1.21 罪悪
あと1話。
指先が揺られる。
ぼんやりと明かりが差し込んだ。
空気、音、それから熱。色んなものが結び付いて束になる。
手に感触が入ってきて、動かした。重たい意識の浮上を促される。
「いててて………」
そんなに高さのない天井。それから石材を組み上げて作られた壁が伸びていた。通路の中央にはランプが。その傍らには彼も。
全体的に湿っている場所で、偶に水滴が落ちる。いるのは彼と自分だけか。
「やあ、起きたね」
「ルイスさん……。 大体、どれくらい眠ってたんですかね?」
「えっと、そうだね。 正確には分からないけど、三十分かそこらだったと思うけど」
立ち上がって軽く肩を回してみる。服の下を覗いてみたりもした。
「目に見える範囲で傷は残ってないよ。全部、泡立って塞がっちゃったし」
「ああ、そうなんですか」
言われてみれば衣服がボロボロなのに対して、体の方の損傷は少ない。
「じゃあ、そろそろ行かないとね」
「……。ルイスさんの方こそ、調子はいかがですか」
「まあね…。ちょっと休んだし、随分と良くはなったのかなと」
確かに顔色は、マシになったようには見える。ランプを持ち上げると彼は風の吹いてくる方に進んでいく。
「アルマの方はどうなんだろう。 今頃、上手く逃げたとは思うんだけど」
「……もしかして、任せてきたんですか?」
「ちゃんと後で合流できるように、逃げ道は教えたよ」
自分としては彼女がやられる所を想像出来ないのだが、どうなのだろう。
気怠るくて、体のあっちこっちに痛みがある。動かすごとに血の巡りの悪さを感じる。あれだけの無茶を考えると、まだ安い方かもしれないが。
「で、ここはどこなんですか」
「あの岩の向こう。そこでまた隠し通路に入った所。 あの巫女の手記に事細かに書いてあるよ。場所も彼女しか知らない」
一冊の本を彼から受け取って、表紙の埃を払った。綴られているのは見覚えのある文字。これなら、自分でも読める。
目次を指で追った。隠し通路の記述となると…………これだろう。左には×印で地図にその位置を、右がその詳細について。
そこで立ち止まって、その先を閉じていた蓋を開けた。通路は終わり、そこに薄明るい空が広がる。
「あそこがさっきまでいた場所。主に成人の儀が執り行われたりする。 ここからは墓地だね。ご先祖様を祀る所でもあるのかな」
後ろを見ると、周りと断絶された円形の土地が横たわる。上には神殿、それと岩場から降りてくる階段が見えた。ここは神殿より大分、低地にあるらしい。
前は前で地形が塔を形作って並び立っている。
「目的地はこっちで合ってるんだよね?」
「ええ、間違いないとは思います」
何度も通ったせいだろう。すっかり草原から草の生えなくなった箇所が続いていて、その道なりに進む。露出した岩肌がそれなりに連なる。麓から、中腹ぐらいまでは登っていく。
「天に遺灰が近いほど、徳が高いって考えに肖ったのかな。 そういう地域が多かったって聞くし」
「………。そうらしいですね、途中にあった壺の中身がそれでしょう」
ページを捲る。やたら説教じみた文言が多い。これは意図してのものなのか。
一先ずは目の前の石の扉を押してみた。軽く叩いてみるが、反響の方は鈍い。ご丁寧に南京錠まで付けて。すぐそこまで来ているというのに。
「どうします? 壊すのが手っ取り早いと思いますが」
「いや、もうちょっと慎重にいきたいかな」
二本の先端の曲がった器具を鍵穴に入れて左右に数度回すと、音を立てて錠が開かれる。纏めて閂を取り外す。
「ほう………、お見事です」
「しっかり勉強して、ついでに知り合いにコツも教えてもらったんだ。実は自信があってね」
入口が曲りくねっていて、奥が見えない。ただ、まだ空間ありそうだ。足を踏み入れてみる。ただ、気になって最後にまた振り返った。
「あの安置の仕方って………」
首を傾げる。初め触れたという気が全くしない。
