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サヴァンブラタンナ  作者: 皆月 おき
第1章 朽ち果てた先で
2/22

1.2 彼女の童話

「ふぁ…………」


 眠気のあまり大きな欠伸をし、意識を再び手元に戻す。止めていた手を動かし、芋の皮むきを続行する。


 ここでの朝は早い。まず朝は用具の手入れから始まって朝食の用意、衣装の洗濯、まだ寝ている団員たちを起こしたり、その身の回りの世話。あとは怪物の檻の清掃など。ほかにやる者もおらず、とにかくやることが多い。


 それに加えて今日はいつもより体がだるく、頭痛がする。

 昨夜のルイスとの話は結論を言う前に中断されてしまった。途中で巡回の明かりが見えたためだ。そんなこともあって続きは今夜、場所を変えてということになった。

 それからずっと考え事をしていたせいだ。結局、一睡も出来なかった。全部吐き出したので、胃の中は空っぽで空腹も酷い。


 時折、警官に見つからないようテントを移動しなければならないし、峠を越えるような大移動だってある。今日がその日ではなくて心底よかったと思う。


「見ろよ、新入りがまた不味い飯を作ってるぜ」


 通りすがりの団員はひそひそとそんなことを言う。

 切り終えた芋を巨大な水を張った窯の中へ放り込んだ。マッチを擦って薪の中に放り込み、火を点け、適当に香辛料を振り掛ける。ここでこれは一段落だが、まだまだやることが残っている。休んでもいられない。


 次の工程に移る。衣装が山積みになっている盥を抱えると水道まで持って行く。テントの布をめくって外に出ようとすると足が何かに引っかかった。


 上半身だけが前に動き、バランスを崩して倒れる。咄嗟に手が出ていなければ、顔面が地面に激突していただろう。


 そのせいで盥から手が離され、衣装は地面に散乱してしまったのだが。

 振り向けば、蛇頭の男。それから隣には花弁のように口が八つに開いた団員。蛇男は足を伸ばしていおり、自分はそれに引っかかってしまったようだ。


「またですか。何というか、いちいち面倒くさいんですが」

「おっと悪い悪い。 そんなに風に睨んでくるなって怖くなっちまうだろ。あっ、目つきが悪いのは生まれつきだったな。これは失礼」


 そう言って男はニタニタと笑う。

 昨夜、司会を務めていた時とはかなり印象が違う。一発で子供が泣き叫ぶような見た目ではあるが、どこか愛嬌があった。どちらかというと今は獣部分が強く前面に押し出され、やたら血の気が多い。


 まあ、客の前では猫を被るというのも何ら可笑しいことではない。自分だって同じようなことをしたのだから。


「ああ、目つきのことですか。それなら生まれつきではありませんよ。まあ、睨んでるわけでもありませんが。 それより、仕事に戻っていいですか?やることがまだあるので」

「はあ?いいわけないだろ。 何、俺とお前との仲だ。ちっと酒を買ってきてくれるだけでいいんだ」


 見れば、彼の足元には大量の酒瓶が転がっている。大方、酒が切れたのだろう。


「普通に考えて無理じゃないですか?こんな十歳ぐらいの子供に酒を売ってくれる所なんてまずありませんよ」

「うるせえ、ごちゃごちゃ言ってねえで俺の命令に従ってればいいんだよ!」

「うわっ」


 いきなり蛇男は酒瓶を投げつけてきた、それもかなり思いっきり。完全に棒立ちだった。声を上げたのは瓶が真横を通り過ぎてからのこと。キーンと妙に甲高い音が耳の奥を伝って頭にまで響いてくる。


 瓶は後方の壁に衝突して粉々に砕けたようだ、地面には小さな破片が散らばっている。

 まさかここまでしてくるとは……………。隣の男は粘液まで吐いてくる。どうやら相当、酔っているらしい。ここは素直に従った方が良さそうだ。でないと、さらに面倒なことになる。


