砕ける音が鳴っている。

 食らっていたのだ、座長は地面を貪るように。いくら人の手で敷き固められた石の地面であろうとも、彼の鋭い牙の前では容易く噛み砕かれていく。深々と路面は歯形状に抉り取られていた。同時に腹が萎むだけの空気を肺に溜め込んだ。


 ―――――そして、一気に吐き出される。


「………………!」


 次の瞬間には轟音が鳴り響く。

 風が勢いよく吹き、衣服やら周囲の布類を纏めてはためかせる。ナナシの首のすぐ横を何かは通り過ぎ、建物の壁に大穴を開けていた。


「弾丸みたいだろ、砕いた破片を俺の唾で固めてある。多少は頑丈とはいえ、まともに当たれば風穴じゃあ済まねえぞ?」

「………………………」

「お前のことは好きだぜ。頑張ってる奴を見るとムシャクシャしてしょうがない。だがな、そいつの人生を滅茶苦茶にするのは最高だからな」

「……………そうか」


 頭を押さえる力が強くなる。頭が痛い。焦点が合わず、ぶれている座長の顔をナナシは見つめた。

 彼は何を言っているのだろう。分からない。聞こえてはいるのに、言葉が頭に入ってこない。先程も彼がしたことは見てはいたのに、理解が出来ない。思考はずっとグチャグチャ。

 まるで頭蓋骨の中で虫が巣食っているようだ。


 ―――――どうでもいいか。


 今までのこととは違う。()()()()()()。自分は彼女のもとに行かなければならない。それを彼は邪魔したのだ。許せる筈もない。今すぐにでも叩き潰してやりたかった。


 そうして堪え難い衝動に駆られる。感情を塞いでいた蓋がなくなったようだった。

 仕舞っていたドロドロとした感情がせめぎ合いながら、奥の方から溢れ出てくる。

 気分は最悪だ。


「僕の前に立つなよ…………」


 静かに呟いたその一言は周囲が彼の心情を察するのには十分だった。感じたのは怒り、それも腸が煮えくり返るような。

 笑いながら楽しんでいた団員たちの声は戸惑いに移り変わる、今まで一度としてこのような彼の激情を見たことがなかった。何が起こるのか予想がつかない。言いようのない漠然とした不安だけが漂ってくる。きっとこれは良い兆候ではない。

 這い寄ってくるかのように悪いものはやって来た。


「――――ナナシ君、ここは僕に任せてくれないかな。必ず何とかするよ」


 慌てた様子でルイスは横から入ってきた。肩を掴んで、ナナシを静止させようとする。

 どういうつもりなのか。ただ、どうしようもなく無駄なことのような気がした。適当に彼の手を払いのけ、本能が赴くがままに覚束ない足取りで座長の前に立つ。


「何だ、やるつもりか? いいぜ、ぶち―――――」

「退け………」


 今、大きな腕が振り下ろされようとしていた。この攻撃も十分脅威だ。もう一度直撃すれば、一溜りもないだろうないだろう。()()()、取り敢えず一歩踏み込んで跳んだ。


 続けざまに座長の口からは弾丸が吐き出される。三発ほどだろうか。体は大きく揺れ、体勢を崩しそうになる。どうやら体のどこかに弾丸が当たったようだ。

 やることは一つだけ、拳をギュッと握り締める。あとは簡単だ。


 ナナシの頬に血しぶきのようなものが掠める。

 座長の顔面にめり込んだ拳をそのまま押し切り、地面の石の層をぶち抜いた。


 重力に引っ張られるように巨体が地に伏す。

 頬は穴が開くぐらいにグニャリと凹み、自慢の鋭い牙の数本は折れている。そこから彼は倒れたままで動かない。本当に簡単なことだった。最初からこうすれば、良かったのだ。

 さて、次の相手は誰なのか。見渡せば、まだたくさんいる。


「ははははは…………」


 ああ………、今夜はとてもいい夜だ………。

 心地よくなって……楽しくなって………そして、死にたくなった。


「うぅ…………、気持ち悪い…………」


 頭から流れてきた血が瞼にまで届く。

 吐き気が押し寄せてきて今度は視界がぐにゃりと歪む。体が崩れ落ちそうになるも、何とか踏ん張りをきかせて倒れるのを阻止する。

 座長はまだ生きていた。息はしているようで微細な動きはある。ただ気絶しているだけなのだろう。だが、今なら息の根を―――――


 頭を押さえる。一体、自分は何をしようとしていたのだ。そもそも本当に自分がこれを―――――……

 段々と立っているのがしんどくなっていく。振るった方の腕を抑えた。方向転換し、たった一つの方向に狙いを定めて歩き出す。

 どうしても行かなければならなかった。


「………終わりましたよ、ルイスさん。行きましょう」

「……みたいだね」


 一切、振り返ることなく、真っ直ぐナナシは突き進んでいく。


「でも、まずは手当てをした方がいい」

「そんなことより行かなければいけないんです。行かなければ…………」


 行き先も分からないまま足だけを動かす。進むだけ地面には血液が零れ落ち、赤い血の足跡が擦れる。

 行かなければならない。


 ―――――じゃあ、待ってるよ、ずっと。


 行かなければ……………。行かなければ…………。行かなければ………。行かなければ……。行かなければ…。行かなければ。行かなければ、行かなければ 行かなければ 行かなければ行かなければ 

 行かなければ 行かなければ行かなければ行かなければ 行かなければ 行かなければ行かなければ 行かなければ  行かなければ 行かなければ行かなければ 行かなければ行かなければ  行かなければ 行かなければ行かなければ 行かなければ行かなければ 行かなければ行かなければ 行かなければ

 行かなければ行かなければ 行かなければ行かなければ 行かなければ行かなければ行かなければ 行かなければ 行かなければ行かなければ行かなければ行かなければ行かなければ 行かなければ 行かなければ  行かなければ行かなければ行かなければ 行かなければ行かなければ行かなければ 行かなければ行かなければ行かなければ行かなければ 行かなければ 行かなければ 行かなければ行かなければ行かなければ行かなければ行かなければ――――――


 後ろ姿をルイスは眺める。

 人ではない者たちは次々と道を開けた。ただ彼が通り過ぎていくのを見守る。たとえボロボロでふらつきながら歩いているとしても、たとえ彼の目に自分たちが映っていなくとも。誰が好き好んであんな爆弾に触れにいくものかと。


 確かに座長もまた他に類を見ない化け物と言わしめるだけの風格がある。だが、あの瞬間だけ彼は他のどの化け物よりも悍ましくて気持ち悪い何かだった。人から外れているだけでなく、生物からも外れている。


 自制心が壊れてしまっていた。死にながら生き、生きながら死んでいる。まるで妄執に取り付かれた生ける屍のようだった。果たして今の彼の目には何が映っているのか。もうどことも目の焦点が合わない。


「はあ――…、()()()()()()()


 ナナシが闇の中に消えた後、周囲を一瞥してルイスは溜息をつく。最後に座長に向かって言った。一度頭を抱えると彼はナナシを追う。

 そのまま二人は足音は遠退く。


 二人の足音が完全に聞こえなくなった後、まるで何事もなかったかのように団員の半数近くが去っていく。使いもにならなくなった座長の体も抱えて。

 いつも通りの彼らの仕事へ戻っていく。

この作品を読んでいただき誠にありがとうございます!!

楽しんでいただけたのなら、幸いかと。


また、感想や評価を受け付けております。作者自身にも把握し切れていない部分があるので、教えていただけたら嬉しいです。

作者のモチベーションアップにも繋がりますので、どしどしお待ちしております!

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