手繰り寄せようとしても、実際に自分がそれを見た場面が浮かんでこない。掠りもしない。自分でも違和感を感じるぐらいに見覚えがあると言い切れるのにだ。
そういうことだろう。
◆
岩石の隙間から光が漏れていった。
溢れんばかりの白が洞窟の中を満たしている。
一面を覆い尽くそうとする満開の白い花。
洞窟の中に届く微量の光のみを浴びて、凛として花たちは咲き誇っていた。
「ナナシ君、あれって……」
「家屋ですね、僕がよく知る様式の。 ごく一般的なものだったかと」
特徴的な長めの煙突。半分は花の中に埋もれてはいるが、ほぼ間違いはないだろう。押し分けて、様子を窺っておく。ここに来て、ややルイスの歩くペースが落ちてきている。
適当に皮膚を掻いた。景色とは裏腹にここはよくひり付く。近付いているということなのだが。
「中に誰かがいるみたいだ、一人だけ。でも……、なんだろうね。 凄く弱々しいの、かな?」
「………………………」
聞き耳を立てるのを止めて、ゆっくりとドアノブを捻って中を覗く。
特に玄関には何の変哲も見られない。
遠目から殆ど食器も見当たらない厨房。中身が空のクローゼット。本が一冊もない大きな本棚。床の隅に三冊、置いてあるのみ。最低限、埃が残っていないぐらい。
全部が見せ掛けのもののようだ。
「来おったか……………」
奥の影と目が合う。その部屋に寄っていって、鼻を擦る。どこからというわけでもなくて多分、部屋自体から。変に甘ったるい香料がこれでもかと鼻腔をくすぐる。
ベッドが一つだけそこにはあって、寝たきりになっていた。当の本人を見下ろす。
「あぁ……。やっぱり君だったか、マリー」
最後に会ったのは呪物で刺した時になる、のか……。
皺くちゃになった手に携える一房の髪。八本。いや、六本か。彼女の体より生えている腕の本数は。明るい金髪もすっかり真っ白になり、毛先の色合いだけはナナに近くなって。
「やっぱりとは……。 いつから、儂だと気付いておった……」
「さぁね……。 ただ、集落の中で見覚えのある犬を見た。 最初は君が飼ってたのに似てるな、とだけ。 そこからは全部、こじ付けの連続だ」
側にあった椅子を引いてきて、腰を下ろした。
「どうりで首を落としても、心臓を突き刺しても、動き続けるわけだ。巫女も白装束も使いたちも。全部、死体だったんだから」
無言を貫いて、彼女は押し黙る。
「それを動かしていたのが君だった。 多分、それが君の……いや、ナナの亡骸の効力なんだ」
細めていた目を閉じると、やがて彼女は天井を見上げた。
否定してくる気配はない。この予想は正しかったようだ。態度を見て、ようやく確信に変わった。
「なあ………、お主は儂らのことを恨んでおらんのか」
「…………。すみません、ルイスさん。彼女と二人だけで話をさせてくれませんか……?」
「………ちゃんと冷静でいられる?」
「ええ……、問題ないかと」
「……………。分かった。 もし何かあったら、大声を出すように」
そう言って彼はドアまで歩いていって、最後にはドアを閉めていった。
「先生の子孫か………」
そちらを彼女も見送っていった。ベッドからはみ出した沢山の長い髪が引き摺られて。
皮膚組織はグズグズで体中に赤黒い斑点が。最早、棺桶に片足を突っ込んでいるどころではないのだろう。どこも皺だらけで骨や皮ばかり。首から下を大して動かさない。
「それで。 結局、君は何がしたかったんだ。色んなものを巻き込んで」
「…………。憧れを抱いた者なら、誰しもが願うことだ……」
再びこちらに目を配った。
「ただこの手で取り戻したかったんじゃよ、あの頃の教団を…。 もう一度だけ、せめてもう一度だけでいい…。あの輝かしい時代をこの目で見たかった……」
すると、天井へ向けて手の一つを伸ばした。ただでさえ皺くちゃな顔に、皺が寄る。
「………。本当に、そうなのか…。 低い士気に拙い戦術、短慮な計画。どう考えても戦力は足りていない。 どれも五百年前を意識してのものだろうけど、本物とは似ても似つかない。本物はもっとずっと凄かった」