「朝っぱらからやかましいわ」


 瓶の砕け散る音を聞きつけ、テントの中から小太りで立派な髭を生やした男が出てくる。


「何だ。起きちまったのかよ、座長。 悪い悪い、新入りが役にたたてねえのに、文句ばかり垂れてよ」

「全く、程々にしておけよ」


 笑って誤魔化そうとする蛇男に疲れた様子で座長は適当に返答し、うんざりした様子で次はこちらの方を見る。


「新入り、くれぐれもほかの団員たちに迷惑をかけるなよ」


 寝起きなのか髪は乱れてボサボサ、偉く不機嫌だった。念を押すようにギロリと鋭い目を向けてくると、欠伸をしながら再びテントの中へ戻って行った。


「ちゃんと酒を持って来いよ。逆らったら、覚悟しておけよ?」

「分かってますよ」


 また元の調子で蛇男は胸倉を掴み、脅すように言った。

 渋々、従うことにする。とはいえ、本当に持ってくる気にもなれない。その素振りをするだけでいいか。ついでに言い訳も考えておこう。


 地面に散乱した衣装を急いで拾い集めた。多少、汚れはしたが、しっかり洗濯しておけば、まだ綺麗に落ちる。盥の場所を移しておかなければならないし、窯の火を止めておくべきだろう。ほかの団員がやってくれるとも思えない。



 ◆



 無人の建物がひしめき合う区画にテントはあった。そこを抜けて一人とぼとぼ街中を歩く。

 時代が変わっても、建物の形にはあまり変化が見られない。伝統的な景観の保全のためか、あるいは元々最適な様式であったからなのか。


 ただ、やはり自分の知る景色とは違う。

 指先の小さな火で火を起こす屋台の男や手の平から出した水で如雨露の中を満たす女性。自分にとって不可思議なものがごく普通に使われ、生活の一部として組み込まれている。


 あからさまに武器を所持しているような者はいない。道もしっかり整備されている。ある意味、座長が言った通りにこれはこれで平和と言える。


 さらに進むと大通りに出た。大勢の人々が行き交っていたので、その中へ交ざってみる。何となくこうしていれば、自分も数多くいる人間の中の一人でいられるような気がした。とはいえ、今さら元に戻りたいかと聞かれれば、首を傾げることになることだろう。


 人間の領域というだけあってやはり右を向いても左を向いても道行く者は人間ばかり。というよりも人間しかいなくてそこには人外の姿などはない。入り込む余地を残していないような気さえした。


 人々にとってはこれが当たり前のことなので、気にしない方がいいのかもしれない。可笑しいのは自分の方だ。赤子から年寄りまで道ゆく人々が綺麗な身なりをして過ぎて行く。痩せこけた子供の物乞いもいなければ、道端に死体が転がっていることもない。


 少なくとも誰かが特筆して不幸な目に遭っているわけでもない…。

 何も問題ない………。これでいい筈だ…………。

 ただただ居心地が悪い………………。


 懐から文字の書かれたメモを取り出した。目の前の看板の文字と二度三度、照らし合わせてみる。どうやらここは南地区と呼ばれている場所で合っているようだった。基本的には追跡から逃れる逃亡生活だ。あまり表立って歩くことも出来なかった。だから、この街で何がどこにあるのかは全く知らない。


「うぅ…………」


「?」


 大勢の人々で賑わう中、誰かがすすり泣く声がする。

 周囲を見渡すが、誰も声に反応した様子はない。


 同じように声を聞いた者を見つけるより先に声の主は見つかる。

 六、七歳ぐらいの少女。近くに親はおらず、状況からして迷子だろう。多少は可哀そうだとは思ったが、どうせ誰かが代わりに助けてくれる。


 警官に引き渡す、あるいは一緒に親を探す。この二つのどちらだが、今の自分には目立つことも警官と関わることも非常に不味い。

 あとは時間の問題など、考えれば考えるだけ出てくる。だから、黙って通り過ぎようとした。


「―――――ねえ、見捨てちゃうの?」


 背後から懐かしい声が聞こえた。

 息を呑み、咄嗟に振り向く。ずっと聞きたかった彼女の声がした。


 やはりそこに声の主はいない。

 当然だ、彼女の声がする筈なんてないのだ。分かってはいた。それなのに、振り向かずにはいられなかった。


「とうとう幻聴まで聞こえてきたのか………」


 若干の喪失感を覚える。頭を掻き、迷子の少女の方へ近付いていった。顔に笑みを張り付けておく。最近、眉間にしわを寄せてばかりだったせいか表情筋が硬い。笑みはどうやって浮かべるものだったか。


「やあ、迷子かい?」

「……! う、うん。お母さんが………」


 口調を変えてみたが、少女が警戒しているのが窺える。子供の見た目だから大丈夫だと思ったのだが、身長はこちらの方が上だ。せいぜい今の自分は不審者よりはマシな程度なのだろう。


「そうか。じゃあ、僕と一緒にお母さんを探そう。大丈夫、すぐに見つかると思うよ」

「いや、でも……。う、うぅ……………」


 少女の手を握ってこの場から連れ出そうとするも、警戒心からか涙目になりながら彼女はそれを拒もうとする。


 彼女の目からは大粒の涙が溢れ出し、今にも大声で泣き出してしまいそうだった。

 困ったことになった。何とか彼女を泣き止ませてやりたい。でも、どうやって?何か方法はないのか。早く何かを。何かを。何か――……


「実はね、向こうに綺麗な花があったんだ。一緒に―――――」

「うぇぇ………。うぇえええええ………、うえぇ……」

「えっと。えっと……………」


 少女の抱きかかえている絵本に目が行く。裏表紙には見覚えのある火を模した印。出来れば、別のものにしたいが、思い付かない。

 まずは身近なものの話で警戒心を取り除こうとした。


「その本が好きなの? 確か魔法使いのお姫様が冒険するお話だったけ?」

「…………うん。……お父さんが買ってくれたの」

「へぇ~、いいお父さんなんだね」

「………お母さんもね、寝る前に読んでくれるの」


 上手くはいったようだ。

 ほかの団員たちと同様に手品と称した何かが出来ればよかった。だが、三か月間しかあのサーカスで活動していなかったし、やって来たことといえば、雑用のみ。何よりセンスも意欲もなかった。


 気にしてもしょうがない。泣き止んだので、この方向で行こう。あまり遠くに連れ出すのも止めだ。近くの噴水の方を指さし、彼女を座らせる。親が探しに来るのを待った方がいい。


「きっと優しい親御さんなんだね。いいなぁ、楽しそうで」

「……でもね、お父さんもお母さんも怒るとすっごく怖いんだよ」

「例えば?」

「こっそりつまみ食いした時とか、お野菜を残した時とか。すっごく顔が怖いの」

「ああ、そういう所もあるよね。それで?」

「あと、いっつもこの本を見て言うの。ちゃんと自分を見てくれる人を好きになりなさいって。お母さんとお父さん出会いのきっかけになった本だからって、本当に口を酸っぱくして言うの」


 泣くことも忘れ、急に少女は饒舌になって語り始める。感情の移り変わりは思いのほか速かったが、泣き喚くことよりはいいはずだ。


「でもね、私もこの絵本の最後がロマンチックで大好きなの」

「最後?」

「うん!」


 パァっと花が咲くように少女は笑みを浮かべる。絵本のページに指をかけ、ページを最後の方へと持っていく。


「色んな男の人がお姫様を好きになるんだ。……お金持ちの人とか力自慢の人とか。でもね、お姫様はどんな人も好きにならなかったの。だって、その人たちが好きになったのはお姫様じゃなくてお姫様のすごい力だもの。でもね…、最後に普通の少年と結ばれるの。お金持ちじゃないし、すごい力もないけど、いちばん自分のことを見てくれる。そんな人を!!」


 独自の解釈で要点のみを抜粋して話す。彼女の口からは言葉がぎこちないながら次から次へと飛び出してきた。何度も絵本を読み返したのだろう。語り終えたところで少女は本を閉じる。十分語り切ったかのように思えた。自分としてはそうだと良かったのだが。