「だからこそ…、これは妥協点なんじゃよ。 大事なものの中から切り捨てるべきものを選び取っていった果ての……」
胴体から伸ばした一つの手は千切れていった。
「今の世に、どれだけの本物の信徒が残されているのか……。儂から言わせれば、ここにいる大半は偽物」
ほんの少しだけ斑点が広がりを見せて、目が充血する。
「儂こそがスキラカルリッジ教団の最後の一人になること。 それこれ儂の目指した妥協点になる………」
「でも…、その願いは叶わない」
「そうじゃな……、これで潰えた。 或いは…、あの頃に先生と話せてたならまた…、違う結末もあったのじゃろうか…………」
教え子のためならと、テオには確固たる信念があった。貫き通すためにもどんな状況下でも、手を打ち続けるだろう。彼なら、そうする。
「聞きたいことはそれだけか………」
「他のナナの亡骸はどこにある」
もう十分だろう。彼女の手元の一房の髪に目を向ける。ここにあるのはそれだけ。
「………あれはナナシ様が死した三日後じゃったか、一人の男が訪ねてきた。 朽ちることのないナナシ様の骸を前にして其奴は説いた、残骸になってもなお彼女は生きておられると……。全ての信徒の安寧と幸福を望んでおいでだ、彼女の望むままに再び恩寵を授けられる…一助になれればと…………」
「その男っていうのは………」
「今となっては分からん、顔も思い出せるかどうか………。 じゃが……、大人たちは挙ってその男を歓迎しておった………」
これが当事者のみが知っていた部分……。
「事実…、見事にその男は成し遂げてみせた。 亡骸が…、多くをもたらす形となって……。引き起こされる不可思議な事象に、奇跡だと宣う輩さえもおった……。 騒動があったのはそれより、しばらくしてのことじゃ……」
「……………一体、何が?」
「盗まれたんじゃよ、一つを除いた全ての亡骸を其奴に。 終ぞや、亡骸は男とともに姿を晦ましたまま…。総力を挙げてなお……、見つけ出すことは叶わず仕舞いじゃった…………」
それが五百年前の話……。頬杖を突いて、それから窓の外を眺める。内心で舌打ちした。となると、そこからの手掛かりはないに等しいと考えていい。凭れ掛かって、天井を見上げた。
「今にして思えば……、嫉妬じゃったのかもしれんな…………」
そう言って手に携える髪を置いて、そのまま離していった。
天井に向かって、彼女の体躯が引っ張られる。内側から突き上がって、何本かの手が腹を破って、枝分かれしていく。根を張りながら生い茂り、吸い上げられて、入り組んでいって、彼女とともに枯れた。触れれば砕けると思える程に脆く、干乾びた肉体はさながら本当の枯木。
あたかも眠るに就くかのように目は、閉じられていた。
「恨んでいないのか、か……………」
落ちている髪を拾うと、ドアへと歩いていこうとした。
きっと彼女らを憎んでいないと言えば、嘘になるのかもしれない。あぁ……、憎んでいないだなんて全くの嘘っぱちだ………。
だが、そんなのはどうでもいい。ナナの死の一因になっただとか…、全部どうでもいい……。彼女らを憎んで何になるというのか。馬鹿々々しい……。
「だって…………、僕のせいでナナは死んだんだから……」
いつだって、最後にはそこに落ち着く。
命の鼓動も、彩る筈の華々しい未来も、何回でも何回でも聞かせてくれたたくさんの夢も………。あの日、その全てをナナから奪い尽くしていった。
彼女の屍の上に自分は立っている。自分がナナを殺したのだ。そうやって、今の自分が成り立っている。そうやって、のうのうと自分は生きていて……。
………自分一人が生きていて、何の意味があるというのか。
彼女こそ生きてるべきだというのに……………。
※ちなみに、巫女をやっていた死体についてですが、テオに寄せた感じにマリーが喋らせてました。
さて、これでラスト1話となります。
私からは、断じてバッドエンドなんかにはさせません、とだけ言わせておきます。