「それでね、それでね―――――」


 まだ語り足りなかったようだった。何故、未だにこのテンションを維持出来ているのか。子供らしく元気で一杯だ。ただ、流石に疲れた。今の自分ではそれに付いて行くのも一苦労だ。精神自体が疲弊しているのを感じる。


「―――良かった…………。心配したわよ、もう……………」

「あっ、お母さん」


 群衆の中から一人の女性が駆け出してくる。息を切れ、汗だくだったことからも娘を必死になって探し回っていたのだろう。


「この子は?」

「お母さんがいない間、ずっとお話を聞いてもらってたの」

「そう……。ごめんなさいね、この子を相手するの本当に大変だったでしょ」

「いえ、そんなことはありませんでしたよ。僕も彼女を話せて楽しかったですし」

「あら……。小さいのに、しっかりしてるのね……。 この子にも見習わせようかしら」


 そう言って母親は微笑む。社交辞令、だけではなさそうだ。どうやら身長のせいもあって彼女にはこちらが自分の尺度に比べて幼く見えているらしい。十歳の頃は確かに自分はこれぐらいの高さだったのだが。それより気のせいだろうか。今、母親の方から憐みの目を向けられた気がする。


「それでは僕はこれで」

「あ、ちょっと待って」


 立ち去ろうとする自分は彼女は引き止める。


「これお礼ね。この子の面倒見てくれて本っ当にありがとう」

「え? いえいえ、困りますよ、こんなにたくさん」

「いいのよ、これぐらい。これから辛いと思うけど、頑張って!」


 気のせいではなかった。何故か母親から力強く応援される。ついでに溢れんばかりの飴玉が入った袋を手渡された。開けたままにすると僅かに傾くだけでいくつかが零れて床を転がるぐらいだ。


「じゃあ、お兄ちゃんにバイバイしよっか」

「お兄ちゃん、バイバイ」


 顔に張り付けていた笑みが崩れてないだろうか。

 手を振り返し、母親に連れられていく少女を見送った。


 確かにずっと不安だった、自分はしっかり笑えているのか。先程の少女とあの童話の話を始めていた辺りからだ、心の中ではずっとしかめっ面をしている。


 童話は少年と魔法使い、二人は結ばれてハッピーエンドだった。




 良かった、―――――




 ―――――童話の中だけでなく、本当にそうだったなら。




 でも、そうはならなかった。実際の結末は最悪だ。

 結果的に魔法使いは死に、少年だけが生き延びてしまった。五百年経った今でも彼は生き続けている、無様にも。


 頭を掻きむしった。再び噴水に腰かけ、この時代の空を見上げる。

 五百年前には大陸中に彼女の信者がいた。知らぬ者などいないぐらい有名だった。だから、後世に彼女のことが物語となるというのも不思議なことではない。ただ、初めて知った時には反応に困った。

 日の方を見る。まだ時間はあるようだった。暇を持て余してその場に寝そべる。


「…………ああ、そういうことか」


 噴水の方を向いた時だ。水面に自身の顔が映っている。何となく先程の母親が何故、あそこまで同情してきたのか理解した。目の下には大きな隈ができている。それに衣服もボロボロ。酷い顔だった。まるでゾンビのようだ。これでは変に勘違いするのも無理はない。


 今日はもうサーカスに戻ることにする。

 考えも纏まってきた。やはり脳裏に彼女の顔がちらつく。

この作品を読んでいただき誠にありがとうございます!!

楽しんでいただけたのなら、幸いかと。


また、感想や評価を受け付けております。作者自身にも把握し切れていない部分があるので、教えていただけたら嬉しいです。

作者のモチベーションアップにも繋がりますので、どしどしお待ちしております!

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[良い点] スラスラ読めてじっくりと展開していくお話が楽しい。 [一言] まだ序盤ですがこれからどう進むのか気になる作品です
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